梅雨の季節。もともと換気のための窓も最低限しかない紅魔館の中は、じめっとした空気に包まれている。

 ……と、思っていたんだけど、流石は吸血鬼の館というか、魔法だかなんだかのオカルトパワーで、部屋の中はからっとして過ごしやすかった。
 多分、本が傷むのを嫌がるパチュリーあたりが、なにか細工をしているんだろう。

「パチュリー。次、どの本を読めばいい?」

 んで、今日はお勉強の日だ。実は、毎回ここから本を借りて、平日も魔法の勉強をしてるので、そろそろ自分でもなかなかの腕になってきた、と自画自賛してみたり。

「いつまでも私に頼っていないで、そろそろどれを学ぶべきか、自分で判断したら? 間違った方向に行きそうなら修正してあげるから」
「うーん、そっか。やってみる」
「どういう本が欲しいか決まったら、小悪魔に聞きなさい。いい本を選んでくれるでしょう」

 はいはい、と手をひらひらさせて、僕用の勉強机に戻る。

 パチュリーからそんなことを言われるまでに僕も成長したかー。気になるのは、パチュリーが僕の持ってきた本(月関連)を夢中で読んでいたことだが、まさか答えるのが面倒だから適当言った、とかはないだろう。

 ……ないはずだ。きっとない。ないと信じている。

「さて、と」

 ノートを取り出す。これは、僕が今まで学んできたことを纏めた本……まあ、僕の魔導書って所か。魔法のことだけなく、妖怪のこととかもメモしてある。
 いや、どこにでもある、何の変哲もない大学ノートなんだけど。

 ペラペラ捲りながら、今までやったことを確認する。
 ……って、自然干渉系しかやってねぇよ。

 うーん、このまま四つの属性をもっと極めるか、それとも別の属性に手を出すか、むしろ暗示とか精神系に……

「シンデレラ」

 うん、シンデレラだ。あれの魔女は、もしかしたら世界で一番有名な魔女かもしれん。
 かぼちゃを馬車に変えたりした手腕から、きっとあれは変則の錬金術で……

「って、なぜにシンデレラ!?」

 いきなり割り込んできた単語に、思考が明後日の方向に行っちゃったじゃないか。……って、

「フランドール? なんだ、また来たのか」
「うん。ほら、シンデレラ」
「……それを僕にどうしろと」

 言葉通りグリム童話の本を抱えて、物欲しそうにしてくるフランドール。
 いや、なんとなくわかるよ。子供がこうやって本を持ってきたんだから、つまり、

「読めってか?」
「うん。読んでくれる?」

 あー、なんだろうね、この幼女。

 こんなナリで僕より年上なんだから、本くらい楽勝で読めるだろうに。さて、懐いてくれるのは嬉しいけど、そんな態度を振り撒いていたら、特殊な趣味の男に捕まって危ないぞ。
 言うまでもないが、男の方が。

 そして、残念ながらそんな趣味は一応欠片もないと自称している僕としては、心が動くはずもない。

「まあいいけど。座れ」
「うん」

 と、当然のように膝に座ってくる。
 いや、ま、いいんだけどね。重いはずないし。っていうか、羽が邪魔だ。

「一応、勉強しないといけないんで、少しだけだからな」
「うんっ、早くー」

 ったく。
 さて、シンデレラのページはどこかな。

 で、ぱらぱら捲っていると、それっぽいページを発見。

『すると母親は娘に囁くように告げた。
「お前の部屋にナイフがあるから、つま先を落として靴に合わせるんだよ。
妃になれば歩く事なんてないのだから。」』

「原作じゃねぇか!」

 本当は怖い方だよコレっ!

「えー、読んでくれないのー?」
「却下だ、却下! 子供はもうちょっと夢いっぱい希望いっぱいの本を読みなさいっ」
「じゃあねー」

 と、フランドールはぽてぽてと本棚に駆け寄り、一冊の本を抜き取る。

「じゃあ、かちかち山」

 それも、確か原作は老婆の汁やらウサギが狸を撲殺したりだとか、残酷な表現があったような。

「も、もうちょいまともなのを所望する」
「えー、面白いのに」

 なにをキラキラした目で言っているんだよ。

「ち、ちなみに、どのあたりが?」
「えっとねー、狸がおばあさんを……」
「それ以上言うな!」

 くっ、吸血鬼の感性はよくわからんっ。


 んで、結局、フランドールの持ってくる話は残酷かつグログロのものばかりで。
 最初のシンデレラを、読まされることになった。
























「くっ、余計な時間を取った」

 無闇に臨場感たっぷりにシンデレラを朗読したせいかも。
 フランドールはご満悦で帰っていったから、まあいいんだけどさ。

「小悪魔さーん」
「はい?」

 丁度通りかかった小悪魔さんを呼び止める。

「なんでしょうか」
「いや、ちょっと本を持ってきてほしいんだけど」

 とりあえず、新たになにかを覚えるのはやめて、今までどおり和風味付けの西洋精霊魔術にすることにした。それ系の本を持ってきて欲しい、と言うと、小悪魔さんは快く承知してくれる。

「はい。では少々お待ちください」
「あ、あとお茶も淹れてくれると助かるんだけど」
「ええ、構いませんよ」

 この家でお茶を淹れるのが一番うまいのは咲夜さんで、小悪魔さんが二番目。どっちも美味しいので、この二人のお茶は紅魔館に来る楽しみの一つだ。

 まあ、そもそも、ここんちでお茶を淹れるのはその二人しかいないんだけど。

「小悪魔。私にももらえるかしら」
「え? あ、はい。かしこまりました、お嬢様」

 ……お嬢様?

「こんにちは、良也」
「うぎゃああああ!? 出た!」
「……相変わらず失礼な人間ね。本当に殺すわよ」

 いやだって、どっから沸いてきたんだよ、レミリア。お前と会うときはちゃんと心の準備をしておかないと、ほら、こえぇじゃん。

 いつの間にか僕の隣に座っているレミリアに、心の中だけで文句を言う。

「お嬢様、お茶なら私が淹れてまいりますが」
「いいのよ。たまには小悪魔の淹れるお茶もいいものだわ」
「左様ですか」

 ……ええい、もう驚かないぞ。レミリアが来ているんだったら、セットで咲夜さんが来ていてもおかしくないからな。
 でも、やっぱりいつの間に来たのか見えなかった。

「で、なにしに来たんだよ、二人とも。今日は吸血の日じゃなかったと思ったけど」

 吸血の日、とは紅魔館の吸血鬼二匹に、僕が血液を提供する日のことである。紅魔館に来る日の、二日に一回。隔日で。
 んな日が設定されていること自体、おかしいんだけど、そろそろおかしいと思わなくなりつつある自分が嫌である。

「別に。暇だったから、ちょっとからかいに来ただけ」
「泣くぞ、この野郎」
「どうぞご勝手に」

 大体、なんで僕なんかを構うんだ、このお嬢様は。血を吸うとき以外でも、たまにこうやって来るからどうにも読めない。
 本人の言うとおり、からかいに来ているだけならいいんだけど。

「そういえば、さっきフランが来ていたでしょう? なにをしていたの」
「別に。ちょっと本を読んでやっただけ。シンデレラの原作……っていうか、ここんちにはもうちょっと優しい感じの童話はないのか」
「ここの図書館ならあるんじゃない? 私は知らないけど」

 この屋敷の主の癖に、なんつー適当な。

「それにしても……そう、本を読んだの」
「ああ、まあ」
「物語なんて、フランは興味なかったのに。あの巫女や魔法使いと会ってから、情操が成長しているみたいね」

 はぁ、よくわかんないけど。

「咲夜さん、なんか昔は違ってたんですか? フランドール」
「そうですね。今よりもっと不安定でした」

 あ、あれよりか?
 今でもフランドールと話すときは、火薬庫で火遊びするレベルの危ういバランスを感じているんだけど。

「他に、なにか話したのかしら」
「別に……最近、なに食っただとか、そろそろ弾幕ごっこしない? って誘われたくらい」

 根掘り葉掘り聞くなぁ。

 さて、そういえば、レミリアが来るのはいつもフランドールが来たあとだよなぁ。
 もしかして、姉として妹が心配なんだろうか? 変な男が近付いていて。

 ……ありうる。

「いや、あの、レミリア?」
「なによ」
「僕、そんな、フランドールに変なこととかするつもりはまったくないから。そんなに心配することないぞ」

 うむ、昨今、児童を狙った犯罪がクローズアップされているが、あいにくと僕はそんな警察のお世話になって、またぞろオタクがバッシングされるようなニュースをテレビに提供するつもりはない。

 せめて、見た目の年がもう十歳、いや五歳上なら……

「なんのことかしら? もしかして貴方、フランを手懐けて、紅魔館のっとりでも企んでいるの?」
「あ、そういう方向に話が行くのか……いや、企んでないよ」
「そうね、貴方はそんな大それたことを考えられる人間じゃあないわね」

 わかってるなぁ……。

「いやさ、フランドールのことが気になって、僕んとこに来ているのかと思って」
「……そんなことないわよ」

 今、一瞬間があったな。

 咲夜さんに目配せしてみると、レミリアからは見えない位置で苦笑を返された。
 あー、そーゆーことね。

「はい、良也さん、お嬢様。お茶をお持ち……」
「あ、小悪魔さん。凄く心苦しいんですけど、お茶、全員分淹れてくれます?」
「全員分?」

 えっと、僕、レミリア、咲夜さん、パチュリー、小悪魔さんにフランドール……で、

「六人分。パチュリーとフランドールも誘いますから、お茶会といきましょう。茶菓子なら、僕が持ってきたアルファベットチョコがあるんで」
「うわぁ、チョコレートですか。いいですねえ」

 ニコニコ笑う小悪魔さん。レミリアのほうをチラッと見てみると……あ、若干呆気に取られている。

 なんだかなぁ。前、トランプもしたんだから、もうちょい落ち着いてもいいと思うんだけど。
 聞くところによると、ずっとフランドールを地下室に閉じ込めていて、その負い目がなんとやら……いやまあ、僕は事情を知らない第三者として、無責任に行動しよう。

「パチュリー! 本ばっか読んでないで、たまにはお茶でもー」
「……わかったわよ」

 本から視線を離さないまま、パチュリーが飛んでくる。

「レミィ。貴女とお茶会をするのも、けっこう久しぶりなんじゃない?」
「そうかしら」
「ええ。貴女の妹とは、初めてだけど」
「……そうね」

 レミリアが同意する。

「あ、僕フランドール呼んで来るわ」

 んま、たまにはいいよな、こういうのも。














「あ、良也さん、お疲れ様ですー」
「……あ」

 帰り際、美鈴にあいさつされて、彼女を呼び忘れていたことを思い出した。



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