「はぁ……はぁ……」
「ト、モキ様……大丈夫ですか」
「……大丈夫。ゼフィこそ、大丈夫か」
「私も……なんとか」

 ゼフィと友希。
 二人は、マナ消失をなんとか生き延びていた。

 友希が発動させた神剣魔法『レゾナンス』は、二人のマナを爆発的に高め、その全てを防壁に費やしてマナ消失を防いだ。
 マナ消失の威力が通り過ぎたのは十秒間程の出来事。友希にとって、人生で最も長い十秒間だった。

 友希は昔見た原爆のイメージ映像を思い出す。
 マナの影響を受けにくい普通の人間や建造物にとってはともかく、スピリットにとっては原子爆弾と比べてもなんら見劣りしないほどの破壊力だった。

 生き延びている事が奇跡に近い。当然、代償は少なくなかった。
 友希より最大マナ量に余裕のないゼフィは、戦闘用のみならず、生命を維持するためのマナすら一部削られていた。そのため、まともに歩くのも難しく、友希に肩を貸してもらわなければ歩けなくなっている。友希もゼフィよりマシではあるものの、真っ直ぐ歩くのにも難儀する有様だった。
 更に二人して一時間程気絶していたため、他の友軍と合流出来ていない。少なくとも、人間兵はある程度残っているはずだが、近くには死体ばかりで動いている人間はいなかった。イースペリア都市内にいたスピリットとの合流は最初から諦めている。二人が全力で展開した盾は、スピリットの限界を越えるほど堅固なものだったが、それでも生き残るのに精一杯。余程運が良くなければ、二人より爆心地に近かったスピリットは生き残ってはいないだろう。

「頑張れ。もう少し歩けば」
「わかっています。……少し、マシになってきました」

 そうとわかった後の二人の行動は決まっていた。
 マナ消失の影響でイースペリア首都周辺のマナは、マナ消失地域として有名なダスカトロン砂漠以上に枯渇してしまった。そのままあそこに留まっていたら、友希もゼフィもマナの不足で死んでいただろう。すぐに撤退をするしかなかった。
 あれから二時間ほど。どうにかマナ消失の影響が少ない地域まで離れることが出来た。
 友希は深呼吸をする。殆ど空だった器に、一滴ずつマナが溜まっていった。このくらいでは焼け石に水だが、もう少しすれば軽い戦闘くらいはこなせるようになるだろう。

 もっと影響の少ないところまで歩くか、それともここで一旦休憩を取るか。
 肉体的にもだが、精神的にも疲弊しきっていたため、二人はその場で腰を下ろして休むことにした。

「味方の軍は?」
「……分かりません。行軍の跡は見当たりませんね……まったく別方向に逃げてしまったのかもしれません」
「そうか……」

 これからどうなるんだろう、と友希は考える。

 少なくとも、国家に縛られているゼフィはサルドバルトに帰らないといけない。アキオンの命令であった『イースペリアを守るスピリットの排除』は、方法はどうあれ完了している。そうすると、次の命令を受けにサルドバルトの人間と接触するために行動するのがスピリットだ。

 しかし、正直サルドバルトの展望が見えない。
 イースペリアを攻めていたのが、ほぼサルドバルトの全軍。それはマナ消失によって壊滅状態に陥った。多く見積もっても、開戦前の二割か三割程度しかサルドバルトの戦力は残っていない。

 それでも、サーギオス帝国の支援部隊がいれば戦争になるかもしれない。しかしそれは、もはやサルドバルト軍ではなく帝国軍だ。
 『傀儡政権』。そんな歴史の授業で習った単語が、友希の脳裏を過ぎる。

「……トモキ様。事ここに来ては、サルドバルト王国に先はありません。回復したら、そのままラキオスへと逃げるのが良いかと」

 前を向いたまま、そう友希に話すゼフィに、友希は大きく溜息をつく。

「ゼフィ……。ずっと思ってたけど、意外と過激だよな。もう先がないとかはっきり言って」
「そ、そうですか?」
「そう」

 しかし確かにゼフィの言うとおりだ。この世界の軍事には疎い友希でも、サルドバルトが相当追い詰められていることは容易に想像できた。

『主。私も、もうサルドバルトに与するのは限界なんじゃないか、と思いますが』

 マナを消耗しすぎて沈黙していた『束ね』が、口を挟んでくる。

『わかってるよ……。ラキオスに亡命するか、ほとぼりが冷めるまでどこかに隠れときたい。そうは思うんだけど』
『……惚れた女と心中する、なんて言わないでくださいよ。私の主が紡ぐ物語が、そんなお涙頂戴な結末を迎えるなんて、私は御免ですからね』

 半ば諦めたような口調で『束ね』が言った。
 神剣とその持ち主は、心の深いところで繋がっている。友希が、このまま逃げるつもりなどないことは重々承知だろう。

『僕だって、そんなオチは嫌だって。方法はあるだろ。例えば、国王を脅してゼフィを解放させるとか、サルドバルトがなくなるまでゼフィをふん縛って隠れてるとか。帰ったらイスガルドさんに相談するよ。あの人なら信用できる』
『……地球のただの高校生だったくせに、随分過激なことを考えるようになったもので。前者はモロにテロですよ、テロ。後者はSMですか?』
『『束ね』、面白そうにしているぞ』
『ええ。そういう無茶は嫌いではありません』

 無理に明るく振舞っている、という面がないわけではないが、後ろ向きになって立ち止まっているだけではなにも解決しないと、友希は学んでいた。幸い、サルドバルトに帰還まで時間はある。なんとかゼフィを国の軛から開放するよう働きかけて――


 不意に、全てを押し潰すかのようなプレッシャーが襲いかかってきた。


「――っ!?」
「なっ――」

 二人は慌てて立ち上がる。

 今、初めて二人は気付いた。二十メートル程先に、一人の男が立っている。

 つい先程までは確実にいなかったはずの男。
 鍛えあげられた見事な体躯。どこの国のものともしれない戦装束を身にまとい、自然体で友希とゼフィを見据えている。不敵な笑みを浮かべているが、その視線は明らかに二人に対する敵意を感じさせた。

 それだけならばいい。例え、どれだけ鍛え上げた男でも、神剣を手にした二人には敵わない。今の半死半生の身であってもだ。
 問題はその男の背負った大剣が、強烈な――それこそ、友希がこれまで出会った中で最強だと感じた『求め』をも問題としないほどの神剣の気配を放っていることだった。

「お前が、サルドバルトのエトランジェだな」

 確認するように呟く男の声。その一声一声に呪いでも詰まっているかのような圧力を感じた。
 知らず、友希は一歩引く。

 実戦には慣れたと言っていい。命のやりとりはこの上なく嫌だが、今はもう、戦うと決めたときに迷いは殆どない。
 だが、『これ』は違う。戦うとか、戦わないとか、そういうものではない。例えるなら、台風や地震のような自然現象に身一つで挑むような絶望感。そういうものだ。
 人間を超越した戦闘力を持つスピリット。それを何人も斬ってきた友希が、恐怖で硬直する。

「と、トモキ様……」

 ゼフィに呼びかけられ、はっとした。普段勇猛な彼女が怯えを隠せずにいる。

『――ぐっ、主。自分の女の前で……』
『下手な格好は、見せられないかっ』

 彼女に比べれば、神剣の位階が上な分、友希の感じているプレッシャーはまだ軽い。己を奮い立たせ、友希は内心の恐怖を無理矢理抑えつけた。
 声が震えるのは抑えきれなかったが、なんとか口を開く。

「〜〜、お、お前は誰だ? 敵……イースペリアのエトランジェ……か?」

 ラキオス、サルドバルトと龍の魂同盟には二人ものエトランジェがいた。イースペリアにも異世界からの来訪者がいたとしても不思議はない。
 この、友希と悠人を同時に敵に回しても欠片も問題としないような化物が、エトランジェと呼べたらだが。

「違う。まあ、どこの国、と問われれば、強いて言うならばサーギオス帝国だ。今、一番有望なのはあそこだからな」
「そ、それなら、救援に来てくれたのか?」
「救援? ふん……」

 男が、背負った永遠神剣を抜いた。
 改めて抜かれると、本当にデカい。ぜフィの『蒼天』に匹敵するほど巨大な神剣だった。そして感じられるマナは、彼女の比ではない。ただそこに存在するだけだというのに、物理的な圧力さえ伴っている。下手をすれば、あの剣一つで先のマナ消失を上回る威圧感があった。

「興醒めすることを言ってくれるな。お前も、もうわかっているのだろう。俺の目的はお前の命。悪いが、不確定要素を放置したくはないのでな。ここで、死んでもらう」
「ふ、不確定要素? 何の話だ!? サーギオスはサルドバルトを裏切ったのか!?」
「そのようなことはどうでもよい」

 男が、構えを取る。
 ……ただでさえ、尋常でないマナが、更に倍以上に膨れ上がった。

 ゼフィが、小さな悲鳴のようなものを上げる。友希も似たような心境だ。

「ゆくぞっ」

 男が、その巨体と重量武器からは考えられないスピードで、友希たちに突進してきた。
 その速度は、友希の目には止まらない。

 気が付くと、男は友希の目の前に出現して剣を振りかぶっており、


















「ふむ……こんなものか」

 一撃、だった。
 なんのことはない、ただの横薙ぎ。ただ近付いて、斬る。それだけの単純な動作で、友希は戦闘不能となっていた。
 ゼフィの目でもその剣撃は追えなかった。辛うじて友希が展開したオーラフォトンシールドは紙のように裂かれ、腹部にひどいダメージを受けた。男が剣を振る直前、友希によってゼフィは突き飛ばされ、攻撃範囲から逃されたが、剣の風圧だけで吹き飛ばされた。

 数メートル先の地面に倒れ伏し、ゼフィはそのまま起き上がることも出来ない。
 消滅しかねないほどのマナの消耗。回復しようとした矢先のこの展開に、肉体の方が完全にまいってしまっていた。

「ぐ……、あ」

 ゼフィは必死で視線を巡らせて、友希を探した。
 彼は、まだ生きていた。あれだけの一撃から生き延びたのは運が良いとしか言いようがないが、切り裂かれた腹からは止めどなく血が流れ、黄金の霧となって空気に溶けている。大急ぎで止血するべく、オーラフォトンが傷口に集まっていたが、男は悠長に回復するのを待ってはくれない。
 ゆっくりと倒れている友希に歩み寄り、落胆の色を隠せない表情で口を開いた。

「消耗しているとは言え、話にならんな。マナ消失から逃れたあれはまぐれだったか」
「お前……見て……?」

 憎々しげに友希は男を見上げて言葉を上げるが、男は完全に無視して神剣を振り上げた。

「弱者をいたぶる趣味はない。すぐに楽にしてやろう」

 男が神剣を振り上げる。

 あれを振り下ろされたら、間違いなく友希は死ぬ。友希の目はまだ諦めてはいなかったが、あれだけの優位に立っておきながら男には微塵も隙らしいものがない。ただでさえ圧倒的な実力差がある上、敵は油断もしてくれない。本当の強者だった。

「トモ……キ、様」

 ゼフィは何度もこんな場面を見てきた。より強い相手に、仲間が倒される。今回の戦争でも、何人もの仲間が敵に殺された。そして、ゼフィ自身も何人ものスピリットを斬り殺した。
 それは当たり前の話だ。スピリットは戦いこそがその存在意義。仲間が死ぬのは悲しいが、殺し殺されることは覚悟以前に当然のこととしてスピリットの本能に刻みつけられている。

 だからこれは、友希の順番が回ってきたというだけの話。恐らく、ゼフィも殺されてしまう。そうすると慰みに墓を作ることも出来ない。それは少し残念だ。
 でも仕方ない。諦め――

(……られるわけ、ないでしょうっ)

「らあああああっ!」
「む?」

 弱気の虫を粉砕し、ゼフィは立ち上がる。
 マナがない? 圧倒的な差がある? 死ぬのはスピリットとして当たり前のこと?

 糞食らえだ。
 元来、ゼフィはそういう世の中のルールとか常識に大人しく従う気は断じてない。
 最後の最後まで足掻き抜く、諦めの悪い女なのだ。

 動くためのマナなら、ちゃんとある。そのことはゼフィは良く知っていた。

 今にも友希に――自分の男に凶刃を振り下ろそうとしている敵に、ゼフィは全力で『蒼天』を振りかぶった。

「おのれ、させるかぁっ!!」

 今まで発したことのないような怒気の篭った声で、ゼフィが一撃を繰り出す。つい先程まで、完全にマナが尽きていたはずだが、神剣にはマナの光が宿っていた。

「むっ」

 男はその気合に目を僅かに見張り、振り下ろそうとした神剣から手を離し、その手を盾にゼフィの一撃を受け止める。
 ズン、と鈍い音がした。

 城壁をも破壊するゼフィの一撃を受けて、男は小揺るぎもしない。男の掌と『蒼天』の間には、友希では到底届かない密度のオーラフォトンの盾が存在した。しかし、男は僅かに口の端を歪めて『ほう』と感嘆の声を漏らす。

「ぐっ――!」

 その隙を逃すわけにはいかない。友希は裂かれた腹から漏れ出るマナと全身の痛みを無視して起き上がり、男と距離を取った。
 一撃を見舞ったゼフィも下がって、その隣に立つ。何故か、男からの追撃はなかった。

「トモキ様! 逃げてくださいっ、この男は私が抑えます!!」
「ぐっ……で、でも」

 ゼフィの言葉に友希は言い淀む。彼女にあれほどの一撃を放つ力などもう残っていなかった、それは確かだ。訝しんでいる様子が手に取るようにわかった。

 しかし、彼女のしていることはごく簡単。文字通り、身を削っている。ただそれだけの話だった。
 スピリットやエトランジェの身体はマナで形作られている。その気になれば――自滅覚悟ならば、それらのマナを燃焼させ、戦うことは可能であった。
 戦うために、手足や臓器を欠損させるわけにはいかない。ゼフィは記憶や感情、そういったものを維持する分のマナを回している。サルドバルトの一般的なスピリットにはない、一度きりのマナの余剰タンク。当然、使い切ったら、彼女たちと同じように人格を喪失してしまう。

 ――だから、どうしたというのだ。

「どうせ! 二人がかりでも絶対に敵いません。ならせめてトモキ様だけでも逃げてください」
「馬鹿言うなっ、なら、僕が残ればいい。あいつの目的は僕だっ」

 男の口調からして、ゼフィは眼中にないようだった。友希だけを殺せば、満足して帰ってくれる可能性もある。友希はそう考えて、自分が残ると主張した。
 だが、そんな友希の願いは、男本人の口で断たれた。

「いや、最初はそのつもりだったがな。そこの妖精、なかなかの腕だ。相手をしてもらおうか。その間、逃げるなり、共闘するなり、勝手にすれば良い」
「ほら、トモキ様!」
「いや……だったら、僕も」
「怪我をしたトモキ様では足手纏いです。そのお腹の傷、回復はすぐには無理でしょう」

 ゼフィは言い切り、ウイングハイロゥを展開する。いつもより数倍の時間をかけて生やした羽根は、若干黒みがかっていた。
 彼女は苦笑する。サルドバルトでは、ゼフィのような指揮官用スピリット以外は、ハイロゥが漆黒に染まって初めて一人前と認められる。スピリットの人格が呑まれた証であるその黒は、ゼフィにとっては忌々しい色だったはずだが、今では少しだけ誇らしい。
 完全に黒に染まるまでの間、ゼフィは友希を守るために戦うことが出来る。

「お願いですから、逃げてください」

 泣きそうな声での懇願だった。

「ほら、私もすぐに逃げますから。私にはハイロゥがあるので、うまくすれば逃げきることも出来ます」

 軽く羽根を動かしてみせる。最初から逃げられるとは思っていないし、今更逃げるつもりなどないが、彼が逃げるためには方便が必要だった。

「で、でも……」
「――早くしてくださいっ!」

 ゼフィの叫びに、友希は逡巡し、

「……わかった。絶対、絶対すぐ逃げろよ!?」

 踵を返して、走り始めた。
 殆ど残っていないマナで止血だけを施し、友希は残りの全てを走るのに費やす。苛立つほどの遅さだったが、それでも全力で走った。

 ある程度離れるのを見て、ゼフィは少しだけ安堵する。あとは、この男をここに押しとどめるだけだ。

「……ところで、よく律儀に待ってくれましたね」
「死を賭した戦士への礼儀だ。それに、あのような弱者はもう興味はない。それより、今はお前に興味がある」

 と、男は手を広げゼフィに見せた。
 その手は、ゼフィの一撃を受け止めた方の手。掌に薄く一筋の傷が走っており、血がマナへと昇華している。

 完全に止められた、と思っていたが、僅かにでもゼフィの全力は通っていたらしい。ダメージと呼ぶにはあまりにも儚いものだったが。

「たかが第七位の神剣で、我が絶対防御を抜くとは。妖精の身で、よくぞそこまで練り上げたものだ」
「……嫌味ですか」
「いや、純粋に褒めているのだ。力は元より、その気迫もなかなかだ。俺が戦うに値する」

 もちろん、ゼフィはこの男に褒められても欠片も嬉しくはない。しかし、この男が口上している間は友希は距離を稼ぐ事ができる。だから無駄話は歓迎だった。

「それはどうも。貴方もお強いですが、本当に何者ですか。トモキ様と同じエトランジェ……ではないでしょう」
「知ってどうする。戦いに、そのようなことは必要ないだろう」
「単純に、興味です」

 ふん、と男は吐き捨てた。

「ならば、お前が勝てば教えてやろう。……さて、時間を稼がせてやるのはここまでだ」
「………………」

 無言でゼフィが構える。
 ゼフィをゼフィたらしめている部分をマナへと変換し、ごく短時間、全力を振るえる状態に持っていく。比例して、ハイロゥの色が黒く染まっていくが、無視した。

「……行きます」
「来い」






























「はぁっ、はぁっ!」

 友希は我武者羅に走っていた。

『主っ、もっと回復の方に力を割り振ってください。傷が広がってますよ!?』
『それより、逃げる方が先だっ!』
『そ、それもそうですが……このままでは遠からず力尽きます』

 『束ね』が勝手に、腹の傷を塞ぐ方のオーラフォトンを増量する。
 友希は問答する時間も勿体無く、そのまま走った。

 ゼフィのことは、今は考えない。彼女の目が、なによりも雄弁に語っていた。
 あそこで、死ぬつもりだ。もう短いとは言えない付き合い。その位、なんとなく察することが出来た。

 だからこそ、今はそれを頭から追い出す。彼女は適当にあの男をあしらった後、逃げてくれるはず。その言葉を今は信じる。少しでも彼女のことを考えたが最後、脇目も振らずゼフィの元へ戻ってしまうことは自分でも分かっていた。
 それは彼女の決意を無駄にしてしまう。

 本当にそんな殊勝なことを考えているのか? 自分の命が惜しいだけじゃないのか?
 そんな心の声は全部無視した。

『――ッ!!?』
『『束ね』、どうした!?』

 剣から驚く気配が伝わってきて、友希は怒鳴った。思わず立ち止まりそうになった友希に、『束ね』は伝える。

『主、一時の方向! スピリットの集団がこちらに走ってきてます。これは――』

 途中まで聞いて、友希は自分でも感じ取ることが出来た。
 この覚えのある神剣の気配は……

 遠く、小粒のように見えたシルエットを確認して、友希は声を張り上げた。

「高嶺!」

 悠人とエスペリア、アセリアのパーティがこちらに向けて駆けていた。向こうも友希のことに気付き、加速してくる。

「御剣っ」

 地面を滑りながら着地した悠人が、驚きながらも声をかけてきた。
 友希はようやく走りをやめ、荒く息をついた。

「おい、御剣、なにがあった!? こっちで馬鹿みたいな神剣の気配が――」

 悠人たちは、偶然にも友希達の比較的近くを行軍していた。そこで、あの男の気配を感じ、余力のある三人で偵察に来たのだった。

 友希は、つっかえながらも事情を話す。いきなり現れたエトランジェとおぼしき男。それに襲われ、命からがら逃げていること。そして、今もゼフィが足止めをしていることなどを矢継ぎ早に伝える。
 そこまで話し、友希は地面に手を付き、頭を下げた。これ以外、出来ることはない。

「高嶺……。今は敵同士なのはわかってる。だけど……お願いだ。助けて、くれ」

 自分でも、虫のいい話だと思う。

 しかし、悠人、アセリア、エスペリア。この三人の力は、イースペリアで対峙した時からよくわかっている。あの男にも対抗できるかもしれない。恥も外聞もなく頼み込むしかなかった。

「頭を上げろ、御剣。大丈夫だ、俺達がすぐに行く」

 悠人は力強く言い切った。一瞬たりとも迷いがない。悠人にとっては、友希は今でも変わらない友人だ。その友人から頼まれて否応などない。
 エスペリアは、そんな悠人に忠言すべきか一瞬迷う。危険だし、メリットがない。そうは思うが、結局は諦めた。引き止めても悠人は一人でも向かうだろう。マナ消失から身を守るために悠人もかなり消耗している。それに加えて、この神剣の気配は明らかに尋常の相手ではない。しかし、そんなことは関係ないのだ。悠人という男は、敵には激しいが、味方にはとことん甘い。
 そんな悠人だからこそ、個性的な面子の多いラキオススピリット隊でも信頼を勝ち取れたのだ。ならば、副隊長として彼を支えるのが自分の役目だろう。そうエスペリアは嘆息し、

「悪いな。もう遅い」

 突然、近くに現れた気配に戦慄した。

 空間から滲み出るように、つい先程まで離れた場所で戦っていたはずの黒い剣士が現れた。
 友希は、その姿を認めて震え出す。男にではない。男が脇に抱えた、それは……

「そら、返すぞ。妖精にしては楽しめた。そのせめてもの礼だ。最期の別れをするがいい」

 男が投げた塊は、どさ、と地面に落ちる。
 友希は、膝を付いた。

 視界が狭く、暗くなっていく。

 それは、上半身だけとなったゼフィ。虚ろな目で、友希を見上げていた。

「――ァ」

 ごぽ、と血を吐きながら、掠れた声が漏れる。その言葉に、友希は堰を切ったように叫び声を上げた。

「――ゼフィィィィーーッ!!」

 友希はゼフィの手を握り、ありったけのオーラフォトンで癒しをかけた。
 気が遠くなる程に力を振り絞っても、一向に治らない。それも当然。まだ死んでいないのが奇跡のような有様だった。

「なんだ……なんだよ、お前!?」
「ラキオスのエトランジェか」

 悠人は、友希を守るように男に立ち塞がった。
 しかし、男の威圧に、斬りかかることが出来ない。

 自分より強いスピリットはいくらでもいる。いくら経験を積んだとて、人生の大半を戦うことにつぎ込んできたスピリットたちに比べると、どうしても悠人は拙い部分がある。だから同じ部隊の中でもアセリアなどには敵わないし、今まで楽に勝てたと思ったことは一度もない。
 しかし、純粋な力で敵わない、と感じたのは初めての経験だった。
 それでいて、男の構えに一部の隙もない。悠人など問題にならないレベルで完成された剣士だった。

 つ、と汗が悠人の頬を伝う。一歩も引くつもりはないが、しかし、アセリアたちの助けを借りても、自分にこの男を止められるか? と自問すると、答えに窮してしまう。

 と、ふっ、と男は戦闘態勢を解いた。

「生憎、お前に手を出すことは許可されていない。しかし、その様子ではサルドバルトのエトランジェだけを殺すのは無理、か。なんとも、運のいい男だ」

 泣き叫ぶ友希を、男はチラリと見やって、含み笑いを漏らした。

「さらばだ。次に見えるときは、必ず殺す。せいぜい、腕を磨いておくといい。……ラキオスのエトランジェ、お前もだ」

 来たときと同じく唐突に、男は空間に溶けるようにして姿を消した。

 十秒、悠人は周囲を警戒し、『求め』からあの男の気配が完全に消えたことを聞いて、ようやく肩の力を抜いた。

「――、御剣! お前、その子は……」
「ユート様」

 駆け寄ろうとした悠人は、エスペリアに止められた。

「エスペリア! そうだ、エスペリアも、あの子に回復魔法を――」

 エスペリアは静かに首を振る。
 ゼフィは、エスペリアにとっては同盟国の昔馴染みだ。敵となっても、出来れば助けてあげたい。
 しかし、回復魔法のエキスパートでもある彼女には、もうゼフィが助からないということがわかっていた。せめて、静かに別れをさせてあげることくらいしか出来ることはないのだった。




















「ゼフィ……! ゼフィ、しっかりしろ!」
「………………」

 友希が必死に魔法をかけても。どれだけ必死に呼びかけても、返事はない。
 ぼう、と空を見つめたままのゼフィは、急速に生命力を失い、死に向かっていた。

「く……『束ね』! もっと力を出せよ!?」
『……主。言い辛いですが、彼女はもう』
「だから、早くしろ!」

 言っても聞かない主に、『束ね』は無言で力を送る。もう、『束ね』と友希の力も打ち止めだ。でも、主がそうと命じるなら、最後まで協力する。
 それが、無駄な足掻きだとわかっていても。

「ゼフィ、おい! もうあいつはいないから、もう大丈夫だから!」
「ゥ……」

 肩を揺さぶっても、返事は小さな声だけ。

 短い時間だったが、ゼフィは全てを削って戦った。
 記憶や感情は、もうそのほとんどが擦り切れてしまっていた。そんな余分なものは全てマナへと変換し、戦い抜いたのだ。
 もう友希の名前も、彼女の中には残っていない。

 だというのに、

「ア……ァ」

 ゆっくりと、ゼフィが手を伸ばす。
 それだけの動きで、命の炎が急速に尽きていく。

 手が、友希の頬に添えられ、

「……よかった」

 心底、安堵したようにゼフィが呟き、それを最後に、全ての力が抜ける。

 友希の腕の中で、ゼフィは黄金のマナの霧に昇華していく。
 スピリットの死。友希は慌ててゼフィを止めるため、抱きしめようとするが腕は空を切った。

 涙で滲む視界に、光が溢れる。

「待てよ、待て……って」

 止まらない。昇華した後のマナは、この地のマナと溶け合い、消えていく。

「あ」

 彼女の身体も、神剣も、全て消えた。友希の掌には、何も残っていない。

 感情が、無茶苦茶に暴れだす。

「う、わぁああああああああああああーーーーーーーーーー!!」

 聖ヨト歴330年スリハの月黒みっつの日。
 サルドバルト王国とイースペリア国、そしてラキオス王国の三ヶ国の入り乱れた戦争は、その幕を閉じた。




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