サルドバルト第一部隊は、とうとうイースペリア首都を目前にしていた。

 白亜の尖塔が遠くに見える。
 イースペリアの女王が住まう王宮だ。遠間にも、洗練された雰囲気が感じ取れる。
 街並みも清潔で、国土は狭いながらも豊かに栄えているのが見て取れた。イースペリアは水の国と呼ばれるほど肥沃な土地で、その食料生産力はサルドバルトの比ではない。少し前の戦乱で荒れたとは言っても、その影響は首都にまでは及んでいないように見える。

「ふう」

 友希は、そんな都市の様子を見て、一つため息を付いた。
 せめて自分が出現したのがこの国だったら――と、益体もない想像をしてしまったのだ。少なくとも、日々の飢えを我慢するようなことはなかったろう。そして、侵略者サルドバルト軍に対して、今よりは胸を張って戦えていたに違いない。

「どうかしましたか?」
「いや、なんでもない」

 そんな友希の様子を見て、緊張しているとでも思ったのかゼフィが話しかけてきた。
 ……もし、イースペリア国に落ちたとしたら、彼女と会うこともなかった。その点だけは、この理不尽な巡り合わせの中で感謝をしても良い。

「ならいいのですが。……第二分隊も、もう半分弱になってしまいました。トモキ様も気をつけてください」
「……ああ、わかってる」

 出発時点で九人いた第二分隊の面々は、既に四人にまでその数を減らしていた。友希とゼフィ、ゼルとアルノ。残りは、ここに来るまでの小競り合いで全員死んだ。一つ間違えれば、友希もその中に入っていただろう。幸運だった……とは言いたくはない。
 ただ、その代わりと言っては何だが、部隊の先頭を歩く第二分隊以外のスピリット以外の被害は今のところ出ていなかった。

 それに、年少で潜在能力が高いと見込まれるゼルが下げられたのは不幸中の幸いと言っていいだろう。後方で待機する人間部隊の護衛。もし惨敗となっても、ゼルは生き残る可能性が高い。

「とにかく、生き残ろう。なに、あのウルカだって助太刀してくれるんだ。なんとかなるさ」

 部隊の右翼先頭で佇む漆黒の影を、強化された視力で捉えながら、友希はことさら明るく言った。
 戦いを前にここまで言えるというのは、自分のことながらずいぶん成長したと思う。

「はい」

 突撃の号令がかかるのは近い。既に、当然のようにイースペリア側のスピリットも防衛体制に入っている。街を囲む城壁に、僅かながらスピリットの姿が認められた。それ以上のスピリットが隠れていることは、神剣の気配からも分かる。

(……きついな)

 友希は内心独りごちた。まだ戦闘状態に入っていないため正確な差は分からないが、数の上ではサルドバルト軍が圧倒的ながらも、一人一人の質ではイースペリア側に軍配が上がる。
 幸いにしてゼフィやウルカのような突出した力は今は感じられないが、一国の首都だ。マナを抑えているだけの実力者が潜んでいてもなんらおかしくはない。

 そして、相変わらず第二分隊は切り込み部隊として、最先頭に配置されている。アキオンは、つくづく友希を利用しつくすつもりのようだった。

「トモキ様、いよいよのようです」
「っと、本当だ」

 心の中でアキオンを罵っていると、件のアキオンが部隊の先頭に歩き出してきた。
 この戦争の最終決戦とあって、総司令官である彼が命令を下すのだ。アキオンの命令により、サルドバルト軍の進撃が始まる。ここで敗走しては、サルドバルトには後がない。総力戦になることは容易に想像がついた。

 先陣を切る友希のほぼ目の前にアキオンが立つ。司令官らしく、サルドバルト軍の軍服に、龍をあしらった豪華な略章を身に付けている。人間は戦わない上、市民の直接の制圧にも参加しない士官とあって、エーテル技術製の防御力を高めた戦闘服ではない。ただ、見た目だけを気遣った服だ。そんな些細な事にも、友希は腹が立つ。

 しかし、敵意を込めて睨む友希のことなど彼は一切頓着せず、自軍を見渡して声を張り上げた。意外に通るバリトンが静かに佇むスピリットの群れに響いた。

「さあ、サルドバルトのスピリットたちよっ! ここが正念場だ。我が国の荒廃はこの一戦で決まる! この戦いに勝利すれば、過去例を見ない栄光を我々は手に入れるだろう。しかし、敗北した場合、歴史家に口汚く罵られる。必ず勝たなければならないっ」

 アキオンは、興奮しているようだった。そうでもなければ、スピリット相手に演説めいたことを言うはずがない。
 戦意高揚など、スピリットには無用の長物。昂揚する精神など、もとより奪われている。

『率直に言って、お寒い限りですねえ。神剣に呑まれた妖精に、なにを言っているのやら』

 友希や他の分隊長達にしたところで、このようなことを言われても冷めるだけだ。
 『束ね』の辛辣な感想に、友希は頷いた。

 流石に、アキオンも途中で無意味なことに気付いたのか、咳払いをしてからようやく本題に入る。

「偉大なるサルドバルト国王ダゥタスよりこの第一部隊総指揮官を拝命したアキオン・ディ・フォッサナの『命令』だっ。この隊の全力を持って首都イースペリアを守るスピリットを排除せよっ。分隊長は、作戦の遂行に全力を尽し、各分隊員は隊長の指揮に従え!
 以上。行けっ!!」

 しかし、既に初老に差し掛かっているとは思えないほど気力の滾った命令だった。
 号令と共に、スピリットたちは弾丸のように飛び出す。

 全軍のほぼ先頭を走る友希は、イースペリアの城壁を見やる。
 わらわらと出てきたレッドスピリットが、魔法の詠唱に入っていた。

 ――下手に足止めされては、地の利があるイースペリアが有利。しかも、ラキオスの援軍はすぐそこにまでやってきている。
 狙うのは、電撃戦。固く閉ざされ、複数のスピリットにより防衛されている城門を速やかに突破する必要がある。

 その点については、各分隊長とサーギオスからの援軍の隊長であるウルカ、そして人間の指揮官たちが頭をつき合わせて既に方策は決まっている。

「ゼフィ殿、打ち合わせ通り、城門を守るスピリットは手前が」
「ええ、お願いします」

 いつの間にか並走しているウルカが、一気に速度を上げ城壁に迫る。
 迎撃のため放たれた火球を、緩急と僅かな針路変更のみで躱し、あっという間に門の前の四体のスピリットを斬り伏せた。友希の目から見ても、常軌を逸した速度と剣技。戦闘不能にするため手足の腱を斬っただけだが、充分だった。

「ゼフィ――!」

 走りながら友希は魔法への集中を済ませている。友希の足元に展開され、彼の疾走と共に移動する魔法陣が光を放つ。
 神剣魔法『サプライ』を受け、ゼフィのマナが充溢する。

「……ありがとうございます。行きますっ」

 ウイングハイロゥを広げ、神剣『蒼天』を掲げゼフィが飛んだ。
 ゼフィへの迎撃の神剣魔法は放たれない。城壁に取り付いたウルカが、迅雷の速度で射程内のレッドスピリットを無力化していた。

 青いマナの光が『蒼天』より溢れ、その光をゼフィが振り下ろす。

「――ハァァァアアアーーー!!」

 天地をひっくり返したような豪快な破壊音。破城槌以上の威力を発揮したゼフィ渾身の一撃は、見事城門を粉砕していた。
 土煙が上がり、衝撃波で一瞬視界が奪われる。

「……行くか」

 目を開くと、道は開いていた。城壁の防御力を過信して、横に広く展開していたイースペリアのスピリットが慌てて開いた穴に殺到しようとしているが、それよりサルドバルト軍が雪崩込む方が早い。
 当初の想定通り、市街での乱戦となる。スピリットは人を傷付けられないとは言え、当然一般市民にも被害は出るはずだった。

『――今は考えないほうが良いでしょう』
『わかってるっ』

 友希は『束ね』に向けて怒鳴り、ゼフィと合流するのだった。
































「ゼフィ、アルノは!?」

 突進してきたブルースピリットの剣をいなしながら、友希は背中を守るゼフィに聞く。

「重傷、です! 神剣ももう破壊されていますっ」

 ゼフィの一撃が、斬りかかってきたグリーンスピリットを、彼女の槍が届く遥か前に両断する。
 この敵達がもう少し脆ければ、アルノの救援に行けた。しかし、もう手遅れだ。回復魔法の使える自軍の緑は、近辺にはいない。

「じゃあ、僕が治す!」

 ブルースピリットを辛くも斬り捨てた友希が叫ぶ。肩を浅く裂かれたが、問題はない。オーラフォトンが傷周辺に集まり、止血をしていた。
 そう、オーラフォトンを操る友希の魔法は、若干ながらも傷を癒す効果もある。サプライの効果そのものはアルノには意味が無いが、応急処置くらいなら、

「いけません! 神剣が破壊されたアルノを癒しても、足手纏いになるだけですっ」
「――ッ、なら見捨てろってか!?」
「そうです。そうしないと、トモキ様が死にま――!? トモキ様、側面、レッドスピリットが詠唱を……」

 皆まで言う前に、二人は弾けるようにその場から離れていた。

 フレイムレーザーと呼ばれる熱線の魔法が一瞬前まで二人がいた場所を貫き、友希は背筋が冷える。友希は一瞬動きが止まってしまったが、ゼフィは直ぐ様反撃に移っていた。彼女は路地に隠れてこちらを狙っていたレッドスピリットに向けて走りだす。
 その背中を見送り、友希は他に伏兵がいないか周囲を探った。

『……ゼフィの言うとおりです。今、あの妖精を助けても益はありません』
『っ。っさい。それより索敵を――』
『大丈夫、今近くには先程のレッドスピリットしかいません』

 ゼフィの向かった路地から、断末魔が聞こえた。彼女がやられたとは微塵も思わない友希は、『束ね』の言葉に少しだけ緊張を解くことを自分に許し、アルノに近付く。

「アルノ!」
「ぅ……ぁ」
「――っ」

 素人目に見ても、あからさまな致命傷だった。袈裟懸けに大きな裂傷が走っており、痛々しい傷跡を晒している。

 血は、流れ出る端からマナの霧となっていた。まだ生きているのが奇跡のようなありさまだったが、時間の問題であった。彼女の手にある神剣は、半ばからぽっきりと折られている。神剣の加護をなくしたスピリットは、人間に多少毛の生えた程度の力しかない。このままだと、後数分で昇華が始まるだろう。

「…………」

 しかし、今ならば、友希の全マナを注げば助かるかもしれない。
 思わず手を掲げてしまうが、足元に魔法陣は浮かばなかった。

「……糞」

 イースペリアに突入してから今まで、三十分ほど。間断のない戦闘に、友希の余力は半分も残っていない。ここでアルノを助けたとして、力尽きた友希と神剣を失った彼女、二人揃って死ぬのがオチだった。悪ければ、それをフォローしようとするゼフィも死ぬ。

 アルノとは、勿論会話したこともない。今まで死んだ第二分隊の仲間のことは悲しいが、友希が気付いた時にはもう為す術がなかった。
 しかし、今回は違う。彼女たちと違い、アルノの死に様は、友希に力不足をありありと思い知らせた。

 もし、友希がもっと、ずっと強かったら、きっと彼女を助けることができた。

「ごめん」

 身体の末端から、アルノというスピリットを構成するマナの昇華が始まった。既に、彼女の意識はないようで、苦痛は感じていない様子だった。

「トモキ様。この近辺にはもう敵スピリットはいないようです。……中央制圧のため、あの王宮に向かいましょう」
「……わかった」

 イースペリアのスピリットは、当然イースペリアの人間――女王にその第一命令権がある。彼女を捕らえ、停戦を命令させればイースペリアは落ちたも同然だ。
 これ以上の味方の犠牲を増やさないためにも、早急に中央を制圧する必要がある。

 後ろは、振り向かない。アルノに背を向けて、二人は走り始めた。

























 王宮まで後一歩。そこまで来て、鋭い頭痛と共に『束ね』が警告を発した。

『主っ、すぐ近くに強力なスピリットがいますっ』

 戦場となっているこの街は、今敵味方のマナが入り乱れて敵の気配を察知するのは困難で、『束ね』がその敵の存在を感知した時には、既に敵はすぐ近くに迫っていた。

「っつ、了解! ゼフィ!」
「今気付きました!」

 『束ね』を通じてもたらされる敵の情報に、友希は一気に緊張を高めた。
 これまでに会ったどのスピリットのより強い。ことによれば、友希の知る最強のスピリットであるウルカよりも強力なマナを感じる。

「……! トモキ様、私は接敵直後に全力の一撃を入れます。フォロー、お願いしますっ」
「それしかないか!」

 おそらく、あちらもこっちのことに気付いている。不意打ちにはならないだろう。
 しかし、まともに戦っては勝機は薄い。出会い頭に最高の一撃を入れるしか手はない。

「すぐです!」
「ああ――?」

 そこの角を曲がれば、即会戦、という時になって初めて友希は違和感に気が付いた。
 大陸最強のウルカをも上回るようなマナ。マナの多寡と実力は必ずしもイコールで結ばれるものではないが、決して切り離せない要素でもある。

 この戦場に、そこまで強力なスピリットは最初は感じなかった。ならば隠れていた実力者というのが妥当だが……しかし、そんな相手に、心当たりはなかったか?

「ユート様、下がって――!」
「はあああーーーー!!」

 考えが纏まる前に、件の敵と遭遇してしまった。

「ぐぅ……!」

 ゼフィの一撃が、角から現れたスピリットに叩き込まれ……そのスピリットは、苦痛に顔を顰めてはいるものの、幾重ものマナの障壁と自身の槍を盾にすることで、ゼフィの攻撃を防ぎきった。
 友希は度肝を抜かる。これまで、ゼフィの攻撃を躱すスピリットはいても、正面から防ぐなど、どんな手練のグリーンスピリットでも不可能だったのだ。

「!?」

 そして、今、聞き覚えのある名前が呼ばれたことに考えを巡らせようとした友希は、ゼフィの攻撃を防いだグリーンスピリットの背後から現れた影に、慌てて走りだす。
 一撃を放った直後の無防備な姿を晒しているゼフィに、その影は剣を走らせ――

「ぐっ、あっ!?」

 それを防いだ友希は、あまりの鋭い太刀筋に『束ね』を取り落としそうになった。
 早く、重い。先のグリーンスピリットの防御力もさることながら、今友希と睨み合っているこのブルースピリットの剣も並大抵のものではない。一撃の重さでは流石にゼフィが上回っているが、この敵は剣を流れに乗せたまま二つめの斬撃を放った。

「ん!」
「……くっぅ! オーラフォトン――」
『シールド!』

 盾で受け止めるが、あっさりと罅が入る。

「フッ!」

 更に敵の攻勢は止まらず、横薙ぎの姿勢に入る。
 次は、オーラフォトンの盾ごと体を一刀両断にされる。そんな未来予想図がありありと見え、

「や、やめろ、アセリア!」

 後ろからかかった声に、件のブルースピリットは一瞬剣を止めた。
 それを好機と見て友希は慌てて後ろに下がる。ゼフィも同じく後ろに飛んだ。

「ユート、どうして止める」

 機を逃して、アセリアと呼ばれたブルースピリットは油断無く構えたまま、視線だけを後ろに向ける。

「あ、あいつは俺と同じエトランジェで、友達なんだ。前話したろ」

 現れたのは、ラキオスの戦装束を学生服の上から羽織った長身の青年。

 高嶺悠人がそこにいた。

「……、アセリアに、エスペリア。ラキオスはもうイースペリアにまで来たんですか」
「ゼフィ。貴方まで……」

 そして、ゼフィの方は、悠人の仲間らしき二人のスピリットと知り合いのようだった。
 友希もその二人の名前は聞いたことがある。精鋭と名高いラキオスのスピリットの中でも指折りの実力者だ。
 しかし、友希は今それどころではない。当惑した様子で、悠人の顔をまじまじと見る。

 懐かしい顔。幾分か頬がこけたようにも見えるが、懐かしい黒髪のツンツン頭に精悍な顔つきは、間違いなく友希の知る悠人のそれだった。

「……高嶺、久し振り」
「ああ、御剣も」

 本来なら、肩でも叩き合って再会を喜びたいところだが、ここは戦場。そんな呑気なことをしている暇はない。それに――

「アアアーーー!」
「!?」

 友希とゼフィの背後から、掛け声と共にスピリットが三体走る。それは、味方の援軍である、サーギオスの兵だ。
 彼女たちは友希らをスルーして、悠人たちへと襲いかかった。

「待っ――!」

 止める暇もなく、彼女たちと悠人たちは交錯し、

「ん……」
「アセリア、俺がやるっ……はあぁぁっっ!」

 悠人の持つ無骨な神剣から圧迫されるような力を感じ、その瞬間、襲いかかった三人は纏めてぶっ飛ばされた。彼女たちは縺れ合うように壁に激突し、即座に消滅する。

「はぁ、はぁ……」

 片手で剣を振り抜いた格好で、悠人は肩で息をしていた。

 どうやら、驚くべきことに、あの一撃は片手で放ったものらしい。
 その出鱈目な威力、速度は同じエトランジェとは言え友希とは比較にもならない。ゼフィに匹敵するような破壊力だった。
 成程、これだけの力を持っていれば、『勇者』などと持て囃されるのも頷ける。感じれる悠人の力からして、今の一撃とてまだ全力ではない。文字通り、一人で戦局を左右できるほどの力を秘めていた。

『剣の力、全ては引き出せていないようですが……格が違いすぎて、比べる気も起きませんね、こりゃ』
『同感……』

 万が一悠人とやりあっていた場合、友希など一撃でミンチにされてしまっただろう。それだけの力の隔たりがあった。
 立場上、敵味方に別れていても問答無用で襲われないことを幸運に思うしかない。

「御剣っ。お前も俺たちと一緒に来い! サルドバルトなんかに付き合う義理なんてないだろ!」

 しかも、こんなことまで言ってくれる。友希はありがたくて涙が出そうになった。
 しかし、頷くわけにはいかない。

「悪い、高嶺……。そうしたいのは山々なんだけど、僕も今はサルドバルトを離れるわけにはいかないんだ」
「なんで――!? 今、俺達と来ればサルドバルトに殺される心配なんてないぞ! 俺みたいに人質を取られているわけでも……」
「取られてるんだよ」

 友希は、ゼフィに目配せをする。
 彼女は油断無くアセリアとエスペリアの動向を警戒していた。あちらも同様に警戒をしていたが、悠人に止められたためか動いていない。

「高嶺、お前だって、スピリット隊の人たちと仲良くやってるって手紙で言ってたよな。僕も、こっちのゼフィを裏切るわけにはいかないから」
「お前……」
「まあ、うまいことラキオスがサルドバルトを倒してさ、そん時、僕が生き残ってたら……よろしく頼む。今は無理だ」

 そこで、ゼフィが何かを言いたそうにしているのがわかったが、友希は首を振った。今更、降りるつもりはない。

「なんでだよ……なんで……」
「本当、なんでだろうな……」

 永遠神剣なんてものを手に入れて。訳の分からないうちに異世界に飛ばされ、こんな見知らぬ国の、見知らぬ街で、友人と敵味方に別れて対峙する。
 出来の悪いフィクションみたいだ、と友希は思った。

「ところで、ゼフィ。貴女は私たちを止めますか?」
「そうしたいところですが……」

 ラキオスのエスペリアが尋ねると、ゼフィは困ったような顔になる。

「……私に下された命令は『イースペリアを守るスピリットの排除』。ラキオスを相手取るのは命令の範囲外です。
 大体、戦ったとしても、一矢報いることも出来なさそうですしね。無駄死は御免ですし、全力を尽くせ、との命令に反することになります」
「そうですか。貴女と戦わなくて済んでなによりです」

 ほっ、とエスペリアが胸をなで下ろす。ゼフィはああ言ったが、もし本当に戦うことになると、手痛い損害を覚悟しなければならなかった。万全の状態ならまだなんとかなるであろうが、悠人達は撹乱に来たウルカと一戦交えており、余力はあまり無いのだ。

「わかりました。では、次は見える時は戦場でないことを祈りましょう」
「そうですね……。トモキ様に、折角再会できた友人と殺し合いなど、してもらいたくないですから」
「はい。それはこちらも同じです」

 ラキオスは急ぎイースペリアへの救援に駆けつけたが、ダーツィを滅ぼしここまで昼夜駆けるのはやはり強行軍が過ぎた。ほぼ陥落したイースペリアを奪還するには、全員に疲労が溜まりすぎている。
 となると、イースペリアの首都を含む西半分はサルドバルトが手中に収める事になる。エスペリアたちは密かにエーテル変換施設を停止させ、サルドバルトが急激に力を付けることを防いだが……度重なる戦で疲弊したラキオスが、帝国の支援を受けたサルドバルトに直ぐ様攻めこむというのは少々性急すぎるというものだろう。

 恐らくはしばらく睨み合いとなる。もしそうなれば、元々は長年の同盟国。再度同盟するのは無理でも、停戦することくらいは出来るかもしれない。
 いささか楽観が過ぎるかもしれないが、エスペリアとゼフィはお互い、口にはしないがそんな風に事が転がることを祈っていた。

 そして悠人と友希は、二言、三言、言葉を交わし、別れを告げる。

「……御剣、絶対生き残れよ」
「ああ、高嶺。お前も――」

 ドクン、と。
 その瞬間、悠人と友希は同時に、奇妙な鳴動を感じた。

「!?」
「! なんだ――!?」

 ばっ、と二人同時に王宮の中心部に視線を向ける。
 気付いたのは二人だけ。エスペリアもゼフィも、なにをするでもなくぼうっと立っているアセリアも気付いていない。当然、それ以外の戦っているスピリットたちも同様だった。
 気付いたのはエトランジェの二人だけ。

「なんだ……これ」

 なんとも言えない不吉な予感が膨れ上がっていく。

『『束ね』っ! なんだこれ!?』
『これは……まさか』
『いや、まさかじゃなくて!』
『主。主の友人に、王宮の中でなにをして来たのか聞いてみてください! 事は一刻を争う可能性があります』

 切羽詰った『束ね』の言葉。なにより、友希も感じる嫌な予感に急かされるように、悠人に尋ねた。

「高嶺、お前たち、王宮から出てきたよな!? 中でなにやった!?」
「え……俺達は、この国のエーテル変換施設を止めて」
『エーテル変換施設とは、神剣を利用したものだったのかを聞いてください!』
「っ、高嶺、それって永遠神剣を利用した奴だったか!?」
「あ、ああ。馬鹿でかい神剣がコアに突き刺さってた」

 戸惑いながらも答えた悠人の言葉を聞き『束ね』の焦りの感情が強くなっていく。

『不味い、まさか――そんなこと』
『おいおい、さっきから全然わからないぞっ!? 説明しろ!』
『走りながら話します! 危険ですので、とっととこの街から逃げてください。出来るだけ遠くに――!』
「わ、わかった」

 『束ね』の本気の感情が伝わってきて、友希は頷いた。

「ゼフィ、逃げるぞ!」
「え、ええ!? トモキ様、それはどういう……」
「いいからっ」

 ぐい、と友希はゼフィを引っ張る。違和感はどんどん酷くなっていた。

「エスペリア、アセリア。俺達も離れるぞ。オルファ達と合流しよう」
「ユート様? ……いえ、わかりました」

 悠人の鬼気迫る様子を見て、エスペリアは頷いた。神剣同士の共鳴を利用した通信で、仲間たちに連絡を取る。

「高嶺。それじゃあ、またな
「……ああ。絶対、また会うぞ」

 流石に、一緒に逃げるわけにはいかない。
 こつん、と二人は拳を合わせて、それぞれの仲間と一緒に走り出した。

























「はぁ、はぁ!」
「と、トモキ様! 敵前逃亡は重罪です。最悪、処刑されるかも……」
「いいからっ! 死んじゃったら、任務も果たせないだろ」
「せ、説明してください!」
「僕も上手く説明できるかわからないけど、それでもいいならなっ」

 息を切らせるほど走りながら、友希は『束ね』から聞かされた現象をゼフィに説明した。

 永遠神剣が莫大なマナを吸収して大爆発を引き起こすマナ消失。神剣自体も消滅するというそれは、通常はまず起こり得ない現象だ。
 しかし、エーテル変換施設で利用されているように、人為的に制御されている永遠神剣ならば意図的に起こすことも可能であった。恐らくは、悠人達の操作で、何らかの引き金が引かれたのだろう。

 『束ね』から送られてきたマナ消失のイメージは、絶望的なものだった。
 爆発の範囲はイースペリア首都から更に広い。付近一帯のマナが吸収され、そのマナが暴風のように荒れ狂う。人間ならば生き残れる可能性もあるが、マナで身体を構成されている友希やスピリットは、巻き込まれたら身体がマナの塵に還ってしまうことは避けられない。

「そんな……ラキオスは、そこまでして……」
「誰だよ、指示した人間は!? 高嶺達、自分たちが巻き込まれるってまるで知らないみたいだったぞ!」

 説明しながら、友希は見知らぬ誰かに怒りを募らせた。
 どれだけ速く逃げようが、エーテル変換施設を操作した後、マナ消失の効果範囲から逃れるのは至難の業だ。確かに敵の大部分を掃討出来る作戦だが、同時に自国の兵と同盟国の民に尋常ではない被害が出る。

「……わかりました。急ぎ、本陣に向かい伝えましょう。……他のスピリットには伝える余裕はありません」
「わかってるけど……く、また来た!」

 なにも知らないイースペリア兵と遭遇する。
 黒一人、緑二人。

 もうすぐ街を囲う城壁に辿り着く。しかし、ここに来るまでにも、何度もこうしてスピリットとの遭遇戦を繰り広げていた。足の遅いスピリットなら振り切ることも出来るが、今回はブラックスピリットが混じっている。少なくとも、これを倒さないと逃げることは出来ない。

「ゼフィ! 僕が緑を抑える!」
「はいっ」

 一瞬で間合いを詰めてきたブラックスピリットをゼフィに任せ、友希は遅れて突撃してくるグリーンスピリットに向かった。
 相手の永遠神剣は、間合いの広い槍。突いてきた穂先をオーラフォトンシールドで逸らしつつ、懐に潜り込む。

(上手く行った!)

 神剣を叩きつけるが、マナの節約を意識した一撃では防御の固い緑は打倒できない。が、相手の体を吹き飛ばし、足を止めることには成功した。
 続くもう一人のグリーンスピリットが長槍で薙ぎ払ってくるが、これは後ろに飛んで回避。

 その頃には、ゼフィがブラックスピリットを切り捨てていた。

「よし、逃げるぞ!」
「はい!」

 こうなれば、比較的鈍足なグリーンスピリットでは二人には追いつけない。
 相手が怯んでいる隙に、その脇を通り過ぎ、そのまま街の外へ向かった。

 しかし、

「くっ……間に合わないっ!」

 先程のようにスピリットと遭遇戦を繰り広げながらも、ようやくイースペリアの街から出ることができた。しかし時間がかかりすぎた。もう後数分もしないうちにマナ消失が起きる。
 現に、このあたりのマナは少しずつ勢いを強めながら、イースペリア王宮の方向に流れ始めていた。

『仕方がありません。王宮方向に防御のマナを集中すれば、なんとか生き残れるかも……』
『無理だろ! それより、少しでも離れたほうが……』

 事ここに至っては、友希にもマナ消失の威力が肌で感じられた。貪欲にマナを吸い上げている永遠神剣。これが一斉に解放されたら、友希の盾ではまず防ぎきれない。悠人ほどの力があって、どうにか五分だろうか。

『いえ、後数分だと、焼け石に水です。それより、私の奥の手を使います』
『なんだよ、それ!? そんなのがあるんだったら――』
『黙って聞いてください』

 『束ね』が断固として友希の声を遮る。

『簡単に説明します。その方法とは、味方の神剣と私の力を共鳴・増幅させて本来の何倍もの力を引き出すというものです。
 私の力は永遠神剣の力を合わせるものだと言いましたね? 共鳴現象は本来、ごく相性のいい神剣同士でしか使えない技法ですが、私の魔法を使うことで、その条件をある程度緩和することが出来ます』
『そ、それなら……』

 一時的にでも力を何倍にも出来るのなら、生き残れる可能性はある。

『ただ、博打に近いですね。今までは私の力を相手に与えるサプライだけしか使っていませんでしたが、この魔法の難易度はサプライの比ではありません。相手との相性もまるきり無視できるわけではないですし。……そもそも、今の主の力量を超えた魔法です』

 しかし現状、生き残るにはそれ以外に手はないと『束ね』は言った。

「……わかった! ゼフィ、ここでマナ消失を防ぐぞ」
「え?」
「障壁を。僕と一緒に張って!」

 なるべく堅固な壁をイメージする。残りのマナの全てを振り絞って、障壁を形作った。
 一瞬遅れて、ゼフィも決心したように頷いて、友希のそれに重ねるように盾を展開した。

 二人はなるべく寄り添って、効果範囲を狭く強度を強くする。

『主、ゼフィの『蒼天』の刀身と私を重ねてください。そちらのほうが成功率が高い』
『了解』

 『蒼天』と比べると至極貧弱な『束ね』をクロスさせるように重ねる。

「なにを?」
「……なんでも、神剣同士を共鳴させて、力を増幅するとか」
「『束ね』の魔法、ですか?」
「ああ」

 マナが枯渇する勢いで周囲から失われていく。マナ消失が起きるまで、もう殆ど猶予はない。

『……心を落ち着けてください。大丈夫です、愛のパワーとか、そういうので乗り切りましょう』
『お前、この期に及んで』
『こんな時だからこそ、リラックスして場に臨むのが一番です。……では、行きますよ』

 友希の足元に、魔法陣が展開される。サプライの時とはまた違った模様。マナの通る回路が、より複雑に、精緻に刻まれている。その分、いつもより何倍も展開が遅い。脳を駆け巡る情報に、神経が焼き切れそうだった。
 どのような魔法か、言葉では伝えきれないほどの高度で高密度な情報が『束ね』からもたらされ、そのイメージを補強するため詠唱が勝手に口から漏れ出る。

「神剣の……主、として……命……じる」

 綱渡りのような魔法の行使。集中を少しでも切らせば、その瞬間、魔法の構成が解けてしまう。ギリギリのところでなんとか破綻させないように踏ん張り、友希は詠唱を続ける。

「マナよ……互いに手を、結び合い……遥か高みの……力となれ!」

 目を瞑り、意識を集中させる。
 『束ね』と触れ合っている『蒼天』の力強い鼓動が感じ取れた。

 その力に自分の力を重ねる。波長とでも言うべきものがズレていたが、魔法の効果がそれを補正するように作用する。

「……レゾ、ナンス」

 魔法の完成と共に、その言葉を紡ぐ。
 友希のマナとゼフィのマナの波長が完全に一致し、

 瞬間、常時友希の身体を満たしている力が、身体がパンクしそうなほど爆発的に膨れ上がった。

「ぐ、っぎ、ああああああ!?」

 身体を駆け巡るかつてない力の奔流に、友希は脳みそを掻き回されるような苦痛を与えられる。

『主! 気を落ち着けて、すぐマナ消失が来ます! 二度目はありませんっ』
『わかっ……てるっ!』

 暴れ馬のような力を『束ね』の助力も借りて必死で制御し、障壁に注ぎ込んだ。その力は確かに普段の友希の数倍以上の力だ。あまりにも分不相応な力のおかげで、精神が磨耗していく。成程、これは実戦では到底使えない。
 ゼフィもまた、今までにないほど充溢している力を懸命に制御していた。いつ暴発してもおかしくない。そんな力を、全て防御に回す。

 二人分の力を全て注ぎ込んで形成された障壁は強く輝き、今にも物質化しそうなほどの密度となった。
 これだけ防壁。あらゆるものを通さず、必ず生き残れる。

 かすれる意識で友希はそう確信し、「

「あ……」

 街を壊しながら迫ってくるマナ消失の破壊の渦に、心が挫けかけた。

『……来ます』

 その瞬間、世界が壊れた。






























 友希たちの立つ大地の世界の外側。宇宙のような空間に、テムオリンはたゆたっていた。
 枝のようなイメージで見える世界を見つめ、その枝の一部にごく小さな穴が開いているのを認める。

「ふふふふ……」

 イースペリアのコア神剣が崩壊した際のエネルギーは、都市を蹂躙するに留まらず、世界の壁をも破壊して、その一部を外へと放出していたのだ。
 今か今かと世界の外で待ち構えていたテムオリンは歓喜の表情でそれを見つめる。

「どうやら、ラキオスもサーギオスも私の思い通りに動いてくれたようですわね」
「はっ」

 当然のようにその傍に仕えている黒き剣士タキオスも、首肯を返す。

「さて、早く回収してしまいましょうか」
「はい」

 帝国を通して行わせたこの度の作戦は、こうして成功した。世界の外へと追放されたマナは、テムオリンたちエターナルという存在にとって最も扱いやすい、浮きマナと呼ばれるもの。
 そして、世界で活動する際、その世界のマナで身体を構成する彼女たちにとっては、こうしてあの大陸のマナを浮きマナの状態で手に入れることには大きな意味がある。

「これで、十分な力を振るえますわね」

 活動する世界のマナで身体を構成することで、エターナルはその力を大きく制限される。
 しかし、その世界のマナを大量に入手し、それを利用すれば、制限を緩めることも可能であった。

「今回はワンサイドゲームになってしまうかもしれませんわね。時深さんが駆けつけたところで、流石に一人では勝負になりませんもの」
「いささかつまらなくはありますな」
「タキオスはそうでしょうね。私は今から楽しみですわ。彼女を這い蹲らせるのが」
「左様ですか」

 ただ、とタキオスは前置きし、

「あの時深がただ座して敗北を待つだけとも思えません。必ずやなにかしらの手を打ってくるかと」
「そう?」
「ええ。イレギュラーもいることですし」

 タキオスは、テムオリンに頭を下げる。

「やはり、かの者を放置しておくのは得策とは思えません。あのマナ消失からも生き残ったようです。どうかご許可を」

 世界を俯瞰するエターナルの視点からは、マナ消失の暴風から辛くも生き延びた友希とゼフィの姿が見て取れた。
 決してその力は大きなものではない。むしろ、この戦争の中では脇役にしかならない程度の力しかないだろう。しかし、先程見せた爆発力は、無視しない方が良いとタキオスは判断した。
 それに、単純な興味もある。

「本当、物好きですわね。まあ、いいでしょう。好きになさい」
「はい。では」

 背後に背負った永遠神剣第三位『無我』を引き抜き、タキオスが出陣する。
 それを見送って、テムオリンはため息を付いた。

「悪い癖、ですわね。タキオスの食指が動くほどの坊やとも思えませんが」

 言っていることはそれらしいし、それもまた本心ではあるのだろうが、タキオスのもう一つの心などテムオリンには透けて見えていた。
 要するに、戦争を眺めて血が滾っているのだ。なにせ、彼は生粋の戦士である。じっとしていられなかったのだろう。そこで、ちょっと見込みのありそうな者に手を出しに行ったに過ぎない。

 まあ、彼は元よりイレギュラー。ここで退場されようと、大局には影響がない。

 ……まあ、精精、愛犬が暇を紛らわせる玩具程度にはなってくれるか。
 テムオリンの、友希への認識はその程度であった。

 大体、それより差し迫った問題がある。

「さて、そうすると、私は一人でこのマナの回収を? ……引き止めておけばよかったですわ」

 残りの部下三人は、今は地球で時深の足止めをしている。面倒そうにしながら、テムオリンは浮きマナの塊に向かって飛ぶのだった。




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