六月の中旬。

梅雨に入り、蒸し暑くなってきた教室で、クレアは一枚のプリントと向き合っていた。

曰く、進路希望調査。

卒業後、一体どのような職につくのか……その予備調査らしい。

ヴァルハラ学園で一番多い進路は、やはり冒険者。卒業生の二割ほどがその道を歩むことになる。まあ、冒険者となるのは殆ど男だ。やはり、冒険者と言う職業は体力のある男の方が向いている。

あとはバラバラだ。さらなる高等教育を受けるべく、進学するものもいれば、家業を継ぐもの、適当に就職するもの、成績がよければ国に登用されたりもする。

「……はぁ」

だが、クレアはそのどれもできない。冒険者なんてできないってことは、学期末のミッションで散々思い知らされているし、高等教育を受けるほど家にお金があるわけではない。両親共に雇われ人だし、就職……と言っても女性はまだまだ働きにくい時代だ。特に、これといって特技のないクレアみたいなのは。

あとの選択肢は家事手伝いか……いや、クレアの家は弟妹が多いし、家事ばっかりやっているわけにも行かない。……ならば、女子の進路(?)先としては意外に多い“お嫁さん”にでもなって、稼ぎのいい男を捕まえるか? ちなみに、セントルイスの平均結婚年齢は20歳くらい。田舎の方ではもっと若くして結婚する風習もある。十代前半とか。

……………………………………………

「……って、相手がいないって」

クレア・カートン。悩み多き十七歳であった。

 

第103話「進路」

 

「クレアさん、どうしたの?」

そんなクレアに話しかけてきたのはライル・フェザード。クラスメイトだ。ちょっとしたきっかけから、話すようになり、今ではそれなりに親しい友人関係を築いている。

「おはよ、ライルくん。いやね、これ」

「ああ、進路ね。クレアさん、どうするの? てか、今日提出じゃなかったっけ、それ」

「決まってたら、プリント空白なわけないっしょ。今だ未定ですよ軍曹殿」

「……軍曹殿って」

妙な顔をするライルだが、そんなのに構うほどクレアは細かい性格をしていない。見た目はお嬢様風な彼女だが、意外と適当な性格なのだ。付き合いの浅い頃は、ライルは全然知らなかったことだが。

「まぁ適当に書いてお茶を濁してもいいんだけど。てか、今まではそうしてきたし。でも、さすがにそろそろ真剣に考えなきゃいけない時期だしさ。悩んでいるわけですよ」

「ふーん」

「そーゆーライルくんの進路はなんなの?」

ふとした興味から尋ねてみる。ライルはああ、と鞄の中から今クレアの手元にあるのと同じプリントを取り出す。それの第一希望のところだけが埋められている。

「……冒険者?」

「いやまぁ、一応ね。結構前から決めてたことだし」

「意外……でも、ないのかな?」

普段から温厚と言うか抜けていると言うか、冒険者みたいなどっちかというと荒っぽい仕事が似合うようには見えないライルだが、これでも剣術や魔法の成績はかなり上位に食い込んでいる。

普段の印象からついつい忘れがちになるのだが、以前ミッションを一緒にした時もずいぶん頼りがいがあった……ような気がする。助けてもらったりもして、不覚にも一瞬ときめいたりもした覚えがあったりなかったり。

「でも、うーん……」

「な、なにかな、クレアさん?」

「やっぱ似合わない。なんか、ライルくんは……そう、パン屋でもやってるほうが似合ってる気がする」

「なに、その平和なイメージ」

「だってそうだもん。ルナちゃんとかアレンくんは、むしろそういうことしか似合わなさそうだけどさ〜」

なにげに失礼な事を言うクレアだが、ライルもライルで『まぁ確かに』と頷いているし、あながち間違ったことでもないのだろう。つーか、周りの聞こえていたらしいクラスメイトはそろってうんうんと首を縦に振っているし。

「パン屋、ねぇ。まぁ、悪くないかもしんないけど」

「そしたらさぁ、わたし雇ってよ。そーゆーの面白そうだし」

「開業資金がないし」

極めて現実的かつ致命的な問題を挙げるライル。そりゃそうか〜、とうなだれるクレア。

「そんな他人任せじゃなくて、ちゃんと自分で考えたほうがいいよ」

「だって〜。就職の話なんて、男子向けしかないし〜。……あ、そだ。冒険者って儲かるんでしょ。資金すぐ溜まるんじゃない?」

「だから、僕は店なんてする気ないって……」

すげなく断るライルに、ぶー、と不満そうな声を上げ、クレアは机に突っ伏した。

 

 

 

 

 

そして、クレアは登校してきた友達連中の進路のリサーチを開始。

十余人ほどに聞いたが、半分は家事手伝いで、もう半分の四分の三ほどは近所の店で働き、残りは冒険者という結果だった。ちなみに、結婚と言う選択肢はなかった。わたしの周りは男っ気のないやつばっかりかー

「あ、ルナちゃんルナちゃんー」

遅刻寸前に教室に駆け込んできたルナに近寄って、尋ねてみる。

ちなみに、そういうことを尋ねる上で、ルナはかなり不適当だと思われるのだがどうか。

「あに? 進路ぉ? あー、そういえばそんなのあったっけ」

忘れてるし。

「ちゃっちゃと書きますか。……んー、第一志望が冒険者、で、第二志望は……と」

スラスラと淀みなく進路を書いていくルナを、クレアは横から見ていた。

一行目に冒険者、となんの迷いもなく書き込み、二行目にはアルヴィニア王国の魔法研究機関の研究員、三行目にローラントの宮廷魔術師……

冒険者も含めて、魔法関係ばっか。魔法は一般人程度しか使えないクレアの参考になりそうもない。

「ってか、ルナちゃん、このアルヴィニア王国の某って一体……?」

「某…って。まあいいけどさ。この前、アルヴィニア王国行った時、なんか誘われてね。いー条件出してくれてるから、第二志望に」

「えりーとだね」

「別に。一応書いたケド、あんま行く気ないし。冒険者の方が気楽」

と、そこで担任のキース先生がやってきた。

しまった、そう言えばまだ進路希望調査白紙だった、とクレアは思い出したが、もうすでに間に合わない。すでにキース先生は、件のプリントを集め始めていた。

 

 

 

 

「うー、怒られちゃった」

ご両親と相談してきなさい、とお達しを受けて、クレアは下校していた。

途中、商店街に寄って晩御飯の材料を買う。カートン家の家事は、ほとんどクレアが担っているのだ。馴染みの八百屋や肉屋を覗いて、安さ優先で購入していく。

と、そこで見知った顔に出会った。

「あれって……ライルくんと、アレンくん?」

それともう一人。名前は思い出せないが、顔は覚えのある、なんかちっちゃい娘。

なんとなく、三人の会話に聞き耳を立ててみる。

「わりぃな、ライル。フィレアの料理、全然上達しねぇからさ。お袋も、あんまり料理上手ってわけじゃねぇし、お前くらいしか教えてくれるやついないから」

「いや、別にいいよ。……うん、ルナよりは全然マシだし。あの経験があれば、猿に教えるのも楽勝さ」

「ライルちゃん、誰が猿なのかな〜?」

「あ、いや、今のは失言でした……って、蹴らないで蹴らないで! ゴメンナサイ、フィレア先輩!」

ああ、そう言えばそんな名前だった。確か、アレンくんの婚約者だっけ? ……てか、ライルくんの周りはいつもにぎやかだなぁ。

などと呑気な感想を抱いて、クレアは三人に近付いていく。

「やっほー」

「……っと、クレアさん?」

「こんちはー、フィレアちゃん、だっけ? 相変わらずかーいーねー」

とかなんとか言いつつ、フィレアのことをぐりぐりするクレア。

あからさまな子供扱いに、最初は嫌な顔をしたフィレアだが、そのうち目を細めて気持ちよさそうにする。

「クレアって、家こっちのほうなのか?」

「ううん。ちょっと晩御飯の材料買いに来ただけ。家はもうちょっと西の方。それでさぁ、アレンくん。前から言おうと思ってたんだけど」

「なんだよ?」

クレアは、撫でているフィレアとアレンをまじまじと見つめ、

「ロリコン?」

「それはもう聞き飽きてるっ!」

「あ、やっぱり?」

カラカラと笑うクレアに、憮然とした表情を返すアレン。実際、事あるごとに親や友人連中からそう言われているので実際辟易しているのだ。

いやまぁ、違うと強硬に否定しないあたり、本人も諦め気味なのかもしれないが。

「で、三人揃ってなにしてるの? 聞いてる限り、フィレアちゃんのお料理修行ってトコ?」

「……盗み聞きしてたの?」

「いやまぁ、あはは」

クレアは笑って誤魔化した。

と、そこでまだ撫でられていたフィレアが、クレアを見上げて言った。

「料理修行でもあるけど、花嫁修業の一環だよ!」

フィレアの言葉に、クレアは一瞬あっけに取られて、ついでタハハと苦笑い。

「いや、愛されてるねアレンくん」

当のアレンは恥ずかしがっているのか、プイッとそっぽを向く。

「でもいいなぁ。そーゆー風に好きな人がいれば、進路も楽に決まるのに。旦那様を貰って、ウキウキ新婚生活」

「……クレアさんも、そういうのに憧れるんだ?」

「ライルくん、ちょっと失礼じゃない? わたしだって女の子よ、女の子」

そういえばそうだっけ、とライルは思ったが、口に出したら殴られそうなので言わない。

そこで、アレンがなにかを思い出したように発言した。

「てか、ライルとクレアって、なんか結婚するとかいう話なかったか?」

「え? そーなの?」

きょとんとするフィレアに、ライルは慌てて口を開いた。

「ち、違うって。それはリムさんが勝手に流した噂で……ってか、アレンははなっから信じてなかったじゃないか」

「そうだけどさ。今もけっこう仲いいから、もしかして本当だったのかなー、と」

「……そんな話は一切ないから、すぐさま忘れて」

呆れた表情でアレンを見ながら、ライルは即座に否定した。

そのライルの顔が、かすかに顔が赤くなっていることに気が付いたクレアは、にんまりと笑みを浮かべた。

「それもいいかもねー。ライルくん、けっこういい人だし」

「く、クレアさん? 冗談は……」

「あれー、冗談に聞こえる? けっこう、わたし本気だよー」

「どう聞いても冗談にしか聞こえないよ!」

口ではそう言いつつも、あたふたとうろたえるライルは、それだけで面白い。仮に……本当に仮の話だが、もし彼と一緒になれば、それだけできっと退屈しない日常が送れるだろう。

まぁ、想像の話だ。自分とライルがそういう風になる光景など、リアリティが全然ない。第一、彼はそういう事は非常に奥手そうだ。現実的な選択肢とはいえないだろう。

「ま、考えといてね〜。じゃあね〜」

「あ、ちょっとクレアさん、言うだけ言っといて……」

とりあえず、それを心の進路調査票の三番目くらいにメモしておいて、クレアは上機嫌で帰途に着くのだった。

---

前の話へ 戻る 次の話へ