大陸中に緊張した空気が流れている。
マロリガン共和国をも討ち果たし、領土だけなら大陸一となったラキオス王国。
建国時から他国を寄せ付けない国力を誇り、覇を唱え続けた神聖サーギオス帝国。
ある種の聖域となっているソーン・リーム中立自治区を除くと、この大陸には最早この二国しかない。
そして、二つの大国の決戦は、もういつ始まってもおかしくない状況だった。
この大陸の歴史上、前例がないほどの規模の戦いになるのは間違いない。そのことを察して、国境に近い街からは自主的に疎開を始める者がいたし、商人達はこの未曾有の動乱の中でいかに儲けるかと頭を働かせていた。
「……しかし、まだ戦は始まらない、か。疲弊しているウチを攻めこまないのは、向こうの余裕なのか、それとも情報部が掴めていないだけで、帝国にも動けない理由があるのか」
「さぁな。でも、秋月のことだ。気まぐれってことも考えられるぜ」
「そうか。あちらのエトランジェとは、顔見知りだったな」
「ああ」
と、今の状況を話し合っているのは、訓練士イスガルドと、新しくラキオススピリット隊に参入した光陰だった。
光陰はマロリガンでは稲妻部隊に訓練をつけていた。その実績を買われ、ラキオスでも訓練士の補助を行っている。
「マロリガン流をウチのスピリットに仕込めないのがな……。何人かは、そっちの方が向いているんだが」
「まあ、それは仕方ないだろ。今更別の戦い方を教えても、中途半端になるしな」
「ふむ……」
スピリットの操る剣術は体系だったものではないが、国ごとに特色がある。
神剣の形にもよるので、一概には言えないが、例えばラキオスの剣の思想は『最善のタイミングに最高のスピードで最大のエネルギーを叩き付ける』となっている。
一方、イスガルドの母国であるサルドバルトにおける剣理は『一つの攻撃に、己の全てをぶつける』ことが基本だ。その極北が、スピリットにして一撃で城壁をも粉砕するゼフィであった。
「しかし、やはり永遠神剣の力を開放すると、エトランジェの力が抜きん出てるな……」
今は、神剣の力ありでの実戦形式の模擬戦だった。
訓練場はそれなりの広さを誇っているが、力を開放したスピリットたちの模擬戦となると、二面取るのが精一杯。
その内の一つ。今日子とファーレーンが対戦している所に目をやって、イスガルドは嘆息した。
ファーレーンはラキオスの中でもトップクラスの実力を持つ。そのファーレーンが、今日子を相手にすると防戦一方だった。
技量についてはファーレーンが圧倒しているが、スピードが桁違いなのだ。ブラックスピリットのファーレーンは、速度に特に秀でている。それでも、今日子に追いすがることもできない。
「ユートも、コーイン、お前も。流石は伝説の勇者だな」
「御剣の名前は出さないのかい?」
光陰は、もう片方の試合場でエスペリアと模擬戦をしている友希の名前を出した。
「強いには強いが、個人戦ならばお前らと比べられるものじゃないだろう」
隊でも最も古株であるエスペリアを相手に互角かそれ以上の闘いを繰り広げている以上、スピリットとすれば最上位の実力と言っていい。しかし、天災かなにかと見紛うような四神剣の勇者達と比べると、どうしても一歩も二歩も劣る。
「個人戦なら、ね」
「ああ。あいつの本当の強さは、数人から十人程度の小規模の部隊を率いてこそ発揮される」
事実。一対一の模擬戦ならば、光陰は友希に全勝しているが、これが小隊を率いての模擬戦となると勝率は半分程度だ。
味方スピリットには顕著な差がないし、光陰の指揮能力も非常に高い。にも関わらず、この結果となるということは、やはり彼の真価は味方あってのものなのだろう。
「特に、第二宿舎の面子と一緒の場合の戦力は目を見張るものがある。エトランジェ以外の相手なら、多少の数の差もものともしないだろう」
「まぁ、そうだな」
光陰も、ランサ攻略戦で何度も苦汁を舐めさせられた。四神剣に比べると地味に見える能力だが、敵対すると実にやりにくい。光陰ならば容易に蹴散らせるはずのスピリットたちが、一つの生き物のように連携して、侮りがたい強さを発揮する。
「さて、こっちはエトランジェが四人、対して帝国は一人。……イスガルドさん、アンタは勝率はどの程度だと思う?」
「三:七でウチが不利だな」
「やっぱそんなもんか」
とにかく、戦争に回せるスピリットが少ない。この世界において、戦力はイコールスピリットの数と練度だ。
急速に拡大した領土の安堵のため、ラキオスは各都市には一定数のスピリットを配置せざるを得ない。対して、常時戦時中と変わらない規模のエーテルを軍部に回しているサーギオス帝国は、スピリットの数と精強さにおいては他国の追随を許さず、おまけにサーギオスを囲うように建築されている法皇の壁と秩序の壁は難攻不落だ。
エトランジェの差で、どれだけそれを覆すことが出来るか。
……せめて、もっと開戦時期を遅らせられれば状況はマシになるのだが、好戦的な感情がラキオス王国中に蔓延していて、それも難しい。下手にここまで連戦連勝で来たため、今更ストップできないのだ。
「……ま、作戦なら、女王様たちが考えてくれるだろ。俺らは全力を尽くすだけさ」
「ああ。ほら、コーイン。お前の番だ」
ファーレーンに手痛いカウンターの一撃をもらったものの、勝ちを拾った今日子がガッツポーズしながら試合場から離れる。
その後に出て来たのは悠人だ。
彼が『求め』を全力で振るった場合、最早単独で相手を出来るのは光陰しかいない。
「やれやれ。俺だってあいつの相手はキツイんだけどなあ」
四神剣の争いにおいて『因果』と『空虚』は『求め』に屈した。
そのせいか、神剣は残ったものの、マロリガン時代に比べ『因果』の力は落ちている。
光陰の戦闘技術によりなんとか互角に持ち込んでいるが、最近は勝率が段々落ちている。
「それでこそ訓練だ。行け」
「へいへい。やりますかね、っと」
まあ、だからと言って、簡単に勝ちを譲る気は光陰には一切ないのだが。
軽口を叩きつつ、軽く『因果』の感触を確かめ、光陰は悠人と相対した。
「くっそ〜、今日は負けたか」
「ふっ。俺は地球にいた頃から修行を積んでたんだぜ。そうそう追いつかれてたまるかってんだ」
「いや、でもいい勝負だったよ。僕もお前らと戦えるくらい強かったらなあ」
模擬戦が終わり。
エトランジェ男子組三人は、そんな風に駄弁りながら第二宿舎への道を歩いていた。
他の訓練を終えたスピリットたちと今日子は、休憩がてら訓練所脇に設置されたベンチで談話に花を咲かせている。
女の子ばかりの姦しい会話に入っていく勇気はこの三人にはない。いや、正確には光陰は突撃しようとしたのだが、今日子のハリセンによって物理的に近付けなかった。
そうでなくても、女所帯のスピリット部隊。訓練や戦闘ならともかく、休憩の時にはこうして男だけで固まることは、意外と多かったりする。
「そう言えば光陰。そろそろラキオスの生活にも慣れたか?」
「ああ。飯は美味いし、スピリットは可愛い子揃いだし。マロリガンもいい国だったけど、ここも居心地いいぜ」
「速攻で慣れたよな。碧も、岬も」
今日子はあの快活な性格から、早々に第二宿舎の面子全員と仲良くなってたし、光陰は光陰で、年長組には実力、性格ともに信頼できる味方として頼りにされていた。
光陰に対する年少組の反応は……まあ、ウザがられてはいるが、嫌われているわけではない。きっと。
「……そうだ。碧、一応言っとこうと思ってたんだ」
「ん? どうした、御剣」
「なんだ、友希。光陰がなんかあったか」
「いや、悠人はちょっと……おい、碧、耳貸せ」
第二宿舎では、誰が聞いているかわからない。丁度良く、他のみんながいないことだし、友希は前々から懸念していたことを言っておくことにした。
悠人にもなるべく聞かれたくはないので、少し声を潜めて、
「……部屋に岬を連れ込むのはいいけど、バレないようにしろよ」
「ぅげっ」
流石の光陰も、呻き声を上げる。
毎晩、というわけではないが、三日に一度くらいの頻度で今日子は光陰の部屋に行っている。
なにをしているのかはお察しだ。まあ、二人は恋人同士だし、ファンタズマゴリアには娯楽も少ないし、友希は行為自体を咎めるつもりはない。……しかし、まだまだ子供も多い第二宿舎のこと。あまり教育に悪いことをおおっぴらにはして欲しくないのだ。
「お、おい。気付いてたのか。部屋の音は『因果』で打ち消してたのに」
「お前……そんなことに神剣の力を」
呆れ果てるが、友希が二人のことに気付いたのもまさに永遠神剣のせいだ。
スピリット隊の嗜みとして、基本的に永遠神剣は手元から手放さない。光陰の部屋に行くときも、今日子は『空虚』を持ち込んでおり、
味方の神剣の気配には殊更敏感な『束ね』の感知能力のお陰で、友希は別に知りたくもないのに知ってしまったのだった。
「他のみんなも知ってるのか?」
「さあ……。でも、セリアとかハリオン辺りは気付いてるかも」
セリアは色々と敏感だし、ハリオンはもう、なんか隠し事が出来る気がしない。
「おいおい、なにか問題か?」
「いや、なんでもない! 悠人は気にするな」
「そうそう。第二宿舎での、ちょっとした話だよ」
そう言って誤魔化す。悠人は首をひねりながらも『そうか?』と深くは突っ込まなかった。
光陰は内心胸を撫で下ろす。いつかは悠人に話すべきことだと思うが、今の状況ではいささか遠慮したかった。
「あー、っと。そうだ。光陰、友希。これから時間ってあるか?」
「ん? 午後からは待機の予定だし、俺は問題ないぞ」
「僕もだ。まあ、夜中から見張りのシフト入ってるから、少しは仮眠したいけど」
なんだ? と聞いてみると、悠人は頬をかく。
「いや、今ラキオスに義勇兵が集まってるってのは聞いてるだろ」
「ああ。人間兵な」
レスティーナのカリスマに惹かれて、大陸を変えようと集まった若者たちだった。
この大陸では、直接戦闘には人間の出番はないが、兵站構築や都市の占領、前線と後方の連絡に防衛施設の建築と、人手はあるに越したことはない。
しかし、護衛のスピリットが配置されるとは言え、敵スピリットに補足されれば死傷率は非常に高いので、人気のない職業であった。
自発的に義勇兵として集まるなど、以前では考えられなかったことだ。
「それで、レスティーナから、折を見て激励してやってくれって頼まれてるんだよ」
「ああ、なるほどなあ。神剣の勇者からのオコトバがあれば、士気も上がるってか。でも、それなら俺は遠慮した方がいいと思うぞ」
「……ああ、碧は、マロリガンのエトランジェで、大統領の懐刀だったもんな」
マロリガンとの戦争が終わった今、クェド・ギン大統領への評価は、マナ消失によりファンタズマゴリアを滅ぼそうとした狂った人物というものになってしまっている。
彼の意図がどうであれ、普通の人々にとってはそれが真実だ。
かつての彼の敷いた善政から、旧マロリガン国民には未だに慕っている人も少なくはないが、マロリガン以外の民にとっては憎むべき相手以外の何者でもない。
そして、光陰がマロリガンのエトランジェであり、クェド・ギンの命令に従って戦っていたことは今や広く知られている。
「悠人。そんなわけで、俺はあんまり歓迎されないと思うぞ」
「そ、そうだった……」
悠人は頭を抱える。
「いや……でも、大勢の前で激励とか、その、困っててさ。いてくれるだけでも助かるんだけど」
「おいおい……」
「悠人……」
隊長職もずいぶん板についてきたというのに、こういうところは慣れていないらしい。
「まあ、戦いで下したエトランジェを従える『求め』のユート、って感じでイケるか。やれやれ、石投げられたりしないだろうな」
「う……悪い、光陰」
「気にすんなって。敗軍の将なんざそんなもんさ」
そんな軽い調子で光陰は笑い、三人は義勇兵が駐屯している郊外の仮設陣地に向かう。
なお、この時、彼らはロティという名の義勇兵と知り合った。
マロリガン出身で、訓練では際立った動きをしていた彼は、後のラキオスで極めて重要な役職を担うことになるのだが――それは幾らかの年月を経た後の話である。
――時は少し遡り、ラキオスとマロリガンの戦争直後。
玉座の間に連れて来られた佳織は、喜色満面の瞬の様子に、言いようのない不安を抱いていた。
「あの……秋月先輩。一体、なんの御用でしょうか」
側に控えているウルカの後ろに隠れてしまいたい衝動を必死で抑えながら、佳織は真っ直ぐに瞬を見る。
彼は――今は、『誓い』の割合が、多い。
なるべく瞬と向き合おう。そう思って行動した佳織は、今やそのようなことまで判断出来るようになっていた。マナの力を感知出来るわけではないが、視線や態度、口振りからおおよそ判断できる。
「ああ、佳織。嬉しい知らせがあるんだ。ラキオスとマロリガンの戦争が終わったという情報が少し前に入ってね」
「ええ!?」
佳織にとっては寝耳に水の話である。
つい先日、ウルカからラキオスがマナ障壁を突破したという知らせを受けたばかりだ。そこから、順当に行けば一月、二月――あるいは年単位の時間がかかると見られていた戦争が、僅か一週間も経たずに終結するとは。
思いがけない言葉に、佳織は一瞬呆けるが、すぐに我に返る。
「――! それで、お兄ちゃんは!? 今日ちゃんに碧先輩に、御剣先輩は!?」
「ああ、落ち着いておくれ、佳織。実は、僕もラキオスが勝ったとしかまだ聞いていないんだ。『因果』に『空虚』が、どんな無様な最期を迎えたのか……それは、佳織と一緒に聞こうと思ってね。ほら、今来たのが、その知らせを持っている奴さ」
ラキオスが勝った。と、言うことは、恐らく悠人は生きている。
そのことに、一瞬安堵しかけた自分を嫌悪し、佳織は瞬の指差す方を見る。確かに、報告書らしき書簡を抱えた兵が一人、玉座の間に入ってくるところだった。
無闇に長い真紅の絨毯をその使者が歩いて来る間、瞬はぽつりと付け加える。
「……ああ、そうそう。先に言っておくと、友希の奴は生き残ったらしいよ。まったく、しぶといやつだ」
「――――!」
佳織は慌てて彼の顔を見た。
相変わらず傲岸不遜に笑っている瞬だが、その表情に僅かな安堵が混じっているように見えるのは、佳織の思い込みだろうか?
でも、それでも、確かに――友希のことを口にした瞬は、『誓い』の割合が少ない。悠人達の生死はまだわからないのに、友希のことだけは事前に知っているのは、やはり別口で調べさせていたからだろう。
『秋月先輩』、とそう声をかけそうになる佳織だが、口を開きかけたまま、動きを止めてしまう。
先ほどまでの瞬は、やはりは佳織の願望が混じっていたから見えた幻だったのだろうか。
すぐに、瞬はすぐに表情を凶相にさせ、やって来た兵を急かす。
「さあ! 早く聞かせろ! 『因果』と『空虚』はどうなった!? 悠人が、『求め』が、あの連中を殺したのか!? それとも、スピリット共に嬲り殺しにさせたか!?」
「はっ、申し上げます! マロリガンのエトランジェ、『因果』のコーイン、『空虚』のキョウコ、ともに生き残りラキオスに合流! マロリガンも、予想程の混乱はなくラキオスに吸収される見込みであり――しめて四人のエトランジェを擁することとなったラキオス王国については、今後はより一層の警戒が必要とされると……の、こと……」
報告者は、あくまで諜報部が調べた内容や作戦部の分析内容を報告するだけの人物だ。
瞬に直接言上できる彼は、城の中でも比較的高い地位にあるが……しかし、今はそのことに後悔しかない。
報告が進むごとに、瞬の眉が釣り上がり、最後の方では、彼の傍らの『誓い』が赤く禍々しい光を立ち上らせ、周囲に激怒の感情を撒き散らし始めた。
当然、報告者たる彼に向けられる視線は、それだけで射殺されそうな怒気を帯びている。
「い、以上であります! 失礼いたします!」
逃げるようにその場を後にする報告者の男を一顧だにすることもなく、瞬は苛立ちから拳を振り上げ、玉座の肘掛けに叩きつける。
エトランジェの身体能力に、当代一の職人が作り上げたとはいえ、ただの椅子が抵抗できるはずもなく、肘掛けは完膚なきまでに粉砕された。
「生き、残った……だと? なんでだよ。おかしいじゃないか」
顔を抑え、ブツブツと誰に言うでもなく言葉を紡ぐ瞬。玉座の間に集った家臣達は、目をつけられないよう必死で頭を下げている。
この状態の瞬に見咎められたら最期、その瞬間ハイペリアへと旅立つことになる。
「あいつらは戦争をしていたのに! なんで全員生き残っているんだよ!? これじゃあ、佳織の目を覚まさせて上げられないじゃないか!」
「秋月先輩!」
たまりかね、佳織は大声を張り上げた。
回りの人間が、信じられないようなものを見る目で佳織を見るが、しかし佳織は触れたら弾けそうな瞬に対して、真っ向から視線をぶつける。
佳織も、瞬が絶対に自分を傷つけない、などと信じているわけではない。以前、瞬に肩を握り潰されそうになった感触は生々しく残っている。
しかし、ただ言わせたままではいられない。大切な兄や、その友人たちのためにも。それに、地球にいた頃からどうしても好きにはなれなかったが――それでも、幼馴染の瞬が神剣に蝕まれているのを座視することは、佳織にはできなかった。
「ああ、なんだい、佳織。ごめんね、どうにも手違いがあったみたいで、まだ『求め』以外の連中も生き残っているみたいなんだ。でも安心しておくれ。これはきっと、僕のこの手で連中を断罪してやれと、運命が言っているんだよ」
「……秋月先輩。そんなこと言わないでください。わたし、みんなが生き残っていて、とても嬉しいって思っています」
「ああ、佳織は本当に優しい。でも、その優しさはあんな奴らに向けてやる必要なんかない。僕だけに向けていれば、それでいいんだ」
大切に思ってくれていることは嬉しいが、言っている内容は到底受け入れられない。
それでも、自分の名前を呼ぶ時だけは、瞬は『誓い』の支配から少し抜けているように見える。
佳織は必死で頭を働かせる。地球にいた頃から、もっとこの人のことを知ろうとしていれば、と思うが、どういう言葉を言えば伝わるのか、皆目検討がつかない。
そういう意味だと、短い間だったが、友希の瞬への接し方は絶妙と言う他なかった。佳織は、友希が瞬と話すたび、いつ瞬が激怒するかと戦々恐々としていたが、最後の時まで決して一線は越えていなかった。
「……ごめんなさい、秋月先輩。先輩が、わたしを助けたいって思ってくれていることは本当だと思います。けれど、やっぱりわたしは、お兄ちゃんと秋月先輩に戦争なんてして欲しくありません」
「佳織、でもね……」
『誓い』が苛立つのを感じる。永遠神剣を持たない佳織だが、これだけ明確な敵意を向けられば、わかるというものだ。
気圧されそうになる自分を叱咤して、佳織は瞬の言葉を待たずに続けて言った。
「それに、秋月先輩だって、ラキオスと……ううん、御剣先輩と戦いたくなんてないんでしょう?」
なにかを言いかけた瞬が、佳織の言葉に一瞬だけ口を止める。
「なにを言っているのかな、佳織。僕が、友希のやつと戦いたくない、だなんて。……まあ、あいつの神剣なんて砕いたって、大した力にならないから、そういう意味では戦うのは面倒かな」
「そうですか」
「……佳織。もしかして、僕の言うことを信じていないんじゃないかい?」
だって、と佳織は思う。
友希の神剣は五位。四神剣に比べれば落ちるが、それでもスピリットの剣よりはずっと強い力を持つと、佳織はウルカから聞いて知っていた。
力を強めることに貪欲な瞬が、見逃すには大きい力のはずだ。
「……まぁ、いい。佳織がそこまで言うなら、少し開戦を遅らせよう。心の準備も要るだろうからね」
結局、瞬はそれ以上言葉を重ねることはなく、そう結論づけた。
佳織としては、イチかバチかの言葉だったが、届いた。今の瞬からここまでの譲歩を引き出せたのはすさまじい成果だと自分でも思う。
「エトランジェ殿。いくら彼女の言うこととはいえ、そう安易に判断されるのはいかがですかな」
「ふん、文句でもあるのか、ソーマ」
「いえいえ、文句など。ただ、できれば再考を、と進言しているまででして」
「それを文句と言うんだ。もう一度だけ聞いてやる。……僕が決めたことに、文句があるのか?」
しばらく瞬とソーマは睨み合ったが、やがてソーマが肩を竦めて頭を下げる。
ふん、と瞬は鼻を鳴らした。
「それに、ラキオスの連中は遅かれ早かれうちに攻めて来る。あの虫けらどもがどこまで足掻けるか、見てやるのも一興だ。今攻め込んだら、一瞬で終わるだろう? それはつまらない」
「そこまでの深謀遠慮とは。このソーマ、気付きませんで」
慇懃無礼なソーマの態度に瞬は舌打ちを一つし、玉座から立ち上がる。
「今日は解散だ。……じゃあね、佳織。僕は休むから、佳織も部屋に戻るといい」
最後にそれだけ声をかけて、瞬は去っていく。
腰に下げた『誓い』の不機嫌そうな波動に佳織は気圧されるが、視線だけは真っ直ぐに瞬の背中に向けていた。
「……カオリ殿」
「あ……ウルカさん、ごめんなさい」
完全に瞬の姿が消えた後。緊張の糸が切れて倒れそうになる佳織を、ウルカがそっと支えた。
「ねえ、ウルカさん。……戦争は、回避できないんですか」
「残念ながら」
ウルカは心苦しいながらも、佳織に聞かれては嘘はつけないと、簡潔に答える。
ラキオスの女王レスティーナの理想とサーギオス帝国はどうやっても相容れない。
それになにより、
「……手前らが、ラキオスの前国王を暗殺しましたゆえ」
そのため、ラキオス国民のサーギオスに対する感情は、率直に言って最悪だ。いかにレスティーナのカリスマを持ってしても、サーギオスとの開戦を止めることは不可能なほどに。
各国を併呑し、サーギオスに抗し得る力をつけた今ならば、国民の抑えもそう長くは続かないだろう。
「で、でも、それはウルカさん達が悪いんじゃ……」
佳織の擁護の言葉に、ウルカは曖昧に頷いて、彼女を部屋へと促す。
確かに、ラキオス王を暗殺したのは瞬の命令があったからだ。
しかし、自分たちが斬ったことは事実。それが、今や大陸中に影を落としている。あれがなければ、和平の道もか細いながらあったはずだ。
――最近、とみに、自分が斬ったことの意味を考えるようになったと、ウルカは思う。
それも、佳織のお陰だ。彼女の話を聞いていると、相手を殺せない欠陥品のスピリットである自分の剣にも、なにか価値があることができるのではないかと錯覚する。
「カオリ殿。カオリ殿が稼いた時間は、ラキオスにとって黄金よりも貴重な時間となるはずです」
「……はい」
その夜。ラキオスに向けて佳織が吹いた笛の音は、遅くまで響き続けた。
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