僕は、しばらく月に逗留することとなった。場所は、勿論綿月亭である。使われていない部屋も多々あるという広い屋敷の一室を与えられて、まずは一日を過ごしたのだが。

「……うん、凄過ぎる」

 感嘆するしかなかった。
 この八畳くらいの小さな部屋だけでも、地上の常識からは考えられないほど高度な技術が使われている。

 いちいち例を上げるならば……

 部屋に備えられている小さなタンスは、開いてみると無限の容量を持つかのようにただっぴろい空間が広がっていた。それなのに、取り出すときは至極簡単。原理は全然わからないので説明はできないが、そうなのだ。

 さらに布団。肌触りがいいのはもちろんのこと、どうやら心地いい温度を保っているようだ。枕は枕で、ちょっと仮眠しようと頭に敷いてみると、ぐにゃ、と勝手に形が変わった。すごく寝やすかった。

 あとは、電話みたいなのもある。電話とは言っても小さな鈴みたいなのだが、ついさっきチリーン、と鳴ったかと思うとそこからレイセンの声が聞こえたのだ。内容は『もうすぐ夕食です』とのこと。
 大丈夫かな、と思ってその鈴へ向かって了解の旨を伝えると、ちゃんと返事があった。聞こえていたらしい。

 なんというのか……脱帽だった。そういえば、ここはどこでも気温は適温だ。もしかしてこれも、月のテクノロジーの成果だろうか。しかも、考えて見ればここは『月』だった。月面基地ってレベルじゃない。

 でも、廊下は動かないな、とか思いながら、事前に説明された食堂に向かう。

「あ、お疲れ様です」
「……ああ」

 途中、ここのうちの警備兵とすれ違った。綿月姉妹の客として、僕と霊夢は既に紹介されている。
 っていうか、この人。最初にレイセンとここに来たときに話した警備兵さんだ。

「えーと、しばらくの間ですが、改めてよろしくお願いします」
「わかっている。綿月様のお客様だ。俺からはなにも言えないよ」

 う……つまり、なにか言いたいわけですか。

「レイセンに手を出したりしませんよ?」
「出したりしたら例え客と言えど」

 あ、失言だった。警備兵さんは、腰の刀に手を伸ばしてる。脅しなんだろうけどめっちゃ怖い。

「良也さーん」
「あ、レイセン」
「む」

 廊下の向こうから、ちょこちょことウサミミの少女が駆けてきた。警備兵さんはバツが悪そうに刀から手を離す。

「? どうしたんですか」
「い、いや。なんでもない。じゃあ俺はこれで」
「……お仕事、頑張ってください」

 ふん、と警備兵さんは鼻息を漏らして、去っていった。……うん、この家ではちゃんと紳士でいよう。我ながら、時々エロい方向に行っちゃうからな。まあ、レイセンは僕の守備範囲から逸れているはずなのだが、豊姫さんとか依姫さんには気をつけよう。あの二人なら、護衛の手を借りずとも僕くらい簡単に消滅させてしまうだろうが。

 ぶる、とその光景を想像して身が震える。今回、月に出向いて二、三回くらい死ぬ覚悟をしていたのに、奇跡的に死亡カウンターは回らなかったのだ。こんな下らないことで栄えある死亡回数ゼロの記録を破るわけにはいかない。

「ええと、レイセン? 僕、今から行くって言ったと思うんだけど」
「いえ、一度案内しただけなので、迷っているのではないかと。このお屋敷広いですから」
「……僕は方向音痴じゃないぞ」

 僕に割り当てられた部屋から食堂までは、基本的に一直線だ。これで迷えというのが難しい。

「え? ほ、方向音痴なんですか、迷うと」
「いや、そんなわけじゃないけど……。レイセン、もしかして迷子になったことが?」
「こ、ここに来て一ヶ月ほどの間だけです。もう目を瞑っても歩けますよ!」

 一ヶ月って長くねえ?
 どうやら、レイセンは見た目や言動通り、意外とお間抜けさんらしい。うむ、そっちの方が僕は気楽だ。ありのままの君でいて欲しい。主に僕の安全のために。

「? なんですか」
「なんでもないよー」

 心を読んだりもしないしね。



























「おおー」

 食堂に着くと、テーブルには豪勢な料理が並んでいた。どことなく和風を感じさせる料理。総じて素材の味を生かしたものが多いようだった。匂いもいい。

「美味しそう」
「そうですか、照れますね」
「え? レイセンが作ったの?」
「はいっ。月の兎は月人の召使いみたいな立場なので、家事の類は基本的に出来るんですよ」

 マジか。ドジっ子っぽいのに。
 あー、いやしかし、永遠亭の方の鈴仙も料理とかしてたな。団子ご馳走になったこともあるし。

「なになに、美味しそうじゃない」
「レイセン、随分奮発したわね」

 と、そのあたりで霊夢を先頭に綿月の姉妹も食堂に入ってきた。
 僕と違って、霊夢には役割があるため、昼間は出かけていたのだ。依姫さんの持つ力と同じ力を持っていることを月の人たちに知らせるため、色んな所で神降ろしを行うとか。

「あ、はい。今日は良也さんと霊夢さんの歓迎会、ということで」
「歓迎って……彼らは侵略者なのだけど」
「あ……」

 依姫さんにツッコまれて、レイセンはしゅんとなる。依姫さんはそれに慌てて、

「い、いいのよ。元はともかく、今はこちらが招いた立場なんだから」
「そうですよね」

 レイセンはぱっと顔を明るくする。あ、なんか警備兵さんたちに人気があるの、わかった気がする。この子を泣かせる奴は、そりゃ悪者だ。依姫さんも『仕方ないなあ』って顔だ。

「……なにか?」
「なんでも」

 あれだけの勇猛さを見せつけた依姫さんも、レイセンには意外と甘いなあ、なんて思ってたら、思い切り見とがめられた。
 しかし、この程度で動揺を見せるわけがない。もっと鋭いツッコミを味わったことがある。

「はいはい、冷める前に頂きましょう。レイセン、お台所の棚のお酒を持ってきて。上から三段目のものを」
「はい」

 ほほう。酒とな?

「月のお酒かあ。どんな味なんだろ」

 じゅる、と乙女にあるまじき涎の音を立てる霊夢。

「どんな味って……そりゃ、月っぽいんだろ」

 想像がつかなかったので、僕は適当に返した。

「それもそうね」
「……霊夢。自分で言っといてなんだが、月っぽい酒ってどんな味だ」
「そりゃあ、月っぽいんでしょ」

 こいつ、なんにも考えてないな?
 まあ、想像するしかないのは確かだが……と、豊姫さんに目を向けてみると、

「ま、それは呑んでのお楽しみ。とりあえず座ったら? こんなに大勢で食べるのは久しぶりだわ」
「あれ? でも屋敷にはたくさん人がいたような」
「従者と食卓を共にする主人がいるかしら?」
「いや、いると思いますけど。っていうか、レイセンは……」
「彼女はペット」

 一秒も考えずに断言した。ひどいのか、それとも従者よりは近しい存在ってことで優遇されてるのか。
 ……どっちにしろ微妙だな。

 釈然としないながらも、テーブルにつく。全員が座った辺りで、レイセンが一升瓶を抱えて帰ってきた。

「持ってきましたー」
「ご苦労様。じゃあ、悪いけどみんなにお酌してもらえるかしら?」
「はいっ」

 レイセンが、一緒に持ってきたグラスに無色透明の酒を注ぐ。酒は透明のものだけでなく、かすかに色がついたのもあるのだが、これはグラスに本当に液体が入っているのか一瞬錯覚してしまうほどの透明度だった。

 むう……今まで見たことのないタイプの酒だ。

 レイセンには豊姫さんが手ずから酌をして、酒が全員に行き渡った。

「それじゃ、地上のまれびとに……乾杯」

 簡潔な挨拶と一緒に、軽くグラスを掲げる。
 そして、僕は酒を一口含み、

「んん!」

 予想通り、ンまかった。
 酒というより清水のような清涼感。しかし、しっかりアルコールの香気が鼻を突き抜ける。

 うむ、一言。

「美味い」
「それは重畳」
「そうね。なんか雑味が少なくて、純粋なお酒って感じ。月っぽいわ」

 霊夢が目を瞑って味わい、そう寸評する。こいつ、意外と舌が肥えているんだよな……金はそんなに持ってないくせに。

「地上では、このような酒は醸造できないでしょう?」

 少し得意そうに豊姫さんが言う。霊夢はうーん、と少し悩んで、

「そうねえ。ここまで混じりっけなしに醸すのは、私じゃ無理ね」
「……お前に無理だったら、全人類に不可能な気がする」
「それは杜氏に失礼よ。私なんて素人に毛が生えたようなものなんだから」

 にしては、軒並み味にうるさい妖怪連中は、霊夢の作った酒を凄い美味そうに呑むけどな。あれは霊夢効果か?

「……うん。レイセン、腕を上げたわね」
「ありがとうございます。依姫様」

 料理を摘まんで、依姫さんが頷いていた。
 ……むう。料理の方も美味そうだな。

「んー」
「どうですか?」

 ワクワクした目でレイセンが視線を向けてくる。うむ、こんな目で見られると、例え不味くても速攻で美味いと言わねばなるまい。

「美味いよ、レイセン」
「ちょっと薄味だけどね」

 あ、霊夢。余計なことを。

「そうですか。次はもうちょっと濃い目にしてみますね」
「地上の民は味付けの濃いものが好きだからね。獣も食べるし」

 依姫さんが言うが、幻想郷も外に比べりゃたいがい薄味だ。それに慣れた僕でも、ちょっと薄いかな、と思うんだから、月の味付けはどんだけ薄いんだ。
 ……あと、獣も食べるしって。そういや、肉料理がないな。いや、別にいいけどさ。

「んー」

 しかしまあ、やはり月の酒には月の料理だ。酒には合う味付けだった。ついついペースが進み、一杯目を飲み干してしまう。

「あ、お注ぎします」
「よろしく」

 レイセンから、再び酌を受け、今度はちょっと豪快に。三分の一ほどを飲み干し、ふう、と溜息をつく。

「いい呑みっぷりね。それ、私のお気に入りだから、気に入ってもらえてよかったわ」
「へえ、豊姫さんの」
「ええ。私が八十七年前に仕込んだもの。あの年は上手く作れたのよ」

 ……スケールが違う。
 ちょっと顔が引き攣ったのを、僕はもう一口煽ることで誤魔化した。



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