人里での菓子売り。
 もはや恒例となっている場所に向かって飛んで向かっていると、すでに先客がいた。

「……あれ? デジャブ?」

 つい先週も同じ事を考えたような気がする。
 もしや、またしても妹紅が――と考えたのだが、上空から見える人影は明らかにあいつじゃない。

 ええと、あのやたらめったら長いストレートの黒髪は輝夜か?

「うわー」

 思わず呻き声を上げてしまう。輝夜に近付きたくない。なんか知らないが、僕の鍛えられた第六感がビンビンと警告を放っている。

「あら?」
「げ」

 き、気付かれたぁ!?

「なんだ、良也じゃない。……いいところに来たわ。ちょっとこっちへ来なさい」
「いや、その、なんだ。僕はちょっと用事が」

 適当な理由をでっち上げてこの場を離れようとすると、輝夜の目が洒落にならない色を宿す。

「貴方も、私の露店を無視するつもり……?」

 ママン、あの人滅茶苦茶不機嫌ですよ、助けてママン。

「ま、待った待った。なんだ? 露店? はっはっは……見せてもらおうじゃないか」

 我ながら声が掠れていたかもしれない。
 なるべく輝夜を刺激しないようにゆっくりと着地する。

 こいつ屋外なのにやたら豪華な絨毯を敷いていやがる。勿体無ぇー。

「……輝夜、これは一体?」
「見てわからない? 私の宝物の一つ、ブッディストダイアモンド。この世に二つとない名物よ」

 なんかキラキラと光っている鉢を自慢げに見せる輝夜。お前、これスペルカードで使っている道具の一つじゃん。なんかレーザーっぽいのを出すやつだろ、確か。

「売っていいのか?」
「買う?」

 なんとまあ、あっさり。
 別に欲しくはないが、一応値段を聞いてみると、僕が菓子売りを百年くらい続けても買えなさそうな金額を提示された。

「買えるかっ!」
「貧乏ねえ」

 これが買えないのを貧乏と呼ぶなら、幻想郷の十割は貧乏だよっ。

「売る気あるのか?」
「勿論、満々よ」

 どこぞの魔法の森に店を構える店主のようなことを言う。
 この引き篭もりが一人で人里に出てくるくらいだ。多分、大真面目ではあるんだろう。致命的なまでに常識に欠けているが。

「……なんとなく予想は付くけど、一応聞いておく。なんでいきなりこんな露店を開いたんだ?」
「妹紅のやつが」

 はい予想通りの名前が出てきたー!

「自分の食い扶持も稼げない穀潰し、なんて罵ってきやがってね」

 その時のことを思い出したのか、輝夜が沸々とした怒りを沸き上がらせる。……そっかー、先週のアレが前振りだったかー。
 妹紅め、挑発するにせよ、もう少し僕に迷惑がかからない文句を考えて欲しい。いや、単に巻き込まれている僕の運が悪いだけな気もするけれども。

「聞けばあいつ、貧乏ったらしくも自作の竹細工なんてものを売り捌いたらしいじゃない。……ふん、私がこんなことするなんて業腹だけど、私が一銭も稼げないなんてあいつに誤解されるのも癪だからね」

 それで、自分の宝物を売りに出したのか……

「……成る程」
「わかってくれたかしら。だったら、一つくらい買って売上に貢献しなさい。朝からやってるのに一つも売れやしないのよっ。冷やかしすら来ないの。ここの連中の審美眼はどうなっているのかしら!」

 ……それで怒ってたのか。いや、うん、気持ちはわかるけどさ、

「協力したいのは山々だ。だけどな、冷静に値札を見てみてくれないか」

 例の鉢と同じような値付けの品がぐるりと輝夜の周囲を囲んでいる。これだけのお宝だ。気になる通行人はかなり多いのだが、すぐに見えるところに書いてある値段に、すごすごと立ち去っていく。

「? なにかしら。ああ、里の物価はちゃんと調べて、妥当な値付けにしたつもりよ」
「そっかー、調べてこれか」

 救いようがないことが判明した。

「あのな、輝夜。露店でこんな値段のもの、買う奴はまずいないから。この百分の一……いや一万分の一で、ようやく手が出る値段になる」

 実は、それでも露店にしちゃ破格の値段なのだが。

「え゛!?」

 そして、そんなごく当たり前の指摘を、輝夜は太陽は実は西から昇るんだぜと聞かされたかのような顔で反応する。

「でも、だってお米一俵がこれだけだから、私の宝は最低限このくらいで……これでもだいぶ割り引いてるのよ? 本来なら――」

 輝夜がとんでもねえ額を言い放つ。この幻想郷にそれだけの貨幣があるのかどうかすら疑問ってレベルだ。ていうか、多分ない。

 どうやら、このお姫様に庶民の懐事情というのを教えてやらねばならないようだった。



































「なんてことっ」

 訥々と言い聞かせると、頭自体は悪くない輝夜はようやく理解した。

 ……まあ、話を聞いていて納得はした。
 輝夜のやつは基本的に永遠亭に引き篭もっている。つまり、普通の人間との付き合いはないに等しい。稀に人里に遊びに来ることもあるけど、その時は他人の懐事情なんて気にはしていなかったろうし。

 そして、それ以前にこいつが付き合いのあった人間と言うと……平安時代の貴族。それも最上級の連中ばかりである。財産も、相当のものを持っている奴ばかりだったらしく、そういう人間をターゲットとしてイメージしていたらしい。

 ……ちなみに、当たり前だが、人里にはある程度の名家はあっても、貴族なんてものは存在しない。
 いくらか物納を許してもらえれば、阿求ちゃんとこが家を傾かせる覚悟でなんとか一つ買えるか買えないかってところだろう。

「というわけで、な? 大人しく値段を下げるか、商品を変えるかしろって」
「くっ……でも、二束三文で売り払うつもりはないわ。やっぱり、相応しい品には相応しい値段というものが……」

 と、輝夜が反論しようとした時、どこからか笑い声が聞こえてきた。

「はっはっは。よう、良也。今日も精が出るなあ」
「うげっ」

 妹紅である。普段は人里に滅多に近寄らないくせにめっさいい笑顔でこちらに歩いてくる。ちなみに、僕に話しかけてはいるが、その視線は輝夜に固定されていた。

「んん〜? 誰かと思えば、輝夜じゃないか。お前も店を出しているのか。いや〜、驚いた。引き篭もりの駄目姫かと思えば、少しは甲斐性があるんじゃないか。ん? で、売れたのか?」
「ぐ、くく……ぐ……」

 妹紅のあからさまな挑発に、輝夜の米神に血管が浮かび上がる。今にもキレそうな様子だが、ここで暴れては負けだとわかっているのだろう。ギリギリのところで自制していた。
 でもね、腕がぷるぷると震えているのが怖いんだよ。いつ暴発するか、ハラハラする。そしてそうなったら僕が巻き込まれるのはもはや必然だ。

 ……丁度良く、輝夜の兵器である宝物も大量に並んでいるわけだし。あ、なんか輝夜のやつ、ブディストダイアモンドを握りしめやがった。

「……か、輝夜、落ち着け。人里を消し炭にするつもりか?」
「な、なんのことかしら、良也。わ、私はれ、れれ、冷静、よ」

 それ、酔っ払いが自分は酔っていないと言うのと同レベルで信用出来ないから。

「ん? 輝夜、お前、ご自慢の宝物を沢山売っているんだな。へえ、お前がそれを売るとは驚きだ。……で、売れたのか?」
「う、ぐ……てないわよ」
「ん? なんだって? 聞こえんなあー」

 いやらしくも、妹紅が耳に手を当てて輝夜に尋ねる。

 妹紅、お前……。僕は先週お前にちょっと感動したのに、これで台無しだよっ!

「売れてないわよっ、一つも!」

 ヤケになった輝夜が叫び、妹紅が大げさに驚く。

「なんだって! へえ、お前がいつも……い・つ・も! 自慢しているお宝が一つも売れないなんて! こりゃあ、里の連中も見る目が無いなあ、あっはっは。
 あ、勿論私もいらんけどな」
「……なら、とっとと帰りなさい! 冷やかしはお断りよっ」
「おっと、それはすまん。じゃあ、私はもう行く。精々頑張って労働に励めよ! どうせ売れないと思うがなっ。アーッハッハッハ!」

 超上機嫌に去っていく妹紅。すげえ、あんなに機嫌が良い妹紅を見るのは初めてだぞ僕。
 ……そして、こんなに怒り心頭の輝夜を見るのも勿論初めてです。

「……お怒りをお鎮めくださいかぐや姫様」
「ならっ、一つくらい買いなさい!」
「いや、無理無理! なんていうか、物理的に!」
「千年ローン組んてあげるから!」
「いくらなんでも、そこまでして欲しかないわい!」

 恐ろしいのが、これが現実的な年数だということである。
 この年で、住宅ローンにひいひい言う世のお父さん方の気持ちを理解するつもりはないぞ。僕の理想は、クールにローンを前倒しで返済するやり手お父さんだ。そして、そんな理想像に近づくためにはこんな無駄遣いをするわけにはいかない。

「なにが不満だっていうの!」

 輝夜の美人ではあるが、それゆえに恐ろしい形相にたじたじになる僕。
 誰か、誰か助けてくれ、と視線を彷徨わせるが、なんかもう近くに人がいない。騒ぎになっているのを見てすぐに立ち去る辺り、幻想郷の人間の危機管理意識の高さが伺える。

 ……僕も人並み以上に臆病な方だと思うんだけどなー。なんでこう、間が悪いのか。

「……ん!?」
「あ、ヤバ」

 そんな助けを求める視線を四方八方にばらまいたのが良かったのか。
 物陰に隠れている誰かの人影を発見できた。普通であればまず気付くことはなかったが、人間、追い詰められると普段では思いもよらぬ力を発揮できるものである。

「そ、その服は鈴仙! 鈴仙か!?」
「……イナバ?」

 輝夜もキョトンとなってそちらを見る。鈴仙は観念したように出てきた。

「どうも、姫様。それに良也……」
「う、なんだよ、睨んだって怖くないもんね」

 僕の名前を呼んだ辺りでギロリと睨まれるが、なんとか堪える。そ、そのくらい、輝夜のヒステリーの方がよっぽど怖い。

「なに、貴方も置き薬の営業かなにか?」
「はい。まぁ、そんなところです。後は、師匠に姫様の様子をついでに見てきてくれ、と頼まれまして」
「……永琳、余計なことを」

 チッ、と舌打ちする輝夜。

「(鈴仙、鈴仙。永琳さんは、輝夜のこと止めなかったのか?)」

 冷静に考えてみると、あの永琳さんが輝夜のこの無謀な行動を咎めなかったのが不思議だ。

「(これもいい勉強になるでしょう、って)」

 ……そんな軽い調子で見逃さないで欲しい。泣きそうになっている僕もいるんですよ。

「そうだ、イナバ。貴方、なにか私の露店を盛り上げる良いアイデアはないかしら?」
「ええ?」
「ええ、じゃないの。最低でも一つ売れれば、妹紅のやつを見返すことが出来るんだけど……」

 鈴仙は無茶振りされて、あからさまにキョドる。
 ……そりゃあ、この値札を見れば、一応まっとうな金銭感覚を持ち合わせている鈴仙はなにも言えなくなるだろうなあ。

 そして、矛先がズレた僕は、自然な形でフェードアウトを……

「そ、そういう商売に関しては良也のほうが詳しいのでは? なにせ、こいつの菓子店は大繁盛ですからね」

 おいいいいいーーー!? なに『逃がさん、お前だけは……』的な目でこっちを見ているんですか鈴仙さン!?

「それもそうね。売りつけることばかり考えていてその発想はなかったわ。……癪だけど、先達の助言は聞き入れてやるべきね」
「それ、助言を求める方の台詞じゃねえよ!」
「気にしないの。で、なにかいい案はないかしら?」
「さっき、安くするか商品変えろつったろ!」
「私は価格を下げるのは嫌だと言ったわ。……でも、商品を変えるのはアリかもね。なにかいいのある? 私が自力で用意できそうなもので」

 輝夜は、いやに自力でってところに拘る。まあ、妹紅を意識しているのは傍から見え見えだ。

 しかしなあ……輝夜に、妹紅のような生活用品を作る技術があるとは到底思えない。宝物にしても愛でる対象ではあっても、こいつ自身がなにかを作るわけじゃない。
 ……と、するとどこからかモノを仕入れるべきなのだが、コネもなにもない輝夜が買い求めるのはつらいだろう。脅しつけたりして仕入れをさせるわけにもいかんし。

「永琳さんから薬を卸してもらうのはどうだ?」
「却下。ここまで来て永琳に頼るのは格好悪いじゃない。妹紅の奴に笑われるのがオチだわ。『所詮、従者に頼らないとなにもできないお姫様だな!』って」

 言いそうだ。流石ライバル、相手のことをよくわかっている。

「うーん」

 いかん、そうなると八方塞がりだ。
 ……もう少し初心に帰ってみよう。輝夜の手持ちはなんだ? 幻想郷人外ズの中でも上から数えたほうが早い戦闘力、個人的に収集している宝物、『永遠と須臾を操る程度』の能力。
 えーと、後は……傾国の、と頭につけても問題ないくらいの、類稀な美貌……くらいか? 他にこいつがどんなスキルを持っているかは知らないしなあ。

 とりあえず、戦闘力は商売には関係ないな。宝物は、今やってるから却下。能力は……こいつの能力、一体なにができるかイマイチわからん概念的な能力だから却下。
 美貌? 確かに、美人が売ると売れ行きは良くなるだろうが、肝心の売るものが……あ。

「なにか思いついた顔ね」
「えーと、確かに思いついたけど……怒らないか?」
「……なに、一応言ってみなさい」

 僕の不穏な空気に気が付いたのか、輝夜が声を低くする。
 ……いかん、やっぱ言わないほうが良いな。

「言わない、ってのはナシね」
「……ええと」

 誰か、誰か助けてくれ。鈴仙!

「私も興味があるわ」
「うっわ」

 蔑みの目で見てくる鈴仙。これは僕の不埒な発想をある程度察しているに違いない。
 いかん、どうしよう。逃げようか。

 ……逃げられませんね、はい。ええい、ままよ!

「その……天狗にでも頼んで、輝夜のセクシーな写真でも撮って売れば、バカ売れかなー、って……駄目? 駄目ですか? なら普通のスナップ写真でも……あ、別に僕が欲しいという話じゃないぞ!? そ、そんな下心は、ない……ん、だけど……」

 段々声が小さくなっていく。ふう、と輝夜がため息をついた。

「そこで、自分が欲しいからお願いします、とでも言えば、まだ許してあげたのに」
「ええ!?」

 しまった、ミスった!
 でも、本当にいらねえんだけど!

「イナバ」
「はい」

 すちゃ、と指鉄砲を構える鈴仙。

 ――ああ、終わったな。

 僕は、諦めの境地で、鈴仙から放たれる弾幕を甘んじて受けるのだった。……うん、今回のこれは僕が悪い。










 結局、この日は一つも売れなかったらしい。
 後日、流石に反省した僕が提案した『輝夜コレクション博物館』を期間限定で開き、入場料でそれなりの現金収入を輝夜は得ることができた。里の人も、宝物自体には興味あるんだよね。まあ、輝夜が以前開いた月都万象展のパクりである。

 以前と違うのは、輝夜が一人で準備し、運営したこと。
 これならば、妹紅も悪態をつけまい。実はこっそり僕も、馬鹿なことを言った詫び代わりに宣伝には協力したが、このくらいはいいだろう。

 ……ま、それなりに盛況だった、とは言っておく。



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