ラキオス王国がサーギオス帝国に宣戦布告する日は着々と迫っている。
 しかし、そのために必要な準備は、今日明日中に終わるようなものではない。

 何故か、この絶好の機会に、サーギオス帝国側からは不気味なほどアクションがなく……
 訓練や任務はあるものの、ラキオススピリット隊は束の間の休息を過ごしていた。





「ふう……」

 夜勤明け。
 まだ日が昇り始めた時間帯に第二宿舎に帰還した友希は、まだ寝ているであろうみんなを起こさないよう、こっそりと台所から出てくる。

「セリア。おまたせ」
「お疲れ様」

 テーブルで待っていたセリアの前にティーカップを置き、つい先程自分で淹れたハーブティーを注ぐ。
 嗜好品というより、薬に近いお茶で、疲れた体を癒やし眠りを深くしてくれるものだった。

「このくらい、わたしがやるのに」
「いやあ、結構お茶とか淹れるの好きなんだよ」

 友希はそう言って笑う。
 これは、ラキオスに来てから覚えた趣味だ。ゼフィと過ごしていたサルドバルトの日々で、彼女の菜園から摘んだ葉で淹れたお茶の味が忘れられず、こうしてちょこちょこと試してみている。
 どう考えてもこちらの葉の方が質がいいはずなのだが、中々あの頃の味に追いつけない。……それでも、最近は少しは納得できる味になっている。

 できれば、庭の一角を借りて自分で葉を育ててみたいのだが、副隊長という役職を持った友希にそこまでの余裕はない。戦争が終わり、余裕ができれば試してみたいと考えていた。

「ん、美味い」

 ともあれ、今は目の前のお茶を飲むことにする。
 一口含むと、草っぽい苦さが感じられるが、慣れるとこれが中々悪くない味なのだ。

「ネリー辺りは苦手だけどね。かなり苦いもの。わたしも昔は嫌いだったのだけど、いつからだったかしら。美味しく飲めるようになったのは」
「ああ、僕も、珈琲をブラックで飲めるようになったのは高校に入ってからだっけ」
「こーひー?」
「地球の……ハイペリアの飲み物。ノロスィーとそっくりなやつだよ」

 ノロスィーはファンタズマゴリアのお茶の一種である。地球の珈琲より後味が爽やかだが、その分苦味が鋭く感じられて、今飲んでいるお茶同様、子供には不評な飲み物だった。地球のものと同様カフェインでも入っているのか、覚醒効果があるために今回はチョイスしなかった。

「へえ。……ん、ハリオン、蜂蜜多めに入れたわね。甘い」

 ハリオンが『いつでもどうぞ』とテーブルに置いてある焼き菓子を一つ口に運び、セリアが口元を綻ばせる。

「どれどれ……ああ、うん。相変わらず美味しい」
「まったく、どこからお菓子の材料を買う費用を捻出しているんだか」

 それについては、友希も常々疑問に思っていたところだ。
 ある程度の現金を動かせる立場と言うと、真っ先に悠人が思い浮かぶが、彼も心当たりはないらしい。

 以前、ハリオンは『秘密のスポンサーがいる』などと話していた。最初は、知り合いの人間から貰っているものだと思っていたが、こうまで定期的に資金を渡すのは考えづらい。そもそも、そんな真似をしたら、スピリットを買収しようとしている(無駄なことだが)のではないかと、あらぬ疑いをかけられかねない。

 そんなリスクを負ってまでスポンサーになる人間がそうそういるとは思えない。
 ――そう考えると、ハリオンに現金を融通できる相手は極々限られてくる。

「……いや、まさかなぁ」
「? トモキ様。どうかした?」
「なんでもない」

 スピリットと関わりがあり、ハリオンにお金を渡しても問題がない人間、というと、とある高貴なお顔が頭に浮かぶが、いくらなんでもそれはないだろう。
 そもそも、友希もそんなに話したことが多いわけではないが、あの凛とした雰囲気の女王陛下が、お菓子作りのための小遣いを渡すところなど想像もつかない。

 そう考えている友希が、そんな甘っちょろい憧れを木っ端微塵に粉砕されるのは、戦後を待つ必要があった。

 閑話休題。

「さて、と。トモキ様? お風呂、お先にどうぞ」
「いや。僕は後でいいよ。お茶、二杯目淹れるから」

 ラキオスの第一宿舎と第二宿舎は、建築家が趣味に走ったため、スピリットの館としては例外的に非常に贅沢な作りになっている。
 住んでいる全員が同時に入ってもなお余裕のある大浴場などは、その筆頭たるものだ。

 疲れも取れるし、士気も上がることもあり、任務明けの入浴は奨励されていた。
 なお、奨励されるまでもなく、スピリットは基本的に風呂好きな面々ばかりだったので、時間に余裕があればみんな必ず入っている。

「そう? じゃあ、お先にいただくわ」
「ああ。ごゆっくり」

 残りのお茶を飲み干し、立ち上がったセリアを友希は見送る。

 スピリットは女性しかいないため、男湯、女湯に分かれていたりはしない。こうして時間帯で分けざるを得なかった。
 広い湯船に一人で浸かるのはどうにも寂しい気もするが、まさか一緒に入るわけにもいかない。前に性別を全然意識していないネリーとシアーが一緒に入ろうとしたことがあったが、セリアにキツく締められて二度と言わなくなった。

 なお、その時のネリーの『オルファはユートさまと一緒に入ったのに〜』という反論は第二宿舎に激震を走らせ、一時悠人に対する信頼が揺らいだりしたのだが、今となっては微笑ましい思い出である。

「今度、碧でも誘ってみるか」
『そんなことより、主。覗きには行かないんですか、覗きには』

 さて、またこのネタ剣がなにか言い出したぞ、と友希は心の警戒レベルを上げる。

『……いきなり、なんの話だ』
『早朝、誰も起きていない時間。お風呂に絶世の美女が一人。これはどう考えても覗きに行くシチュでしょう』
『あのさ……お前、一応女性人格だよな?』

 永遠神剣に性別の概念はないが、一応『束ね』的には自分が女であるという意識だった。

『それがなにか? そんなことより、ゴーゴーです。あ、脱衣所で下着を青少年らしい好奇心で手に取ってみるというのも悪くはないですね』

 この剣は、主に変態の烙印を押させたいのだろうか。ただのノリと勢いで発言しているような気もする。

『あのさ。セリアは『熱病』を風呂にも勿論持ち込んでるよな』
『でしょうね』
『……斬り捨てられるぞ、間違いなく』

 ブルースピリットとして、高水準の攻撃能力を持つセリアのことである。
 神剣一つあれば不埒な男一人を斬って捨てることなど、赤子の手を捻るようなものだ。

 友希は、その瞬間を想像して、ブルリと震えた。

『この国でも五指に入る使い手が、情けない。昔ならいざ知らず、今ならセリアの剣撃でも充分防げるでしょう?』
『神剣の位だけで入ったランキングだろ……。大体、んなことは関係なく、そういう状況で僕は自分が抵抗できるとは思えない』

 ファンタズマゴリアに来て、自分でも随分変わったと思うが、ゼフィと恋人となるまでは女性に対する経験値はゼロだった友希である。
 覗きなどする勇気はないし、仮にやったとして、バレた場合、開き直ったりすることは不可能だ。

『うーん、私が読んだ物語では、こういう場合は覗きに行くのが定番だったんですが……』
『お前が見てきた物語は、物凄く偏ってると思うぞ』
『失敬な。これでも選り好みはしない方です。色々読んでいますが、その手のが単に私の好みに合致していただけで』

 本格的に駄目だコイツ、と友希は自分の神剣の趣味にいよいよ見切りをつけ始める。

『はいはい、お茶淹れるんだから黙ってろ』
『ちぇっ、主は固いですねえ。もう少し、欲望全開にしても罰は当たりませんよ』
『いや、当たるだろ……碧を見ろ、碧を』

 日頃、年少組にちょっかいをかけては罰(電撃)が当たっている光陰のことを指摘されて、『束ね』も流石に言葉に詰まる。

『……そうだ。岬の前にお前を置いてやろうか。さっきまでのやりとりを伝えて』
『い、いやだなあ、主。まさか私が本気でそんなことをそそのかすとでも思いましたか? 冗談ですよ、冗談』

 あのハリセンや雷の矛先が自分に来ることを考えると、流石の第五位永遠神剣も尻込みしてしまう。
 焦りの感情を濃くして、『束ね』はあっさりと白旗を上げた。

 友希はふう、と虚しい勝利を噛み締めて、二杯目の茶を淹れるため、再び台所に立つのだった。



























 それは、たまたま非番の時間が重なった悠人と共に、アセリアの指導の元、軽く自主訓練をしていた時の話であった。

「なあ、友希」
「んー? どうした、悠人」

 休憩中。水筒の水を半分ほど飲み干して、アセリアにその水筒を渡しながら、友希は悠人に顔を向ける。

「いや、あれヘリオンじゃないか?」

 言われてそっちを見てみると、柱の影に隠れて姿は見えないものの、黒髪のツインテールの片方がひょっこりと姿を見せていた。
 剣術の訓練のため、永遠神剣を手放していたため気付かなかったが、壁に立てかけた『束ね』を通じて探ってみると、確かにヘリオンの神剣『失望』の気配がする。

「おーい、ヘリオン! そんなとこでなにしてんだー?」
「ひゃぅ!?」

 悠人が声をかけると、余程驚いたのかビクリとツインテールが跳ねる。
 しばらくそのまま佇んでいたが、やがて観念したかのように小柄なブラックスピリットが姿を表した。

「き、気付いてたんですか、ユートさま」
「いや、気付いたのはついさっきだけどな。どうした? 訓練なら、混ざっていけばいいのに」
「あ、いえ! そうではなく。その……あ、まずはこれをどうぞ!」

 と、ヘリオンは持っていたタオルを悠人に差し出す。

「おう、サンキュ。丁度汗を拭きたいところだったんだよ」
「そそ、そうですか! あ、お拭きします!」

 タオルを取ろうとした悠人の手は空振りし、ヘリオンが持ち前の素早さで彼に取り付いてその肌の汗を直接拭った。
 予想外の行動に悠人は少し慌てるが、ヘリオンにされるがままとなる。

「あー、そんなことまでしなくていいのに」
「いえ! このくらいなんてことありません!」
「そうか? あ、でも友希も汗だくだから」

 ちらっ、と悠人が友希に視線を向けるが、友希は自前のタオルがあるため手を振って断った。

「さて、と」

 まあ、ヘリオンの必死なアピールには見ていて頭が下がるが、友希としては何故今なのだ、と思わざるをえない。
 隣で、友希と悠人にラキオス流剣術を叩き込んでくれたアセリアがいるのだ。なお、こちらは男二人を相手にして、汗一つかいていない。

「なあ、アセリア」
「ん、なんだ?」

 相変わらず、平坦で感情を感じさせない声――というわけでは、断じてない。
 一緒に地球で戦った仲間として、友希もおぼろげながらアセリアの言動にどのような感情が込められているか、察することが出来るようになっていた。

 ……いや、これは付き合いが浅い者でも、割と簡単にわかるかもしれない。

 『面白くない』と、顔に書いてあった。

「そ、そう目くじらを立てんなよ。その、ヘリオンはな……」
「ヘリオンが、どうかしたか」

 言葉ではそう返しながらも、アセリアの目は悠人とヘリオンの二人に釘付けである。悠人の方は、この視線に一向に気付く気配がない。
 鈍感にも程がある。友希は針の筵に座らされた気分だった。

「その……ヘリオンは悠人を慕っているんだよ」
「そうか」
「うん、そうなんだ。でも、残念だけど、悠人の方は、ありゃ妹かなにかにしか思ってないな。だから、あのくらい許してやってくれないか」

 ヘリオンの頑張りを知る身として、友希は彼女寄りの発言をせざるを得ない。

 今回だって、ヘリオンはせっかくの休みに悠人を探しまわり、訓練しているのを見て慌ててタオルを取ってきたのだ。アセリアがいたので隠れてしまったが、声をかけられてテンパって出て来てしまった。
 ――なんて、見ていたわけではなかったが、友希にはそんな様子が容易に想像できる。

「……許すもなにも、わたしは別に怒ってない」
「そっか。それならいいんだけど」

 地球から帰ってきた後から、悠人とアセリアの間の空気は明確に変わった。
 なにが、というわけでもないが、二人は付き合い始めたんだろうなあ、とはなんとなく友希も他のスピリットたちも察している。
 無論のこと、ヘリオンも。

 そのことに気付いた翌日の朝は、ヘリオンは目を真っ赤にしていたが、ニムントールでさえそのことをからかったりはしなかった。

 既に望みがないことは、ヘリオンもわかっている。
 だから、別に横恋慕というわけではないが……単に、少しでも側にいたいがため、ヘリオンはこうして行動していた。

 そんなヘリオンの気持ちに思い当たったのか、それとも友希の説得に折れたのか。
 アセリアはしばらく考え込んだ後、思いの外さっぱりした顔となり、そして言った。

「ん、ユートは中々モテる」
「……アセリアがそういうこと言うとは思わなかったな」
「わたしも、ちょっとびっくりしてる」

 彼女との初対面は、確かイースペリアで斬りかかられた時だった。
 その後、ラキオスに合流してからも、彼女はラキオスには珍しく『らしい』スピリットだと思っていたのだが、時間が経つにつれめっきりその印象もなくなっていた。

 ヘリオンに軽く嫉妬したり、自分の男を自慢したりするところは、もう立派な娘さんだ。

 やはり、悠人には敵わないな、と思う。アセリアがこんなに変わったのは、間違いなく悠人の影響だろう。友希では、逆立ちしたってこんなことはできない。

「ゆゆ、ユートさま! わたし、お菓子も作ったんです。よければどうぞ!」

 ヘリオンが、持ってきていたバスケットを開けると、甘い匂いがいっぱいに広がる。

「お、ワッフル……じゃなかった、ヨフアルか。これウマいよな」
「ユートさまは、ヨフアルがお好きでしたか!」
「うん、町に出た時、ヨフアル好きの女の子に会ってさ。奢ってもらったんだよ。あれは本当、美味しかった」

 なにをやっているんだろうか、このスピリット隊隊長は。
 まさか伝説の勇者の再来だとか言う名声にかこつけて女の子を引っ掛けた……などとは思わないが、少々脇が甘すぎではないだろうか。
 ほら、アセリアの前でそんなことを言う辺りとか。

「……アセリア、落ち着け」
「わたしは落ち着いている」

 アセリアもアセリアで、初めて手に入れた感情を持て余し気味のような気がする。
 友希は、アセリアが暴発しないよう、必死で宥めることとなった。









「悠人……貸し一つだからな」
「? なんの話だ」
「わかってねぇ!?」




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