友希は、自宅のリビングで、三杯目の珈琲を口に運ぶ。

「……遅い」
『まだ約束の時間になっていませんよ。落ち着いてください』

 何度目かの呟きに、流石に呆れた様子の『束ね』がツッコミを入れた。

 友希が、あの黒い剣士とその仲間らしき少女を見つけてからもうすぐ三時間。悠人たちの帰りを待つ友希は、あの二人が襲われていないかと焦りながら過ごしていた。
 今の二人は、永遠神剣を持っていない。襲われれば、為す術なく殺されてしまう。

『だから、襲撃なんかがあれば、私は見落としませんってば』
『そりゃそうなんだけどさ……』

 今からでも探しに行ったほうがいいんじゃないか、と思ったのは二度や三度ではない。その都度、『束ね』に諌められて腰を下ろす羽目になった。

『主は堪え性がありませんね』
『そう言われてもな……』

 あの黒い剣士のことに関しては、冷静でいられない。ゼフィの死に様は、昨日のことのように思い出せる。
 悠人やアセリアが同じ目に遇ったとしたら、今度こそ友希は形振り構わずあの剣士に特攻するだろう。

「…………」

 嫌な想像に、友希は首を振って立ち上がる。四杯目の珈琲を淹れるためだ。

 ――と、そこで、バァン! とけたたましい音が響く。玄関を開ける音だ。

「!?」
『……主、悠人さんです』

 あまりに乱暴な開け方に、一瞬警戒が生まれるが、『束ね』の言葉と、何より悠人本人の大きな声に、友希は構えを解いた。

「友希! 友希、帰ってるか!?」
「ユート、待って」

 ふう、という安堵のため息を吐き、友希は悠人を迎える。その後ろでは、アセリアが上手く靴を脱げずにあたふたしていた。

「ああ、帰ってるよ」
「聞いてくれ! 俺たち、着替えとか財布とか取りに俺の家に言ったんだけど」
「いや、待った悠人! 僕の方の話が先だ。街を見回ってたらな……」

 悠人が焦って何かを言おうとしているが、それでも黒い剣士の目撃は先に話しておかないといけない。そう思って口を開く友希だが、悠人はポケットから紙を取り出して友希に突きつける。

「この手紙を見てくれよ!」
「……なんだよ、一体」

 それは、友希や悠人がファンタズマゴリアに飛ばされた前日の消印が押された封筒だった。
 渋々受け取りながらも、友希は言うべきことを言っておくことにする。

「手紙は読んどく。でも悠人、『求め』を持っといてくれ。あの黒い剣士を遠目だけど見かけた。いつ襲ってくるかわからない」
「! ああ、わかった。……本当に、来てたのか」
「?」

 悠人も黒い剣士の気配に気付いていたようなことを言うが、神剣を持っていなかったのに変な話だった。
 首をひねりながらも、友希は悠人に押し付けられた手紙を読み進める。

 差出人は倉橋時深。――なんだろう、どこかで聞いたことがあるような、ないような。

 記憶を刺激する名前だったが、ひとまず置いて本文に目を通す。
 何気なく読み進めたが、すぐに友希の顔は強張った。

 丁寧に認められた文章の意味が最初は理解できず、二度、三度と読み返す。とてつもなく有益な情報が書いてある……のだが、とてもではないが信じ難い内容だった。

「……どう思う、友希?」

 『求め』を重そうに引き摺って取って返してきた悠人が聞く。
 ファンタズマゴリアでは羽のように扱っていた『求め』だが、今の悠人には運ぶだけで一苦労の重量だ。一方で、同じく自分の神剣『存在』を持ってきたアセリアの方は涼しい顔だった。

「……正直、信じられない、けど」

 手紙に書いてあった内容は三つ。

『十二月二十二日に神木神社の境内にて、ファンタズマゴリアへの門が出現すること。門をこじ開けるためには、『求め』の力が必要となるので無駄な力を使わないこと』
『現在、この世界にタキオスとテムオリン。……貴方達を襲った黒い剣士とその仲間が来ていること。また、しばらくは襲撃はないはずであること。ただし、警戒は怠ってはいけない』
『タキオスとテムオリンの二人は、二十日の十三時から三十分の間、友希宅の最寄りの公園におり、その間は悠人以外の二人の動きには注意を払っていないこと』

 いずれも本当であれば重要な情報であり――二つ目は、友希自身が既に確認している。

「でも、悠人。これ、消印が……」
「ああ。俺達がファンタズマゴリアに行く前の日付に投函されたみたい、だな……」

 まるで意味がわからない。この手紙の差出人――倉橋時深とやらは、友希たちが異世界に飛ばされる前に、彼らが地球に戻って来ることを知っていたかのように手紙を送っている。
 それも、友希たちが必要とする情報を的確に記しており、そう考えるとこの手紙が不気味なものに思えて仕方がない。

「この、倉橋時深って人は、悠人は知っているか?」
「ああ。ほら、お前も会っただろ? 俺達がファンタズマゴリアに飛ばされたあの神社にいた巫女さんだよ」
「巫女……ああ! あの永遠神剣を持ってた!」

 もう相当昔の記憶だが、なんとか掘り起こす。
 確かに、いた。そして、名前も一応聞いた覚えがある。言われてみると、そのような名前だった。

「ちょっと待て! あの人が神剣を持ってたって!?」
「え、あ、ああ。うん。ほら、あの人、俺達が門に吸い込まれる直前に短剣みたいなの取り出していただろ。覚えていないか?」
「そうだった……っけ。いや、それよりそんなことなんで言わなかったんだよ!」
「……ごめん、正直忘れてた。ていうか、悠人だって覚えていなかったじゃないか」
「それはそうだけど」

 友希も思い出してしまったと思ったが、これは仕方のない面もある。いきなり訳の分からない世界に飛ばされて戦争に駆り出されたのだ。いくら重要そうなこととは言え、戦いの日々の中で思い起こせというのも難しい話だった。

「と、とにかく、一度整理しよう!」




























 三人分のお茶を淹れ、話し合うことしばらく。
 アセリアはほとんど口を挟まなかったが、男二人でおおよその方針は決定した。

「とりあえず……門については、この手紙を信用するしかない、ってことでいいな。無闇に探すよりは、可能性は高いだろうし」
「それでいいと思う。倉橋さんって、悠人を助けてくれたこともあるんだろ? 完全に信用するのは難しいけど、他にアテもないんだし」
「だな。……そうすると、問題は、このテムオリンとタキオスって奴のことだけど」

 ようやく名前の判明した、黒い剣士――タキオスと、その仲間であるテムオリン。
 タキオス、と友希はその名前を口に乗せ、ギリ、と歯を食いしばった。

「選択肢は二つ。攻めるか、守るか、か」
「この手紙を信用するなら……あいつらが公園にいる時に、僕とアセリアで奇襲をかけることができるけど」
「……わたしと友希だけじゃ、勝てない。すぐユートに応援に来てもらっても、その前に負けると思う」

 戦闘についてはシビアなアセリアが断言する。そして、それは正しかった。完全な奇襲が成功しても、タキオス一人を無力化するのも至難の業だ。

「でも、守ってもな……こっちには、エーテル関連の施設があるわけじゃないし、意味がないぞ」
「ユート、どこか逃げられないのか? ハイペリアだったら、エーテルジャンプみたいなものはないのか」
「いや、ないな。普通の移動手段なら、あっちより早いのはいくらでもあるけど」
「僕やアセリアはともかく、悠人は監視されているみたいだからな……。今は神剣の気配は感じないけど、そう簡単に見逃してくれる相手じゃないと思うぞ」

 友希と『束ね』の索敵範囲外から見られている可能性も高い。家を出て行方を晦まそうにもあまり意味は無さそうだった。

「友希とアセリアで奇襲するか、俺たち三人で真正面から戦うか。後は、向こうの動きを待つか、か」

 難しい問題だった。ちゃんとした砦でもあれば防戦のほうが有利なのだが、現代日本では望むべくもない。まさか自衛隊の基地を制圧して使うなどということはできない。
 この状況ならば、むしろ先手必勝。こちらからタイミングを測って仕掛ける方がやりやすい。しかし現状、こちらからテムオリンとタキオスの居場所はわからず、根拠もあやふやな手紙の情報に頼らないと仕掛けられない。

 そして、手紙通り公園に現れたとして、奇襲か、最初からバレることを覚悟で三人で挑むか。

 しばらく悩んで、友希が顔を上げる。

「いいか、二人共」
「うん? どうした、友希」
「これ、僕の我儘かもしれない。あの剣士――タキオスのことがあるから、冷静さをなくしてるかもしれないから、そうだったら指摘して欲しいんだけど。
 ……僕は、出来れば手紙を信用して、こっちから仕掛ける方がいいと思う」
「理由は?」

 仮にも指揮官として戦場を乗り越えてきた悠人は、その提案に頷きつつも、理由を問いかけた。

「タキオスはどう見ても歴戦の戦士だ。力も劣ってる僕達が先手を許したら、絶対に勝てないと思う。それに、もし他に人がいる所で襲われたら、そっちに被害が出る。だったら、公園っていう広い場所で戦える方がやりやすいんじゃないか? あの公園、昼間は人はほとんどいないんだ」

 一息で言い切って、友希は反応を伺う。

「そっか。確かに、市街地で戦うと周囲の被害も洒落にならないな」
「……ん」

 周囲のマナが薄いとはいえ、例えば友希が全力で暴れたら、そこらのビルの一棟や二棟は潰す事ができる。そんな力が住宅街でぶつかったら、何人が犠牲になるかわかったものではない。

「うん、妥当だと思う。こっちから仕掛けるのはいいとして……友希とアセリアで奇襲をかけるか、俺も一緒に仕掛けるか」
「それは、正直どっちがいいか……。それより、『求め』と『存在』は大丈夫なのか? こっちの世界じゃ、マナが薄くて力が発揮できないって話だったけど」
「本当に必要になったら、一回くらいは戦えると思う。アセリアはどうだ?」

 アセリアは返事をしない。虚空をぼう、と見つめたまま、話を聞いているのか聞いていないのかわからない。

「おい、アセリア?」
「……ん、なんだ」
「なんだじゃなくてさ。アセリアと『存在』は、マナの薄いこの世界で戦えるか?」
「……多分、大丈夫」

 アセリアにしては曖昧な物言いだった。いや、そもそも彼女が戦いの打ち合わせで話を聞き逃すのもおかしい。
 不審に思った悠人は、もう一度聞こうと、口を開きかけ、

「ぅ……ん」

 と、ぷつりと糸が切れたように、アセリアが倒れこんだ。

「お、おい、アセリア!?」

 慌てて悠人が側に寄り、アセリアを抱き起こす。

「どうしたんだ、一体!?」
「わ、わからないけど……熱があるみたいだ。とりあえず、寝かせよう!」

 悠人がアセリアを慌てて抱え上げ、昨日アセリアが寝た友希の両親の部屋に運ぶ。
 ぜっ、ぜっ、と苦しそうに呼吸が乱れているアセリアの姿は、かつてないほどに弱々しかった。

「……考えてみれば、こっちに来た時からアセリアの体調は悪かった。くそ、気付けなかった!」

 後悔している悠人に対し、慰める言葉も思いつかず、友希は立ちつくす。
 薬を用意する、医者に連れて行く、などの考えが浮かぶが、彼女は人間とは違う。こちらの薬や医者が効果があるのか分からない。

『というか……これは、マナの不足が原因ではないでしょうか?』
『! 『束ね』、なんかわかるのか!?』
『ええ。いつだったか話しましたけど、基本的に生き物は自分が住む世界のマナ濃度に適応して生きています。マナの薄い世界から濃い世界ならば、体がマナ化してしまうものの、それ以外に不良はないのですが、逆だと問題です。
 マナは命そのものだと、ヨーティア殿も言っていましたね。大量のマナがあることを前提に生きている生き物が、マナの薄い世界に来れば……と、こういうことだと思います』

 『束ね』の説明に友希は頷き、悠人に説明する。

「マナの不足……じゃあ、やっぱり早くファンタズマゴリアに帰らないと! くそ、二十二日だったよな? アセリアはそれまで持つか?」
「そこは、任せとけ」

 友希はアセリアの側に立ち、自分の中にいる『束ね』に意識を集中する。
 原因さえわかれば、これは友希と『束ね』の領分だった。

『私にもあまり余裕はありません。少し楽にする程度に抑えてください。そのくらいなら、大したマナは必要ないはずです』
『わかった』

 ぽう、といつもより小さく、光も弱い魔法陣が足元に出現する。

「『サプライ』」

 光の粒がアセリアに降り注ぎ、枯渇したマナを補填する。
 直接的に相手にマナを与える『サプライ』の魔法は正しく効果を発揮し、アセリアの寝息は落ち着いたものとなった。

「……安静にする必要はあると思うけど、これで多分大丈夫だ」
「よかった! ありがとう、友希!」

 大げさに喜ぶ悠人。よっぽど心配していたらしい。悠人は仲間を大切にする男だが、明らかに他のスピリットたちと態度が違う。
 第二宿舎のとあるブラックスピリットに対し、どう慰めたらいいのやら、と場違いながら一瞬考えこんでしまう友希であった。





























「ほい、アセリア。まだ本調子じゃないだろうから、晩飯は雑炊作ってきた。自分で食えるか?」
「ん……サンキュ、トモキ。一人で食べれる」

 倒れたアセリアだが、友希がマナを供給してから数時間で目を覚ました。そうすると、もう日も落ちかけた時間だったので、こうして夕飯となった。

「美味そうだなあ。友希、これってどうやって作ったんだ?」
「どうやってって……ネギと鶏肉と卵入れて、顆粒の出汁で味整えただけだぞ」
「出汁? 顆粒?」

 悠人は首を捻るが、『まあいっか』と自分の分の雑炊を口に運ぶ。

「とりあえず、食べながらでもいいからさっきの話続けようか。アセリア、大丈夫か?」
「ん……わかった」

 悠人の言葉に対するアセリアの返事は、しっかりしたものだった。打ち合わせに支障はないようなので、悠人は話を切り出す。

「で、こっちから攻めるって決めたところだったよな。アセリアは今のままだと戦えないだろうけど、友希?」
「全力で動ける時間は短いと思うけど、戦う前にサプライかけとけば多分大丈夫」
「わかった。それじゃ、奇襲するかどうかだな。……やっぱり、この中で一番強い俺が抜けるとキツいと思うから」
「待って」

 と、悠人が三人でかかることを提案しようとしたところで、アセリアが手を挙げる。

「もしかしたら、トモキと二人の方がいいかもしれない」
「? なんでだ、アセリア」
「ん。敵も、わたしと同じかも」

 同じ。その言葉に、悠人と友希ははっと目を合わせる。

「そうか……マナが薄い世界で戦わないといけないのは、あっちも同じ条件か」
「僕の『束ね』は、元々こっちの世界をうろついていたから、こっちのマナとの親和性が高くて、戦闘力はそこまで落ちてないけど」
「あいつらは、アセリアみたいに弱くなってる……?」
「多分」

 アセリアはコクリと頷いた。

「……おい、バカ剣。眠ってないで、聞かせろ。今、全力で戦うと、ファンタズマゴリアの何割くらいの力を出せる?」

 悠人が、持ち込んだ『求め』を小突いて語りかける。
 億劫そうに『求め』が起きる気配がして、二言、三言悠人と言葉を交わしたかと思うと、再び沈黙した。

「……思ってた以上に落ちてた。多分、こっちの世界だと『束ね』の方が強いんじゃないか、って。そうすると、俺が参戦するより、友希の全力を奇襲で確実に叩き込んだ方が、勝算が高い」
「じゃあ、『求め』の力は門を開けるのに必要みたいだし……」
「わたしと友希でやろう」

 全員が、頷きあった。

「もちろん、俺も戦いが始まったらすぐ駆けつけるけど。……頼んだ」
「ああ」

 ゴツン、と友希と悠人は拳を打ち合わせた。




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