ランサの外壁。
 マロリガンとの戦争にあたり、急ピッチで増築されたその壁に設置された見張り台の上で、昼番である友希とヘリオンが座っていた。

「今日は来ないんでしょうか?」
「なら、ありがたいけど。でも、油断は出来ないぞ」

 見張りに立って二時間。友希は自分に言い聞かせるように、ヘリオンにそう言った。
 神剣の気配どころか、人っ子一人見当たらない。代わり映えのしない風景に、友希は流石に集中力がなくなっていくのを感じていた。

 見張りは長時間に渡るので、緊張し過ぎてもいけないし、気を抜きすぎてもいけない。その辺りのさじ加減は、経験の少ない友希や悠人の苦手とするところだった。
 逆にスピリットたちは、物見くらいなら子供の頃からやっているので、半日くらいの見張りは苦にしない。

「そうですね。マナ障壁ができてから、毎日ですから」
「だなぁ……」

 ランサとスレギトを結ぶ道の間にマナ障壁が出来てから結構な日数が経っているが、あれ以来ランサが攻められない日はなかった。
 規模の大小はあれ、毎日毎日時間を変えて攻めて来られている。

 あちらは決して無理に攻めない。施設の破壊や、こちらの戦力を削ることだけを考えて、ネチネチと攻め立てていた。
 ランサを一気に落とそうとすると、マロリガンも無視できない被害が出る。ラキオス側から攻められないことをいいことに、時間をかけてこちらを落とそうとしているらしかった。
 実際、マロリガンの稲妻部隊は、これまで一人、二人程度しか倒せていない。ラキオスの被害は、第一宿舎、第二宿舎の面々は無傷だが、それ以外の二軍のスピリットにはかなりの被害が出ている。
 そう遠くないうちに削りきられることは明白で、ヨーティアを中心としたマナ障壁対策組は、今は夜を徹して突破口を研究しているらしい。

「でも、今日はトモキさまがいらっしゃいますから、安心ですね」
「……そ、そうかな?」
「はいっ。この前、あっちのエトランジェの方と、互角に戦ってたじゃないですか」

 光陰が率いて攻めてきた時のことを言っているらしい。
 あれは、みんなの力を借りてこその戦果で、しかも後少し戦っていれば負けていたのはこっちなので、誉められるとどうにも居心地が悪い友希である。

「ま、まあ。もう一度碧のやつが来ても、負けるつもりはないけど」

 正直な所、あの光陰と『因果』と戦うのは二度とゴメンなのだが、例え強がりでもそう言う他ない。
 実は、つい先日友希は副隊長に任命された。殆どお飾りに近い役職だったが、それでも情けないことを言っては士気に関わる。一緒に訓練をしている連中はともかくとして、それ以外のスピリットや人間兵には、悠人のおまけで友希を英雄視するものも多いのだ。

 冷静に考えると、一体どうしてこんなことになったのだろう、と思わなくもない友希であった。

「まあ、それはそれとして……ヘリオン、最近、悠人とはどうなんだ」
「ふえっ!? な、ななな、なんでユートさまと私がど、どうとか聞くんですか!?」
「なんでって……」

 困った顔になる友希に、ヘリオンは口をぱくぱくさせて、唸りながら話し始めた。

「う、うう〜。その、トモキさまは気付いていらっしゃったんですか。私が、そのユートさまを……」
「逆に、隠しているつもりだったのか、ヘリオン」

 ヘリオンが悠人を好いているということは、こういう機微に疎いネリーやシアーを除いて、第二宿舎のスピリットにとっては周知の事実だった。

「そ、そうですよぅ。ぅー」

 真っ赤になって俯くヘリオンに、悪いことを言ってしまったのかと友希は頬を掻く。軽い世間話を振ったつもりだったのに、ここまで過敏に反応するとは思わなかった。

「わ、私もわかってるんです。私とユートさまは釣り合いっこないって。私、弱いですし、性格もこんなですし。
 ユートさまには、エスペリアさんとか、アセリアさんとか、強くて、綺麗な人が似合っていると……」
「い、いや、そんなことはない、と思うよ?」

 落ち込み始めるヘリオンに、友希はフォローする。
 別に嘘は言っていない。エスペリアやアセリアも美人だが、ヘリオンのような女の子が好きな男も決して少なくないはずだ。なんというか、いつも一生懸命で、小動物系の可愛らしさを持っている。
 今更別の女性と付き合うつもりは毛頭ないが、友希はあの二人よりもヘリオンの方が好みであった。

「いいえ、わかってるんです。ユートさま、きっとアセリアさんのことが好きなんです」
「う゛」

 流石は恋する乙女というか。しっかり気付いているらしかった。

 基本的に前向きで明るいヘリオンだが、どうも一旦落ち込むと際限のないところがある。

『た、『束ね』、なんかヘリオンを励ますいい知恵はないか?』
『そこで私に振るんですか』
『僕はこういう経験少ないんだよっ。見張りにならないぞ、これ』
『……まあ、最低限は私の方で見ていますが、確かにいざ攻めてこられたらヘリオンさんは使い物になりませんね』

 地味に深刻な問題である。これが原因でヘリオンが命を落としたりしたら笑うに笑えない。

「そ、そうだ。ヘリオン、なんか料理の練習とかしてたじゃないか。悠人には……」
「……考えてみたら、エスペリアさんがいるんですから、私がユートさまに手料理を作ってあげる機会なんてありませんでした」
「うぐっ」
「料理当番が増えただけですし……」

 確かに増えていた。本当は掃除当番を減らしてその分を料理当番に当てるという話だったのだが、何故か掃除当番が減らないまま料理当番だけが増えたのだ。

「で、でもエスペリアと悠人が別々のシフトの時を狙えば……」

 今は、悠人もエスペリアも基本的にランサに駐屯している。
 必ずしも、悠人の食事をエスペリアが作っているわけでは……

「エスペリアさんがいないときはオルファが作ってるんです……。二人共いなければ、お弁当を用意されていて」

 甲斐甲斐しいメイドのような少女だと思っていたが、ここまで来ると執念のようなものを感じる。
 そして、ヘリオンの性格では、その間に割り込んで自分が作りますとは言えなかったに違いない。

「そ、そうか……」

 絶句する友希。メソメソするヘリオン。
 どうしてこうなった、と天を見上げたい気持ちになった友希であった。

『……はあ。主、こういうのはどうでしょう?』
『な、なんだ? 『束ね』』

 あまりの様子に見かねたのか、とうとう『束ね』が口を挟むのだった。





























 ランサでは簡易的な砦を建てて、そこでスピリット隊は暮らしていた。
 外壁の近くに建てられた砦は所詮急造ではあるが、生活に不便はない程度に整えられている。

 その中の、とある部屋に友希は立ち、ノックをする。

「誰だ? 入っていいぞ」
「お邪魔します」

 許可が出て、友希はその部屋――悠人の私室に入った。

「よ、悠人」
「友希? あれ、夜は非番だっけ?」
「そうそう。一時間くらい前に引き継ぎ終わってさ。少し時間いいか?」
「いいけど……なんだ、それ。いい匂いだな」

 くんくんと鼻をひくつかせ、悠人が友希の持って来た籠を見る。布が被せてあって、中身は知れないが、食欲を刺激する香りが漂っていた。
 時刻はもうすぐ深夜。見張りのシフトに入っていなかった悠人はもうとっくに夕飯を終えているが、なにやらお腹が空く匂いだ。

「僕の晩御飯。なんだけど、お裾分けに来た」
「お裾分け……って、なんでまた」
「これを見ても、それが言えるかな?」

 籠を隠している布を取り払うと――そこから現れたのは、いくつもの小判型のキツネ色の物体。
 近所のお肉屋で一個五十円という安さだったので、悠人も地球にいた頃はおやつ代わりによく食べていた……コロッケだった。

「お、お、お前、そ、それ……」
「いや、ヘリオンが最近料理に凝っててさ。ハイペリアの料理が知りたいって言うから、こっちでも作れそうなのを教えてな」

 ……悠人は、なまじファンタズマゴリアの食事に不満を覚えていなかったし、そもそも料理の知識不足だったから、エスペリアに地球の料理をリクエストすることはなかった。
 しかし、いざ目の前に用意されると、自然と喉が鳴る。

「も、もらっても、いいのか?」
「だからそう言ってるだろ。まあ、ソースがないのはご愛嬌ってことで」

 隊長室故に置かれている大きなテーブルの上に籠を置き、友希はまず一つ手掴みで口に運んだ。
 じゃがいもと玉葱、ひき肉の芳醇な味わいが口いっぱいに広がった。どれも地球のものに似たもので代用した『もどき』でしかないが、少し風味が違うだけであちらのコロッケと遜色はない。

「〜〜、美味い!」
「ああ、ヘリオンも上手くなったもんだ」

 男二人はあっという間に三つ平らげ、なおも手を伸ばす。それほど美味かった。

「ヘリオン、料理上手なんだなあ」
「いや、意外と苦労したんだぞ。こっちは揚げ物は素揚げばっかりだし。パンを粉にしたり、香辛料を工夫したり」

 それこそ最初の最初は、調味料の分量を間違えたり、揚げている途中でバラバラに分解したり、焦がしたり、とベタな失敗が多発していたのだが、それはヘリオンの名誉のために伏せておく。

「後で礼言ってやってくれ」
「ああ。それは勿論」

 これで話す機会もできた。後はヘリオンのアプローチ次第だと、友希はミッションの達成に小さな満足を得る。

「でも、こういうの食べると、醤油と味噌が恋しくなってくるな」
「あー、それはあるかも」
「こっちには……ないか、流石に。あれってどうやって作るんだっけ? 友希は知ってるか?」
「どっちも大豆を発酵させるんだよ、確か。似たような豆ならあるかもだけど、発酵食品を再現するのは難しいだろうな」

 しかし、口に出してみるとますますあの味が恋しくなってきた二人である。
 別にあちらにいた頃は特別好きだった訳でもないのに、年単位で離れていると体が猛烈に醤油と味噌を求めてくる。なんだかんだで、日本人であった。

「そういえば、米みたいなのはあるんだよな?」
「ああ。見回りの時、市場で見た覚えがあるぞ。悠人が現金をちょっと回してくれるなら、買えるけど」
「そんくらいの金なら用意できるぞ。……あ、でも炊飯器がない。どうやって炊くんだ?」

 本気で首を傾げる悠人に、友希は少し呆れる。

「鍋がありゃできるよ。飯盒炊さんとか、小学校の頃やらなかったか?」
「飯盒がない」
「普通の鍋でも出来るって。何回か試せば、多分大丈夫」

 おおー、と悠人が本気で感心した目で友希を見る。

「友希、詳しいな」
「……まあ、少しは自炊していたから。っていうか、悠人も佳織ちゃんと二人暮らしだったんだろ。自分で料理したりしなかったのか?」
「俺が台所に入ると、佳織は機嫌悪くなってたんだよ。わたしの仕事なんだからって。インスタントくらいなら俺も作れるのに」
「そのレベルかよ」

 しかし、そんなものかもしれない。友希も、一人暮らしを始めた当初は、初心者用の料理本を見ながら四苦八苦していた。

「まあ、出来るならやってみようぜ。ランサだと、食事くらいしか楽しみがないし」
「そうだな。でも、あんまり期待してる味じゃないかもしれないぞ」
「ん? なんでだ」
「いや、確か日本の米って、相当品種改良されてたはず……いや、ごめん。僕も詳しくない」

 友希にとっては、そういうのを聞きかじっていた、程度の話だった。
 なお、後日二人は市場で嬉々として米を買って炊くが、こちらで取れる米は地球のインディカ米に近く、二人にとってはいささかがっかりする結果となる。

「そっか。意外と、身近なことでも知らないことって多いんだな」
「そりゃそうだよ。なにか地球の技術で再現できそうなことがないかな、と考えたこともあったけど」

 地球の技術は、ファンタズマゴリアからすると相当先を行っている。例えば、日常的な電化製品一つを取っても。こちらで作れたら相当画期的な商品になる。
 しかし、当然のことながらこの二人が再現できるわけがない。地球の電化製品など、その内部構造を知らなくても、誰もが使っている。そして、知らなくてもなにも問題はないのだ。

「……ちょっと安心した」
「は?」
「前々から思ってたんだ。ファンタズマゴリアって、中世くらいの文化だろ? にしては、エーテル技術やスピリットにまつわるものだけ、なんか異質だなって」
「まあ、それは思う」
「なんか得体の知れないものにみんなが命を預けてる、って感じが、ちょっとな。まあ、気付いてみれば、地球にいた頃からそんなもんだったな」

 結構気にしていたのか、悠人は本当に安堵している様子だった。
 突っ込むべきか、突っ込まないべきか友希は少し悩んだが、勘違いさせておくのもよくない気がして、指摘することにした。

「いや……その道の専門家のヨーティアでさえ、よくわからんって言ってるんだから、地球のそれとは全然別次元の問題のような」
「……あ」

 間抜けな空気になる。
 悠人はぽりぽりと頬をかいて、誤魔化すように最後のコロッケを頬張った。

「と、とりあえず、コロッケありがとうな!」
「誤魔化したつもりか……」

 そういえば、ファンタズマゴリアではずっと気を張っていたので忘れていたが、地球にいた頃の悠人は割とズボラなやつだったな、と友希は呆れるのだった。




前へ 補足へ 戻る 補足へ 次へ