夢も見ない深い眠りから、少しずつ意識が浮上していく。
温かく、柔らかい布団に包まれ、半ば覚醒しながらもどうにも眠気が覚めない。
友希は、今日の予定はなんだっけ、と未だロクに回らない思考でひとしきり記憶を辿り、
――瞬、『世界』、タキオス、テムオリン、戦い、敗北、巫女、と、フラッシュバックした光景に、跳ね起きた。
「どうなった!?」
「っ、きゃっ!」
上半身を起こし、ぐるりと周囲を見渡す。
――覚えのある部屋。第一宿舎の悠人の部屋に、もともとあったものに加えて備え付けられた二つ目のベッドに、友希は横たわっていた。
そして、飛び起きた友希に、小さな悲鳴を上げた声の主は、椅子に座ったまま驚きの表情でこちらを見ている。
「あ、お、おはようございます、御剣先輩」
「……佳、織ちゃん?」
瞬に攫われ、サーギオスにいたはずの佳織が、なぜラキオスの宿舎にいるのか。
ふと混乱した頭で考え、すぐに経緯を思い出した。
「――! 佳織ちゃん! あれからどうなった!? あのタキオスとテムオリンは……みんなは!?」
ベッドから飛び上がり、佳織の肩を掴んで問い質す。
友希の最後の記憶では、レゾナンスの魔法で強化した上で捨て身で二人に立ち向かい、奮戦むなしく敗北。その後、『誰か』が来たことまでしか覚えがない。
『主、落ち着いてください』
「っ、ウグッ!?」
キィィーーン、と、『束ね』によって既に懐かしい感触になっている頭痛が引き起こされる。
思わず頭を抑えよろめく。身体に力が入らず、そのまま腰を落とす。たまたまいい位置にあったベッドの縁に腰掛ける形になった。
「『束ね』! なにしやがる!?」
『だから、落ち着いてください。佳織さんが怖がっています。大体、神剣を持っていない二人が生き延びているのですから、そう事態は悲観したものではないはずです』
二人? と言われて友希は気付く。
友希の寝ていたのは、元々は友希の部屋にあったはずのベッドだ。何故かそれが悠人の部屋に運ばれて、自分はそこに寝ていた。
そうすると、必然的にもう一つのベッドに寝ているのは……瞬との戦いで『求め』を失った悠人だった。これだけ騒がしくしているのに、深く寝入って起きる気配はない。
「あ……悠人も。……ええっと」
「あの、御剣先輩。安心してください。ひとまず、ラキオスのみんなは全員生き残っていますから」
「そう……か」
どっ、と力が抜ける。
そうすると、元々体の芯に残っている重い疲労が一気に襲いかかってくる。体中が痛み、酷い倦怠感が全身を包んでいる。
しかし、あのエターナル二人と戦った代償がこの程度ならば安すぎるくらいだった。幸いなことに五体満足で、少し休めば戦線復帰も可能そうだ。
『『束ね』、回復はどのくらいかかる?』
『えらい無茶な戦い方をしましたからね……。もう二、三日くらいは待ってください。『世界』から吸収したマナが馴染むにもそのくらいはかかります』
永遠神剣『世界』。……『誓い』が進化したというあの剣諸共、瞬を切り裂いた感触が、まだ手に残っている。
でも、あれが瞬の望む結末だった。佳織が生き残ったこと、そのことだけはあの男の本意だったはずだ。
ぎゅっ、と拳を握る。瞬を殺した感覚を取り零さないように、忘れないように。
「……それで、佳織ちゃん。状況はどうなってるんだ?」
「あの後、時深さんっていう巫女さんが来て、あの二人は引きました。それで、他のみんなは戦後処理のため半分くらいはサーギオスにいます。残り半分は、こっちであの二人が襲ってこないよう警戒の最中です」
時深、と口の中で友希はつぶやく。
悠人とアセリアとともに地球に飛ばされた際、対タキオス、テムオリンへの策を手紙で知らせてくれた人のことだ。
実は、ファンタズマゴリアに来る直前、一度だけ神社の境内で会っていたが、もう二年近く前のことなので、よく顔は覚えていない。だが、タキオス達にも負けない永遠神剣を持っていたことだけは覚えている。
味方、と考えていいのだろう。
「それで、なんで僕は悠人の部屋に寝かされてるんだ?」
「ええと、あの、みんな交代で看病することになったんですけど、お兄ちゃんと御剣先輩、両方に人置くのは無駄とかで。オルファが、だったら一緒に寝かせればいいんじゃない、って」
そういえば、飛び起きた時に落ちていたが、濡れタオルが額に乗せられていた。
「ああ、そういうこと。それはありがとう」
「いえ。あ、もうすぐ交代の時間です」
そう佳織が言うのを聞いていたのかというタイミングで、廊下をだだだ、と走る音がする。
「おっまたせ〜〜! カオリ、交代しに来たよ!」
「ね、ネリー……。うるさくしちゃ駄目って、セリア言ってたよ〜」
足音で誰かは大体わかってた。飛び込んできた予想通りの顔に、友希は顔を綻ばせる。
この二人はいつも明るく、見ているだけで元気づけられる。
「あれ!? トモキさま起きてる!」
「ほんとだ〜」
「ああ。二人共、おはよう」
ベッドに腰掛けたまま、友希は手を小さく振る。立ち上がりたいが、身体がダルく億劫だった。
「大丈夫〜?」
「ああ、平気。シアー、ありがとな」
心配そうに近付くシアーの頭を撫で、『ネリーも〜』と寄ってきたもう一人も同じように撫でる。
えへへ、と笑うその様子はなんとも可愛らしいもので……同じことをしようとした光陰は露骨に避けられ、今日子に電撃を浴びせられていたなあ、と余計なことまで思い出してしまった。
げんなりとした表情になった友希の顔を、シアーが覗き込む。
「? トモキさま、どうしたの〜?」
「いや、なんでもない。えっと、看病してくれてたんだって? ありがとう」
「ふふん、ネリーにおまかせー! ほら、トモキさま、寝転んで」
と、ネリーに肩を押され、抵抗する気も起きず友希は再びベッドに横たわる。
落ちていたタオルをネリーは拾い上げ、水を張ったたらいに浸け、固く絞る。
「あ、二人共、お兄ちゃんのもお願いね。私は、少しだけ休んでくるから」
「は〜い」
恐らく、随分と長く見ていてくれたのだろう。どこか憔悴した様子の佳織は、二人にそう伝えて、少し頼りない足取りで部屋を出て行く。
「トモキさま、はい、どーぞ」
ネリーが濡れタオルを額に置いてくれた。悠人の方は、シアーがやっているようだ。
『……でも、熱があるわけじゃないのに、濡れタオルって意味あるのか?』
『主、こういうのは気遣いが大切なのです。口には出さないように』
『わかってるよ。言ってみただけじゃないか』
『束ね』を軽口を叩きつつ、ひんやりした感触に身を任せる。
しかし、横たわっていると、まだまだ残っている疲れと眠気が襲ってくる。しかし、それに身を任せる前に二人にはいくつか聞いておかなければいけない。
「ネリー、シアー。僕が起きた後のことって聞いてる?」
「えっとねー、女王さまから伝言もらってるよ。え〜〜と……ねっ! シアー?」
ネリーはちゃんと覚えていないらしく、シアーの方に目を向ける。
「うん〜。えっとね、まずは身体を休めること、だって〜。回復したら、お城の方に来て欲しいんだって」
「……そんなに悠長で大丈夫なのか?」
「トキミさまが言ってたけど『まだ余裕はあります』、だってさ。あの人も、なんかく〜るっぽいなー」
時深の名前に友希は困惑するが、地球では手紙であのタキオスとテムオリンの行動を言い当てた人の言葉だ。
ひとまずは信じることにして、友希は目を瞑る。
「あー、二人共。そういうことなら、僕、もうちょっと寝るよ。他の人が来たら起こして」
「了解〜」
「おやすみなさ〜い」
二人の話し声をBGMに、友希は再び眠りにつく。
きっと、もうすぐ訪れる最終決戦。悩みを忘れて眠れるのは、多分今しかないと確信しながら。
「ふう……」
一晩明けた翌朝。
友希はベッドに結跏趺坐の体勢で座り、『束ね』を実体化させ膝においた状態で瞑想をしていた。
まだ馴染んでいない感じがするが、瞬と戦う前とは比べ物にならない力が身体を渦巻いている。
今の友希では、その全てを扱い切ることは出来ない程だ。
永遠神剣第二位『世界』。位であれば、あのタキオスの持つ『無我』より上。結局は本領を発揮する前に消滅したが、『世界』は『束ね』を百本集めてもなお届かないほどの底知れない潜在能力を誇っていた。もしあのまま瞬との融合を完成させ、暴れられていたらと思うと、背筋に冷たいものが走る。
そして、そんな剣を砕いたことは、『束ね』に大きな変化をもたらしていた。
瞑想による『束ね』との対話を通じ、吸収した暴れ馬のような力をなんとか制御下に置くよう努力する。
『力だけなら、悠人の抜けた穴、埋められるか?』
『どうでしょう。私自身もここまでの力を得たのは初めてなので、『求め』程自由自在に操る、というわけにはいかないと思いますが』
『……だよな』
半ばわかっていた結論に、友希は嘆息する。
内に秘めた力こそ『求め』をも超えたが、いきなり強大な力を渡されたからと言って、それで即強くなれれば苦労はない。
その証拠に、自分だけで戦った時、タキオスにあっさりとあしらわれてしまった。悠人だったら、もっと粘れていただろう。
『まあ、そもそも私の力は、仲間の力を合わせることですからね。地力の向上は、どちらかというとそれに伴う許容量の増大の方が重要です』
『……レゾナンスのことか? まだ使えないだろ、あれ』
タキオス、テムオリンとの戦いで生き残れたのは、間違いなくあの魔法のお陰だが、あの一戦だけで何日も休まなければいけないほどの反動を受けてしまった。戦力としてアテにするには論外だ。
『ええ、今は。しかし、あの二人に対抗するには、多分必須になるでしょう』
かもしれない。
少なくとも、単独でどうあがいても勝てない。
しかし、今は時深という、タキオスとテムオリンを退けたという実力者がいる。みんなを危険に晒す必要があるあの魔法で対抗するかどうかは、話し合いが必要だろう。
『……まだ回復しきっちゃいないけど、じっとしてられないな。昼には登城するか』
『了解です。まあ、もう動いても問題はないですよ』
ゆっくりと目を開ける。
「ふぅ……」
「終わりましたか?」
「…………え゛?」
瞑想はスピリット隊の訓練にも取り入れられているメニューだが、体を動かすわけでも力を発揮するわけでもないので、こういう空き時間にするには便利だ。
しかし、あまりに深く埋没していると、周囲の状況が掴めないことがある。
今回は特に、身に付いた新しい力の制御に集中していたため、友希も『束ね』もお互いのこと以外を気にかける余裕はなかった。
早朝ということもあって、見舞いの人間もいなかったはずだが……気が付くと、間違ってもスピリットの館に顔を出すべきではない、やんごとない方――ぶっちゃけて言うとレスティーナ女王陛下が椅子に座って佇んでいた。
「へ、陛下!?」
慌てて居住まいを正し、友希は正座する。
居住まいを正して正座になる辺り、まだまだ日本人としての常識が残っているようだった。
「そうかしこまらなくても結構です。公式の場というわけでもないので、気楽にしていただいて構いませんよ」
「は、はあ」
そう言われても、友希は困る。
なんというか、レスティーナは目上の人ということもあるが、友希にとっては憧れの人なのだ。
色恋云々といった話ではもちろんない。人を治めるものとしてのカリスマ、スピリットの開放やエーテル技術の廃止などの理想とそれを実現する強靭な意志、目的のために正しい道を選択できる知性、それでいて人道からは決して外れない高潔さ。
永遠神剣などというチートじみた道具で祭り上げられた勇者とは違う、本物の英雄。
尊敬しているし、彼女の目指す国の力添えをしたいとも思う。
……だから、こんなに近くに来られると、どうにも困る。
「ええと、すみません。なんのおもてなしもせず。あ、今お茶を……」
「お気になさらず。まだ本調子ではないのでしょう? それに、そう長居をするつもりもありませんから」
「そ、そうですか?」
こうなると、未だ寝息を立てている悠人が憎らしい。普段から隊長としてレスティーナとは話しているはずだから、起きていれば間を取り持ってくれたはずなのに。
「あの、今後の戦略の話、ですよね」
「いえ、そちらは城で、トキミ殿を交えてお話をしたいと思います。今回私が来たのは別件です。……こちらを」
そ、と手で包める程度の小箱を渡される。
「? なんですか、これ。勲章……とかじゃないですよね」
大きな戦果を上げた者に下賜される勲章ならば、渡す際にもそれなりの式典を挟む。女王が個人的に持ってくるものではない。
「サーギオスのエトランジェの部屋から回収された、彼の私物です。当初はカオリに渡そうと思いましたが、これは元々貴方のものだと言われましたので」
「それって……」
微かに震える手で、友希は箱を開ける。
柔らかい布に包まれて、かつて友希が瞬に押し付けた小さな玩具が入っていた。
見た目はボロだが、丁寧に手入れされていたらしく、まだまだ使えそうだった。
「好奇心で聞くのですが、それはなんなのでしょうか?」
「……ヨーヨー、って言って、僕らの世界の玩具ですよ。僕が子供の頃流行ってて、瞬の奴と、佳織ちゃんに見せるため色々遊んでました」
中学に上がった頃にはブームも過ぎており、周りでやる人間は一人もいなくなったが、瞬だけは佳織と楽しく遊んだ玩具をいつまでも練習していた。
その練習に付き合わされた当時は辟易としていたが、あそこまで正気をなくしていても、ちゃんと大事にしていたらしい。
涙が出そうになるが、こらえる。
あの男のことだ。佳織以外の人間に泣かれても、鬱陶しいと思うだけだろう。だったら、せめて死んだあいつに馬鹿にされない程度には繕いたい。
「……ありがとうございます」
「いえ。戦利品として私の元に届いたものですが、実際に戦ったのはあなた方なのですから」
「それでも、ありがとうございます」
はい、とレスティーナが頷く。
「……でも、やっぱりこれは佳織ちゃんが持っていた方がいいと思います。確かに元々は僕のでしたけど……瞬のやつなら、佳織ちゃんに持ってて欲しいと思うだろうし」
瞬からの形見は、もう受け取っている。
『世界』を砕いた時、瞬の思いも僅かながら流れ込んできている。その思いの欠片で十分だ。
「そうですか。……それでは、それはトモキからカオリに渡してあげてください」
「はい」
レスティーナが立ち上がる。
「……トキミ殿の話によると、ユートはもうしばらくは目覚めないそうです。そして、トキミ殿はユートが目覚める前に話があると仰っていました。……会議程度には、もう出席できますね?」
「はい」
時深がやけに断定的に話しているのが気になるが、今更気にしても仕方がない。
「昼の鐘の鳴る頃、城の会議室に。サーギオスに現れたという新たな脅威への対策を練ります」
「了解!」
来る戦い。
戦意を漲らせ、友希は敬礼で持って返した。
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