ライルたちの担任の先生、キース先生は普段超多忙である。
ただでさえ魔法学という授業の担当をしていて、他の教科より授業に長い準備期間を必要とするのに、担当のクラスがあれだ。問題児という問題児を一箇所に集め管理しやすくするという見も蓋もないクラスの担任。クラスの連中が引き起こす様々な問題を解決するために、週に40時間近くのサービス残業をこなしている。
今日も今日とて、朝のSHRのために教室の前まで来ると、なにやら爆発音がする。
問題児は多くいれど、こんな朝っぱらから爆発騒ぎを起こす人物など一人しかいない。
ハァ〜、とキース先生は重い重いため息をついた。
そも、彼は元々冒険者だ。かつて一緒に行動していた仲間たちの中では魔法使いの役割を担っていた。超はつかないだろうが、十分一流の魔法使いだったと自負している。
その彼から見て、ルナの才覚はバケモノだ。一年生の頃はそれでもまだ教えることはあったのだが、今は既にキースの教えることは完全になくなっている。あとは経験を積んでなんらかの功績を残せば、歴史に軽く名前くらいは残せるだろう。
なのに、普段はこの体たらく。キース先生は、教師として、魔法使いとして沸々と湧き上がってくるやるせない気持ちを押さえ、乱暴に教室の扉を開いた。
「お前ら! 特にルナ! 今日はまた何の騒ぎだ!?」
そして、キース先生にとって、いつものと言えばいつもの一日が始まる。
第104話「キース先生のある意味とても平凡な一日」
「……それで、原因は久しぶりにグレイなわけか」
ぴくぴくと引きつるこめかみを自覚しつつ、キース先生は確認をとる。
いつもなら、吹き飛んだ机や椅子を並べれば済む程度のルナの暴走だが、今日はかなりひどかった。なにせ、教室の床に大穴だ。下のクラスの連中が目を白黒させていた。
……ウチのクラスは、とっくに避難完了していたがな。いつもながら、とんでもない危機回避能力だ。
「ええ。忘れている人も多いだろうから説明しておくと、グレイ・ハルフォードはなんか知らないけど私に惚れている、ローラント王国でも有数の貴族の息子よ。性格は馬鹿の一言で言い表せる単純さ」
「……誰に説明しているんだ? いくらなんでも、俺は生徒の名前を忘れたりは――」
「あー、先生、気にしないで。これはそう、お約束っつーか、とうとう私も主人公の特権を駆使できるようになったというか……。まぁ、簡単に言うと私たちには決して見えない……えーと、そう。妖精さん(?)に話しかけているだけだから」
「よくはわからんが、激しくどうでもよさそうだな……」
それ以上深く突っ込むと、修正されそうなのでキース先生は引き下がり、再び当事者たちに事情を聞く。
……と言っても、内容自体は呆れるほど単純だと、すでに確信しているのだが。
「いやぁ、さすがはルナさん。妖精だなんて、ロマンチックですね。そうです、近くに妖精の現れるという森があるんですが、今度夜の散歩にでも行きませんか? もしかしたら、妖精たちの踊りに遭遇できるかもしれませんよ」
「断固拒否するわ」
「ああ、これは私としたことが。確かにそのような森に夜に行くとなれば女性は怖がってしまいますね。ですが安心してください。このグレイ・ハルフォードがしっかり守って――」
「グレイ、少し黙っててくれ」
話が全然明後日の方向に行き始めたので、キース先生はやんわりと嗜める。
グレイは己の演説を止められたことに不快そうだったが、貴族とは言え学校では教師と生徒の関係である。大人しく引き下がった。
ちなみに、すでに改めて念を押す必要があるかどうかも疑わしいが、ルナが夜の森を怖がったりグレイに守られるなどと言う事はありえないと言う事を、この男は少し自覚するべきだと思われる。
「……つまり、こういう風に迫られて、我慢できなくなったわけだな?」
「いや、先生。私だってそこまで短気じゃありません。こいつとも、もう二年以上付き合ってるわけですし、いつものことだと流しました」
「ほぅ」
キース先生は頷く。確かに、言い寄られたくらいで吹き飛ばすほど、この二人の仲は悪いものではない。グレイは馬鹿だが、貴族にありがちな平民を見下したような態度は薄い。こうやって、キース先生の言っている事を聞いているのがいい証拠だ。クラスの中でも、それなりの友人関係を築いているようだし。
そんなわけで、ルナは特別彼を嫌っているわけではない。ただ、男女の仲を迫られるのが嫌なだけだ。グレイの口説き文句も、今では挨拶代わりに流している。
「じゃあ、どういう理由で教室に大穴をあけてくれたんだ? まぁ、どんな理由でもそれなりに説教はさせてもらうが」
「それが、先生。こいつ、私の肩に手を乗せたんですよ?」
とたん、キース先生の方がガクンと落ちた。
「お前なぁ……」
「だってセクハラですよ、セクハラ」
「肩に手を置いたくらいでセクハラもなにもないだろ……」
「そういう男の無神経が、世にセクシャルハラスメントを広げるんです。……ってかグレイ。思い出したらムカついたから、もう二、三発ボコらせろ」
やめとけ、とキース先生は止める。
まぁ、悪く思っていないと言ってもこの程度だ。この場合、問題があるのはグレイじゃなくてルナのような気がする。てか、間違いなくそうだろう。いや、グレイが正しいとは決して言わないが。……てか、二年もしたらいい加減諦めろよ、とキース先生は思う。
「ハァ……もういい。もう一時間目の俺の授業始めなきゃいけない時間だし、説教は後でする。とりあえず、空き教室に移動しよう。この教室はもう使えん」
「先生、ご安心を。ハルフォード家の力をもってすれば、この程度の損壊、明日には復旧します」
「……いいのか? そんなことしてもらって」
「モチロンですよ。未来の伴侶のしたことですし」
また、余計な事を言う。あちゃあ、と手で顔を覆ったキース先生は次のルナの台詞が一字一句間違えずに予想できた。ついでにこの場合ルナがとる行動も。
「誰があんたの伴侶よ!」
ルナはそんなわかりやすい台詞を言いつつ、実に捻りの聞いた右ストレートをグレイの顔面にぶち込んだ。
吹っ飛ぶグレイ。教室の入り口で話していたため、彼の身はルナが空けた大穴の中に飛び込み、下の教室に墜落。実に迷惑だ。
「す、すみません!」
慌てて下の教室の教師に頭を下げつつ、そろそろ辞表を出そうかなぁ、と悩むキース先生だった。
昼休み。
ライルたちが一年生の頃……あまりの仕事の忙しさに、お守りと言うかいつでも辞められるように作った辞表を見ながら、キース先生は幸せが逃げるのもお構いなしに、本日何十回目だかのため息をついた。
……別に、教師と言う職業が嫌なわけではない。元冒険者と言う事で、初めは慣れなかったが、今ではこのまま定年まで続けてもいいくらいに思っている。
だが、毎日毎日こうトラブルの後始末に奔走していれば、疲れると言うものだ。
「……はぁ」
愚痴っても仕方ない。お守りの辞表を机の引き出しの中に押し込むと、キース先生は立ち上がった。
さぁ、学食に行こう。昼食をきちんと摂らないと、午後の仕事に差し支える。
「あ、キースせんせ、ちょっと待って下さい」
「……学園長」
呼びかける声に振り返ってみると、笑みを浮かべたキース先生の叔母にして、このヴァルハラ学園の学園長の姿。思わず一歩引く。
昔から、この叔母にはヒドイ目に合わされてきたのだ。
幼い頃、風呂で散々弄り倒されたのを皮切りに、学生時代好きだった女の子との間を取り持ってやるとか言われ、結局思い出すも忌まわしい振られ方をしたり。冒険者として自立しても、魔法学の講師が足りないからとこの学園の教師職に無理矢理就かせられた。
そんな思い出の中でよくしていた笑みを現在ジュディ学園長はしていらっしゃる。
「な、なんで、しょうか?」
生徒で遊ぶことも厭わない人だ。親戚の甥っ子を玩具にすることなどにためらいがあるはずもない。思わず後じさりながら、キース先生は尋ねる。
「いえね、キース先生も、もういいお年じゃないですか?」
この台詞だけで、この後の展開はほぼ読めた。大体、こんな定型文を使われてわかるなと言う方が無理だ。
「いえ、まだまだ俺は若輩です。では、そーゆーことで」
「そこで、私の知り合いの人の娘さんなんですけど。ちょっと会ってみません? もう今週の日曜日に約束をとりつけてあるんですけど」
なにしやがる糞ババァ!?
そう言いそうになるのをぐっと堪えて、キース先生は落ち着こうと深呼吸。ここで怒っても仕方がない。ただ、ちょっと見合いのようなことをするだけだ。日曜日と言うと、明日。今から断るのは失礼になるから、一応行く事は行くが、その見合いの席で断ればよい。いや、自分が相手ではむしろ向こうから断ってくるだろう。
「ああ、それとその相手の方だけど。ほら、覚えてない? キーくんが昔ぞっこんだったナターシャちゃんなのよ」
「なにをしてんだアンタはーー!?」
からかうような口調で昔の呼び方をしてきたジュディさんのトンデモない宣言に、キース先生は今度こそ叫んでしまった。職員室中の人間がこちらに注目してくるが、そんなことに構っている暇はない。
「断らせてもらいます。先方には学園長から連絡しておいて下さい!」
言外に、アンタが勝手に始めたことなんだからな! という意味を込めて、拒絶の意思を伝える。
……過去、そのナターシャという女の子に、キース先生はラブレターを送った。ただ、ロクな文面を綴ることが出来なかったので、身近な女の人、ということでジュディさんに代筆を頼んだのだ。
我ながら、当時の自分はイカレていたとしか思えないのだが、結果としてそのラブレターの文章のせいで振られた。ビンタと『最っ低!』という言葉のおまけ付きで。内容はここで公開するのは不適切だが、少なくとも思春期の女の子に贈ったら即絶交な代物だったとだけ言っておく。
とにかく、そんな殆どトラウマになっているような別れを体験した女の子とのお見合い。キース先生が嫌がるのも無理はなかった。
「まぁまぁ。会ってみるだけですから、ね?」
「それが嫌なんですよ!」
「そろそろ身を固めないと、体裁も悪いですし、ね?」
「……百歩譲ってそうだとしても、なんで相手がナターシャである必要があるんですか?」
ジュディさんはうーん、と悩み、
「面白そうだから」
「やっぱりそういうことか!? と、とにかく俺は失礼します! 昼食も取ってませんし」
逃げるようにキース先生は駆け出す。
ジュディさんも、本気ではなかったのか、それともここまでの一連のやり取りを面白がりたかっただけなのか『仕方ないわねぇ』等と言って、見合いの件を断るための理由を考え始める。
そして、やっと話が終ったと段々といつもの喧騒を取り戻して行く職員室で、たまたま訪れていた生徒が急いで教室に帰っていった。
そして、帰りのSHR。
やっと今日も一日が終る、とキース先生は重い足取りで自身の担当するクラスに向かっていた。
ただ、このあとも部活の監督に小テストの作成に授業で使う薬草の採取、ルナの破壊した施設に関する報告書といういつもの作業がある。しかも、今日は進路指導のおまけ付き。だが、騒ぎを起こす主だったメンバーが帰宅するので、精神的には楽だ。
そんな放課後のスケジュールを思い浮かべながら、教室に入ると、キース先生をクラスのみんなが囲った。
「先生! 結婚するって本当ですか!?」「相手は貴族出身のすごい美人だって聞きましたけど!」「え? あたしが聞いたのだと、なんでも新鋭の画家だって話だけど?」「生徒を誑かしたんじゃなかったのか?」「先生! 嘘と言ってください? 俺、俺実は先生のことが……(←!?)」
唖然とするキース先生。
話はよくわからないが、恐らく昼間の学園長との話を誰かに聞かれていた? と当たりをつける。
だが、いくらなんでもこんな風に誰彼構わず言いふらすようなやつは……
「……お前だな、リム」
生徒の輪をなんとかくぐりぬけ、後ろの方で面白そうに見物していたリムにすごんでみせる。
リムは、こういった噂話が大好きなのだ。以前も、ライルとクレアの噂を学園中に広めた実績がある。
「あれ? 違いました?」
「違う! 単に見合いを勧められただけで、しかも断った! 大体、本当だとしても言いふらすようなことじゃないだろうが! てか、お前らもこいつの言う事を鵜呑みにするなよ、頼むから!」
生徒たちはあっさりと納得したのか、席に戻っていく。この切り替えの早さはさすがとしか言いようがない。
「な〜んだ、やっぱり間違いだったのか」「まぁ、キース先生だしね」「だな。女に一生縁がなさそうだし」「不憫ね。顔は悪くないんだけど……」「でも、なんか不幸っぽいし、あたしだったらやっぱりお断りかなぁ」「収入も絶対少ないだろうしねぇ」「せ、先生はフリーなのか。じゃあ俺にもチャンスが……(←!?)」
「よぉし、お前らいい度胸だ」
とりあえず、宿題を大量に出して溜飲を下げるキース先生だった。
そして、今日もキース先生の一日が終る。せめて夢の中では安らげますように、と祈りながら。