「……っはぁ〜〜」
ランサの簡易砦。生活空間となっている食堂で一人椅子に腰掛け、友希は大きくため息をつく。
今日は彼は非番だった。実に五日ぶりの丸一日のオフ。ぐっすり眠ろうと思ったのだが、途中マロリガンの襲来を知らせる鐘の音で、目が覚めてしまった。
幸いにも、友希にお呼びはかからず、問題なく撃退できたようなのだが、これでは気が休まらない。寝付こうにも寝付けず、そのまま起きたままだ。予定の半分くらいしか眠れていない。
自分で淹れた鎮静作用があるというお茶を啜り、友希はもう一度溜息をつく。
「さて、と。どうしようかな」
誰ともなしに呟く。
自主訓練はできない。ただでさえ疲れている時に、無理に剣を振っても身にはならないと、訓練士であるイスガルドから口を酸っぱくして戒められている。
遊び、と言われても、こちらに来てから娯楽とはすっかり疎遠だ。
体を休めるため寝る……のが一番なのだが、やはり眠気がなく、寝付けそうにない。ベッドに入って目を瞑っても、逆に気疲れしそうだ。体は疲れているのに、難儀なものだった。
『ならば、私の手入れでもしてはどうでしょうか。そんで、お話しましょう』
『黙ってろ』
最終的にはそれも悪くはないのだが、なにか休日を凄く無駄に過ごしている気がして却下する。そもそも、『束ね』は出し入れするごとに再構成しているので、汚れや刃毀れはない。他のみんなは、多かれ少なかれ手入れに時間を食っているのだから、ありがたいといえばありがたかったが。
うーん、と悩んで、友希は食堂に備え付けられたボードを見る。
各人の予定が記載されたものだ。今日の予定は、ファーレーンとニムントールがラキオスで休暇、友希とナナルゥがランサで休暇。それ以外のスピリットは、交代で警備となっている。
「って、あれ? ナナルゥも今日休みか」
いつも無表情な顔を思い出す。彼女の休日とは、どのように過ごしているのだろうか?
「探してみるか」
ほんの気まぐれだった。することもなかったので、散歩がてら探してみようと、それだけだった。
思いつきのまま立ち上がり、居間を出る。
まずは自室……と、ナナルゥに宛てがわれた部屋に行って、空振り。
サルドバルト時代の仲間と同じく、休みの日は部屋でじっとしているのかと思いきや、そうではなかったようだ。流石はラキオスのスピリットである。あのナナルゥですら、休日は出歩いているようだ。
そうすると、訓練か? と思い訓練場へ。
砦に併設された広場に出ると、主に後詰めを担っているスピリットの一部隊が訓練をしていた。本来なら、三部隊は同時に訓練できる施設なのだが、近頃は実戦続きのため、訓練しているスピリットも多くはない。
訓練士はイスガルドだった。友希を見つけた彼は、手を上げて近付いてくる。
「よう、トモキじゃないか。どうしたんだ? 今日は休暇だろ」
「まあ、ちょっと散歩に。どうですか、調子は」
「まあまあってところだな。一軍の連中ほどじゃないが、ここ最近の実戦でこいつらも成長してる。エーテルも、充分とまでは言わないがそれなりに回ってきてる。
もう、これ以上死ぬ奴が出ないように努力するさ」
「お願いします」
友希は頭を下げる。
第一宿舎や第二宿舎以外のスピリットとは、あまり話したこともないが、彼女たちもラキオスらしくちゃんと感情を持ったスピリットたちだ。死んで欲しくはない。
「ああ、そうそう。ナナルゥ見ませんした?」
「ナナルゥ? なんだ、どうしたんだ」
「いや、僕と同じで、今日休みみたいですから。暇だし、ちょっと探してみようかと」
「ふむ。まあ、お前もスピリット隊の副隊長だし、隊員を気にかけるのはいいことだ。だけど生憎、今日は見てないな」
「そうですか」
砦内にはいない。そうするとどこにいるのだろう。
ナナルゥの行動は今ひとつ読めないところがある。付き合いの浅い友希では、わからなかった。
「まあ、ぐるっと一回りして探してみますよ。見つからなきゃ見つからないで、それでいいですし」
「そうか。じゃあ、俺はそろそろ戻るよ。休みなんだから、ゆっくりしろよ」
「はい、それじゃあ」
イスガルドと別れて、友希はひとまず砦の周囲を回ることにした。街の方へ、とも思ったが、首都から離れたランサでは、スピリットに対する偏見はまだ残っている。無用の騒ぎを起こしたくはない。
それに、この砦は、元々小さな森になっていた場所を切り開いて作ったので、入り口側の訓練場のスペース以外には緑が残っている。散歩には悪くない立地だった。
「すぅぅーー、はあ〜〜」
木の匂いを含んだ空気をいっぱいに吸い込み、深呼吸する。
小さいとはいえ、自然のまま残っている森の空気は心地良い。
木のある場所では、綺麗な空気だけでなく緑マナも豊富だ。エトランジェである友希は特定の属性に偏っていないが、緑マナは個人的に『美味しい』と感じる。
「散歩も悪くないなあ」
地球にいた頃の趣味と言えば、ゲームとテレビ鑑賞くらいだった。そういう刺激的な遊びはないが、ただ歩くだけでも、異世界の光景はけっこう楽しい。生えている木々も、日本のものとは大分違った。
『爺臭くないですか?』
『そうかな?』
『私的には、小説とか、演劇とか、そういうのを見て欲しいですけどね』
物語に関しては貪欲な『束ね』の意見だが、友希は難しい顔になる。
『いや……お前アレだぞ。ぶっちゃけ、この世界のストーリーって、面白くなくないか』
あまりにも『束ね』が五月蝿いので、何冊かは読んだことがある。満足に読めるのは使われている文字が優しい子供向けの本だけだったが、それでも友希としては首を捻る内容だった。
とにかく単純な勧善懲悪のストーリーばかり。大人向けのものもざっとあらすじにだけ目を通したが、多少文章が凝っているだけで大雑把なストーリーは変わらない。
……そして、スピリットが登場すると、文章の中とは言え、彼女たちの扱いにむかっ腹が立って読む気が起こらない。
『まあ、それは……。むしろ、主が地球の物語を書いてですね、このファンタズマゴリアの文学界に革命を』
『阿呆なことを言うな』
できないことはないかもしれないが、そんなことをやっている暇などない。
『いいアイディアだと思うんですけどねえ』
『あのな……って、ん?』
無駄話をしていると、いつの間にか随分森の奥のほうまで来ていた。
そして、友希の耳に、なにやら涼やかな音色が届く。
「なんだ、これ」
しっとりとしたメロディー。森の空気と相まって、心が落ち着くような感じがする。
自然とその音に引かれて、友希は音の発生源へと歩き、
(ナナルゥ、か?)
果たして、木に体を預け、草笛を吹いているナナルゥを発見した。
友希が来たことには気付いているはずだが、気にした様子もなくナナルゥの演奏は続く。
『……いい曲だなあ』
『ええ』
即興なのか、それともなにかの曲なのか。それは分からないが、もっと聞いていたいと思わせる音色だった。
『……このまま聞かせてもらおうかな』
『はい。私も聞いていたいですから賛成です』
思えば、ファンタズマゴリアにはコンポやウォークマンのような便利なものはないので、音楽などは初めてだった。
その場に座り、目を閉じてナナルゥの演奏に聞き入る。
草笛とは思えない、複雑な音色。
感情の起伏をあまり感じさせないナナルゥだが、この音はそれが勘違いだったと思えるほど、心の篭った音だった。
ぼう、とナナルゥを見つめる。
凛々しい印象を与える端正な顔立ちと、背景の自然。どこか、絵画めいた美しさだった。
その光景と、音楽に身を委ねていると、不思議と心地よくなってくる。
友希の意識は、ふと曖昧になり、
(あれ……なんか、眠く……)
気が高ぶって眠れなかったはずなのに、瞼が重くなる。
抵抗する気も起こらず、ここなら敵襲の鐘の音があればすぐに気付けるかとギリギリで判断して、友希はそのまま睡魔に任せることにした。
「んあ……」
なんか、柔らかい。友希が目を覚まして、初めに思ったのがそんなことだった。
「起きられましたか」
「んお! ナナルゥ!?」
真正面に、ナナルゥの顔が映る。起き抜けに意外な光景が広がり、友希は混乱した。
パクパクと口を動かして、なにを言ったものかと悩み、結局出てきたのは何のひねりもない言葉だった。
「え、ええと。おはよう?」
「おはようございます」
いつも通りの声。しかし、何かがおかしいと友希は思い、やっと今の自分の体勢に気付く。
自分は今、仰向けになっている。そして、その状態で真上にナナルゥの顔がある、ということは、
『ザ・膝枕ですね』
『やっぱりかっ!』
慌てて友希は起き上がった。気恥ずかしさで、顔が赤くなっている気がする。
「? どうかしましたか」
「どうかって……ナナルゥこそ、なんでこんなことを!?」
「こんなこと?」
「なんで、膝枕なんて!?」
ああ、とナナルゥは頷いて、
「トモキ様が地面でお眠りになったからです。体を冷やすのは、良くありません」
「いや、良くありませんって……」
座ってはいたが、多分途中で地面に倒れたんだろう。
しかし、一応友希も神剣使いなのである。普通の暑さ寒さで体調を崩すような常識的な体ではない。
「そういう時は、普通に起こしてくれれば……」
「そうですか。失礼しました」
「あ、いや。別に咎めているわけじゃないんだけど」
ズレてはいるが、ナナルゥなりに良かれと思ってやってくれたことなのだ。文句を言うような言い方になってしまったのは失敗だった。
「ええと、いや。ありがとう。おかげで、ぐっすり眠れた」
「はい。しかし、そろそろ戻らないと、食事の時間です」
え? と友希が疑問に思って空を見ると、既に空は茜色に染まりつつあった。
砦を出た時間から考えて、三、四時間は寝入ってしまっていたらしい。どうりで頭がすっきりしているはずだ。体の重さも、すっかり消えてしまっている。
「本当だ。戻ろうか、ナナルゥ」
「はい」
連れ立って歩きながら、友希は何気なく話題を振る。
「……そういえば、草笛吹いてたけど、あれはナナルゥの趣味なのか?」
「以前もユート様に聞かれました。しかし、趣味……か、どうかはわかりません」
「? そうなの」
悠人も知っていたのか、と思いながら続きを促す。
「はい。時間があるときに、なんとなくやっているだけなので」
「……それは立派な趣味だと思うぞ」
「そうでしょうか」
ナナルゥが悩む仕草をする。
半ばまで神剣に呑まれている彼女は、自分というものが他のみんなに比べて希薄で、こういう話題では悩みを見せる。
「やはり、わかりません。しかし、ユート様には、いつかカオリ様とともに演奏をして欲しい、と言われました。それには、応えたいと思います」
ナナルゥが、ここまで長い台詞を喋るのは珍しい。
彼女なりに、頑張りたいと思っているであろうことは明らかで、自然と友希も嬉しくなる。
「そっか。じゃあ、頑張ってくれ」
「はい」
「あと、時々でいいから、僕もナナルゥの演奏、聞かせてもらってもいいか?」
言うと、ナナルゥはキョトンとする。珍しい表情だ。どうも、今日はナナルゥの色んな一面を発見した気がする。
……いや。と言うより、ナナルゥは最初に会った頃から、変わってきているのだと思う。
「……はい。構いません」
そして、きっとそれは悪い変化ではないだろう、と友希は思うのだった。
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