ガラス製のカプセルっぽいもの。その中に満たされた緑色の液体。そして、呼吸もできないだろうに、その中で平然と佇んでいる少女。

「……えーと」

色々と突っ込み所はあるのだが、とりあえずライルは光速で視線を逸らした。

その、アレだ。あのカプセルの中には言っている少女は、裸なわけで。一応、紳士を自称するライルに、そんなのを直視する勇気はない。

『どうしました?』

「どうしました、と言われても……」

返答に困る。第一、この声はどこから出しているんだろう。

いや、声と言うよりは、いつもシルフィとしているテレパシーに近……

「って、普通の念話か」

『? とりあえず、今回はどのような御用向きでしょうか? 法の守護者』

「あ、いや。僕は、そんな法の守護者とかじゃあないんだけど……」

は? と怪訝そうにする気配。

「いや、その……なんていうか、これはたまたま手に入れただけで」

ライルの持っている剣は、確かに彼女……ベルの言う、古代王国の法の守護者の証だったらしいが、その国はとっくに滅んでいる。第一、ライルがコレを手に入れたのは単に父の遺品だというだけだし。

『はあ、そうなんですか』

「というか、君、誰? で、あと服着て」

顔を合わせないで話をするのはなんとも疲れる。どうしたもんかと、ライルは若干顔が赤くなっているのを自覚しつつ、そう頼んでみた。

『それは、この生体維持装置から出る事を許可していただけると言うことでしょうか?』

「あー、生体維持装置だかなんだか知らないけど、別にいいよ。まあ、僕が言えることでもな……って、はやっ!?」

ライルが全部言う暇もなく、ベルが身を置いていたカプセルの前面がスライドして、中の溶液が床にぶちまけられる。

かすかに粘性のある溶液を、ベルはうざったそうに拭いながら、部屋の脇にあったラックへと歩く。

(……って、ここ、なんだ?)

そこで、やっとライルは部屋を見渡す余裕が出来た。

灰色の壁。中央にでんと居座っている生体維持装置とやら。乱雑に散らかっている紙の類には、ライルには理解できない古代語がびっしりと書かれている。そして、今ベルが向かったラックと、そばの小さな机。

それだけしかない。それに、この部屋自体も魔法で清潔に保たれるようになっているはずなのに、隠しようも無い埃がうっすら積もっている。

「ふぅ……感謝します。いい加減、このカプセルにも、飽き飽きしていたところでした」

「あ、ああ、そう。それはよかっ……って、ナニィ!?」

振り向いたライルは思い切り滑った。

ベルは確かにライルの言ったとおり服を着ていた。

しかし、なぜに素肌に白衣一枚なのだ。しかも、体が濡れてるから微妙に生地がひっついているし。

「どうしました、法の守護者」

「あー、いや、とりあえず、それだけじゃなんだから、僕の上着着てて。あと、僕はライル・フェザード。法の守護者っていうのは、勘弁して欲しい」

むしろ、相方のお陰で法の守護者(警察)とかには追われる立場だし、と心の中で自嘲してみる。

「ライル……」

「ああ、うん」

「上着、ありがとうございます」

「いや、べつにいいよ。それくらい」

100メルで買った安物だし、と付け足す。

それに、冒険者らしく鋼糸を編みこんで防御力を上げているお陰で、女性には少し重いかもしれない。

「いえ、服など、生まれて初めて着たので、新鮮です」

「……初めて?」

一体、どこの変態が親なのだろう、とライルが思うと、それを察したかのようにベルが口を挟んだ。

「先ほど、わたしが何者なのか、と尋ねられましたね。先ほども申しましたとおり、わたしは人格型データベース……このグローランスの知識の全てを記憶し、自ら身を守り、データを保存する。言うなれば、動く本、といったところでしょうか」

「本……って、君は人間じゃないか。なんでそんなことに」

「いえ、正確にはわたしは人間ではありません」

は? とライルは自分がいやに間抜けな声を出したのを聞いた。

「人工生命体。所謂、ホムンクルスと呼ばれる生物です。生命力は弱いですが、特定の状況下ではほぼ不老不死。なおかつ、人間を遥かに越える魔力と記憶力を持っています。このグローランスの知識を収めるためだけに生み出された生命。それが、わたしです」

「ちょ、ちょっと。ホムンクルスって、御伽噺の世界じゃないか!?」

「はあ、しかし、事実としてわたしはそうやって製造されました。証拠を申し上げますと、わたし、これでも製造されてから73万1524日経っていますが」

「73万……って、に、二千歳以上!?」

何度どうやって計算してみても、その数字は変わらない。

そして、その年齢から導き出される事実が一つ。

「と、言う事は……もしかして、君は」

「はい。このグローランスが廃棄される以前、このカプセルの中で生まれ、以来、ずっとここで知識を開示する機会を待ち続けていました。わたしは、誰かに命じられなければ、ここから動くこともままならないので」

スケールが違う。

ライルは思わず、気が遠くなった。

そして、“これ”が、シルフィの言っていた『知らないでいた方がいいもの』だと判断する。

生命の創造など、確かに神の領域を侵しかねない禁忌だ。それを実現する技術には、ただ驚嘆するしかない。『隠滅された魔法(ロストマジック)』などと、大仰に言われるのもわかる。

「それで、ライル。貴方はどのような知識を所望でしょうか? 禁呪についてですか。それとも、この都市の歴史? 法や生物学についても、カヴァーしていますが」

「いや、すごいのは分かったけど……いいの? 僕は、この剣をたまたま持っているってだけの一般人で」

「構いません。わたしに命令された内容は『キーを持つ者の命に従い、情報を開示する』ことです。例え不正に取得したキーだとしても、わたしは一切関知しません」

割り切りが良いというか、機械的というか。

その在り方に、少しライルは彼女が人工生命だと納得した。

「別に、今は特に知りたいことも無いからいいよ。それより、君、これからどうするの? この都市、というか、この文明は滅んじゃってるんだけど……」

今までずっとここにいたという。知らないうちならばともかく、知ってしまっては放っておくのは心が痛む。

「そうですね……」

ちらり、とベルは後ろのカプセルを見る。

「あの中ならば、わたしは不老でしたが、こうして外気に触れている以上、通常の人間と同じように年を取りますし、栄養も必要です。ここから出て、次のホムンクルスの製作をしたいと思うのですが」

「……え? あ、あの中だったら、そうだったの?」

「ええ。あの液体は……そうですね詳しい説明は省きますが、ホムンクルスにとって羊水のようなもので、あの中ならばずっと生きていけました」

もしかして、すっごく余計なことを自分は言ってしまったのだろうか、とライルは思った。

「そ、それに、ホムンクルスの製作って……」

「寿命が出来てしまった以上、わたしの知識を継ぐ次のホムンクルスが必要です。わたしの使命は、データの保存ですから」

なにかが違うと思った。

でも、つい先ほど知り合ったライルに、どうこう言えるはずもない。

「ついては、ライルに外の世界の案内を頼みたい。この都市が滅びてしまっている以上、わたしはツテの一つも無い」

「あ、え? か、構わないけど、そういえば君、グローランスが滅びているって……」

「ずっとここにいても、外の状況くらいは探れますので、おおよそのところは掴んでいます。恐らく、神との戦に破れたのでしょう」

それが、本日ライルの最大の衝撃だった。

「か、み?」

「ご存じないですか? 我々の文明は晩年、神族とは敵対関係にありました。わたし達が開発したとある秘術……『神への転生の法』が原因で」

ぐるぐると、ライルの頭の中がかき回される。

ゆっくりと、静かに、ライルは歴史の謎の渦中に足を踏み入れつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なー、ネル。俺たちゃ、いつまでガーランドたちを待ってりゃいいんだ?」

通路の一つにベースを張りながらスルトは呟いた

「さ、さあ」

「いい加減、腹も減ったし喉も渇いたぞ、マジやばいんじゃないか?」

ごそごそと、ネルは通信貝を取り出す。

「……対の方は、送還されちゃったみたいですし、やっぱりガーランドさんたちになにかトラブルが起こったとしか」

「ガーランドたちゃ、荷物取りに外行ったんだぞ? ライルたちにふん捕まえられたとかか?」

「さあ……。もしかしたら、あの神さまがこの都市に入ってきていたりして」

「……なあ、ネル。その自然すぎる現実逃避はお前の長所だが、もう少し現実を見つめても良いと思うぞ」

「な、なんのことです?」

ネルは前を見る。後ろを見ては駄目なのだ。

「後ろ……俺たちが来た方、通路の形が変わって見えるのは俺の気のせいか?」

スルトらには知りようの無いことだが、このバベルの亜空間トラップは、入るごとに違う空間に飛ばされるのみならず、侵入者が進むごとに通路を組み替える、いわば動的ダンジョンなのだ。

「あ、あはは。まさか。スルトさん、なに言っているんですか」

「もしかして、トラブルが起こっているのは俺たちのほうなんじゃないか?」

ピタリ、とネルの動きが止まる。

「お、おい?」

「うわあああああああああああああ!!!? も、もう生きて帰れないんですか僕たち!? いやだぁっ! こんなオッサンと二人きりでこんな寂しいところで死んじゃうのはゴメンだぁああああ!!」

「って、錯乱してるからってなに言っても許されると思うなよっ!?」

俺はまだ二十台だっ! というスルトの怒りの鉄拳を、ネルは華麗に躱す。

「こ、この。いつもよりいい動きじゃねぇか」

「どどっどど、どうしましょう、スルトさン!?」

「ええい、落ち着け」

滑稽なほど慌てるネルを黙らせ、スルトはうーん、と唸る。

「しゃあない。進むか」

「す、進むって?」

「知らん。でも、待ってても助けが来る見込みは非常に薄い。歩くぞ」

「そ、遭難した時はその場から動かない方がいいって……」

「そりゃあ、こういうダンジョンじゃあ通用しない理屈だな。自分で道を切り開かなきゃ助かるもんも助からないぞ」

「ちょ、スルトさん。僕、お腹が痛いんですが……」

「ピンチのとき、すぐ仮病使って逃げようとする根性もどうにかした方がいいな、お前は」

下手糞な演技をするネルを引っ張って、スルトはバベルの亜空間内をぐんぐん進むのだった。

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