二週間。
 友希と悠人、そしてアセリアが地球からファンタズマゴリアに帰ってくると、それだけの時間が経っていた。

 その間、主力とも言える三人の抜けたラキオス軍は、当然のことながら苦戦を強いられたものの、見事最前線のランサの街を死守してのけた。

「本当、ゴメンな、セリア。キツかったんじゃないか?」

 と、そんな話を、ランサの砦の食堂で、たまたま食事時間が被ったセリアと向き合って、友希は話していた。

「それは勿論。でも、トモキ様達も大変だったと聞いているわ。それに、帝国軍の侵入を許したのは、わたし達みんなの責任よ」
「……ああ、まあ、それはそうかもしれないけど」

 タキオスやテムオリンと言った存在については、現在限られた者にしか伝わっていない。
 当事者三人を除けば、副隊長のエスペリアに、レスティーナ、ヨーティア。この六人の間でしか情報は共有されていなかった。

 あまりにも規格外すぎ、悪戯に広めるのは混乱の元と判断されたからだ。それとなく、帝国の極めて強力なスピリットが遊撃している、という建前で警戒を促すに留められている。

「とにかく。そんなことを気にする暇があったら、剣の一つも振っておきなさい。貴方、力は強くなったけど、技術はまだまだなんだから」
「それは、まあ……」

 マナを引き出さない純粋な剣術においては、悠人と熾烈な最下位争いを相変わらず続けている友希であった。
 地球に帰っていた影響を考慮され、見張りのシフトも比較的緩い今のうちに、少しでも鍛えておくのは悪くない。

「そういえば、今日この後はネリーとシアーも非番だったな。あいつらでも誘ってみるか」
「あの子たちねえ。自主練なんて、言って聞くかしら。まだ伸び盛りなんだから、やれば強くなるのに」

 任務としての訓練なら手を抜かないが、それ以外の時間にあの二人に真面目を求めるのは辛いものがある。
 ネリーとシアーの無軌道さに日々手を焼いているセリアは、はあ、と溜息をつく。

「ふ、そこは当方に秘策あり、だ」
「秘策? なによそれ」

 芝居がかった友希の様子に、セリアは苦笑して先を促す。

「ほら、地球から色々持ち帰ってきてたろ、僕。まあ、本が殆どだけど、ちょっとしたお菓子とかも持って来てるんだ」
「呆れた。そんなものまで持って来てたの」
「本は高くてさ……学生の身には辛い」

 実用書となると、それなりのお値段になる。
 貯金をはたいて本やその他の物資を買い込んで、更に悪いとは思いながらも近所の図書館から本を限界まで借りてきたが、それでも以前家族で海外旅行にいった時買い込んだバッグは容量が余っていた。
 余った小銭で、家にあったものを詰め込んできて、その中にお菓子とか小物とかもあったのだ。

「学生? そういえば、そんなこと言っていたわね」
「うん。……って、そういえば、こっちの学校ってどうなってるんだ?」
「わたしも詳しくはないけど、裕福な家庭の子供が通う学校はあるみたいよ。ああ、そうそう。スピリットの初等教育施設も、学校って言えば学校なのかしら」
「ふぅん」

 地球では、あまり学校の勉強は好きではなかったが、こう聞くと命の危険もなく、飢える心配もなく、学ぶことに集中できる環境というのは貴重だというのがわかる。

「平和になったら、ネリーとかシアー、オルファも学校に行ければいいな」
「どうかしらね……陛下のお考えは聞いたことがあるけど」

 レスティーナの掲げるエーテル技術の放棄とスピリットの開放。
 実現したら、この世界はどうなるのだろうか。想像もできない。

「トモキ副隊長」
「っと、はい?」

 食堂の入り口の方から声をかけられる。
 振り向いてみると、見覚えのあるブラックスピリットが、直立不動でまっすぐにこちらを見ていた。

「……ゼル」

 彼女は、サルドバルトのスピリットの生き残り。かつてゼフィを隊長としたサルドバルトスピリット隊第二分隊の最年少のメンバー。
 サルドバルトという国が崩壊してからはラキオス軍に組み込まれ、主にそのスピードを生かして後方支援として動いている。

 再会はしたものの、今も羽が黒いままの彼女にどう接していいかわからず、事務的な会話しかしたことがなかった。

「トモキ副隊長へ、城への出頭命令が下りました。至急、ヨーティア様の元へ向かうように、とのことです」
「あ、ああ了解。って、僕が抜けていいのか? 今、悠人もいない――」

 エトランジェのどちらかはランサに常駐するようになっている。が、それを遮るように大剣『求め』を携えた悠人が現れた。

「いや、俺は今帰ってきた。お疲れ、友希」
「お帰り。城の方はどうだった?」
「うん。マロリガンのマナ障壁をどうにかする算段はついたらしい。そのための装置が今こっちに向かってるとこだ。到着次第、攻撃に転じる」
「装置って、ヨーティアの?」
「ああ。なんか、普通のマナを抗マナ? にする装置だとかなんとか」

 脇で一緒に聞いていたセリアが、眉を顰める。

「ユート様……察するに、その情報は機密扱いではないでしょうか」
「え、あ。そ、それも、そうだな」

 セリアの険しい視線に晒され、悠人はキョドる。友希が話に聞いたところ、かつてはセリアにかなり厳しく接されて、今でも少し苦手なんだとか。
 流石戦友、その気持ちはよくわかると、友希は頷いたものである。

「……悠人、今はスピリットしかいないからいいけど、今度からは気をつけてくれよ。……みんな、今のこと副隊長権限で命令するけど、秘密ってことでよろしく」

 食堂にいるスピリットたちに釘を差しておく。それぞれから了解の意を返ってきて、ふう、と溜息を付く。
 スピリットの命令権に関しては、友希より上は悠人とレスティーナしかいないようになっている。これで、他の人間が聞き出そうとしても無理だった。

「まったく、気をつけてください」
「頼むぞ……」

 セリアと友希に言われ、悠人は頭を下げた。

「ゴメン、次はないようにするから。……で、その装置が届くのが、予定では三日後。エーテル技術の産物だけど、繊細な装置だからエーテルジャンプは使えないらしい。だから……そうだな、四日後には、マロリガンに反撃する」
「了解、準備しとく」

 そうすると、三日後までに主要メンバーがベストの状態に出来るようシフトを調整しないといけない。
 せめて前日は完全休養を……と、第二宿舎のメンバーのスケジュールを頭に描いていると、くいくい、と袖を引かれた。ゼルだ。

「あの、副隊長。命令が……」
「あ、そっか。……悪い、セリア。なんかヨーティアのとこに行かなきゃ行けないみたいだから、うちのみんなのシフトの調整、頼んでいいか」
「はい、了解」
「あー、そうだったな。お前が地球から持ち込んだやつが、丁度装置の説明が終わったくらいにラキオスに届いてさ。ヨーティア、半狂乱だったぞ」

 帰ってすぐに、ヨーティア宛に地球の書籍を送っておいたのだ。
 反応するとは思っていたが、半狂乱とは一体。なにやらとてつもなく嫌な予感がする。

「……こ、怖いな、それは」
「とりあえず、あっちは任せた。俺の手に負えそうにない。セリア、この後時間くれ。第一宿舎のみんなのシフトも一緒に考えないと」
「了解です。では早速」
「いや、俺飯食いにきたんだ。少し待ってくれ」

 友希もまだ半分くらいしか食べていないが、あまり待たせるとヨーティアに何を言われるかわかったものではない。

「はあ……。ゼル、連絡ありがと。行ってくる」

 ぽん、と労いにゼルの肩を叩いて、友希はランサのエーテルジャンプ装置に向けて走るのだった。























「おい、トモキ! お前、あの本はなんだ!? ハイペリアの技術書だな!? ユートじゃ埒があかん、とっとと説明しろ!」
「お、落ち着け、ヨーティア! まだ僕転送中だ!」

 上半身だけが転送された途端、目の前にヨーティアの姿が現れ、友希は後ずさる事もできず慌てる。
 今にも、エーテルジャンプ装置の中に入ってきそうな勢いのヨーティアを必死で押し留め、視線だけでエーテルジャンプの補助をしているイオに助けを求める。

「ヨーティア様、エーテルジャンプが失敗しますのでお戻りを」
「でもなぁ、イオ! お前、あれがどれだけ――」
「ヨー・テ・ィ・ア・様」

 今まで聞いたことがないほど声を冷たくしたイオに、ヨーティアは顔を引き攣らせ、それでも不本意な態度を崩そうともせずに後ろに下がった。
 ふう、と友希が安堵のため息をつく頃には転送も完了する。

「よし、エーテルジャンプ終わったな!? すぐに私の研究室に来い。お前、今日帰れると思うなよ!?」
「……うわー」

 一瞬、地球から本を持ち込んだことを後悔しそうになる。

「いやいや」

 そうではない、そうではないはずだ。持ち込んできた技術書には、銃の構造を詳細に解説しているものもある。もし量産にこぎつければ、普通の人間でもスピリットに対抗できるようになり、ぐっと戦況は楽に、

「ええい、まだるっこしい! おい、トモキ! お前、私を抱えて走れ。本気でな」
「ヨーティア、そんなことしたらお前潰れるぞ」

 ファンタズマゴリアでの友希のトップスピードは、測ったことはないが高速の自動車どころではない。下手をせずともブラックアウトの危険がある。

「いいから、さっさとするんだよ!」
「……緊急時以外は、城内で神剣の力を開放するのはご法度なんだけど」
「今がその緊急事態だ! 急げ!」

 もはや逆らうだけ無駄かと、友希は仕方なくヨーティアを背に抱え走ることにする。
 勿論、速度は抑えて。

 途中、城の廊下にいた兵士をジャンプで飛び越えたところ、すごくびっくりされてしまった。後で謝罪しておかなければなるまい。

 とまあ、そんな紆余曲折があったものの、急いだおかげで普段なら十分はかかるヨーティアの研究室まで、一分少々で辿り着いた。

 ばんっ! と部屋の主が勢い良く扉を開け、ずんずんと研究室に入っていく。
 そして、中央のテーブルに乱雑に置かれた地球の本の一冊を取り上げた。

「さあ、まずはこれだ! これは、水が気体になる時のエネルギーを使う装置だ! そうだね!?」
「あ、ああ。蒸気機関か。そうだよ」
「原理的には極めて単純だけど、それを効率よく動かすために色々工夫してるな。……おい、トモキ、ここはなんて読む?」

 簡略的な図だけで蒸気機関のことまで思い当たる辺り、流石は大天才だが、いくらなんでも未知の言語をなんの取っ掛かりもなく解読するのは無理らしい。
 開いている理科の教科書の内容を読み聞かせると、『ええい』とヨーティアは頭をかく。

「もっと詳しいのはないのか。いや、いい。今は良い。次だ。これは農学の本だね」
「あ、ああ。うちの親の蔵書で、家庭菜園の……」

 一応持って来たが、役に立つのか、と思っていたものだ。

「やっぱり。この、土作りのところを翻訳しろ、すぐに」
「え、ええ? いや、ヨーティア、それより武器とか……」

 銃や大砲の構造の書いてある一冊を手に取りヨーティアに見せると、ヨーティアは、数秒パラ見してから、ぽいっとその本を放り投げた。

「ああっ、なにすんだよ!?」
「悪いが、一足飛びにこんな複雑なモン作れないよ。私は確かに大天才だが、その天才の発想を世に出すためにはこの世界の技術が追いついてない。
 これ、部品にどんだけの精度が求められる? 一品物ならまだしも、量産は不可能さ」

 ヨーティアはモノ作りも多少は齧っているが、基本的には頭を動かすのが仕事だ。設計図を作るところまではともかく、実際に手を動かす段階となると、彼女も門外漢である。
 そして、銃など、地球の武器を再現するには、ファンタズマゴリアの工業技術は致命的なまでに追いついていなかった。

「そんなことより、今はもっと基礎的なトコロが知りたい。エーテル技術の次の技術体系――流石の私でも骨の折れる作業だが、他世界の技術体系を知れば、数年は研究を前倒しできるってもんだ」
「……ま、まあ、そういう目的もなくはなかったけど」

 勿論、今のファンタズマゴリアを支えているエーテル技術の放棄、などという勇気ある決断をしたレスティーナやヨーティアの力になれば、とも思っていたが、友希の本命は、あくまでスピリットに対抗できる武器の開発だった。
 しかし、ラキオスの頭脳であるヨーティアが無理だと断言する以上、諦める他ない。

「まあ、お前さんの目的には適わなかったが、しかし喜べ。お前の名前は、この世界の技術史に残るぞ。『異界の知識を携えたエトランジェ、『束ね』のトモキ』とか言ってな。
 まあ、私の次点くらいには来るんじゃないか」
「い、いや……」

 自分の名前が歴史に残るなど、考えたこともない。嬉しがっていいものか、判断がつかなかった。

「そういうわけで、さあ、次はここを翻訳しろ」
「わ、わかった」

 なお、ヨーティアへの出頭と研究への協力は正式な命令である。
 マロリガンへの攻勢が始まるこの時期に、とは思うも、断ることも出来ない。

 友希は、ヨーティアの言われるままに翻訳し続ける。その間に、ヨーティアは凄まじい勢いでメモを取り、そして小一時間ほど、

「……ふん。成る程。かなり複雑な言語だね。三種類の記号の組み合わせ。しかも、そのうちのカンジの種類が半端ない」
「あ、ああ。確かに。文字の種類だと、かなり多いほうかな、地球でも」
「まあでも、文法はだいたい掴めた。後は、単語を覚えていけばなんとかなるか」
「……マジで?」
「ふん、舐めるなよ。例えばここの記述は……」

 小学校時代の理科の教科書だが、そこの一ページを流暢にファンタズマゴリアの言葉で翻訳するヨーティア。

「っと、こんなところか。合ってるかい?」
「ちょ、ちょっと違うところもあるけど、大体は……」
「よしよし。……しかし、すごいね。こんな高度な知識を、全国民に教えるんだっけ?」
「い、いや、ヨーティアの方こそ」

 彼女が天才であることは今更疑ってはいなかったが、こんなところを見せられると感嘆するしかない。中学から高校と何年も英語を習っておきながら、未だ長文の和訳に四苦八苦していた友希などとは、脳みその次元が違う。

「単語の辞典まで持って来ているのはナイス判断だ。喜べ、後一時間で開放してやる」
「二時間で、日本語マスターする気か」

 もはや呆れるしかない。一つの世界の最高の頭脳とは、こういうものなのだろうか。

「クックック、久々にキてるぞ、今の私は」
「そ、そうか」

 多少引きながらも、友希は改めて居住まいを正し、ヨーティアに向きあうのだった。

























「……ふう」

 スピリットの第二宿舎に戻り、友希は一段落つく。
 エーテルジャンプ装置が丁度メンテナンスのため、明日の朝までラキオスに足止めを食らっていた。

 凄まじい勢いで辞書を捲りながら専門書までを独力で読破していくヨーティアを後にし、することもなく久々の自室に戻ってきた。

『ああ、もうこっちが自分の部屋、って気がしてるな』
『短い間でしたが、濃い生活でしたからね』
『ああ』

 『束ね』に相槌を打ち、ざっと部屋を見渡す。
 第二宿舎の自分の部屋は、地球に帰っていたりなんだりで一ヶ月ほど留守にしていたのだが、意外にも汚れていない。多分、誰かが休暇でこっちに帰ってきた時に掃除してくれたのだろう。

『セリア辺りかなぁ……っと』

 部屋に備え付けの机の引き出しを開け、分厚い本を取り出す。
 この世界のことを知ろうと貸してもらった、百科事典だ。

 ……まあ、それは名目でしかないのだが。

「…………」

 真ん中のページを開け、挟んであった紙を取り出す。
 折りたたんであったそれを広げると、青い花弁を持った花が出てきた。

 ゼフィが、友希にくれた一輪挿しの花。サルドバルト攻略後に回収し、ラキオスに帰ってきてからハリオンの協力を得て押し花にしたものだ。
 そっと、崩れないよう慎重にそれを取り上げ、地球から持ち込んだフレームに収める。

「……うん」

 素人作りながらも、そこそこの見栄えになった。こういう品はこっちでは結構高く、手が出なかったのだが、ようやく飾ることが出来た。
 エーテルジャンプで運べないので、残念ながらこの部屋に置いていくしかないが、少しホッとする。

 しばらく、それを眺める。

 ゼフィは、みんなに配った花を庭に埋めて、小さなお墓を作っていた。
 マロリガンは強い。次に埋葬されるのは自分かもしれない。

 自分が死んだら、その時はこの押し花を埋めて欲しい――

『……なんて前に言ったら、セリアに殴られたっけ』
『ですねえ。そんなこと言う暇があったら、生き残ることを考えなさい! って』
『似てないぞ』

 まあしかし、戦争をしているのだ。死ぬ可能性は常にある。
 恐れを抑えて戦場に臨めるのは、この花のおかげも少しはあるのだから、勘弁して貰いたい。

 しばらくそうして眺めて、友希はごろりと横になった。

 四日後……いや、もう三日後には、マロリガンへと攻め込む。

 数える程度しか戦っていないが、光陰は間違いなく今までで最強の敵だ。強さにムラがある悠人や瞬に比べ、安定して高い実力を発揮する。
 そして、今日子。クラスのムードメーカーだった彼女とは、実のところ友希は遭遇していない。永遠神剣に完全に乗っ取られているという。彼女を助けるのも、重要な目的の一つだ。彼女を救えれば、同じ境遇の瞬も助けられるという証明になる。

『後は、タキオス、テムオリン、あいつらか……』

 こっちに帰ってきてからは一度として気配を感じないが、しかし油断はできない。

 そして、マロリガンの後にはサーギオスが待ち受けている。

「……はあ」

 敵は多い。
 しかし、同時に味方も頼もしい連中ばかりだ。みんなの力を繋ぐ友希にはなおさらそう思える。

 頑張ろう。と、小さく誓って、友希の意識は眠りに落ちていった。




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