「……まあ、落ち着け、冷静になれ」
ガーランドは、まったく様相の変わってしまったバベルの中をもう一度だけ見回して、ゆっくりと大きく息を吐いた。
こういう時、慌てるのは禁物だ。焦ったものから順に死んでいく。
経験から、それをよく理解していたガーランドは、まず懐の通信貝を取り出した。
ネルの召喚したこれがまだ生きていれば、この事態をスルトたちに伝えることもかの……
「……ふっ、送還されたな」
取り出した途端、通信貝は煙となって自分の界に戻ってしまった。
召喚獣が送還されるパターンは三つしかない。存在不可能な傷を負う。召喚主が送還する。召喚主の魔力が届かなくなる。
この場合、最初のパターンは無視してよいから、残された可能性は後者二つとなる。
「ネルが戦闘になって、こいつを維持する余裕がなくなった、ってことも考えられるが」
「ううん、そっちじゃないと思うよ。ここ、例の亜空間魔法のせいなのか、別の空間っぽいし」
「……別の空間?」
魔法にはとんと疎いガーランドが尋ねると、うーん、と周りを調べているリーザに尋ねた。
「なんていうか、入るたびに別の空間に飛ばされるみたいだね。出入りを繰り返せば、スルトさんたちと同じ空間に出る可能性もあるけど……」
「あるけど?」
「何パターンの空間があるかわかんない。もしかしたら、自動で組み合わせを変えて、その都度新しく作ってるのかもしれないし」
そうなると、外出てこない限り永遠にスルトさんたちには会えないねー、などととんでもないことを平気でのたまうリーザ。
「二人になったらどうしようか? 冒険者辞めて、どっかの町でお花屋さんでも……」
「阿呆か」
ゴチン、とリーザの脳天に鉄拳を落とす。
冗談だよー、と反射でちょっと涙目になりながら、リーザが言い訳をしてきたが、正直、冒険者を辞めてお店を開くと言うのはかなり惹かれるプラン(リーザと一緒でなければ)だった。それは、とりあえず心のメモ帳に記載しておくとして、
「どうする、かな」
ガーランドはこれからの方策を考える。
順当に行けば、ここは一旦退いて、スルトたちが自分達で脱出してくるのを待つべきだ。その後、合流して、この塔を攻略する方策を全員で模索する……というのが理想的な行動ではある。
「……でも、時間をかけるわけにもいかないし」
「多分、ライルくんたち、追ってきてるよね」
振り切ったとは思うのだが、確信が持てない。大体、外に出れば、それだけ発見される可能性は高くなる。現状、ライルたちに捕まるわけには行かないので、悩ましいところだ。
「俺たちのアドバンテージは、この地図だけ……」
と、ガーランドはレギンレイヴに教えられ自筆で書き写した地図を懐から取り出そうとして、顔が引き攣った。
「? ガーちゃん?」
「……地図、落とした」
「ええーー!?」
リーザは驚いた。それはもう。こういうところで、そういうミスをする人ではなかったはずなのだが。
「いや、まあ地図は暗記してるから、大丈夫っちゃあ、大丈夫なんだが」
「な、なんだ。驚かせないでよ」
どこで落としたのか分からないのが空恐ろしかった。あの地図、塔の外観も描いてあったから……もし、万が一、ライルたちに拾われていたら、この場所が露見する可能性が高い。
「……さて、じゃあとりあえず、こっちはこっちで独自に調査するか」
「な、なに? その、妙に誤魔化すような笑いは? ガーちゃん」
「気にするな。さて、と。ここが、亜空間魔法とやらによる迷宮になってるとしたら……目的の地下五階に繋がっていることは無いだろうな」
適当にリーザをあしらって、ガーランドの思考が高速回転する。豊富な経験が、この状況を打破する手段をいくつかピックアップした。
「……つまり、結界のようなモンか? リーザ、解呪は可能か?」
「え? うーん……」
ざっとリーザは周りを見渡して、慎重にコメントする。
「……魔法自体の解呪は無理だと思うけど、綻びを見つけて通常空間に脱出するくらいなら。多分、奥まで行けば、そういうところがあると思うけど」
亜空間魔法の容量と内部の複雑性は、偏に術者の力量に寄る。自動発動の術式に、そこまでの容量を求めることは出来ないだろうから、この空間の“端”の方ならば、相応の綻びがあるはずだった。
最も、そんな弱点を、この塔のトラップを築き上げた魔法使いが残しているかどうかは半ば賭けだったが。
「よし、じゃあそのプランで行こう」
あっさりとガーランドは頷く。ことこの手の障害に関する限り、彼はリーザとネルの二人の見解に百パーセント従うことにしている。
「あ、うんっ」
自分でも自信は無いが、ガーランドに信頼されていると感じ、リーザは力強く頷く。
こうして、二人の塔探検が始まった。
「ふっ、こんな証拠を残したのが運の尽きよっ!」
ばばーん、とバベルの前でまるで殺人事件の犯人に突きつける探偵のように、遺留品(?)の地図を突きつけるルナ。
お前なにやってんだ、とか、それ手に入れたときお前なんにもしてなかっただろう、なんて心温まるツッコミを入れる猛者は残念ながらこのパーティーの中にはいない。
「……ルナ、多分、ガーランドさんたちは聞いていないよ」
ただ、ライルがそっと端的な事実を伝えるのみだ。
「分かってるわよ、こういうのは雰囲気が大事なのよ、雰囲気が」
どんな雰囲気なんだオイ、とその場の全員が思ったが(以下略
「……それで、この塔の中に例のブツがあるわけだね?」
「あー、うん。多分ね」
確認を取るクリスに、シルフィが口ごもる。まあ、本人も、どんな形で残っているか分からないとか言っていたので、当然の反応だろう。
「いい? あんた達。怪しそうなものを見つけたら、まず私に言うのよ? この中で、それが本物かどうか判断できるのは、そこの口の堅い虫以外じゃあ私しかいないんだから」
「言っとくけど、ルナ? アンタにはまったく意味の無いものだと思うわよ?」
「意味があるかないかは私が決めるわ」
シルフィは呆れ果てて、勝手にしなさい、と完全に観戦モードに入っている。
レギンレイヴとかいう、敵か味方かはわからないが、もしかしたら敵に回るかもしれないやつがいるので、あまり傍観者になってもらっても困るのだが。
「いざっ、突貫―!」
ルナが、塔の扉をバーンっ! と開ける。もうちょっと罠とかを警戒して欲しい今日この頃である。
「……? なんもないわね」
「あのね、ルナ。地図を見ようよ。これ、この“なにか”がある区画は地下五階……」
ライルは全てを言う事が言えなかった。
途中で、どこから聞こえてくるとも知れない、機械的な音声がその言葉を遮ったからだ。
『最上位アクセスキーを確認。当該キー保持者を『バベル』本体へ転送します』
簡潔なメッセージが響く。
「は?」
その声を出したのは誰だったか。
一瞬、ライルの剣が光る。その剣が、この文明を築き上げた古代王国の聖剣だとかいう当の彼方に忘れ去られたはずの設定を持ち主たるライルはやっとのこと思い出し、
次の瞬間には、その場から消えていた。
「……あれー、ここも、あの剣がキーになってたんだ」
「あれー、じゃないでしょ。あんたのマスター、消えちゃったわよ」
「いやー。てっきり、研究職の権限じゃないと入れないかなー、って思ってたし。『法の守護者』も登録されてたんだ」
いやははは、まいったまいった、とシルフィは口調とは裏腹に焦りまくっている。
「とりあえず、探しにいくしかねぇだろ。この塔のどこかにいるわけだろ?」
アレンの提案に、シルフィとルナは同時に首を振った。
「無理よ。さっき『本体』に転送、って言ってたでしょ。つまりここは『本体』じゃないわけ」
「亜空間魔法でしょうね。話には聞いてたけど、実物見たのは久しぶりね」
ルナは、ヴァルハラ学園の一年生の頃を思い出す。
あの時、ユグドラシル学園へと留学した際、今回と同じように古代文明の遺産に巻き込まれ、そこで神が創ったという亜空間の結界に囚われた。その経験から、割と容易にこの塔を取り巻く違和感の正体に気づいたのだ。
そう言えば、あの時もライルの剣のお陰で遺跡が起動してラッキ……もとい大変なことになったなぁ。
「なるほど、ここは『表』で、実物は『裏』ってわけだね」
「そういうことね」
「……お前らだけで納得してないで、俺にも説明をしろ」
一人、ちんぷんかんぷんなアレンに、ルナは指を立てた。
「つまり……ライルだけが、本物の『塔』に行ってて、私たちがいるここは塔に仕掛けられたトラップ空間……って」
うがーっ! ライルに先を越されたーー!! と、ルナが叫ぶ。
だんだんだん、と床を踏みつけて、怒りを露にするルナの姿は……その、非常に形容しがたい。
「る、ルナ。そういうリアクション、ちょっとは自重した方が……」
「クリスっ! アレン! とっととこの亜空間から脱出するわよっ!」
『はい』
ルナの剣幕に、抵抗する事を諦めた男二人。
「やれやれ……マスター、あんま、変なことするんじゃないわよ?」
一人、シルフィは、いなくなってしまったライルを思い、虚空を見つめた。
「…………えーと」
そして、ライルはというと、
「これ、なに?」
自分の剣を見つめて、ライルは言葉を失った。
いつの間にか、自分の入る場所は、先ほどまでの殺風景な景色とは打って変わって、清潔な白一色の廊下。
夜の、しかも屋内だと言うのに、青い、人工的な光がまるで太陽のようにフロアを照らし上げている。
「『バベル』の本体、って言ってたな。でも、これ……」
懐にある地図と、目の前の風景を見比べる。
廊下の曲がり角、部屋の数、はっきりとは言えないが、この地図に描かれている『地下五階』と、今いる場所は類似していた。
「この階だけが、この塔の本体、ってことか?」
足元を見ると、詳細は知れないが転送用と思しき魔法陣。
もう一度乗れば、多分戻れるとは思うのだが、
「……また、ルナがうるさいだろうな」
リアルにその様子を創造できたライルは、とりあえず一人でなるべく情報を収集してから戻ろうと決心する。
ひとまず、緊急の危険はなさそうだし。
「でも、場所は分かるんだよね」
ガーランドが落とした地図によると、真っ直ぐ進んで右。その突き当りの部屋に、何かがあるらしい。
多分、ガーランドたちの目的もこれだろう。
シルフィは、それがなんなのかを知ることすら危険、とか言っていたが……
「ま、大丈夫か。僕に、わかるわけないし」
古代語なんぞ、もちろんわからないライルが、例え本などを見つけたとしても、読めない。そうお気楽に考え、あっさりとバツ印のついた部屋に突貫したライルは、
「……は?」
一瞬で、後悔した。
『ようこそ。法の守護者』
そこに『いた』のは、
『人格型データベース。コードネーム『祝福の鐘』。通称はベルです。どうぞ、お見知りおきを』
十代前半と思しき少女だった。