「ふう、っと」

 霊夢にやられて幻想郷の掟をその身に刻んだマミゾウさんをひとまず命蓮寺に送って。
 旧友との再会を邪魔する気にもなれず、僕は今日はどうしようかなー、と悩みながら飛んでいた。

 今日はマミゾウさんを幻想郷に案内しに来たため、お菓子は持ってきていない。いつものごとく里で露店は出来なかった。

「ああ、そういや。マミゾウさんの頼まれもの、忘れないようにしないとな」

 ……実は、マミゾウさんも外の味はどうにも捨てがたかったらしく。幻想郷に入る前、僕が菓子売りを生業にしていると話したところ、定期的に外の食べ物を持ってきてくれ、とかなりの額を渡してくれたのだ。

『どうせしばらくは円なんぞ使いやせんし、釣りは駄賃にしても構わんよ。今回は世話になったからのう』

 などと言われ、今まで見たことのない桁数の額が通帳に刻まれることとなった。
 ぷるぷる、と思わず手が震えたのはご愛嬌だろう。とりあえず、あの金は基本的に幻想郷に還元することにする。そうしないと堕落しそうだ。既に堕落しているというツッコミは受け付けない。
 ……あ、そういや贈与税とかかかるのかな? 後で調べてみよう。

「……ん?」

 などと悩んでいると、ふと空の向こうから見たことのあるシルエットが飛んでくるのが見えた。

 まだ遠くでよく見えないが、あの近くに人魂を携えた姿は多分妖夢だ。

「里に買い物かね?」

 おーい、と手を振ってみる。
 向こうも気付いたようで、若干針路を変更してこちらに飛んできた。

 ……? あれ、おかしいな。
 普段、妖夢は自身の半身である人魂を傍らに置いている。しかし、あれは……なんつーのか、え? 乗っている? 人魂の上で座禅を組んだまま真っ直ぐこっちに来てる?
 なにあれ、飛びづらそう。

「おーい、妖夢。お前、なにやって……え゛?」

 声をかけている途中、更に近づいた妖夢の顔を見て、僕は思わず呻き声を漏らした。

「どうもこんにちは、良也さん。奇遇ですね」
「あ、ああ。き、奇遇はいいんだけど……なに、その……髭?」

 そう、妖夢の顔には、なぜか立派な髭が蓄えられていた。……ぜんっぜん似合ってねえ。なにこれ、半人半霊特有の病気か何かか? 半霊に乗っかって飛んでいるところも含めて。

「ああ、付け髭です」
「つ、付け髭? な、なんでそんな……あっ、幽々子にまた無茶振りされたんだろ!」

 ええい、あの亡霊め。妖夢を弄る時は僕も呼べというのだ。……え? 違う?

「いえいえ、そんな。やはり、仙人は髭を生やしているものだと思い立ちまして。私もそれに倣って、まずは形だけでもと」
「は? ええと……つまり、仙人のコスプレか? もしかして、その人魂は金斗雲のつもりか?」

 日本では某龍玉の物語で有名な孫悟空の使う仙術だ。雲に乗って空を飛ぶ術。素で飛べる妖夢に必要とは思えないが、しかし確かに半霊の見た目を雲っぽく弄ってあって、初見の人間は勘違いするかもしれない。

「こすぷれ?」
「いや、っていうか仮装か」
「ああ、いえいえ。違います。実はですね、良也さん」

 ぐい、と雲から乗り出す仕草をする妖夢(髭付き)。さ、流石の僕でも、このコスプレにはグっとはこないなあ……やっぱ、コスプレって言うより仮装って言う方がしっくり来るな、うん。

「私も今まで勘違いしていたのですが……実は私、仙人だったんです」
「……はい?」

 パードゥン?

「いや、実はですね、あの霊廟の神子さん達と、あの後話す機会がありまして」
「へ、へえ?」
「私、仙人だったらしいんですよっ」

 そう熱っぽく語る妖夢の目は――僕の目の錯覚だろうが――なにやらグルグルと渦巻いていて、なんか洗脳されている感じがひしひしと伝わってきた。催眠術かなにかでも食らったかのように。
 ……レイプ目じゃないだけよしとしよう。

「ええと……どうしてそんな結論に至ったのか、聞かせてもらってもいいか?」
「ええ、構いません。まず、私は人間じゃないです」

 うん、ソウダネー。僕の幻想郷での知り合い、里の人を含めても五割超は人間じゃないんだけどねー。

「そして神子さん曰く、私は人の持つ十の欲のうち二つ……生への執着と、死への羨望がないそうなんです」
「へー」
「そして、死と生の両方を持ち合わせているその性は、まさに尸解仙っ」

 それ、どっちも半人半霊だからじゃね?

 しかし、妖夢は自分が仙人だと確信している模様。思い込んだら一直線の素直な性格は妖夢の美徳だが、まさかこんなことになるとは。
 ……い、いかんな。どうにも。なんていうかこれは、僕がリアル中学生だった頃を彷彿とさせる。なんていうか、所謂、中二病。

 どうにも泥臭さが抜けない中二っぷりがいかにも妖夢っぽいが……しかし、これは後々、頭を抱えて転げたくなるぞ。

 ……仕方がない。流石にこれを面白がるのは妖夢が哀れ過ぎる。傷の浅いうちに目を覚ましてやろう。

「妖夢。まあ、落ち着け」
「はい? ええと、いきなりなんでしょうか?」
「お前は半人半霊だろう? 断じて仙人なんかじゃなかったはずだ。なんかこう、今のうちにやめとけ。きっと後で後悔する」

 本当に親切心からの忠告である。しかし、妖夢はなにやら拗ねたようにそっぽを向き、

「……まったく、良也さんは人を信じる事を知らないのですね」
「お前、自称仙人だろう」
「揚げ足を取って。何を隠そう、幽々子様も認めてくださったんですよ。『妖夢は仙人だったのね』って、それはもう嬉しそうにされて」

 ……妖夢、多分っていうか絶対に、それ幽々子は面白がっているだけな気が。

「まあ、確かに、未だ仙人と自覚して日が浅いので、仙術は使えませんし、丹も作れませんが」
「いや、あのな? それって既に語るに落ちてる気がするが」

 流石にそれで仙人を名乗るのは無茶が過ぎる。

「もうっ。すぐに覚えるんですからっ。今に見ていてくださいよ」
「は、はあ」

 あかん、これはかなりの重症だ。

「今日も修行をするんです。ひとまず、お饅頭を百個作らないと」
「……またいきなり話が飛んだな。仙人の修行と饅頭が一体どこでどう繋がった?」
「え? 幽々子様が、お菓子作りは錬丹術に通じるって、親切にも教えてくださいましたが? そんなわけで、とりあえず百ほど作ろうかと」

 ……幽々子の野郎、とことんまで妖夢を弄り尽くす気だ。

「と、いうわけで、里に材料を買いに行くんで、そろそろ失礼しますね」
「待て待て」

 慌てて妖夢を止める。
 年頃の娘っ子が、付け髭を付けて、"いかにも"な仙人スタイルで里を訪れたらどうなるか。

 田舎らしく、人里の噂の広まる速度は尋常ではない。特に妖夢は元々目立つ存在だし。
 このまま里に行って一夜明けたら、ねえ奥さん聞いたあの時々お使いに来る冥界の女の子自分を仙人だと思っているんですってごっこ遊びかしらうちの子ももう卒業しているのにねえオォーーホッホッホッ、などと主婦の皆様方の井戸端会議のネタになることうけあいである。

 それだけならまだしも、面白いことに目がない連中は両手に余るほど心当たりがある。宴会のたび、妖夢に投げかけられる、過去の汚点を揶揄する声、声、声。
 ……トラウマになるわっ!

「ぼ、僕が代わりに買いに行ってやろう」
「はい? いえ、そんなことをしてもらうわけには。というか、いきなりなんですか」
「……実は、僕も妖夢の作るお饅頭とやらを食べたいんだ。錬丹術の練習だろ? 体に良さそうだし……その駄賃がわりにパシリくらい引き受けさせてくれ。妖夢は早めに帰って準備でもしといてくれればいい」

 自分で言ってて、色々と変な言葉だが、妖夢は真剣に喜んでいた。

「ああ! やっと良也さんも信じてくれたんですね。そういうことなら、お願いします。こちら、代金です」
「……了解」
「それに、修行のためとは言え、百個は流石に多いと思っていたんです。幽々子様、夕飯が食べられなくなってしまいますし。良也さんが少しでも食べてくれれば助かります」

 あいつに関してそんな心配は必要ないと思うが。

「それじゃあ、お願いしますね」

 相変わらず、自身の半身に乗っかって移動する妖夢を見送って、僕は深い深い溜息をついた。



































「買ってきたぞ―」

 流石に、百個分の饅頭の材料は結構重い。
 ちょっと手が痛くなりつつも運んできた僕は、白玉楼の台所にやって来た。

「ああ、良也さん、ありがとうございます」
「……妖夢、付け髭は?」

 割烹着を身に付けた妖夢は、例の付け髭を外していた。可愛らしい素顔が見えて、僕としては一安心なのだが、あそこまで拘っていたのになんで?

「料理をする時に髭なんて不衛生じゃないですか」
「……左様か」

 もはや突っ込みたくねえ。
 頑張れ、と一声だけかけて、僕は台所から退散した。

 ……さて、と。

「幽々子」
「あら、いらっしゃい、良也」

 適当に声をかけると、廊下の角からひょい、とここんちの家主が現れた。まるで今偶然に遭遇したんですよ、と言わんばかりの態度だが、今のオモロイ妖夢の観察をしていたことはどっこいお見通しである。当然、僕の来訪にも気付いていたはずだ。

 なんとなく並んで歩き始め、妖夢に声が聞こえないくらいにまで離れたところで幽々子が話しかけてきた。

「それより、聞いたわよ良也。貴方、妖夢のお使いを代わったそうじゃない」
「……そりゃあ、あんな調子の妖夢をノコノコと人の集まるところに行かせられるか」
「もう。天狗の取材を受けたときの台詞も練習していたのに」

 新聞を発行している報道部の天狗は、なんだかんだで里で一番よく見かける。人が集まるとそれだけネタが生まれるし、発行部数を競っている関係上、販促活動にも熱心なのだ。
 あの様子の妖夢が行くと取材を受けることは間違いなく、そしてその主である幽々子にも天狗は突撃インタビューを敢行してくるだろう。ここが冥界とか関係なく。

「し、新聞にまで載せるつもりだったのか……真剣に妖夢、引き篭もっちゃうぞ」
「あら、なんで妖夢が引き篭もるの? あの子は別に、お天道様に恥じ入るようなことはしていないはずだけれど」
「自分自身に対して恥じ入るだろ」
「そうかしら。案外、そのまま開き直っちゃうかもしれないわよ?」
「……そんな妖夢、僕は見たくないぞ」

 からかいがいは確かにあるけれど、素直で真っ直ぐで剣士で半人半霊な妖夢が僕は好きなのだ。ぱっと見愉快だけど、あそこまで突き抜けられると僕は楽しくない。

「ふふふ……そう? 実に面白――微笑ましいと思わない? 仙人に憧れるなんて、可愛いものじゃない」
「お前、隠す気ないのな。あと、仙人に憧れるのは別に微笑ましくもないと思う」
「あらそう? 里の子供が、将来仙人なるー、っていうのは割とよく聞く話だけど」

 ……幻想郷で仙人になるってのは、野球選手になる、総理大臣になるー、とかと同じノリなのか、もしかして。

「はあ……それで、いつ正気に戻るんだ、あれ」
「さあ? 賭ける? 私は一週間」
「……妖夢の理性を僕は信じている。三日……いや、明日にはきっと戻っているさっ」
「負けたら、お酒おごりね」
「待て、やっぱ四日……」
「駄目、男なら一度言ったことは貫きなさい」












 ちなみに、幽々子の予想を更に一週間超過した。流石の幽々子も驚いていたようだ。……普段は幽々子の予想の枠を越えられない妖夢だが、こんなことで越えても嬉しくはなかっただろう。
 案の定、枕を抱えて布団でゴロゴロと羞恥に悶えていたらしい。

 人の噂も七十五日というが、人間じゃない連中の場合はどうなんだろうね。



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