「ふう〜〜」

 ラキオス城の一室。スピリット隊の作戦室として解放された部屋の中で、悠人は凝り固まった肩をほぐすように伸びをした。

「お疲れ様です、ユート様」
「ああ。エスペリアもありがとう。とりあえず、当面はこれで大丈夫かな?」
「はい。ランサへの訓練施設と防衛施設の建設、ラースのエーテル変換施設の増設、後方部隊の訓練計画に、前線の警備のシフト。決めるべきは決めました。後は、申請したエーテルがこちらに回ってくるかどうかですが、こちらは女王陛下を始め、他の文官の方々の調整次第です」
「そっか。苦労した甲斐はあったかな」

 未だ目がチカチカするため、目元を揉み解しながら悠人は感慨深そうに呟く。

 レスティーナが女王となって、悠人に与えられる権限は大幅に増えた。

 今までも名前だけはそれなりの権限はあった。しかし、仮に申請しても、他の官僚の面子や各都市に既得権益を持っている貴族たちの横槍によって思う通りの計画が進められなかった。国の存亡を賭けている戦争でなにを言っているのかと思うが、それが罷り通っていたのだ。酷い時は、どう考えても敵の進行ルートから外れている街に立派すぎる防衛施設がいくつも建築されていた。

 それが大きく変わった。『実戦を知らない我々よりも、実際に戦っている者たちのほうが効果的に運用出来るでしょう』というレスティーナの言により、防衛施設等の申請がほぼ確実に通るようになったのだ。

 今や、無駄な施設は全てマナに還元され、エーテルに変換されている真っ最中だ。
 そして、それを来たる戦いに向けて効率良く分配するのが、今の隊長としての悠人の役割だった。当然、エスペリアの助言を受けながらだが……意外なことに、光陰の家でやったことのある歴史物のシミュレーションゲームの経験が役に立った。人生、なにがどこでどう役に立つかわからないものだ。

「……それで、エスペリア。マロリガンの動きは?」
「散発的にランサへ攻めてきているという報告はありますが、牽制以上の動きはありません。マロリガンは共和国ですから。ラキオスほど上意下達が素早くないのです。戦争のような大きな動きを本格化するには、もうしばらく時間が掛かるでしょう」

 そう。
 つい先日、マロリガン共和国がラキオスに宣戦布告をした。

 本来、サーギオス帝国を敵とするラキオスは、反帝国を掲げているマロリガンとは協力できるはずだった。
 何度も使者を交わし、最後にはレスティーナが悠人を護衛に直接首都に赴いてまで協力体制の構築に尽力した。

 しかし、結局交渉は決裂。帝国に対抗するためのマナを欲するマロリガンは、ラキオスと敵対することを選択したのだった。

「へえ、そうなのか。大統領っていう人に会ったけどな」
「クェド・ギン大統領ですね。国民からは圧倒的な支持がある方ですが、しかし議会の意向を完全に無視することは出来ません」

 ふうん、と悠人は生返事をする。
 元の世界の共和制や民主制もロクに理解していなかった悠人には、異世界の政治体制はよくわからない。

 わかるのは、あちらはあちらで戦争をするのに準備が必要で、北方五国を統一して手に入れたマナをエーテルに変換しきっていないラキオスにとって都合が良い、ということだ。

「訓練施設が完成次第、私達もランサへ赴くことになるでしょう」
「うん、わかってる」

 まあ、そうなったとしても、悠人は頻繁にラキオスとランサを往復することになるだろう。権限が増えたのはいいが、苦手な書類仕事まで同時に増えたのだ。
 新幹線とまでは言わないから、せめて自分たちの足より早い移動手段があればいいのだが。

「それと、サーギオスに動きは? 本当になにもないのか?」
「はい。以前報告したとおりです。間諜が侵入しているという報告はありますが、これは以前から変わりませんし」
「不気味だな……」

 この、ラキオスとマロリガンの冷戦状態という好機に、残る一国であるサーギオスがまるで動きを見せていない。
 隙を見て攻めてくることを覚悟し備えてもいたのだが、嫌がらせすらない。

「そうだ。サーギオスと言えば、友希から連絡は?」
「いえ……ケムセラウトから、もうすぐサーギオスに入る、と手紙が来て以降はなにも」
「そっか」

 もしかすると友希が上手く動いてくれたのかもしれない、と考える悠人だったが、連絡がないのでは判断できない。

「……とりあえず、書類終わったから剣振ってくる」

 生死すら定かではない友人のことを思うと、ここでじっとはしていられない。
 悠人はテーブルに立てかけた『求め』を手にする。

「私もお付き合いいたします」
「ありがとう」

 その日、悠人は夜遅くまで身体を苛め抜いた。


































 コンコン、と目の前のドアをノックする。
 すぐに返事があり、友希はドアを開けた。

「よう、お邪魔するぞ」
「ああ、来たか。適当にかけろよ」

 友希がサーギオスに来てから三日。ようやく時間が取れたとのことで、夜遅く、友希は瞬に部屋に呼ばれていた。
 幾人もの兵やスピリットに守られた最上級の部屋で、瞬は当然のように部屋の主として立っていた。部屋着らしきガウンを優雅に着こなしている。壁には奇怪な形の永遠神剣『誓い』が、とてつもない存在感を持って立てかけられていた。

「んじゃ失礼して」
「ふん……おい、友希。お前もウイスキーでいいな? こっちでは、アカスクというらしいが」
「適当に頼む」

 部屋に備え付けられているミニバーから、琥珀色の液体をたたえている豪奢な瓶とショットグラスを二つ、そしてアイスペールを手に、瞬がやって来た。
 乱暴にテーブルにそれらを置き、

「注げ」
「……お前、いっつも僕にやらせるよな」

 命令口調で言う瞬に、友希は渋々酒の用意をする。
 氷を入れて、グラスの半ばまでアカスクを注いだ。

 当然、瞬からは酌はしてくれない。手酌で適当に注ぐ。
 そうしている間に、瞬はグラスを口に運ぼうとしていた。

「って、おい。乾杯くらいしろよ」
「なにに対して乾杯するんだ」
「そりゃ、久方ぶりの再会に決まってるだろうが。いいだろ、こんくらい」

 心底面倒くさそうに、瞬がグラスを掲げる。
 それに乱暴に自分のグラスを重ねて、友希はアカスクを一口口に含んだ。

 それは、ほとんどウィスキーそのものの味だった。度数の高いアルコールが喉を熱く焦がし、胃に滑り落ちる。
 舌の上に残るのは、圧倒的なまでの風味。アルコールは、ラキオスでも少しだけ呑んでいたし、サーギオスに入ってからは幾度と無く供されたが、これは味だけならばこちらの世界で一番美味い酒だった。

「……美味い」
「こちらの食い物は全般的に不味いが、マシなのを揃えさせているからな」
「お前、相変わらず贅沢な」
「五月蝿い。注げ」

 相変わらずペースが早い、と思いながら、友希はアカスクを再度瞬のグラスに注ぐ。

 この小さな酒宴も、地球にいた頃はたまにやっていた。
 瞬の家に招待された時、大抵は帰る前に軽く呑んでいたのだ。友希が地球にいた頃、一人暮らしなのをいいことに、高校生にして酒を常飲していた理由は、間違いなくこの男に酒の味を覚えさせられたからだ。瞬は、未成年の癖にいい酒ばかりを揃えていた。

「しかし……なんだ。意外と、ちゃんと仕事しているんだな」
「いきなりなんだ。殺されたいのか?」
「だって、お前が他の都市の見回りなんてな」

 近隣の都市だけだが、ここ数日、瞬は様子を見て回っていたらしい。

「僕の顔を見たがる愚民が多くてね。ハッ、煩わしいが、僕を必要としているなら、応えてやるのも吝かじゃない」
「……お前、本当に変わったな」
「変わった? ああ、そうかもな。あの世界じゃ、見る目のない奴ばかりだった。この世界は僕を必要としている。ふん……まあ、古臭い世界だが、あんなところよりは居心地はいい」

 言いながら気分が盛り上がったのか、瞬は更にグラスを空にして無言でこちらに向ける。
 先に自分の分を注いでから瞬のグラスを満たすと、瞬は鼻を鳴らした。

「それにしても、まず聞きたかったんだけど、お前はどうやってこっちに来たんだ? 僕や佳織ちゃんは、神社にいたところを『求め』に引っ張られたんだけど」
「僕か? 僕は自宅でヨーヨーの練習をしていた時に『誓い』に呼ばれた」
「ヨーヨーかよ」

 懐かしい記憶が蘇る。
 当時流行っていたハイパーヨーヨー。嵌りまくっていた友希は、瞬と同じ病院に入院していた時も持ち込んでおり、彼や佳織と一緒に遊んだものだ。

 佳織がすごいすごいと言うので調子に乗って、難度の高い技にチャレンジし、操作をミスって瞬の顔にぶち当てて大喧嘩になったこともある。
 そして、あまりに佳織が友希のヨーヨーばかり見るので、対抗心を燃やした瞬もいつの間にか一緒に練習するようになり、ついでに佳織にも瞬がプレゼントしたりして、一緒に遊んだ。
 そして、佳織に喜ばれた記憶から、あちらにいた頃は瞬の唯一の趣味になっていた。

「ああ。……そうだ、お前にやるよ」

 瞬は立ち上がって、部屋にある机の引き出しだからくたびれたヨーヨーを取り出す。
 それをぽい、と友希の方に投げ寄越した。

「っと。こっちに持ってきてたのか」
「今は、僕もやる暇なんてない。佳織に見せれば、退屈の慰みくらいにはなるだろう」

 流石に、今更佳織がヨーヨーで喜ぶとも思えないが、地球の品は確かに喜ぶかもしれない。
 ちなみに、友希も携帯やら財布やらは一緒に持ってきていたが、サルドバルト時代に没収されていた。売却されたか、戦火に飲まれたか。もう戻ってはこないと諦めている。

 じっ、と手元のハイパーヨーヨーを見る。いつも瞬が使っていたものだ。この男、基本的に物は使い捨てる性格なのだが、佳織に関わるものに関してだけは物持ちがいい。これも、あの病室からずっと現役の品だ。

「いいのか?」
「いいさ。今は、僕の手元に佳織本人がいるんだ。思い出の品は必要ない。これから、いくらでも作れるからな。それは、お前が持っておけ」
「……わかった。預かっとく」

 佳織に一度見せたら返そう、と思いながら懐にしまい込む。

「しかし、瞬は『誓い』に呼ばれたのか……。一人か? 確か、お前の屋敷にはメイドさんとかいたろ。巻き込まれたりは……」
「僕は一人に決まってる。あんな連中が選ばれるはずがないだろ。馬鹿だな、お前は」

 少し胸をなでおろす。それほど付き合いが深いわけではないが、瞬の家の人間は顔見知りだ。こんな殺伐とした世界に、来ていないに越したことはない。

「そうは言うけどな。こっちは、一緒に神社にいただけで巻き込まれたんだ。……そうだ、瞬。お前、碧や岬のこと知らないか? 神社にいたんだ。もしかしたら……いや、多分こっちに来ていると思うんだけど」
「碧? 岬? ……ああ、あいつらのことか。く、クク……」
「なん――?」

 瞬がくぐもった笑いを漏らし、友希は眉をひそめる。瞬の笑いは次第に大きくなり、

「クク……ククク! ハハハ! そうか、お前は知らなかったか。聞いて驚け、傑作だぞ!」
「な……なん、だ?」

 いきなり狂ったように笑い出す瞬に、友希は思わず目を見張る。
 ここまでの瞬は、いくつか引っかかる点はあるものの、あちらにいた頃とそれほど違いはなかった。でも、今のこの笑い方は違う。
 そもそも笑うこと自体少なかった男だが、こんなにも心底愉快そうな瞬を見たことはない。それが不気味だ。

「碧と岬か! あの二人はな、今はマロリガンにいる!」
「え!?」
「ハッ、この国の諜報能力はラキオスなんかとは比べ物にならないからな。敵国に現れたエトランジェくらい把握しているさっ」

 それは確かにその通りだった。他国へ送っているスパイの数で言うと、サーギオスはラキオスの十倍を悠に超えている。

「それに――これはつい今日に入った情報だけどな、マロリガンはラキオスに宣戦布告したそうだっ」
「なんだって!?」

 友希にはその情報は来ていなかった。瞬の客人として、ある程度の自由は保証されていたが、城の外へ出たりは出来なかったし、そういう情報を聞ける相手もいない。
 しかし、ラキオスとマロリガンが戦争という流れになるとは思っていなかった。あの国のサーギオスへの敵意は相当なもので、ラキオスと十分に協力できると思っていたのだ。

 だけど、それは、つまり――

「本当に傑作じゃないか! 親友なんて幻想を抱いている同士が殺し合うんだ! いい気味だ。僕の佳織を長年騙していた罰が当たったのさ!」
「お、おい、瞬!」
「お前は本当に利口だよ友希! ラキオスになんていたら、お前なんかじゃあ命がいくらあっても足りないからな! 精々、ここで連中が殺し合うのを肴に呑もうじゃないか。ハァーハッハッハ!」

 おかしい、どう考えてもおかしい。間違っても、瞬はこんなテンションで笑うような人間じゃなかった。
 それに、言っている内容自体は、向こうにいた頃の瞬が言ってもおかしくないことだが、

「瞬……お前、佳織ちゃんさえ戻って来れば、悠人たちのことはどうでもいいんじゃなかったのか?」

 佳織が自分のところにいるのに、そもそも瞬が悠人たちのことを気にしているのがおかしい。
 友希は、瞬の性格については、おそらくは誰よりも知っている。瞬の行動原理は佳織以外には存在しない。悠人にあれだけの敵意を向けていたのも、偏に佳織が彼の傍にいたからだ。
 常々、本人が口にしていた通り、佳織さえ自分のところにいるならば、悠人や光陰達がどこでなにをしていようとまったく気にしない。佳織にさえちょっかいをかけなければ、わざわざ悠人達に目を向けるほど、この男は他人に興味がない。

「そうか? 面白い見世物だとは思わないか!? クク……お前はどっちが勝つと思う? 『求め』か、『因果』と『空虚』か。どいつが僕の前に来るんだろうな」
「い、『因果』に『空虚』?」

 それは、確かこの世界に伝わる四神剣の残り二本。話の流れからして、光陰と今日子がその剣を持っているのだろうが、
 曲がりなりにも顔見知りである三人の名前ではなく、永遠神剣の名前で呼ぶ瞬にえも言われぬ悪寒が走る。

 悠人から聞いた話を思い出す。『求め』は何度も悠人を乗っ取ろうとしたということを。

「しゅ、瞬? お前、もしかして『誓い』に呑まれ――」
「注げよ、友希」

 ピタリ、と哄笑を止めて、瞬がグラスを前に出す。
 少し震えそうになる腕を無理矢理押さえつけて、アカスクを瞬に注ぐ。

「……フゥ。で、『誓い』がどうかしたか」

 ジロ、と睨んでくる瞬に、金縛りにあったように身動きが取れなくなる。いきなり静かになったが、これは下手な接し方をすると途端に爆発する劇物だ。

『……主。彼はかなり情緒不安定になっています。あまり刺激しないほうが。それに、完全に人格を呑まれているわけでもなさそうですし』
『糞ッ』

 心の中で舌打ちをして、グラスに残ったアカスクを一気に呑み干す。

「……そろそろ僕はお暇する。お前も、明日も仕事だろ? 早めに休んだらどうだ?」
「はっ、相変わらず弱いな。僕はもう少しやってから寝るさ」

 向こうにいた頃からアルコールで酔うことがほとんどない瞬は、小馬鹿にするように笑う。

「そういえば瞬。佳織ちゃんのところにあんまり来てないみたいだけど?」
「ああ。それについては、佳織に謝っておいてくれ。僕も、なにかと忙しくてね」
「……そうか」

 執着だけは見せるが、『忙しい』程度の理由で、佳織に会いに来ない。
 友希は拳を握り、部屋に飾ってある『誓い』を一目睨みつけて、瞬の部屋から退室した。












































 マロリガン。首都の訓練場で、一人の大柄な青年が、その立派な体格に比しても扱いづらそうな剣を片手に、声を張り上げていた。

「ようし、今日はここまでだ! 全員集合」
『はい!』

 彼の指導のもと、剣を振るっていた美しいスピリットたちが、即座に集結して敬礼を捧げる。
 その様子に、青年――碧光陰はニヤリと笑うと、

「このあと、警備のシフトが入っているやつらは汗を流したら任務につけ。それ以外の連中は、よく体を休めとけよ。ラキオスとの戦いがいつ本格化するかわからないからな。
 明日の訓練も同じ時間だ。遅れないようにしろ」
「了解です、隊長」

 副隊長のグリーンスピリット、クォーリンが代表して返事をする。

 秘密部隊『稲妻』。マロリガンの大統領クェド・ギン肝入りの部隊であり、現在、エトランジェ・因果の光陰が隊長を務める精鋭だ。

「それより隊長。隊長こそ、ちゃんと休んでください。昨夜も遅くまで仕事をされていたでしょう」
「ありゃ。はは、クォーリンはよく俺のことを見てるなあ」

 一瞬、意外そうな顔を見せ、光陰は不敵に笑う。

「でも大丈夫さ。こちとら体の鍛え方が違う。こいつも力を貸してくれるしな」

 ぽん、と永遠神剣『因果』を叩いておどけて言う光陰に、クォーリンは苦笑する。

 この隊長の超人ぶりは、この一年の付き合いでよくわかっている。
 こちらに来て一ヶ月もしないうちに『稲妻』の隊長に収まり、それまで体は鍛えていても実戦経験皆無であった状態から、実力で隊員の信頼を勝ち取ってきた。
 なにより、そこらの神剣が束になっても敵わない力と意思を宿している『因果』を完全に支配下に置き、使いこなすその強靭な精神力。

 北方の争いでは求めのユートなるエトランジェが活躍したそうだが、我らが隊長は必ず勝利するだろう。

 それが、クォーリンのみならず稲妻部隊の共通認識だった。

「はい。では、我々は汗を流してきます」
「おう、行ってこい。あ〜、俺も大将に報告したらひとっ風呂浴びるかな。でも、たまにはゆっくりお湯に浸かりたいよなあ」

 光陰がぼやく。
 マロリガンでは、蒸し風呂が主流だ。また、料理も辛いものが多く、生粋の日本人を自負する光陰は、その辺が不満だった。
 彼が大将と呼ぶクェド・ギンに頼めば多少の融通は効かせてもらえるだろうが、ただでさえ世話になりっぱなしだ。これ以上迷惑をかけるのも憚られた。

「ふふ、ラキオスやサーギオスではそういうお風呂もあるそうですけどね」
「お、そりゃ俄然やる気が沸いてきた。連中に勝てば、あいつらの湯は俺のもんだな」
「そんな理由で倒されては、彼らも敵わないでしょうね。それでは」

 他のスピリットを連れて、共同の浴場に向かうクォーリンに手をひらひらさせて、光陰は歩き始める。
 目指すはマロリガン大統領クェド・ギンの執務室。今日の訓練の報告と、これからの戦略についていくつか確認するべきことがある。

(しかし……先にラキオスとやりあうことになったか)

 内心、重い溜息をついた。
 悠人のいるラキオス、瞬のいるサーギオス。両方を倒さないといけないとわかってはいたが、先に潰すのは瞬の予定だったのだ。

(でも、しゃーねぇよな。悪く思うなよ、悠人)

 親友を斬るのは辛い。それは勿論なのだが、光陰はもう完全に割り切っていた。
 彼の中にある優先順位として、ラキオスと戦う理由は悠人より上にある。そうと決まったら迷わないのが光陰の強さだ。悠人なら――いや、普通の人間なら、必ず悩む問題も、深く飲み込んで歩みを止めない。

(そういや……ラキオスには御剣もいるんだったな。こっちはどうしたもんか)

 ふとこちらに来ているもう一人の友人のことを思い出した。
 戦力的に悠人に一歩も二歩も劣るから、後回しにしていたのだが、彼と会った時どうするかも考えておかないといけない。

 悠人と違って、友希はどうしても倒さないといけない相手ではない。出来るなら、知り合いを殺すのは御免被りたいし、

(ま、深く考える必要はないか。戦った時、生かせるなら生かす、そうじゃないときは……斬るしかない、と)

 あっさりと決断して、いつの間にか着いていた執務室のドアをノックする。

「入れ」

 いつも通り、素っ気ない返事があり、光陰は部屋に足を踏み入れる。

 机と、書類等が収められた本棚。後は大統領として最低限の格好が付く程度の装飾類。そして、部屋に篭った煙草の匂いが、この部屋の主の性格をよく表していた。

「お前か。スピリットたちの調子はどうだ?」

 ペンを動かす手も止めず、来客の顔だけをちらりと確認して、クェド・ギンが口を開く。

「ああ、順調だぜ。最初の頃よりずっと良くなった。これなら、帝国の精鋭とだって互角以上に渡り合えるだろうな」
「そうか。それは久し振りに明るいニュースだ」
「……議会の連中はまだ重い腰を上げないのかい?」
「ふん、連中とて時間がラキオスに味方することは知っているよ。ただ、苦戦して予想以上の被害が出た時の責任を取りたくなくて、二の足を踏んでいるに過ぎない」

 ラキオスへの宣戦布告はちゃんと議会での承認も通ったことなのに、本格攻勢のための決議が取れない。
 なんともグダグダな話だが、どこの世界もそんなもんかもな、と光陰は思った。

「しかし、苦戦、ねえ。負けることは微塵も考えていないわけだ」
「それはそうだろう。領土は我が国に匹敵するようになったとは言っても、各地の掌握にはあの聡明な女王とは言え時間が掛かるはずだ。それに、先の戦争で北方の戦力は大きく落ちている。マロリガンと渡り合うには十年早い」

 クェド・ギンが書類を書く手を止め、煙草に手を伸ばす。

「と、言うのがエトランジェという要素を排除した上での、ラキオスの戦力評価だ」
「へっ、確かにな。ラキオスのエトランジェは強いぜ」

 紫煙を曇らせるクェド・ギンは光陰に『ああ』と頷いて、

「伝説となるのもわかる強さだ。しかし、我が国にもエトランジェは二人いる。あちらにももう一人のエトランジェがいるそうだが、お前たちと違い一人で戦局を変えるほどの力はない」
「成る程、勝ち戦ってわけだ」
「そう、普通に考えれば……な」

 クェド・ギンは苦虫を噛み潰したような表情で、そう漏らす。
 時々、この男はこうしてどこか遠くを見つめるような表情になる。光陰には、その顔が、ラキオスやサーギオスなどといったものより、ずっと遠くを見つめているものに感じられた。

「? 不安要素でもあるっていうのかい」

 光陰は訝しむ。
 悠人や友希のことを侮るわけではないが、冷静に考えてマロリガンには苦戦すらする要素はない。スピリットの数に質、溜め込んだエーテル量、食料を始めとしたそもそもの資源量まで、クェド・ギンの言うように今のラキオスとは比較できるものではない。
 正直なところ、ここで内政に専念せず、帝国に喧嘩を売ろうとしている――いや国内世論のためそうせざるを得ない女王に同情すらしていた。

「さてな。お前にもわかるだろう、すぐに」
「なんだよ、気になる言い方だな」
「そんなことより、ここに来たのは用事があるからだろう? さっさと済ませてくれ」
「……了解、わかったよ」

 話を断ち切るクェド・ギンに、光陰は肩を竦めて報告に入ることにするのだった。




























「ふぃ〜、さっぱりしたな」

 Tシャツとハーフパンツというラフな格好で、タオルを首にかけて光陰が鼻歌を歌う。
 光陰の住む家は、一度廃棄となった元スピリットの館。同居しているスピリットはいない。

 何故、彼が一人でこんなところに住んでいるのかというと、

「おーい、今日子。お前も、風呂に入ってきたらどうだ?」
「…………」

 無遠慮に入った部屋の主である少女のためであった。

 光陰とともにファンタズマゴリアに飛ばされてきた今日子は、ベッドに腰掛けて無言で佇んでいる。その様子からは、地球にいた頃の快活な印象は感じられない。

「おいおい、聞いてんのか? 風呂だよ、風・呂」

 そんな今日子に、光陰は内心歯を噛み締めながら、ことさらに明るく話しかける。声が届いているのかどうかわからないが、暗く話しかけるよりは明るい声が届いたほうがいい。

「ぁ、ぁぁ……」
「っ、『因果』」

 風呂上りにも携帯している永遠神剣を握って、自身の神剣――『空虚』を手にした今日子を牽制する。
 今日子は構わず立ち上がり、光陰に向けて『空虚』を振るった。その顔は苦痛に歪んでいる。

「……そういや、最近戦ってなかったもんな」

 今日子の攻撃を余裕を持って受け止め、光陰は合気の要領で今日子をベッドに投げ飛ばす。これ以上暴れられないように、彼女に馬乗りになった光陰は、今日子の『空虚』を持っている手を掴んだ。

「全部やるわけにはいかないが……少しくらいなら、持っていけ」

 そう言って、レイピアのような『空虚』の切っ先を、自分の体の肩口に抉り込ませる。勿論、『因果』を持った方の手とは逆側だ。
 血が流れる代わりに、『空虚』を通して今日子にマナが渡っていく。

「ふぅ……ふぅ……」
「ああ、そうだ。落ち着け……」

 マナが満ちるにしたがって、今日子の凶相が安らいだものになる。

「く……うう。こう……陰、悠……」
「大丈夫だ、今日子。大丈夫だからな……」

 優しく語りかけ、光陰はそっと『空虚』の刀身を引き離した。

 それで気が抜けたのか、今日子は目を瞑り眠りに落ちる。

「……っふぅ〜〜」

 鈍く痛む肩にオーラを集中させ癒しをかけると、光陰は部屋にある椅子に腰を下ろした。
 根こそぎとまではいかないが、それなりのマナを今日子に分け与えたため、全身が重い。

「今日子……」

 今の今日子は『空虚』に身も心も呑まれている。今は『空虚』も奥に引っ込んでいるが、戦いになると表に出て来てスピリットを容赦無く殺していく。
 いつもはそうやって敵からマナを吸収しているが、足りないと味方までお構いなしに襲い始める。そのため、いざというとき彼女を無傷で抑えられる唯一の戦力である光陰が、こうして傍にいるのだった。

 今日子を解放するため、他の四神剣――自分の『因果』を含めて――を砕く。それが『空虚』との契約であり、光陰の行動理由だった。
 彼女のためなら、光陰は冗談でもなんでもなく、命をも投げ出せる。親友を斬ることにもためらいはない。

(これが悠人なら、もっと悩んだりするんだろうけどな)

 これから斬る予定の親友ならどうするか、とまで考えて、光陰は自嘲する。

(意外と、俺って対抗意識持ってたんだな)

 悠人が光陰の立場なら、ここまで上手く『空虚』を御すことは出来なかったのは間違いない。
 しかし同時に、あの親友ならば自分とはまったく違う方法で今日子を守っていただろうという、妙な確信がある。

 とは言っても、現実に悠人はここにはおらず。
 今、今日子を守れるのは自分だけだった。

「やれやれ。うちのお姫様は、まったく手のかかる」

 言葉だけは皮肉げに、光陰は強い笑みを浮かべて立ち上がる。

「待ってろよ、今日子。絶対に助けてやるからな」

 そう、誓いを立てるように宣言して、光陰は部屋から立ち去るのだった。




前へ 戻る 次へ