サーギオスの城から離れること数分。
 たったそれだけの時間で、友希と瞬は城が霞んで見えるほどの遠さにまで離れていた。

 異常に気がついたスピリットたちがここに来るまで、しばらく時間が稼げる。

『主、流石にここまで馬鹿だとは思っていませんでしたよ』
『悪い。でも、『誓い』は許せない。力を貸してくれ、『束ね』』
『……やれやれ、勝手に喧嘩を売っておいて、私頼りとは。本当に仕方のない主です』

 呆れながらも、友希の意思に応え『束ね』は力を供給する。これまでに無いレベルの力に肉体が軋みを上げるが、友希は無理矢理抑えこみ瞬を睨む。
 瞬は、友希の暴風のような力を平然と受け流しながら、友希を小馬鹿にするように悪態をつく。

「友希。お前は、悠人たちよりはまだマシな奴だと思っていたんだが。がっかりだよ」
「……僕も、お前はどんだけ冷たくて自己中な奴でも、佳織ちゃんのことだけは大切にすると思っていたのに」

 人の心の機微に鈍感だから、佳織が本当に嫌がっていることを知らずに無神経なことを言うことはあった。

 でも、佳織が痛がるようなことをすることなぞ、今までついぞなかったのだ。
 こんな奴は、自分の知っている瞬ではない。瞬の皮を被っただけの、永遠神剣『誓い』だ。

「はは、なにを言うかと思えば。
 佳織のことを一番大切に思っていて、一番幸せに出来るのは僕だ。そんなこと、当たり前だろう?」
「幸せかどうかはともかく……一番大切に思っていたってのは、もしかしたらそうかもな」

 ともすれば、義兄の悠人よりも、瞬は佳織のことを第一に考えていた。悠人も妹のことを思っていることにかけては相当だが、瞬のように全世界のすべてと引き換えにしても一切躊躇わない程ではないだろう。もはや、神か何かを崇拝するような、過去の瞬はそんな風に佳織と接していた。
 ある意味病的であり……ある意味で誰よりも純粋に佳織のことを思っていたのだ。

「もう一度言うぞ、瞬……。その『誓い』を捨てろ。その剣を持ってたら、お前は一番大切な佳織ちゃんを傷つける!」
「だからっ! お前は馬鹿なんだよ!」
「!?」

 突如として激高した瞬は、獣のような俊敏さで、一足飛びに友希に斬りかかってきた。
 ある程余裕を持って捌ける間合いだと思っていた友希は、予想以上の速さに一瞬反応が遅れ、

「っ、オーラ、」
「ィリァッ!」
「――シールド!」

 ギリギリで瞬の『誓い』を『束ね』で受け止めながら、全力でオーラフォトンの守りを展開する。
 じりじりと押されながらも、友希はなんとかその攻撃を受けきった。

 鍔迫り合いの格好になり、目と鼻の先にいる瞬と睨み合う。

「『誓い』を捨てろだって……? ハッ、もう少しマシな策にしろよ、友希。こいつを手放して、僕が弱ったところを斬るつもりか?」
「〜〜、違うっ。お前なぁ! 本当に、全然気付いてないのか!?」

 佳織に手を上げた時、禍々しい光を放っていた『誓い』。あれだけあからさまに干渉されて、一切気づかないものなのだろうか。

『多分、無駄です。主。神剣に取り込まれ、認識がかなりズラされています』
『――抵抗も、全然出来ないものなのか?』
『主は、私と初めて会った時のことを覚えていますか?』

 それは、まだ契約する前の話。
 友希の無意識に干渉してきた『束ね』に操られるまま、神社の境内にふらふらと歩いていったことを思い出す。

 あの時は、深夜にも関わらず、そうするのが自然だと思えた。あれよりもかなりタチが悪いが、似たようなものと考えれれば友希にも想像がつく。

『おそらく、なまじ利害が一致して同じ方向を向いていたから、少しずつズラされたのだと思います』
『……なんだよ、それ』

 ギリ、と歯を食いしばる。
 瞬からの圧力は益々強まるが、力ずくで押し返した。

「へえ!」
「ぅ、らぁ!」

 全力で切り払った友希に、瞬は余裕を持って距離を取る。顔に張り付いた酷薄な笑みが深くなった。

「――なんだ、食う価値もない雑魚かと思ってたが、それなりにやるじゃないか」
「……はぁ、はぁ」

 こちらは全力を振り絞って押し返すのが限界。あちらは、せいぜい様子見の一撃だっただろう。
 わかってはいたが、あまりの力の差に泣きたくなる。

「喜べ、友希。お前の永遠神剣は僕が食らってやろう。ハハッ、この世界を救う礎になれるんだ、お前も本望だろう?」
「〜〜、んなの、御免だ!」

 防戦一方では、地力の差から簡単に押し潰されてしまう。

『主。今の主は、かなりブチキレてます。ええ、私も主の怒りの感情に流されかねないほど』

 『束ね』の忠告を頭の端で聞きながら、友希は意を決して攻撃を仕掛けることにした。
 瞬を見据え、『束ね』を構えると、今まで辿り着けなかった領域にあっさりと手が届く。体を巡るオーラフォトンは今までの数倍だ。

『訓練でも教えられましたね。怒りの感情は一時的に大きな力を引き出しますが、すぐにガス欠になります』

 そういえば、そんなことも言われた。
 戦いにおいては極力冷静に。それがマナの消耗を抑え、最もパフォーマンスを発揮できる状態だと。

 しかし、それは無理だ。
 瞬は友達だった。一般的な友情とはかけ離れていたかもしれないが、恐らく友希が一番深く付き合ってきた仲だ。扱いづらい奴ではあったが、佳織と関係のないところでは悪い奴ではない。
 瞬の家で酒を呑みながらだらだらするのは、妙な居心地の良さがあった。
 今更かよ、と思いながらも、瞬に付き合ってヨーヨーの練習をするのは、童心に帰った気がして楽しかった。
 佳織への執着に辟易しながらも、なによりも一途な瞬を、少し感心もしていた。

『……しかし、もとより勝算の一つもない戦いです。一か八か、主の怒りのまま、短期決戦で仕留めるしかないでしょう。……やっちゃいなさい、主!』
「おお!」

 『束ね』の声に背中を押されて、友希は飛び出した。
 一蹴りでブルースピリット以上の加速を得る。その勢いを必死で制御しながら、友希は剣を振りかぶり、

「瞬ンンン!!」
「友希ィィィ!!」

 友希の全力の一刀を、瞬は真正面から迎撃する。
 二つの永遠神剣が重なった瞬間、比喩でもなんでもなく、爆発が巻き起こる。弱いスピリットなら、それだけで消滅しかねないマナの爆発だ。

 受け止めた瞬の足元が負荷に耐え切れず陥没し、余波は周囲の木々を薙ぎ倒す。
 しかし、それだけの威力を交差させた二人は、すぐに次の行動に移っていた。

「シャァッァア!」

 横に薙ぎ払われた『誓い』の剣閃を、友希は伏せてやり過ごす。そのまま下から切り上げるが、瞬が作り出した盾に阻まれた。

 しかし、そのまま押す。

「なに?」
「ぶち抜けぇ!」

 オーラフォトンの盾に亀裂が入り、そのまま『束ね』が突き抜ける。
 慌てて瞬が身を捻るが、身を庇った左腕に浅くはない傷を負う。

「クッ、いつもとキャラが違うんだよ友希ィ!」
「お前こそ、目ぇ覚ませぇえええええ!」

 再び、二つの神剣がぶつかり合う。
 第五位の神剣同士の争い。それは、ほとんど天災のようだった。







































「ハァッ、ハァッ……!」
「ふん……。これで、身の程もわかっただろう」

 時間にして、僅か十分弱。
 それだけで、ほぼ趨勢は決した。

 立っているのは、腕や足に傷を負いながらも、ほとんど消耗していない瞬。
 対して友希の方は、マナを湯水のように消費し、片膝を付いていた。最初こそ、瞬も目を見張る動きをしていたが、もはやそんな動きは望むべくもない。

 完全に勝者として立つ瞬はしかし、とてつもない苛立ちを感じていた。

(……なんで、僕はこいつと戦った?)

 戦いの熱が冷めると、疑問が湧いてくる。
 友希がいきなり訳のわからないことを言い始めて殴りかかってきた。だから殺す。

 ――不思議なところはなにもない。なにもない筈なのに、瞬は心のどこかで『これは違う』と感じている。

 そも、友希が突っかかってくること自体が異常なのだ。友希は、今まで瞬がどれだけ馬鹿にしてもへらへら笑っていたような奴だ。佳織と一緒に遊んだこともあるから、仕方なく友人付き合いをしてやっていたが、普通ならとっくに自分から離れている。そんな物好きが、何故僕に喧嘩を売ってきた? 勝てるわけがないとわかっていただろうに。

(そんなことはどうでもいい。こいつの神剣を砕いて、マナを喰らえ)

 いや、そうだ。確かに、どうでもいいことだった。

「ハッ、無様だな、友希。まあ、お前にしてはまあまあだったよ。さて、そろそろその永遠神剣……『束ね』だったか? そいつを砕いてやらないとな」
「やら、せるか」
「虚勢を張るなよ。立っているだけで限界だろう? あまり抵抗すると、うっかり神剣ごとお前を斬るかもしれないぞ?」

 いや、いっそのこと、一緒に斬ってしまえばいいかもしれない。
 そうだ、そもそも自分と佳織の間にこいつを入れたのが間違いだった。何故今まで自分は佳織のそばにこいつがいることを許容していたのだろう?

 そう、とっとと殺せばいい。そうすれば、佳織も自分のことをわかってくれる。

 一歩ずつ友希との距離を詰めながら、瞬はそう決める。後腐れ無く、一撃で決める。手慣れたものだ。城の連中を粛清したり、自国のスピリットで試し切りをした感触が蘇ってくる。連中と同じように首を刎ねてやろう。
 友希が必死に離れようとするがもう遅い。ここまで来れば、今の友希がどう逃げようが一息で追いついて斬り殺せる。

「逃げるなよ。墓くらいは作ってやるからさあ」

 瞬は『誓い』を構える。友希は逃げる隙を伺っているようだが、無駄なあがきだ。

「それじゃあ、なっ!」

 瞬の一撃に、友希が咄嗟に後ろへ飛ぶが、すぐに追いすがる。友希の表情が悔しそうに歪み、


 ――ポロリと、友希の破れた服から、なにかが零れ落ちた。


 視界に入った途端、ビクリと瞬の体が反応し、友希が防御のために構えた『束ね』に触れる直前、『誓い』が止まる。

「え?」

 疑問の声を上げたのは友希だった。すぐ近くに迫った『誓い』を、呆然と見ている。

 瞬自身も不思議だった。『それ』が視界に入った瞬間、なぜか自分は全力で神剣を止めた。自分らしからぬ行動に、内心首を捻る。
 力を込めようにも、どうにも手が動かない。

「……ふん」

 しばらくそのままの姿勢で硬直してから、瞬は『誓い』を鞘に収めた。

 固まっている友希を無視して、落ちたそれを拾い上げる。
 友希に返したヨーヨーだ。奇跡的に、壊れていない。

「……そういえば、お前にはこれの借りがあったな。今回は見逃してやる」

 そんなことでどうして止めたのかわからない。
 今も、友希を殺せと叫ぶ自分と、別に殺さなくてもいいと思っている自分が混在している。

 ただ、今はもう積極的に殺したいとは思わない。ただただ億劫だった。

「瞬……。お前、今は瞬なのか?」
「はっ、まだ意味の分からないことを言っているのか? 僕は、ずっと僕だよ」

 瞬は友希を馬鹿にするように見て、ヨーヨーを懐に収める。

「これは僕がもらっておく。佳織が思いの外喜んでくれたからね」
「……ああ。構わない。それはお前に上げたやつだから」
「ふん、じゃあお前はラキオスに逃げ帰れよ。安心しろ、サーギオスを出るまでは手を出さないように言っておいてやる」

 既に、この周囲は帝国のスピリットが包囲していた。瞬が一言命令するだけで、友希を八つ裂きにするだろう。
 こちらを見ているスピリットたちに『わかったな』と声をかける。

 しかし、主が戦っていたというのに、集まるのが遅かった。これは後で教育してやる必要があるだろう。

「じゃあ、せいぜい頑張って生き残れよ。ラキオスと戦うときに、改めて殺してやる」
「……やっぱり、戦うことになるんだな」
「当たり前さ。悠人、碧、岬……佳織を騙していた連中には、きっちり引導を渡す必要があるからね。お前がラキオスに味方するなら、そういうことになる」

 しかし、連中が四神剣の主なのは実に都合がいい。『誓い』の望みも同時に叶えられる。

「……それって、皇帝も了承しているのか?」
「皇帝? ……く、くくく」

 あまりに滑稽で、瞬は笑いをこらえられなかった。
 友希がみっともなくサーギオスの城内で情報収集をしていたのは瞬も知っていた。知られて困るようなことはないので放置をしていたのだが、どうやら友希はこの状況でもラキオスのためにサーギオスのことを探ろうとしているらしい。

 実に笑える。多少の情報を集めた程度でこの僕に勝てると思っているのか。
 それに、皇帝だと?

「クク……ハハハ! お前、城で暮らしていて欠片も気付かなかったのか!? 鈍いやつだ!」
「なんのこと――」

 瞬にとっては特に隠すようなことでもない。笑わせてくれた礼に、教えてやることにした。

「皇帝なんて、この国にはいないんだよ! 『誓い』だ。『誓い』が皇帝としてこのサーギオスを、そしてこの大陸を動かしていたのさ」

 友希が息を呑む。
 なぜそこまで驚いているのか、瞬にはわからない。

 より優れたものが王になるのは当然のことだ。自分が現れるまで、『誓い』より優れたものがいなかっただけのこと。
 所詮凡人だな、と瞬は友希を嘲笑って、背中を向ける。

 もう、友希にかかずらうつもりはない。
 情けをかけるのも、今回一度きり。次もし会ったら、必ず殺そう。

「じゃあな、友希。クッ、二度とその顔を見せるなよ」

 ――まあ、『もし会ったら』の話だ。瞬は、もう友希の顔は見たくもない。それに、こいつ程度なら、自分が手を下すまでもなくどこぞで命を落とすだろう。

 それきり、瞬は一度も振り返ることなく、友希をその場において立ち去るのだった。






































「エトランジェ殿、おかえりなさいませ」
「ソーマか。なんだ」

 瞬が城に帰り着くと、出迎えたのはスピリットの特別部隊の隊長を務めているソーマ・ル・ソーマだった。
 他の連中が、瞬を畏れるか敬愛するかの二択であるのに対し、この男だけは例外的に瞬に対して慇懃無礼な態度をとる。内心、瞬を軽んじているのは透けて見えていたが、瞬は無視していた。こんな小物にムキになるのも馬鹿らしい。
 それに、性格はともかくとして、スピリットの調練に関してはそれなりのものを持っている。使える駒であるならば、多少のことは許してやるのが英雄の器量というものだ。

「いいえ、特になにも。お帰りになるのが見えたので、ご挨拶をしに来ただけですよ」
「暇なやつだ」
「ええ、配下が優秀なものでして。そうそう、我が部隊へのエーテルの配分についてなのですが……」

 世間話から実務の話に移ろうとするソーマに、瞬は鬱陶しそうに口を挟んだ。

「後にしろ。僕は佳織のところに行かなくちゃいけないんだ」

 急に部屋を飛び出したから、佳織はきっと心配している。
 顔を見せて、安心させてやらないといけない。

「おお、それは失礼をしました」
「わかったらそこをどけ」
「ええ、どきますとも。しかし、その前に一つ」

 瞬間、瞬は頭に血が上るが、斬るよりも話を聞いてやったほうが面倒は少ないかと、先を促した。あまりにも長くなるようなら、すぐに切り捨てる心算だ。

「あの男……エトランジェ殿の御友人でしたかな? 彼はどうしたので?」
「友希のことか」
「ええ、そうですそうです。トモキ殿でしたな」
「あいつなら、僕に突っかかってきたんでね。少し小突いたら、ラキオスに逃げ帰ったよ」

 ソーマの目が細くなる。爬虫類かなにかのような目だ。
 こちらを探るような視線に、やはり殺すかと瞬は『誓い』を取り出しかけ、

「質問に答えていただき、ありがとうございます。では、私はこれで」
「……ふん」

 絶妙なタイミングで間を外され、瞬は『誓い』に伸びた手を下ろして、ソーマの脇を通り過ぎる。

「しかし、逃げ帰った、とは。エトランジェ殿も、御友人を殺すのは気がとがめましたかな?」
「……そんなわけがないだろう。単なる気まぐれさ」

 ソーマの言葉に、瞬は一瞬返答に迷い、そう返した。
 もうソーマと問答するつもりはなく、そのまま歩き始める。

「成る程、左様ですか」

 その物言いも不快だったが、瞬は無視して佳織の部屋へと急いだ。早く佳織に会いたい。会って話をしたい。友希が何か戯言を言っていたが、この気持ちだけは本当だ。『誓い』を捨てないと、佳織を傷つける? 馬鹿なことだ。

 内心の小さな焦りに気付かないふりをして歩を進め、瞬は佳織の部屋に辿り着く。
 扉の前にはスピリットが立ち、ドアが開かないように塞いでいた。

 中からは、ドアを叩く音と、佳織の声が響いていた。

『お願いだから開けて! 御剣先輩が――!』

 あれから、随分時間が経っている。その間、ずっと外に出続けようとしていたのだろうか。声がかすれている佳織を痛ましく思いながら、瞬はスピリットにどくように促した。

 突然、扉が開き、転がるように出てきた佳織を抱きとめる。

「やあ、佳織。随分元気だね。でも、あまり無理をしてはいけないよ」
「え、え? あ、秋月先輩?」
「ああ。手に傷がついてるじゃないか。……おい、回復魔法が使えるグリーンスピリットを呼んでこい」

 呆然としている佳織の肩を掴んで部屋に戻し、再び扉を閉める。
 扉の閉まる音に我に返った佳織は、瞬を睨んで問いただした。

「あ、秋月先輩! 御剣先輩は、一体どうしたんですか!?」

 佳織は神剣の気配などわからないが、先程見せた『誓い』の不気味な輝きや瞬のこれまでの言動によって、彼が神剣に心を囚われていることにはなんとなく察しがついている。
 瞬にとって心を許していた唯一の人間も、もしかしたら殺してしまったのかもしれないと考えていた。

「友希。友希か……」

 佳織に糾弾され、瞬は友希との戦いを思い出す。
 が、途中で首を振った。さっきの事を思い出そうとすると、何故か気持ちが悪い。まるで自分を二つの心が動かしていたような、チグハグな印象がする。

 なら、そんなことは思い出すまでもないことだろう。そう瞬は思い直して、佳織に笑って話しかけた。

「ははは……佳織、そんなのはどうでもいいことだろう? そうだ、友希のやつからヨーヨーを取り返したんだ。もう一度見せてあげよう」
「〜〜っ、いりません! そんなことより、御剣先輩は……」

 ポケットからヨーヨーを取り出そうとした手が止まる。
 友希、友希と、佳織は五月蝿い。その口を無理矢理閉じてしまいたい衝動にかられる。
 だが、そんなことはできなかった。自分は、悠人などとは違うのだ。佳織を力尽くで従わせたりなどしない。それに、そんなことをすると友希の言った通りになりそうで癪だ。自分は『誓い』に操られてなどいないし、佳織を真実大切にしているのだ。

 佳織に対して起きた攻撃的な衝動を抑えつけ、瞬はにこやかに言った。

「友希かい? あいつなら、適当にあしらってから見逃してやったよ。佳織は優しいからね。あんな奴でも死んだら悲しむだろう?」
「……ほ、本当ですか?」

 意外だったのか、佳織が目を丸くしている。

「ああ、僕が佳織に嘘を付くはずがないだろう? この国の連中には追わないように言っておいたから、無事にラキオスに帰れるはずさ」

 柔らかい声で佳織に語りかける。

「秋月先輩……」

 佳織は心底ほっとした様子だった。
 同時に、複雑そうな、しかしどこか柔らかい目で瞬を見てくる。

 ――そういえば、佳織からこんな目を向けられるのは、いつ以来だっただろうか。

「……まあ、そういうことさ。あれだけ力の差を見せたんだ。もう僕に逆らおうなんて思わないだろう。
 これから大人しくしているっていうなら、僕に喧嘩を売ったことは不問にしてやるさ」

 重要なのは、佳織のことだけだ。だったら、関係のない友希など無視してやればいい。

 ――いや、忘れていた。重要なことはもう一つある。

「勿論、悠人や碧、岬は別さ。あいつらは長年佳織を騙していた罪がある。友希のやつは見逃してやっても、連中は許さないからね」
「……お願いします、秋月先輩。お兄ちゃん達を苦しめるのはもうやめてください」
「そうはいかない。だって佳織が――」

 佳織は、きゅっと胸の前で拳を握りしめて、瞬を見る。
 佳織は彼のことが正直好きではなかった。瞬個人がどうこう言う以前に、自分の大好きな兄を悪く言うところが、どうしても受け入れられない。

 でも、あの病室で遊んでいた頃は、瞬のことは好きだったし。
 ……さっきは一瞬だけ、その頃に戻った気がして、

「秋月先輩。……もし、わたしが秋月先輩に付いて行く、って言ったら、お兄ちゃん達に手を出さないでくれますか?」

 佳織は、今までなら考えもしなかった提案した。

 瞬の顔が一瞬で喜色に染まる。

「そうかっ! やっと佳織もわかってくれたか! なら、悠人達なんて……」

 佳織の方を掴み、その言葉に頷こうとしたところで、瞬の体がビクリと跳ねる。
 佳織は見た。瞬の腰に差された『誓い』が、瞬に絡みつくように赤い光を放っているところを。

「……いや、そうだ。悠人たちがいなくならないと、やっぱり佳織は僕のことを本当にはわかってくれない。……ああ、ごめんね、佳織。佳織がせっかく決心してくれたのに、僕は断らないといけない。
 佳織が悪いんじゃないんだ。やっぱり、悠人が……『求め』がいるのが悪いんだよ」

 もはや理屈になっていない言葉で自分を納得させて、瞬は頷く。

「そう、です……か」

 佳織は項垂れる。
 ……きっと、もうこの人は自分がなにを言っても止められない。止まってくれない。そう思い知らされた。

 可能性があるとするならば、

「御剣先輩……」

 人が間違った道を取ろうとした時、それをぶん殴ってでも止めるのは、きっと友達の役目だと思うのだ。


























「はぁ……はぁ……」
『いやはや、これでもかというほどこっぴどくやられましたね、主。まあ、命があるだけ儲けものですが』
「……うる、さい」
『ご安心を。この地方はマナが異様なほど濃密です。一晩もあれば、回復することでしょう」

 気楽に言う『束ね』に、足を引き摺って街道を歩く友希は怒気を放つ。

「そんなこと、言ってる場合か……! 瞬のやつは『誓い』に呑まれてるし、サーギオスの皇帝がいないって……!? もう、僕はぐちゃぐちゃで訳わかんないんだよ!」
『それは疲労のせいでしょう。休めば、頭もすっきりするかと』

 カッとなって神剣を捨てたくなる衝動にかられるが、その前に『束ね』が言った。

『……それに休まないと『誓い』を破ることもできないでしょう?』

 今までにない、真剣さと怒りを感じさせる声だった。
 どこか飄々としていた『束ね』らしくない。

「どうしたんだ? てっきり、お前のことだから勝てない相手には挑まないように言うかと思ってた」
『時と場合によります』

 きっぱりと断言して、『束ね』は自分の思いを話す。

『主。私は人の作る物語が好きです。そして我が名の通り、人が力を合わせて生きていくのは掛け替えの無いものだと思っています。
 それを、この大陸を『誓い』が――永遠神剣が動かしていた? 気色悪い。そんな物語、私は認めません』
「……そうだな。気色悪いな」

 心底同意する。あんな神剣に友人がいいように使われているのは、許容できない。

「……『誓い』をぶっ倒す。力を貸してくれ、『束ね』」
『了解しました、我が主』

 今まで、どこか一歩下がったところで友希の行動を見ていた『束ね』だが、ここに二人の方向性は一致した。

 一度だけ、友希は振り返って、もう殆ど見えないサーギオスの城に向けて宣言する。

「ちょっと待ってろよ、瞬。絶対に戻ってくるからな」

 友希は無力で、一人では友人一人救い出すこともできない。
 だから、再びここに来るために、仲間のいるラキオスに向けて歩を進めた。




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