「……よし」

薄暗い部屋で荷物を纏めた男は、一つ頷いた。時刻はそろそろ日が昇ろうとしているあたり。常の男は、いつも嫁に(強制的に)起こされるまで寝ているのに、明らかに早い起床であった。

リュックに詰められたのは、携行用の食糧やらロープやらランタンやら、つまりは旅支度である。

これに、学生時代から愛用している剣と、旅用の外套を揃えれば、準備は万端である。

あとは、書置きくらいは一応残しておこう。

と、最近とみに文章を書くことに慣れてしまった彼は、意外な達筆で置手紙を書いた。

「これで、よし」

呟くと同時、唐突に部屋の明かりがついた。そして、つけた人物がジト目で男を見ながら、呆れたように言葉を放つ。

「全然よくない。まだまだ仕事はあるんだから、抜けられりゃあ困るよ、アレン」

男――アレンは、いきなり現れた義弟兼秘書役のクリスの追及を、いかにしてかわすか、必死に頭を回転させるのだった。

 

 

 

「……てか、なんでわかったんだよ」

部屋……アレンの私室でクリスと向き合いながら、アレンは尋ねた。

「あのねぇ、何年の付き合いだと思ってんの。君の行動くらい読めるさ」

「ならわかるだろ。ここんとこ、体が鈍ってしょうがない。たまには、ちょっと身体を動かさなきゃな」

「冒険者についていくのは、ちょっと動かす程度じゃすまない。下手すれば、命の危険だってある……」

クリスは、言葉の途中で首を振った。

そんなこと、言うまでもない。しかも、アレンのほうは、望むところだと言わんばかりに頷いている。

まったく、とあきれ果てた。

学生の頃ならまだしも、現在のアレンは第一王位継承者なのだ。断じて、ほいほいと冒険になぞ出かけて良い身分ではない。それは本人も分かっているのだろう。だからこそ、タチが悪い。

「な? 黙って見逃せ。こんな面白いこと、この国に来てからあんまり縁が無かったしな」

「そりゃあ、学生時代は、あんまりどころか普通の人間には一生縁の無いイベントが目白押しだったけどさ」

「だろだろ? ライルとかに付いていきゃあ、きっと面白いぜ」

「でも、リティ姉さんに殺されるよ? いいの」

「うぐっ」

リティとは、クリスの一番上の姉である。

現国王、カリスの専属秘書にして、王宮内の実質の支配者。実務の殆どは彼女が取り仕切っており……なんだ、すごい厳しい人である。父親であり、国王でもあるカリスに対しても容赦が無く、少しでもサボろうものなら王座ごとトラップで吹っ飛ばすという、ルナ張りの活躍(悪い意味で)を見せる。

当然、そんな人間が、弄りやす……もとい、今ひとつデキの悪いアレンに対してなにもしないわけがなく、アレンはこの一年、彼女にいじめられっぱなしだった。そろそろカウンセラーとかに職場で悩みがあるんです、と相談しようかと思っているくらいだ。

そんなわけで、リティはアレンが現在この城の中で苦手とする人物ナンバーツーにランクインされるのである。ナンバーワンが誰かは、言うまでもないが。

「こ、殺しはしないんじゃないのか?」

「そうだね〜。むしろ、殺してくれっていうくらいの仕事を割り振るのが妥当かな」

そんなのを妥当と思ってもらっては、アレンは非常に困る。非常に困るが、それは非常に分かりやすく、彼はその未来像をリアルに想像できた。

「そ、それでも俺は行くぞっ! リティねえが怖くて、冒険ができるかってんだっ!」

ちなみに、アレンはリティに『姉さん』をつけることを強要されている。彼女としては、弟というより、弄りやすいオモチャが出来た感覚なのかもしれない。

「はぁ、分かったよ」

クリスは、両手を上げて降参の意を表した。

「……へ? いいの?」

「どうせ、僕が言っても聞かないし、大体……」

よっこらしょ、とクリスはどこに隠していたのか、リュックを取り出した。丈夫な皮製で、明らかに実用――それも、アウトドアを目的としたものと分かる。

「実は、僕もそんな無茶は大好きなんだ」

「さすがだぜっ! それでこそ我が義弟だっ!」

「……やめてくれない? 今でも、その呼び方慣れないんだから」

ふふ、と男臭い笑みを交わす二人。

その姿は、外見こそまるで別人種であるが、どう見ても兄弟のそれであった。しかも悪ガキ臭い。

「……いくか」

「うん。今日の朝出るって言ってたからね。こっそりライルたちの部屋に行って……」

しかし、何時の時代も悪ガキのたくらみは、保護者に見抜かれているものである。

そう、今回も。

「話は聞かせてもらったよっ!」

バンッ、と突然部屋の扉が開け放たれた。

驚きに振り向く二人。

果たして、声から予想できた通り、そこにいたのは小さい影。

「……なんだ、フィレアか」

「アレンちゃんっ! なんだってなにっ! お嫁さんに対して!」

「いや、リティねえが来たかと思った」

アレンが一番怖いのは確かにフィレアだが、それはまた別のシチュエーションの場合である。こっそり冒険に行く、なんて面白そうなこと、フィレアはむしろ自分から付いて来る気すらした。

「ま、リティ姉さんが来てたら僕たち命がなかったかもしれないね」

「だな。ったく。リティねえは固すぎるんだよ。んなだから何回見合いしても振られんだ。器量は悪かぁねえだんだけどさ」

「あ〜! アレンちゃん、リティお姉ちゃんと浮気!?」

「阿呆かっ! 俺に、あの人の相手は務まるはずねぇだろ。あの人の相手はあれだ。天使みたいに人のいい人間か、ゴーレムみたく頑丈な相手じゃないと務まらん」

ゴーレム並みの頑丈さだと、アレンは該当するよね、とクリスは思ったが、口には出さない。

王族は重婚が認められている。もし口に出して、本当になったりしたら嫌だった。

「それは言えるかもね。ということは、一生無理かもねー」

なので、クリスは軽口で誤魔化すことにした。

「おう。まあでも、万が一……本当に万が一、そうなったら俺は嬉しいかもな。王位なんて、俺にゃ重すぎる」

ははは、と笑いあう二人。無視される格好になったフィレアは、ぷー、と頬を膨らました。

「……あと、リティお姉ちゃんも来ているんだけど」

二人は笑顔のまま固まった。

「クリス、アレン。あなたたち、いい度胸しているわね?」

ガタガタガタガタと震え始める悪ガキども。

「り、リティねえ」

「リティ姉さん、コレは、違うんだ」

ドアの向こう。闇となって見えなかった場所から、姿を見せたリティの表情は、怖くなるほどの笑顔。

「あら? 何が違うの?」

「決して、リティ姉さんの悪口を言おうとしたわけじゃ……これは、あれです。親しみから来る、軽口の類であってですね」

「なんのことかしら。私が怒っているのは、別に何時までも結婚できない行き遅れ女なんてからかわれたことなんかじゃないわよ? ええ、我が愛しの弟達が、ちょっと姉に対して女性として魅力がないとか、すぐ怒って仕事を押し付けるとか、このトラップ馬鹿が結婚なんて千年早ぇんだよ、とか陰口を叩いていたくらいで怒るはずないじゃない」

((そこまで言ってねぇーーー!!))

心の声がハモる二人。

どうやら、リティは相当怒っているらしかった。

「私が許せないのはね……」

ゆらり、とリティがうつむき、その長い髪が表情を隠した。

その髪のヴェールの下が一体いかなる変貌を遂げているか、アレンは想像するだけでチビってしまいそうであった。

「この、忙しい時期に……」

リティのこの言葉は間違いである。政治の要職に就いているものが、忙しくない時期など存在しない。

「二人も抜け出れるわけないでしょうがっ! とっとと、そこに直れっ! そして『世界一美人のお姉さま、貴方がその気になれば世界中の男がバラの花束を持って求婚に来るでしょう』と言えっ!」

「後半はまったく関係ねぇ!!」

どうやら、相当溜まっているらしい。

えい、とリティが(何時の間に出てきたのか)天井から垂れているロープを引っ張る。

『!?』

クリスは長年の経験から、アレンは短いながらも密度の濃い経験から、咄嗟にその場から飛んだ。

直後、二人が立っていた場所が、パカッと地下への口を開ける。

「ん、んなアホな。なんで俺の部屋にまでこんなベタなトラップが……」

「フフフ……今、城中のマジカルトラップをアクティブにしたわ。それでも冒険に出かけるというのなら、やってみなさい。無駄でしょうけど」

そういう言われ方をすると、元来負けず嫌いなアレンは奮起する。

「……いいぜ、やってやろうじゃねぇか。もし、俺が抜け出たら、リティねえが俺の仕事やっといてくれよ」

「いいわよ」

リティは、自信たっぷりに頷いて見せた。

ここは彼女の城だ(文字通りの意味で)。ここに仕掛けられたトラップは、トラップマスターの彼女の集大成と言えるべきもの。ここを突破されるのならば、それは自分が負けたということに他ならない。

「その言葉、後悔すんなよ。……行くぞ、クリスっ!」

「……ここで行かないなら行かないで痛い目を見る気がするし、逝くよ」

「字が違うぞぉ!!」

益体もない声をかけながら、二人は走っていく。

「フフフ……私の華麗なトラップに、どこまで抗えるかしら。さあ、二人とも、せいぜい足掻いて、私を楽しませなさいっ!」

ホーーーーホホホ、とまるで悪の大魔王の如き高笑いを上げて、リティは二人を見送る。

それを見ていたフィレアは、ぽつりと、

「……アレンちゃんたちの言ってたこと、間違いじゃないかも」

と、姉の婚期に思いを馳せるのだった。

 

 

 

 

 

 

「ぐっはぁ!?」

廊下を駆けると、爆発が左右から襲ってきた。

モロに食らうアレンは、こなくそと足に力をこめ、爆心地から逃れる。

「い、威力は一応弱めてるみたいだね。まったく救いにならないけど」

「……ていうか、夜勤の衛兵は大丈夫なんだろうな」

「それ以前に、僕たちが今まさに大丈夫じゃない」

それもそうだ、とアレンは苦笑した。

「だが、な」

「ん?」

魔力のビームを躱しながら、アレンは得意げな笑いを浮かべた。

「確かに、俺たちだけじゃあ、このトラップの荒らしは抜けられないだろうさ。でも、リティねえは一つ忘れてる」

彼らが向かっているのは出口ではない。

では、どこか、と聞かれると一箇所しかない。

「ふっふっふ。リティねえは、自分があまりにもタチが悪いものだから、自分以上にタチの悪い人間がいる事を忘れている! そう、ルナというタチの悪い女がなっ!」

「本人達に聞かれたら、ダブルで殺されそうなことをさらっと言うね」

「と、言うわけで、ルナぁ!!」

バンッ、とアレンはライルが宿泊している部屋を開けた。

案の定、この時間ともなると、二人ともそろって起きて、出立の準備をしている。

「な、なにアレン。というか、さっきからどっかんどっかんうるさいんだけど……」

「いや、ウチのアネキがぷっつんしたっ! 下手したらまた城吹っ飛ばすかもしれんので、さっさと脱出しようと思う! 急げっ」

「あ、うん」

急かされて、ライルはもう殆ど終わっていた準備を完了させる。

「正直、俺やクリスはマジカルトラップには詳しくない。だから、ルナ。お前に任せた。お前なら、リティねえのタチの悪いトラップも解除できるだろ?」

と、アレンが言ったのは、やはり一年間離れていたからなのかもしれない。

ルナは、それを聞くと事も無げに掌を壁に向ける。

「んな面倒なことしてられないわよ」

そして、割と本気目の魔力弾を放った。

『いい゛っ!?』

慌てる男三人。慌てて頭を低くするも、破片が当たる。

そして、煙が腫れた頃には、壁には大きな穴が空いていた。

「ちょっと高いけど、まああんた達なら大丈夫よね?」

「だ、大丈夫だけどよ。ああ、また修理費が……」

しかし、確かに効率の良い方法である。なんだかんだで予算のことが頭にあった二人では、到底思いつかない手段だったけれども。

「で、一応聞くんだけど……付いてくるの?」

ライルは、二人の荷物を指差して尋ねる。

「ん? 当たり前だろ。面白そうだし……なにより、俺はお前らとはまだチームのつもりだからなっ!」

「右に同じ」

アレンとクリスが大きく頷く。

まあ、いいか、とライルはあっさりと承諾すると、

「じゃ、行こうか」

「ふふ、レベルアップした私達の力、たっぷりと拝んでいきなさい」

四人は久方ぶりに笑いあうと、ルナの空けた穴から飛び出した。

アレンとクリスは、久々に心底楽しそうな表情だったという。

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