「ふっ!」
「甘い!」

 必殺のタイミングで放った一撃はあっさりと掻い潜られ、雷のような速度で居合が繰り出される。

「くっ!」

 咄嗟にオーラフォトンを集中。無防備な脇腹に吸い込まれそうになった永遠神剣は、形成されたオーラシールドによって僅かに勢いを減じる。
 その僅かな隙に友希は全力で後退し、仕切り直し――

「それも、甘い」

 する暇もなく、流れるように伸びてきた刀が、友希の肩を強かに打ち据えた。

「がっ!?」

 神剣の切れ味を相手が落としていなければ、間違いなく体が両断されていた。そう確信できるほど鋭く強い一撃だった。
 今だって、オーラを流して痛みを誤魔化しているが、骨に罅くらいは入っているかもしれない。

「……まいった」

 流石に、これ以上は続けられず、友希は降参とばかりに両手を上げた。

「はい」

 友希が手を上げたのを見て、未だ残心の姿勢のまま立っていたスピリット――ウルカが、ようやく構えを解く。

「っっはあ〜〜。やっぱ全然敵わないな」
「いえ、そんなことはありません。初めて会った頃のトモキ殿であれば、初撃で決まっていたでしょう。よく鍛錬されています」

 こと、戦いに関してはウルカは私情を挟んだりはしない。だからこれは恐らく、慰めなどではなく、ウルカの本音なのだろう。
 だが、たった二太刀で落とされていては、進歩したなどととてもではないが実感はできない。

「それに、最初から守りを固めていれば、手前とて攻め切れませんでした。本来、我々は小隊で動くもの。足りないところは仲間に補ってもらえばいいでしょう」
「……そうか、そういう考えもあるのか」

 確かに、防御だけを考えていればウルカの攻撃を受け切ることもそこまで難しいとは感じなかった。勿論、ウルカの全力ではないだろうが。
 成る程、と頷くが、しかしこの国に味方はいない。

「それにしても、ウルカ、ごめん。付き合ってもらっちゃって」
「いいえ、このくらい。手前も、良い訓練になりました」

 ――サーギオス帝国での友希の生活は、怠惰の一言に尽きた。
 なにせ、朝昼晩と部屋に豪勢な食事が運ばれ、掃除洗濯も城に仕えるメイドによって行われる。なにかやろうにも、流石に帝国のスピリット隊に参加するわけにもいかない。

 ならばと、レスティーナから頼まれたようにサーギオスの情報を集めようとはしたが、始めて数日で行き詰まった。
 集めた情報の中には、貴重なものも多い。スピリットの数や練度は大雑把だが把握できたし、ソーマ等、スピリット隊で重要な位置を占める人間の顔も覚えた。エーテル技術については門外漢なので詳しいところは不明だが、日用品の程度からもラキオスを上回っていることは間違いないことはわかる。

 しかし肝心の、皇帝についての情報となるとさっぱりだった。
 サーギオス帝国は、その全てが皇帝の意志によって動かされている。そのため、その皇帝がどのような人物で、なにを求めているかがわかれば、次の行動も予想がつくし、場合によっては交渉することもできる。

 だけど、数週間、城に暮らしているというのに、皇帝の影も形も見当たらないのだ。
 今現在、国を動かしている瞬にそれとなく聞いては見たものの、ニヤニヤ笑って答えようとしない。

 所詮、諜報など素人である友希がこれ以上調べると、排除されかねず――事実、瞬の周囲からは煙たい目で見られている――そして、そうすると、友希には本格的にやることがなくなってしまった。

 佳織の部屋で彼女の話し相手になるか、素振りや瞑想など、部屋でもできる訓練だけをする毎日。
 そんな時、佳織の部屋に来たウルカに思い切って訓練の相手を頼んだのだ。

「それにしても――トモキ殿、不躾な質問ですが、なにを焦っておられるのでしょうか?」
「焦って……そう見える?」
「ええ。剣を合わせれば、その程度のことはわかります」

 確信を持って言うウルカに、友希はそんなにわかりやすかったのか、と内心嘆息する。

 確かに、友希は焦っている。
 なにもできず時間だけが過ぎる毎日。瞬が話していたラキオスとマロリガンの戦争。そしていつあの黒い剣士が目の前に現れるのか。特に最後の、なまじ奴がいるかもしれない国に滞在しているため、いつ顔を合わせるのかと緊張していた。

「……ウルカは知っているか? 身の丈程の永遠神剣を持った大男」
「? はて、聞いたことありませぬが……。どなたのことでしょうか?」
「ゼフィの、仇だ」

 絞り出すように言うと、ウルカが驚いた顔になる。

「なんと……ゼフィ殿を? 手前はてっきり、乱戦の中で命を落としたものだと」
「違う。僕を逃がすために、一対一で足止めをして、」

 あの時のことを思い出すと、まだ震えが止まらない。これが恐怖によるものか、怒りによるものか、友希自身も判断がつかなかった。

「……エトランジェ、でございましょうな。男で、しかもゼフィ殿を一人で下す程の力を持つとなると、それ以外考えられませぬ」
「多分な」

 エターナル、そんな存在かもしれないという可能性を『束ね』から指摘されていたが、『束ね』も名前を知っているだけ、ということなので眉唾だ。
 やはり、今は友希たちと同じようなエトランジェと考えておいた方が妥当だろう。

「成る程、それで焦っておられたのですね。仇討ちを考えているのでしょう」
「……無謀だと思うか?」

 ウルカは問われて、少し逡巡し、

「正直に申し上げれば。しかし、手前には否定は出来ませぬ。仲間を殺され、無念の思いを抱くのは理解できますゆえ」

 サーギオス帝国の裏の仕事を数多く引き受けているウルカの部隊は、当然のことながら殉死者も多い。
 手練揃いではあるが、誰もが誰も、ウルカのように一騎当千の力を持っているわけではないのだ。

 お互い様だということは理解しているが、ウルカとて部下を殺した相手に全く恨みがないと言えば、嘘になる。

「しかし、自棄になってはいけません。軽々しく命を捨てるような真似は、それこそゼフィ殿の――」
「……いや、それ耳タコだから、勘弁してもらえるかな」
「みみたこ?」
「ラキオスの仲間とか、こいつとかに、さんっざん言われて、思い知らされてる」

 ぽん、と『束ね』を叩いて見せる。

「ああ、そうでしたか。それは失礼を」
「本当、わかってる」

 理解はしている。しかし、奴が近くにいるかも知れない、と考えると、居ても立ってもいられない自分がいるのも確かだった。
 そんな気持ちを、ウルカに見抜かれたのだ。

『それはわかっていないと言うんですよ、主』
『……ぅっせい』

 急に出てきてコメントする『束ね』に、反論もできず悪態を返すしか出来なかった。

「そういうことならば、続きと参りましょうか?」

 是非もない。ある意味、悠人よりも強い最強クラスのスピリットに直々に稽古をつけてもらえるなど、願ってもないことだ。

「よろしくお願いします」




























「え、ええと……ウルカさん、御剣先輩、どうしたんですか」
「さて、手前にはとんとわかりませぬ」

 約一時間後。
 訓練を終え、佳織の部屋にやって来たウルカと友希に、佳織は目を白黒させていた。

 服がボロボロになっている友希が、やって来るなり椅子にどっかと座り込んで、一度も顔を上げなければ当然の疑問だろう。

「よ、よくも言ったな」

 全身の痛みを堪えながら、友希はしれっと知らないふりをするウルカに抗議する。
 なんのことはなく、あれからずっと、一方的にボコボコにされていたというだけの話であった。

 久方ぶりの対人訓練に張り切っていたのも最初だけ。数合打ち交わしただけで一本を取り、倒れてもすぐに起きろと蹴飛ばすウルカは、まるで鬼のようだった。

「怪我がないところを探すほうが大変なんだけど」
「手前は訓練士ではありませぬから。戦い方を教えるとなれば、実戦形式とならざるをえません」

 その会話に大凡のところを察した佳織が、苦笑を浮かべる。
 実際に見てはいなくても、ウルカの強さについては聞き及んでいた。

「さて、随分と時間を食ってしまいました。カオリ殿、是非先日の話の続きをお聞かせください」
「あ、はい。わかりました」

 佳織がここにきて、友希が到着するまでの間、この二人はこうして交流を深めていたらしい。
 佳織が地球で見聞きした話をウルカに話し、ウルカはそれを部下たちに話して聞かせる。基本的に娯楽に飢えているスピリットたちに、佳織の話は好評らしかった。

 喜んで頷き、友希も知っている日本の昔話を話し始める佳織は、楽しそうだった。

『……ちょっと意外、かな』
『ちょっと主、黙っててください。佳織さんの話が聞こえないじゃないですか』
『お前も聞いてんのかよ!?』

 手持ち無沙汰な友希は『束ね』に水を向けてみるが、あっさりと却下され思わずツッコミを入れる。

『なにを今更。物語を収集するのが私の本能だと言ったでしょうに。いやはや、こうして声に出して聞かされると、活字とは違う趣がありますね。
 お、今のところ、佳織さんのアレンジっぽいですよ』
『……もういい』

 意外に夢中になっているっぽい『束ね』に、友希は沈黙した。

『主、拗ねないでください。わかりました。わかりましたよ、聞きましょう。なんですか?』
『その仕方ないなあ、って感じやめろ』

 やれやれ、と思っていることを隠そうともせず、『束ね』が聞く体勢に入る。

『……なんていうか、佳織ちゃん、こんなに強かったかなあって』
『ほう?』
『優しい子だったけど、攫われて悠人から引き離されて……それでも、笑ってられるほど、気丈じゃなかったと思うんだけど』

 不思議に思っていることを口に出すと、『束ね』はやれやれとした感じで、

『このような世界に来て、もう一年以上も経っているんです。誰しも、良かれ悪しかれ変わって当然でしょう。それに、佳織さんは、ラキオスにいた頃も囚われていたそうですから、慣れているのでは?』
『いや、慣れって……』

 慣れることではないとは思うが、前半の言葉には納得ができた。
 友希自身も随分変わっている。地球にいた頃はごく普通の学生だったのが、今では曲がりなりにも一端の戦士だ。
 そしてあの頃は、自分がこんなに誰かを――絶対に仇を取る、なんて誓うほど――思うことになるなんて、思ってもいなかった。

『……まあでも、そうかもなあ』

 今思えば、悠人も随分と変わっていた。佳織と、幼馴染二人以外の人間関係は淡白な方だったが、スピリットの仲間を家族同然に大切にしていた。それに、多少短絡的なところがあったのが、視野が広くなった感じがする。
 地球にいた頃の悠人なら、間違いなく今頃は単身でサーギオス帝国に殴りこんでいたはずだ。

 そして、変わったと言えば、誰よりも変貌を遂げた人物が一人いる。

『後は、瞬か。なあ、『束ね』。瞬のやつ、『誓い』に人格を呑まれていると思うか?』

 佳織のことが第一。佳織のこと以外はどうでもいい。佳織を天秤にかけると、世界の全てがゴミ屑同然のあの男が、なにを勘違いしたのか『僕はこの世界の勇者なんだ』などとのたまう。
 そういう立場を利用しこそすれ、それを誇るなんて友希の知っている瞬ではない。

『うーん、何回か実際に会って探ってみましたが……正直わかりません』
『そうなのか』

 永遠神剣のことについて『束ね』にわからないとなればお手上げだ。
 あからさま過ぎる変わり具合に、何度か同じ事を尋ねているのだが返答は毎回同じだった。

『影響を受けていることは間違いありません。でも、まだ瞬さんが主導権を握っているのか、それとも『誓い』に完全に乗っ取られているのか、わからないんですよね』
『佳織ちゃんに執着はしているから、完全に、とは思えないけど……』

 そこは、瞬の、瞬たる所以だ。だが、全てにおいて佳織を最優先する、というわけでもなくなっているの。恐らくそれは『誓い』の影響だ。
 例えば、佳織だけでなく悠人に拘っているところなど、まさにそうだ。瞬が見ているのは悠人だが、『誓い』の目的は悠人の永遠神剣の『求め』だろう。『求め』の方を見ても分かる通り、四神剣は互いを砕くことを目的としている。

『あ〜、もう。とっとと『誓い』をへし折ってやりたいところだ』
『……? 主にしては随分過激な』
『あんなんでも、友達なんだよ。もし乗っ取られてなくても、いいように利用されてて気分がいいわけ無いだろ』

 ふん、と嘆息する。

『はあ、成る程。しかし、正面切って砕きに行かないでくださいね。間違いなく返り討ちなので』
『わかってるよ……』

 瞬が手放していれば望みはあるが、そんな機会はまず訪れないだろう。

「あのー、御剣先輩?」

 と、気が付くと佳織の話は終わっていたらしい。佳織が友希に話しかけてきた。

「ちょっとお願いしたいことがあるんですけど」
「ん、なに?」

 『束ね』との話に集中していたから、経緯がわからない。
 尋ねると、佳織は部屋に備え付けられている机から、あるものを取り出す。

「ウルカさんに地球のものを見せてあげたいと思って。でも、笛はラキオスにありますし、そうするとこれしか」
「ああ」

 そう言って佳織が見せたのは、ヨーヨー。
 瞬から渡された、思い出のハイパーヨーヨーだった。あの病室では佳織も少し練習していたが、それほど上手くはない。ブランクがあるだろうし、ロクにやれないだろう。

「ウルカさんに、見せてあげてください」
「わかった」
「あの、カオリ殿、トモキ殿、それは一体?」

 見たこともない材質でできた丸い物体に、ウルカが首を捻る。確かに、初見では用途がわからない道具だろう。

「ええと、これはわたしたちの世界の遊び道具の一つなんです」
「遊具ですか……。して、それはどのように――」
「まあ見ててくれ」

 ストリングが劣化していないことを確認して、中指を通す。
 久し振りなので、出来るかどうか少し不安になりながら、友希はヨーヨーを放る。

「よっ、ほっ」

 基本的ないくつかのトリックを思い出すように繰り出し、感覚を思い出した辺りで動きを激しくする。

 意外と忘れていない――というより、神剣の加護で動体視力などが上がっているため、全盛期よりむしろうまく出来ている気がする。

「わー」
「ほう……」

 二人が感嘆の声を上げているのに調子を良くして、友希は更に高難度の技に挑戦し、

「なにをやっているんだ、友希?」
「うお!?」

 背後からかけられた声に、操作をミスって、思い切り膝にヨーヨーをぶつけた。

































 ノックもせずに部屋に来たのは瞬だった。
 彼はウルカに対して、スピリット風情が僕の佳織に馴れ馴れしくするんじゃない、などと言って退室を命じた後、友希を小馬鹿にするように鼻で笑った。

「自分にヨーヨーをぶつけるなんて、鈍い奴だ」
「……こっち来るなら事前に言っておけよ。びっくりした」
「はあ? 何故お前に伝えないといけないんだ。ここは僕の城だぞ」

 本来皇帝のものであるこの城を『僕の城』などを言う。仮に誰かに聞かれても、誰も咎めないだろう。
 それだけの権力を瞬が握っていることを、友希は短い調査の中で知っていた。

「しかし、懐かしいことをしているじゃないか。相変わらず下手糞だが」
「あ、あの、秋月先輩、ありがとうございました。地球のものが見れて嬉しかったです」

 瞬のキツイ言葉に、慌ててフォローを入れるように佳織が話しかける。
 そうすると、瞬は先程までの軽薄な笑みが嘘のような満面の笑顔を浮かべて、

「ああ、佳織が喜んでくれたのならなによりだ。しかし、あの程度のトリックを見せられて不満だったろう? ちょっと見ていてくれ」

 友希を相手にする時とはまるで別人のような優しい声で、瞬は机の上のヨーヨーを手に取り、その技を披露する。
 何度も何度も練習したことがわかる熟練の手つきで、ヨーヨーがまるで生物のように飛び回る。昔、佳織に褒められたから、というそれだけの理由で何年も練習を続けた彼の技量は、世界大会などに出てもなんらおかしくない腕前であった。

 今日ここに至るまで本命の佳織に披露する機会がなかったのだが、この異世界で初めて見せることができた。心なしか、瞬が喜んでいるように友希には見えた。

 この時ばかりは、瞬にあまりいい感情を持っていないはずの佳織も目を丸くして、素直に感心している。

「ふう、どうだい?」
「す、すごいです。なにをしているのか、全然わかりませんでした」
「まあ、このくらいは簡単さ」
「……簡単、って。瞬、お前地球にいた頃はヨーヨー名人の動画見て、何回も練習してたじゃないか」
「うるさいよ、お前は」

 佳織の前で言われて、瞬はバツが悪そうに視線を逸らす。

(……懐かしいな)

 ほんの一瞬だが、あの病室にいた頃に戻った気がする。
 初めて会った頃、瞬のことを嫌な奴だとは思いながらも、佳織を通じてなんだかんだで友情らしきものを培っていたあの頃に。

「ふん、しばらく練習してなかったけど、なんとかなるもんだ。……僕はもういい、これはお前にやったんだからな」
「おいおい、どうせ後で返すつもりだったんだ、持って帰っとけよ」

 ヨーヨーを押し付けようとする瞬に、友希は抵抗する。

「いらないと言っているだろう。第一、これは元々お前のものだ」
「……だっけ?」
「買ったはいいけど、フィーリングが違う、って言って僕に押し付けたんだろうが」
「そういえば、そうだった気もするなあ」

 当時の瞬は、欲しい物はいくらでも買い与えられていた。しかし、見舞いに訪れる人がほとんどいないため、欲しいと伝えるのに時間が掛かる。
 そのため、友希の予備のハイパーヨーヨーを貸したのだ。

 それから、なし崩し的にそれは瞬のものとなった。安物だが、佳織と遊んだ品なので、それ以来瞬は変えていない。

「記憶力の悪いやつだ」
「はいはい……わかったよ、返してもらうさ」

 言って、友希はヨーヨーをポケットにしまう。そのやり取りに、佳織は少しほっとした気持ちだった。

 瞬が来た時は身構えていたが、友希と話す瞬は、いつものような不気味な怖さがない。口が悪いため友希が怒り出したりしないか不安だったのだが、友希はいつものことのように流している。

「あの、それで秋月先輩。なにかご用だったんですか?」
「ああ、そうだったね。少し話したいことがあってきたんだ。まったく、友希のせいで無駄な時間を食った」
「僕のせいかよ……なんだよ、一体」

 不満を抱く友希だが、とりあえず置いておいて、先を促した。
 すると瞬はこれまでとは違う暗い笑みを浮かべる。

「あ……」

 ――その表情に、なにか佳織は嫌な予感がした。
 その先を言わせちゃいけない、そう自分の中のどこかが警告を発する。さっきまでのどこか安らいだ空気が吹き飛ぶ。やめて、そう佳織は叫ぼうとした。

 しかし、止める暇もなく、心底愉快という風に瞬が語り始めていた。顔面には狂気の表情が張り付いている。

「ああ、喜んでくれ、佳織! ついさっき入った情報だ。とうとう、ラキオスとマロリガンが本格的に戦端を開いたらしいよ!?」

 そんなことを、嬉しそうに話す瞬が理解できない。
 どうして戦いが始まったことを愉快そうに話すのか、なんでそれを聞いて自分が喜ぶと思ったのか、佳織にはまるでわからない。わからないわからない!

「おい、瞬」
「黙ってろ友希。……それでね、佳織。国境のヘリヤの道で二国が一戦交えたらしいんだが……あの悠人と碧や岬が戦ったらしいぞ!」
「お兄ちゃんと碧先輩に今日ちゃんが!?」

 佳織は悲鳴に近い声をあげる。
 マロリガンに、行方知れずだった二人がいることは既に瞬から聞いていた。でも、例え国同士が敵味方に分かれても、あの三人が争うなんてこと考えられなかったのに!

「ああ、そうだ。『求め』に『因果』、『空虚』。くっ、四神剣のうち三本までが集まって戦ったようだよ」
「そんな……」
「喜んでくれ佳織ィ! ようやく、佳織の目を覚まさせてやれる。勝つのは『求め』かな? それとも『因果』と『空虚』か。どちらにせよ、親友同士が殺し合うんだ。ハハッ、いい気味さ!
 どうだい、佳織もわかってくれるだろう? 所詮、連中はそんな野蛮で血も涙もない奴らなんだ」

 気持ちが悪くなるほど優しく佳織に語りかける瞬。皮膚の上を蛇が這い回っているような、そんな気分を佳織は味わった。

「勝った方は、今度は身の程知らずにも僕に喧嘩を売ってくるだろうね。でも、安心してくれ、僕と僕の『誓い』は負けないから。そうさ、世界に選ばれた勇者である僕が、あの悪魔どもを斬り捨ててやる!」

 瞬は陶酔したように言った。

「……めて」
「うん、なんだい佳織?」

 いやいやと首を振りながら、絞り出すように佳織は声を出す。

「ゃめ……」
「それじゃ聞こえない。悪いけれど、もう少し大きな声で言ってくれ」

 言われて、佳織は少し躊躇し……次いで、キッと顔を上げて、正面から訴えかけた。

「……やめてください! どうして、そんなことを嬉しそうに話せるんですか!?」

 基本的に、佳織は大声を張り上げたり、誰かを正面切って非難することなどない。
 だが、例外というものはある。何よりも大好きな兄や親友をこんな風に言われて、佳織は人生で初めて、誰かを憎いと思った。

「……ああ、可哀想に。本当に、あいつらに騙されているんだね。でもすぐに僕があいつらを斬ってあげるから」
「騙されてなんかいない! それに、お兄ちゃんはあなたなんかに負けないんだから!」
「――――」

 瞬間、瞬の顔から表情が消える。
 うっすらと、瞬が腰に差している『誓い』から赤い光が立ち昇った。その様子を見ていた友希がぎょっとする。

 瞬と佳織、友希の三人しかいないはずの部屋に、それとは違う第三者の意志が現れた。誰よりも苛烈で強大な意志は紛れもなく永遠神剣『誓い』のものだ。

「僕が悠人に……『求め』に負けるだって?」
「お兄ちゃんは弱いけど、強いもの! 一人きりで、周りを見ようともしないあなたが勝てるわけない!」

 よろよろと瞬が立ち上がる。その姿はいつ暴発するとも知れない火薬庫を連想させた。

「お、おい瞬? どうした」
「黙れって何度も言わせるな友希!」

 五月蝿い友希の声を一喝で黙らせてから、瞬は佳織の肩を優しく掴む。

「ねえ、佳織。目を覚ましてくれ。あんな奴を佳織が庇うことはないだろう? あいつは世界全てに憎まれる運命なんだよ。そんな奴のために、佳織が心にもないことを言う必要はない」
「そんなことはありません!」
「どうしてわかってくれないんだい? この僕が……『誓い』が、『求め』なんかに負けるはずがないだろう?」

 徐々に、瞬の手に力が入る。同時に『誓い』から漏れる光が強くなっていく。
 今や、瞬の意志は、『誓い』と完全にリンクしている。

「い、痛っ……」
「さあ、訂正してくれ。僕はこの世界の英雄なんだ。奴らを全員、砕く運命を持っているんだ」

 口調だけは優しいが、既に佳織の肩を掴む手は人間の握力の限界を突破しつつある。ミシミシと、彼女の肩の骨が軋む音が聞こえてくるようだった。
 ――そこが、友希の限界だった。

「瞬!」

 ぶん、と振るわれた拳が空を切る。
 一瞬で佳織から離れ、距離を取る瞬は不愉快そうに眉をひそめた。

「なんだ、友希。いきなり殴りかかってくるなんて。どういうつもりだ?」
「……今、はっきりわかった」
「?」

 友希は自分の中から『束ね』を取り出す。神剣は今までにないほどのオーラを発揮し、臨戦態勢に入っていた。

「お前は『誓い』に操られてる。その剣を捨てろ、瞬」
「……なにを言うかと思えば、馬鹿なことを」

 一笑に付し、瞬も『誓い』を抜く。

「僕が操られている? はっ、嫉妬か、友希? そんなちゃちい永遠神剣と契約したことには同情するが、言いがかりをつけるなよ」
「なら、お前は今なにやった!?」
「なに……?」

 本気でわからない瞬に、友希は彼を――正確には『誓い』を――睨みつける。

「佳織ちゃんを痛がらせただろう。そんな奴は、僕の知ってる秋月瞬じゃない」
「僕が? 佳織を? 馬鹿なことを言うんじゃない。そんなことを僕がするわけないじゃないか」
「ついさっきのことも覚えていないのか?」
「五月蝿いな、僕がやっていないと言えば、やっていないんだよっ!」

 瞬は、自分でも不思議なほどの苛立ちを覚えながら友希に反論する。
 僕が佳織の嫌がることをするわけがない。だから間違っているのは友希の方だ。そう考えてはいても、友希に対してではない苛立ちが収まらない。

 では誰に対してのものか。その矛先が見えず、更にイライラする。

「それで……僕に神剣を向けてどうするつもりだ?」
「……その『誓い』をへし折って、お前の目を覚まさせてやる」
「くっ――」

 瞬は嘲笑った。

「そのスピリット共のものに毛が生えた程度の神剣で? 僕の『誓い』を?」

 『誓い』から発揮されるオーラが一気に膨れ上がる。このサーギオスの首都全てを圧倒するような気配だ。格下に喧嘩を売られ、怒りを覚えているのは瞬ではない。『誓い』だ。友希はそう確信できた。

「……やってみろよ、友希ィィィィーー!!」
「瞬、こっちだ!」

 部屋の中だと、佳織を巻き込むかもしれない。なにより、騒ぎを聞きつけたスピリットが加勢すると、万に一つも勝ち目はなくなる。
 友希は部屋の窓をぶち破り、外へと飛び出した。




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