結局のところ、やはりルナの説得は不可能だった。

まあ、それはそれでわかっていたのでライルは諦めている。変な事件の起こっているところに首なんぞ突っ込みたくは無いが、この一年間危険でない依頼など一つたりとてなかったし、もう慣れっこである。

ガーランドたちも、リーザを除いてはライルたちの同行を快く了承してくれた。報酬さえ分けなくて済むのならば、人手は多い方が良い。

リーザの唯一の反対意見も、ガーランドによって封殺された。

で、現在、一行は雑貨店で旅支度をしているわけなのだが、

「……ガーランドさん。もう一度聞きますが、本当に予算それだけしかないんですね?」

「それを言われるとキツイが……。本当にこれだけだ」

「なんですかこれは。一週間分の食費くらいでしょう? こんなんで旅支度って……」

彼らパーティの財政状況が貧困の極みであるということは知っていたが、まさかこれほどとは思っていなかったライルである。

とりあえず、ライルがお金を貸して上げるしかないらしい。

「ゴメンなぁ。うちの連中、みんな金遣いが荒いから……」

「で、そのみんなとやらがいないんだけど、どこ行ったのよ?」

雑貨店の店内を見渡す。

ここには保存食を買いに来ただけなので、すぐ出るつもりだったのだが……そこらを適当に見物していたリーザやスルト、ネルの姿が見えない。

もしや、とガーランドはごそごそと懐に大切に、大切にしまってあった財布を捜す。……ない。取られた。恐らくは、仲間であるはずの三人に。

「っ!? し、しまったぁ!!」

オーマイゴッド、とガーランドは頭を抱えて絶叫する。

「ど、どうしたんです?」

「ブツブツ……来月返済期限のやつは、これとこれとこれとこれと……」

そして、なにやらノートのようなものを取り出して、なにやら独り言を言い始める。

なんだろう、とライルがひょいと覗き込むと、視界に赤が一杯に広がった。これは、もう助からないだろう。なにせ赤だ。上に大を付けたくなるほどに。

ノートの表題は、『家計簿』である。脇にデカデカと書かれた『節約!』の文字が眼にまぶしい。

大量の赤から、ガーランドふいっ、と視線をそらし、天井を見た。

「空が、青いなぁ」

「いや、ここ屋内ですから」

「じゃあ、俺ちょっと行ってくるわ」

ガーランドがぎゅん、と鋭い眼になる。

そして、もはやここにいない仲間に向けて、大声で怒りの声を上げながら走り始めた。

「待て、てめぇらああああああああああ!!!」

「あ、ガーランドさん。……他のもの、勝手に揃えておきますよー?」

「頼むっ!」

ガーランドは、その、なんというのか……苦労人だった。ある意味、ライルに匹敵するほどの。

 

 

 

 

 

 

 

雑貨屋を飛び出したガーランドはまず前の通りをぐるっと見渡した。当たり前のことだが、視界内に仲間の姿は無い。だが、問題は無い、仲間達の行動パターンなど、ガーランドはとうに知り尽くしている。

とりあえず、一番ヤバイであろう人物の所に向かう。脳内にインプットしてあるこの街の地図を取り出し、目的の通りがどこにあるかを引き出す。

ここからほど近いことがわかった。

あまり時間もかけられないので、早足で現場に駆けつける。

果たしてそこには、ブティックや貴金属店が立ち並んでいる。

ガーランドがざざっと視線をめぐらすと、目的の人物はすぐに見つかった。なにやら高級っぽい紙袋をいくつも足元に置いて、鼻歌なんぞを歌いつつ、オープンカフェでパフェを食べているリーザだ。

見失ってからものの十分ほどしか経っていないというのに、すごい早業あった。

こうして遠くから見るだけならば、物腰は柔らかで、気品に満ち溢れており、軽くウェーブを描く艶やかな金髪に海のような蒼い瞳を持つ、まだ幼さの抜けきらない美少女である。まあ、ガーランドはそう思いはしても実際に口には出さない。言うと調子に乗る。

大体、今の彼女の立場はそんなイイモンじゃない。単なる金食い虫だ。

ガーランドは彼女が持つ紙袋に嫌な予感を膨らませつつ、のっしのっしと近付いていく。ガーランドの放つ怒りのオーラのせいで、半径一キロメートル内の野良犬野良猫は、ダッシュでその場から駆け出した。

そんなことに気が付きゃしない少女はのほほんと口の中の紅茶を飲む。

「リィィーーーザァァッ!」

怒号。あまりの大声と剣幕に、彼のすぐそばを通りがかった不幸な人物が『ヒィ!?』と悲鳴を上げて腰を抜かした。

そんな声にも同様もせず、リーザはあっけらかんと笑う。

「あ、ガーちゃん」

「ガーちゃん言うな!」

「ガーちゃんもお茶飲む? 逆ナンのお誘い〜」

ピクピクとガーランドのこめかみに浮かぶ血管が見えないのか、リーザは命知らずにもそんなことを言う。いつの間にかガーランドのただならぬ様子に惹かれて集まっていた野次馬達は、周囲でハラハラと見守っていた。ヤベェ、あの娘殺されるよ。

だが、そんな心配は杞憂だった。

ガーランドは頭を痛めながら、リーザの手をとって立ち上がらせる。

「わわっ?」

「買ったもん、全部返品するぞ」

言いながら、リーザの手に提げられた紙袋を取り上げようとするが、リーザの強硬な抵抗にあう。無言で荷物を取り合う二人。やがてガーランドがドスの聞いた声で、

「……なんのつもりだ」

「や!」

一文字で主張。次いで、リーザは口を開く。

「全部、ものすごく悩んで買ったものだから、絶対に持って帰る」

こうなったらリーザは頑固だ。気に入ったものはなにがなんでも手に入れて、それこそ一生涯大切にするような娘である。当然、根無し草の冒険者である現状では、彼女が旅先で買ったものをすべて持ち歩くことなどできないので、持ちきれない分はリーザの実家に送りつけている。当然、送料も馬鹿にならず、そもそも現在のずさんな郵便で、すべてきちんと届いているかどうかも怪しいものだ。

まぁ、今ガーランドが問題にしているのはそんなことじゃない。それも問題だが、それ以上に金が心配なのだ。

リーザの持つ紙袋のロゴは全て有名なブランドのものばかり。総額を想像するや、ふっと気が遠くなる。とても財布に入っていた金じゃ払いきれない。

断言しよう。絶対に、こいつ借金増やしてる。

「駄目だ。これ以上借金を増やす余裕など、俺らにはない」

「あ、それなら大丈夫。大してお金は使ってないから」

はい、と返されたお金は、奪われた金額の六分の一程度。つまり、リーザを含めた三人がきっちり三等分下とすれば、リーザは半分しか使っていないことになる。

それを受け取って、ガーランドは不思議そうな顔になる。

「……なんでだ?」

あまり聡い方でないリーザだが、今回は一応察したらしい。自身満々な笑顔を見せつつ、親指を立てる。

「ガーちゃんの剣と交換した。けっこういい値がついたよ」

ハッ、とガーランドはやけに軽い背に気が付く。そういえば、いつも背負っている大剣がない。宿に置いてきたと思ったが……そういえば、出かけるとき部屋のどこにも無かったような。

というか、気づけよ。リーザ、持ってたんだから、と思わないでもない。

「あれは俺の商売道具兼親父の形見だあほおおおおおおおお!!」

リーザの頭に拳骨を一つ落として、その手から全ての荷物を奪い取る。紙袋から瞬時にどの店で買ったかを割り出し、ダッシュで返品に向かった。

あまりに問答無用なガーランドの暴挙に、もう止められないと悟ったリーザは、小さなたんこぶが出来た頭を抑えながら、口を尖らせて不満そうに文句を言った。

「あほはひどいよ、ガーちゃん」

 

 

 

 

 

 

なんだかんだ言って、リーザが特に気に入っていたハンカチを一枚残してしておいてやる辺り、ガーランドも甘い。

布きれ一枚にしてはけっこう高い代物で、それだけでリーザの持っていた分の財布の中身はだいぶ目減りしてしまったが、リーザが嬉しそうにしていたので、まぁいいと思う。際限なく買われては困るが、あの位ならまだ許容範囲内だ。剣も取り返したし。

とにかく、残りは後二人だ。

こちらはどちらも男。まったくもって容赦をする気はない。男女差別は、こういうところで厳然と存在するんだなぁ、と呑気に考えながら、ガーランドは二人のうち危険度の高い方がいそうな場所を探っていく。

主に、酒場だ。特に、路地裏でひっそりと営業して、店内で密かに賭博が行われているようなところがいい。

収益率の高い賭博関係の商売は、王家の認可を受けて、あがりの何割かを収めなくてはならないが、こういったところで個人がやっているものまで規制できるものではない。公にやらなければ、半ば黙認状態だ。

ガーランドは、そんな店を巡って、やがて目標を発見する。

うらぶれた店内で五、六人が一つのテーブルに集まり、トランプを繰っている。そのテーブルの上には、トランプのカードのみならず、何枚もの銅貨、銀貨が乗っており、あきらかに賭けをしているとわかる。

じろじろと見ていると、その連中にじろりと睨まれた。そんな視線をどこ吹く風と受け流し、ガーランドは歩み寄って行く。

賭けをしていた一人の男――スルトが、『ゲゲッ』とバツの悪そうな顔になり、慌てて言い訳に入った。

「あ〜、いや。ガーランド。別に、アレだぞ? 俺は、ただでさえ金欠のうちの家計を手助けしようとだな……」

「手助けしようとして、賭け事ですか。スルトさん」

にこやかな表情のガーランドだが、目が笑っていない。背後に燃える炎の幻視が、彼の怒りをなによりも雄弁に語っていた。

スルトは、汗を流しつつ、じりじりと後ろに下がった。

「いくら、負けました?

「いや、まだそんなに負けてないぞ。うん」

誤魔化そうとするスルトに、ガーランドはぐいっと近付いた。

「いくらですか?」

こわっ。スルトは内心悲鳴を上げた。

こと金に関わることでは、ガーランドは少々いきすぎなくらい厳しすぎる。ちょっと燃えすぎなくらいの火の車状態になっている家計を預かる身としては当然の行為なのだが、スルトにしたらこのくらいの気晴らしは当然許されるべきモノなのだ。

かと言って、この状態のガーランドの問いを無視するのは怖すぎる。

「え、えーと、だな……」

スルトが恐る恐る告げた金額は、彼の持っているであろう金額とほぼ同額。

つまり、破産寸前の状態。あの財布の中身の三分の一は、この店内の方々のものとなってしまっている。そのまま店にいたら、その人達を締め上げて金を取り返したい気持ちにかられかねないので、ガーランドはスルトを連れて店から出た。

「スルトさん」

「な、なんだ、ガーランド?」

「あなた、一週間飯抜き」

そんな死刑判決を告げて、僅かに残ったスルトの持つお金を回収する。子供の小遣いほども残っていなかった。数を数えたガーランドに、さらなる殺意が芽生えたりもしたが、とにかくこれ以上の損失はなくなったわけだ。

「スルトさん。とりあえずライルたちと合流して買い物しておいてください。リーザももう合流しているはずですから」

「あ、あいつの方を先に回収したのか。いつも俺からなのに」

「この前まで、大負けがありませんでしたから、油断していました」

実際、スルトは極端に博打に弱い。賭け事をした場合、勝率は実に五パーセントを下回る。ただ、ここ最近は全財産を搾り取られるような負けは無かったので、より金が失われる可能性の高いリーザを優先したのだが……失敗だったらしい。

「はは。忘れた頃にやってくる、ってヤツだな」

茶化すスルトを、ガーランドは怪物でも射殺せそうな眼を向けて、

「殺しますよ」

世にも恐ろしい声でそんなことを言った。

「いや、それにしても、アレだな。なんか俺たち注目されてねぇか?」

不快そうなポーズを取って、スルトは話題を変えるために言う。

ただ、事実ではあった。道行く人達が、ちらちらとガーランドたち――正確にはスルトに視線を向けている。

「こんなところでそんな格好していたら、当たり前でしょう」

ガーランドは呆れた様子でスルトを眺める。

教会の人間、それも神官クラス以上である事を示す銀糸で縫った十字架の刺繍を施された法衣。少なくともこの酒場や風俗店が立ち並ぶ歓楽街にふさわしいものではない。それを纏った人から、酒や煙草の匂いが漂っていてはなおさらだ。

つまり、なんだ。一言で言うと、場違いも甚だしかった。

「いいじゃんよ。どうせ、俺は"元"聖職者なんだから。ここ歩いても文句言われる筋合いはないぜ」

「元聖職者が、法衣着てていいんですか?」

「これは退職金代わりに貰ってきたんだ。並の鎧なんかより、ずっと防御力高いし」

神官に退職金なんていうものがあるのかどうかは知らないが、ガーランドはなにも言わず放っておいた。装備に金がかからないのはいいことだ。

とりあえず、適当なところでスルトとは分かれる。

「……あとは、ネルか」

とは言っても、ガーランドはネルに関してはあまり心配していない。

先に捕らえた二人に比べ、ネルの金遣いは荒くは無いのだ。居場所も、ほぼ特定できるし、早く捕まえてライルたちに合流しよう、と考える。

「うーわーあー」

見通しが甘かった。

魚屋の前まで来たガーランドは、がっくりとなった。

「よぉ、兄ちゃん。こいつに眼ぇつけるたぁ、やるねぇ。こいつは、今朝捕られたばっかりの幻の魚、マグロキングっ! ちぃ、っとお目にかかれねぇ一品……もとい一匹だぜ」

景気のいい魚屋の大将の言葉に、ネルはうんうんと頷く。

「はい、伝説に聞いています。まさか、こんなところで会えるなんて」

どこの伝説だ、と心の中でツッコミを入れるガーランド。

「買います」

「おう。ちょっと高いけど、いいか?」

「値段なんて関係ありません。一匹丸ごとください」

「へい、毎度あり「ストップだっ!」」

商談が成立しそうになったところで、ガーランドが割って入った。

「が、ガーランドさん」

「ネル、こんなん買える状況じゃないってことくらいわかれ」

「こんなん?」

ピクリ、とネルの眉が危うい角度に上がった。

「こんなんとはなんですか。訂正してください、ガーランドさん」

「しない。早くみんなと合流するぞ」

いい加減、面倒になってきたガーランドは、投げやりに言う。

しかし、ネルにその態度は許せないものだったらしい。ぷるぷると震えている。

「おい」

「うわあああああああああああん!! み、みんな僕の友達をバカにしてっ! いいさ、いいさ。どうせ僕なんて磯臭くて、ちょっと魚介類と会話しちゃう変なやつさっ」

「……わかってるなら自重しろよ」

ぼそっ、と呟く声は、ネルには届かない。キレると周りが見えなくなるのだ、この男は。

「でも、ガーランドさんっ! 海の生物をナメないでくださいっ。魚類こそ、この地上で最も進化した生物なんですからっ」

「海の生物なんだから、地上じゃなくて水中だろうが」

「いま、その力を見せてあげましょうっ!」

聞いちゃいねぇ。

「『我が朋友、大海原を駆ける黒き弾丸! 我が要請に応えよ、応えよ、応えよっ!』」

「っ!? 召喚!」

ゴゴゴゴゴ、とネルが強大な魔力を用いて異界から従者たる生物を呼び出そうとしている。こんな街中で呼び出そうものなら、大騒ぎになるのは想像に難くない。

「はっはっはっ! 僕の友達の力、見せてあげましょう! 『出でよっ! スズキ目サバ亜目サバ科マグロ属クロマグロ、メアリーーーー!』」

カッ、と上空に描かれた魔法陣から、それはそれは大きな魚が降ってきた。

ビチビチ、と勢いよく跳ねる。

しかし、徐々にその動きは小さくなり……そして、動かなくなった。当然である、魚が陸に上がれば、そりゃそうなるだろう。

「……死んだぞ、友達」

「メアリィィィィーーー!!!」

「送還したら? あと、さっさと行くぞ、ほら」

泣きながらマグロ(メアリーというらしい)を送還するネルの首根っこを捕まえる。

ネルは召喚師(サモナー)という、レアなクラスなのだが、呼び出せるのは魚介類のみという制限があった。

なんて嫌な制限なんだ、とガーランドは嘆息する。

自分のパーティの人間は、どうしてこう厄介な人材ばかり揃っているのだろう、と世の無常を嘆きつつ、空を仰ぎ見る。

空は、憎らしいほどの青。たまにはウチの家計簿みたく、真っ赤になりやがれ、とガーランドは八つ当たりした。

---

前の話へ 戻る 次の話へ