イースペリアの首都へ向けて進軍しているサルドバルト軍は、現在順調に進軍を進めていた。
 これは、別働隊である第三部隊が、上手く働いているためだろう。報告では、既にイースペリア東の都市であるダラム、ミネア、ランサは落ちたとのことだ。

 第三部隊を構成するサーギオス帝国の実力は並ではない。お陰で、第一部隊を構成する友希たちへ向けられる部隊の数は少なかった。
 ただし、少ないとは言ってもまったく差し向けられないわけではない。首都の防備を固める時間を稼ぐため、散発的に少数のスピリット部隊が足止めに襲ってきていた。

 勿論、イースペリアとて無駄に戦力を損耗させる気はない。嫌がらせ程度にちょっかいを出して、すぐさま逃げを打つが……しかし、サルドバルト側としては、この機に少しでも敵の数を減らしたいところである。

 そのため、軍の先頭を歩く第二分隊が、襲来してきたイースペリアのスピリットたちを追撃するよう命じられていた。それはいいのだが、

「アルノ、イルノ! ソフィ! ラサフィ! 深追いし過ぎては駄目ですっ!」

 ゼフィが声を張り上げる。
 しかし、第二分隊のスピリットは聞く耳を持たず、一目散に逃げていくイースペリア兵を全速力で追っていた。

(――くそっ!)

 ゼフィと並走して彼女たちを追いかける友希は、内心舌打ちをした。

 そもそも、追撃を命じた人間が悪い。
 サルドバルトの部隊には、総指揮官であるアキオンの下に、スピリットに対する命令を下す人間の指揮官がいる。人の命令がない限り能動的に動こうとしないサルドバルトのスピリットが、組織だった動きをするには不可欠な人材だ。
 この職も例に漏れず人気がない職業で、口の悪い人間は『号令係』などと呼んだりする。実際のところは、人形じみたスピリットたちを効率的に動かすために、高度な判断力と戦術知識が必要な職……なのだが、よりにもよって第二分隊の『号令係』が下した命令は、「あのスピリットたちを"必ず"倒せ」であった。

 理性を完全に喪ったスピリットは、人の命令に忠実で、それゆえに融通が利かない。人格を失いながらも高度な判断を下すことの出来る高水準のスピリットも帝国辺りにはいるらしいが、サルドバルトのスピリット育成技術ではそこまでは出来ない。
 必ず、などと命令すると、このような事態に陥る。下手をすれば、相手の首都までこのまま追撃をしかねない。

 これが、神剣に呑まれたスピリットの大きな欠点である。同じスピリットであるゼフィやエトランジェの友希ではこの命令を上書きできない。

 こんな時のために、ゼフィのような隊長スピリットがいて、通常、人間の指揮官は彼女たち隊長にある程度の裁量を持たせるよう命令するのが原則――少なくとも、友希はそう教わった――であり、それを考えればあの指揮官の命令は下の下である。

 帰ったら、必ずあの指揮官を殴り飛ばそうと友希は決めた。
 味方のスピリットが損耗するイコール自分が危害に遭う可能性が高くなる、ということで、他の指揮官も無能な輩にはスピリットに対して以上に厳しい目で見る。文句は出まい。

 しかし、今はあの連中を止めないといけない。前に回りこんでも無視して走ってしまうので、速やかにイースペリア兵を倒す必要がある。

 と、前を走る敵スピリットが足を止めた。

「……おいおい」
「これは……」

 敵と相対するため足を止めた第二分隊の面々の隣で止まって、友希とゼフィは顔を引き攣らせた。

 逃げる敵スピリットを追いかけて、本陣から離れてしまった彼らを待ち受けていたのは、二十人以上のスピリットたちの部隊。各色がバランスよく揃えられており、それぞれ神剣を構えている。あからさまな待ちぶせだ。

 対して、こちらは友希、ゼフィをそれぞれトップに据えた二班計六人。

「……ゼフィ、これは引いたほうがいいと思うんだけど」
「そうしたいのは山々なんですが……彼女たちが引きません」

 と、ゼフィは自分と友希以外の味方スピリットたちを見て言う。
 こちらのスピリットの欠点をつかれ、完全に釣り上げられてしまった形になった。

「トモキ様は下がっ――」
「やるしかないか」

 ゼフィには、味方を見捨てて逃げるという選択肢はなく、そうすると友希も引くわけにはいかない。
 彼女の言葉を遮りながら、友希は全身のマナを高まらせた。

 ゼフィは非難がましい目で友希を見てから、仕方なく『蒼天』を構えた。

「――できるだけ私が前に出ます。トモキ様はまだ対多数の戦いは慣れていないでしょう」
「大丈夫なのか?」
「大丈夫……と言いたいですが、正直ちょっとキツいですね」

 流石のゼフィも、二桁のスピリットに囲まれては無事には済まない。
 友希は少し悩んで、『束ね』を構えた。

「……神剣の主として命じる。かの者に我が力を分け与えよ」

 魔法の気配に警戒を強めるイースペリアのスピリットたちを視線で牽制しながら、友希は神剣魔法を発動させた。

「サプライ」

 魔法陣が展開し、オーラフォトンの光が溢れゼフィに降り注ぐ。

「ありがとうございます。でも、トモキ様は」

 供与のオーラ。この魔法は、文字通り使用者の力を味方に与える力だ。対象は大きく能力を上昇させるものの、代償として使用者の力は落ちる。
 日々の親交で友希のマナと親和性の高いゼフィにとっては大きな恩恵があるが、友希自身の消費が少なくなるわけではない。

「大丈夫。ゼフィに頑張ってもらうんだから、これくらいは」
「……わかりました」

 ブン、とゼフィは神剣『蒼天』を素振りする。
 それだけで周囲を戦慄かせるようなマナの震えが走る。

「ご期待に添えるよう、頑張ります」






















「くっそっ!」

 始まった当初は順調だった。
 ゼフィが一人で獅子奮迅の活躍をし、それを友希を始め味方スピリットが上手くフォローすることで、被害もなく敵を数人倒しきった。

 しかし、そんな彼女にイースペリア兵は脅威を感じたらしく、ゼフィを排除するために彼女と友希たちを分断し始めた。最初は固まって戦っていた友希たちを巧妙に誘導し、今や完全にゼフィとは引き離されていた。まだ分隊のスピリットが二体、ゼフィの傍にいるはずだから、彼女たちと力を合わせて切り抜けてくれることを祈るしかない。

 友希の前には足止め程度に三人のスピリット。
 友希の方に残った味方は二人だから、数の上では丁度釣り合いが取れている。あれだけの人数差があったのだ。ゼフィの方に行ったスピリットの数は容易に想像がついた。

 友希は強い焦りを覚える。いつの間にか三対三の睨み合いの状況となっていたが、いつまでもぐずぐずはしていられない。

「行くぞ、『束ね』!」
『了解』

 硬直した空気を振り払うように声を張り上げ、オーラフォトンを神剣に纏わせる。

 それを見て、敵の一人が突っ込んできた。

「ラサフィ!」

 味方に声をかけた。

 戦いのための命令ならば、友希の言葉でも彼女たちは聞いてくれる。グリーンスピリットのラサフィが、敵スピリットの攻撃を受け止めたのを見て、その隙を突こうと友希は飛び出した。

 同時に相手の班も防御に優れたグリーンスピリットが前に出てくる。
 攻撃してきたスピリットへの反撃は諦め、友希はグリーンスピリットに神剣を繰り出した。

「クッ!?」
「ラサフィ、下がれ!」

 相手の防御を僅かに押しのけて、傷をつけることに成功する。敵が怯んだ瞬間に反転し、当初の目標であるアタッカーへの攻撃を仕掛けた。ラサフィは友希の指示に従い、敵の体勢を崩しつつ後退。
 ラサフィが相手をしていたスピリットに、友希は容赦なく攻撃を加えた。

 相手の防御は間に合わず、何時まで経っても慣れない肉を裂く感触が友希の腕に伝わる。

「――ッ」

 苦痛に顔を歪めるスピリットへの罪悪感を必死で押し殺し、友希はそろそろかとラサフィを追って下がる。その頃には、そのスピリットは事切れていた。
 そして、友希たちが下がった瞬間に、後ろで控えていた自陣の赤スピリットが魔法の詠唱を完了させた。

「マナよ、炎の雨となれ――」

 放たれる魔法はフレイムシャワー。広範囲にわたり、詠唱通りの炎の雨を降らせる強力な魔法だ。まともに当たれば、残りの敵をまとめて戦闘不能に出来る。

 しかし、

「アイスバニッシャー」

 魔法が放たれる直前に、後方で待機をしていた敵のブルースピリットが魔法を放つ。
 それにより、励起状態にあったマナが強制的に沈静化され、魔法の発動がキャンセルされた。

 これが、攻撃と並んで青のスピリットの真骨頂であるバニッシュの魔法である。余程の力量差がなければ、この魔法の影響下でレッドスピリットが魔法を使うのは難しい。当たれば敵陣に大きな被害を齎す炎の魔法だが、ブルースピリットのいる部隊相手では早々クリーンヒットは望めないのだった。
 魔法の作用の仕方が違うブラックスピリットや、友希のようなエトランジェ――属性的には白に分類される――の魔法ならば無効化は出来ないが、しかし神剣魔法「サプライ」はゼフィ以外には効果がない。

「アルノ、魔法はもういい! ラサフィ、一緒に来てくれッ!」

 先程の友希の攻撃で怪我をしたスピリットが一人と、後ろでバニッシュを放ったもう一人。
 こちらにいる敵スピリットは残り二体だけ。早くこの敵を倒して、あちらの応援に行かなくてはいけない。魔法が駄目だというのなら、友希が自ら斬るのが一番早かった。

 少し遅れて後ろからラサフィが付いてくるのを感じつつ、グリーンスピリットに攻撃を加える。その横をすり抜けて、ラサフィが残りのブルースピリットに突撃していった。

「はぁ――!」

 相手の守りは固い……が、先ほど友希の攻撃で怪我をしているため、多少動きが鈍い。少しずつ追い詰めていき、

「……これで、止めだっ!」

 相手の防御のマナを砕き、神剣の防御も突破して、剣を振り下ろす。肩から心臓辺りまで切り裂いた。

「あと……一人!」
『主ッ! 前を――』

 ラサフィが相手をしているはずのブルースピリットを探そうと視線を上げると、件のスピリットが既に目の前で剣を振りかぶっていた。

「あ――」

 そのスピリットの向こうで、脳天を割られているラサフィがいた。彼女を突破して、こちらにやって来たらしい。
 気付いた時にはもう手遅れ。防御に移行する前に友希は致命の一撃を喰らう。

 為す術がない。気付くのがもう数秒早ければ生き残れただろうが、このスピリットが友希の身体を斬るのにあと一秒もいらない。

 目を閉じることも出来ず、呆然と迫ってくる神剣を見つめ――



「ハァッ!!」



 突如として吹き抜けた漆黒の風が、敵スピリットの腕を切り飛ばした。

「!!?」

 驚愕しつつも、迎撃のために前に出そうとしていた『束ね』がそのまま相手に突き刺さる。
 何の抵抗もなく腹部に突き刺さった剣を引き抜き、友希は後ずさった。後ろに跳躍し、距離を離す。

 一秒、二秒と観察し、スピリットがマナの霧へと還り始めたのを見て、やっと身体の力を抜く。

「――っはぁっ!」
『い、今のは間一髪でした』

 『束ね』も相当焦ったというのは、声からよくわかった。仕方がない、本当に間一髪だったのだ。

「で、でも今のは……」

 目にも止まらない速さで敵の腕を斬ったあの風は、一体なんだったのか。
 視線を巡らせると一人の影が、こちらに歩いてきていた。

 一本筋の通った立ち姿。黒い衣装と黒い翼。凛とした佇まいは、うっかり呑まれそうなほど気高く美しい。

『スピリット、だよな』
『ええ。いささか、他の妖精と趣が異なりますが』
『そりゃ、あんな凄いのじゃあな』

 少なくとも、突撃する前までは確実に近くにはいなかった。常識はずれのスピードでやって来たことは想像に難くない。

『いえ、そういうわけではなく……どことははっきり言えないのですが』

 要領を得ない『束ね』だが、それはいい。しかし、彼女は誰だろうか。
 同じ部隊のスピリットの顔を全て覚えているわけではないが、あれだけの強さを持っていれば嫌でも知っているはずだ。そもそも、彼女は服や剣を見る限りブラックスピリット。サルドバルトのブラックスピリットは数が少ないので、ゼル以外の者も一応は把握している。その中にいない顔だ。

「怪我はありませぬか」
「え? あ、はい。平気です」
「それはよかった。あちらのスピリットは残念でしたが……」

 と、ラサフィが消えた場所を痛ましげに見る彼女は、やはりサルドバルトの者ではない。サルドバルトでは、隊長として育てられたスピリット以外は、人格など残っていないのだ。

「その、ありがとうございました。ところで、貴方は……」
「ああ、これは申し遅れました。手前はサーギオスのスピリット、名をウルカと申します。これは手前の神剣『拘束』。つい先程、援軍として部隊に合流し、第二分隊の援護を命じられ参りました」

 若干、時代がかった物言いと剣の形に、友希は祖国の武士を連想する。

「……あ、僕はサルドバルト第二分隊の御剣友希っていいます。こっちは『束ね』。よろしくお願いします」
「はい。こちらこそ。噂のエトランジェ殿と肩を並べて戦え、光栄です」
「は、はは……」

 今まさに死にそうになり助けてもらった身で、こうも持ち上げられてしまっては恐縮と言う他ない。

 と、一瞬緊張を忘れていたが、

「……! しまったっ! 早くゼフィを助けに行かないと――」
「ああ、それなら大丈夫です」

 ウルカが指を指した方角には、ハイロゥを広げ全力で飛んでくるゼフィの姿があった。だが、どこか怪我をしたのか、その飛行は不安定に見える。

「こちらに来る前に、ゼフィ殿の方に助太刀させていただきました」
「……そうか。よかった」

 心底安堵して、へたり込む。
 ウルカは、そんな友希に『ただ』と前置きして、

「手前が駆けつけた時には、もう半数近く斬り捨てておられました。手前や手前の部下の助けがなくとも、ゼフィ殿なら切り抜けることが出来たでしょう。……ゼフィ殿以外は、既に死んでしまっていましたが」
「…………」

 サプライの効果があるとは言え、相も変わらず凄まじいまでの実力だが、この戦闘で第二分隊は三人のスピリットを喪ったことになる。
 それは勿論悲しいし、戦力的にも三人ものスピリットの抜けた穴は大きい。

 ラサフィの散った場所をもう一度見つめて、友希はそこに背を向けた。
 仲間の死を悼むのは、サルドバルトに戻ってからだと、ゼフィに強く……本当に強く、言い聞かせられている。自分の身一つ守れない状況では、そのような贅沢は許されない。

 ひとまずは、生き残ったことを喜ぼう。そう心に決めて、友希はこちらに飛び込んでくるゼフィを迎えるのだった。

























「ふう」

 と、溜息をついて、友希は手近な木に寄り添うように腰を下ろした。

 あの後。

 自陣に戻って、休む暇もなく進軍。
 幸いにして、あれ以降敵スピリットの襲来はなく、無事に今日進軍する予定の場所まで来れた。

 今は、進軍中後方に位置していたスピリット隊が夜営の準備をしている。天幕は人間の分しかないが、腰を下ろしただけでも十分な休息になる。固い地面の感触も気にならない。
 何故か、と考えて、この土地がサルドバルトよりもマナが豊富だからだと気付いた。

「……つくづく人間離れしてるな」

 じっとして、周囲のマナを身体に取り入れれば、少なくとも肉体的な疲労は癒える。いくつか負っていたはずの傷も、とっくに治っていた。

『おや、主。あそこに、先のウルカという妖精がいますよ』
「ん……ああ、本当だ」

 見ると、天幕の一つから、今まさに見覚えのある黒のスピリットが出てきていた。

 進軍中、ゼフィから彼女のことは聞いている。
 サーギオス帝国遊撃隊の漆黒の翼ウルカ。その剣の冴えは大陸中に響き渡っており、名実ともに当代最強のスピリットだということだった。
 友希を助けたときの閃光のような居合の一刀は、確かにそう呼ばれるに相応しいものだった。友希もそれなりのものになってきたとは思うのだが、彼女の太刀は目で追うこともできなかったのだ。

「礼、言っとこうか」

 呟いて、友希は立ち上がりウルカの元へ歩く。途中でウルカも友希に気付き、軽く会釈をした。

「こんばんは、ウルカさん」
「ああ、トモキ殿。手前などに『さん』を付けなくとも良いでしょうに」

 どうにも生真面目な返答だが、好感の持てる相手だった。

「命の恩人を呼び捨てるのはどうかと思うんですけど……」
「いえ、手前はスピリットですので。言葉遣いも、そう丁寧になさらずとも良いかと」
「……まあ、そっちの方がいいって言うなら。じゃあ、改めて。昼間はありがとう、ウルカ」

 そういえばゼフィも同じようなことを言っていたな、と既に懐かしいと言えるほど前の記憶を思い出しつつ、友希は態度を改めた。

 どうも、スピリットは、自分が目上に立つことにあまり慣れていないように見える。特に友希のようなスピリットではない相手に敬語を使われると、違和感があるようだ。それならそれで、態々相手の嫌がることをすることもない。

「感謝の必要はございませぬ。友軍の助けに入るのは当たり前の事ゆえ」
「いや、でも助けられたのは確かだし。礼くらい言わせてくれよ」
「そう、ですか。はあ、これは態々、どうも」

 至極慣れていない様子で、ウルカが友希の礼を受け取る。
 戦場での凄まじい実力とは裏腹に、少し慌てているようにも見えた。

「今、少し時間いいかな。少し、ウルカと話してみたいんだけど」
「はあ、構いませぬが。これから、特に任務もないので」

 話を聞く体勢になったウルカに、どんなことを聞こうかと考える。

「ああ、そういえば。なんでいきなりウルカが来たんだ? こっちにサーギオスの援軍が来るってのは聞いたことないんだけど」
「ラキオスの進軍が予想以上に早いためです。昼夜問わず駆けており、既にダラムは奪還されました」
「ダラム……っていうと、イースペリアの東の街だったよな」
「はい。まさに一気呵成。ダラムを占拠していたサーギオスの援軍は蹴散らされました。タイミング的に、この第一部隊が首都に到着するのとほぼ同時にラキオスも到着するでしょう。そのため、手前らの隊が派遣された次第です」

 悠人達は、相当の勢いで迫っているらしい。
 少なくとも、サルドバルトが宣戦布告をした時点で、まだラキオスはダーツィとの戦争中だった。この短期間にダーツィの首都キロノキロを落とし、そのままロクな休息もなくイースペリアの援護に来るなど、流石は噂の神剣の勇者とその仲間たちと言える。
 否が応にも戦いになりそうだった。

「そこで、手前らは迅速な攻略のため、イースペリア兵とラキオスの撹乱を命じられ……どうされましたか?」

 悠人との戦いの予感に沈んでしまった友希に、ウルカが気を使う。

「ああ、いや。……その、友達がさ。ラキオスにいるんだよ」

 気がついたら、初対面のウルカに心情を吐露してしまっていた。
 この世界に来てから友希が会話できる相手はそれこそ数えるほどしかいない。久し振りのまともに話の出来る相手に、思わず本音を覗かせてしまったのだった。

「噂の『求め』のエトランジェ殿ですか……それは、なんとも」
「あいつの妹の佳織ちゃんって子と僕は幼馴染でさ。その縁で、元の世界にいたころも結構仲良くしてたんだよ……なんでこんなことになったんだろうな」

 向こうの世界にいた最後の日。演劇の練習をしたのがとても遠いことに思える。
 同じ教室で過ごしていた友人と武器を持って殺し合う。こちらの世界の住人であるスピリットと戦うのとはまた別の忌避感があった。

「高嶺……ああ、ラキオスのエトランジェな? あいつを斬るのは、僕には出来そうにないんだよ。実力以前の話で。スピリットは散々斬っておいて、なにを言うのかって思うかもしれないけどさ。
 ……ごめん、いきなり訳分かんないこと言ってるな、僕」

 ふと我に返って、謝った。
 いきなりこんなことを言われても、困るだけだろう。しかし、ウルカは友希の予想に反し、気分を害した様子もなく頷いていた。

「いえ。その心情は手前にもよく分かります。……手前も、同じですので」
「同じ?」
「ええ。手前は敵を殺すことが出来ませぬ。斬ることは出来ても、どうしても殺せない。手前には他のスピリットとは違い、剣の声が聞こえないのです。故に、戦う理由が、殺す理由が……わからない」

 そういえば、ゼフィが漆黒の翼について話してくれたとき、そのような噂も聞いていた。敵を殺せないスピリットだと。

「トモキ殿には聞こえますか? 剣の声が」
「……いっつもうるさいんだよ。お喋り好きな奴でさ」
「やはり、敵を倒せと?」
「違う違う。普段はくだらないことばっかりで……戦うのはさ、もっと別の理由」

 友希は、正直嬉しかった。敵は殺すのが当たり前というこの世界で、ウルカのようなスピリットがいることが。
 勿論、彼女が処分されていないのは、その卓越した実力あってのことだろう。それでも、彼女のようなスピリットがいることは、意味のあることだと思った。

「そうですか。羨ましいことです」
「いや、そんないいもんじゃないよ。なるべくなら戦いたくないんだ、僕は。ただ、仲間を見捨てるのは、格好悪いから」

 恋人、と言うのは恥ずかしかった。

「ああ、ゼフィ殿……サルドバルトの豪剣ですか」

 この大地では強力なスピリットには、自然と二つ名が付く。ウルカならサーギオスの漆黒の翼、ラキオスのアセリアならラキオスの青い牙。そして、ゼフィにも、サルドバルトの豪剣という二つ名があった。

「……初めて聞いた。ゼフィ、そんな風に呼ばれているのか」
「ええ。実戦に出ることが少ないのであまり知れ渡ってはおりませぬが、一撃の重さなら大陸でも最強だと名高いスピリットです」
「そうか、よかった……やっぱりあれは異常なんだよな」

 今のところ、ゼフィ以上の攻撃力を持つスピリットに会ったことはないが、もしかしたら広い大陸の中ではそんなスピリットもいるかも知れない、と友希は密かに危惧していたのだ。そんなのと戦ったら、攻撃が掠っただけでマナの塵に還ってしまう。
 どうやら、そんなスピリットが敵として出てくるかもしれない、というのは杞憂のようだった。

「ええ。手前も見ましたが、噂に違わぬ威力でした。それに立ち回りも素晴らしい。機会があれば、是非手合わせ願いたいものです」

 かたやサルドバルト最強、かたや大陸最強。友希としてはゼフィを推したいところだが、少々どころではなく分が悪そうなカードだった。そもそも、ウルカの動きには、流石のゼフィも付いていけないだろう。どんな攻撃も、所詮当たらなければ意味はない。
 大体にして、スピリットとしてのゼフィは能力的にひどく偏っている。攻撃力だけが異常に突出していて、防御は並より少し上、スピードは早いものの直線の移動以外は苦手だ。魔法に至っては目覚めたばかりの赤スピリットの魔法もバニッシュ出来ない。

「その際は、トモキ殿も是非」
「う……僕じゃ相手にはならないと思うけど」
「大丈夫でしょう。トモキ殿の戦いも少し見せてもらいましたが、十分な強さです」
「そりゃ、普通に戦えるようにはなったけどさ……。その、手合わせはハードル高いんで、その時は稽古をつけてもらうってのは?」
「はい、構いませぬ」

 ウルカは頷いた。

 その後、二つ、三つほど言葉を交わして、ウルカは部下のところへと戻って行く。
 去っていく後ろ姿も、ピンと背筋が伸びており、まるで隙が見当たらない。明日には首都攻めという段になって、心強い援軍だった。


























「父様。どういうわけか、説明をお願いいたします」
「ん、おお、レスティーナか。説明とは、なんのことだ」

 ラキオス王国、王城内謁見の間。
 突然飛び込んできた王女レスティーナを、ラキオス王ルーヴゥはニヤリと笑って出迎えた。

 先程までルーグゥと話していた者を下がらせたレスティーナは、怒りが渦巻く内心を押し隠して、口を開ける。

「イースペリアに向け、我が国のスピリット隊を救援に向かわせたね」
「おお、そうだ。龍の魂同盟の約定通りにな。それは以前もお前に話したであろう。それがどうかしたか」
「ええ、それは納得しております。本音を言えば、今は守りを固めるべき時だと思いますが、イースペリアを見捨てるのも不味い。分かっております」
「それなら、どうしてそんなに猛っておるのだ」

 既にレスティーナの言いたいことが分かっているであろうルーグゥの顔を睨みつけ、彼女は歯を強く食いしばる。

「……父様。貴方はスピリット隊のエスペリアに一つ指令を出しましたね? イースペリアのエーテル変換施設を止めるようにと」
「おお、そうだ。あの施設が奪われては、サルドバルトと言えど侮れぬ戦力となるからな。我が国としては万が一にも奪われる訳にはいかん。なに、一度止めたエーテル変換施設は使い物にならぬが、新しく建設するまでよ。我が国のマナの蓄えならば、余裕を持ってイースペリアを援助できよう」

 龍を滅ぼした時獲得したマナは大部分が軍用に回されたが、残りは生活用マナの備蓄に回されている。その半分も回せば、新しい施設が出来るまでの間くらいはイースペリアは暮らしていくことが可能だった。

「ええ、それも存じています。私が言いたいのは、その止め方です。伝令に聞いたところ、父様から特殊な止め方を指示するよう通達があったとか」

 レスティーナは、エスペリアとは個人的にも親交がある。戦場での様子を聞こうと、スピリット隊への指示を出した伝令を掴まえて話を聞いたのだ。
 その際、その伝令は奇妙なことを命令された、とそうレスティーナに話した。

 エーテル変換施設の停止自体は、そう珍しいことではない。老朽化したり、敵に奪われそうになった場合に、しばしば行われる。
 しかし、その止め方にもいくつか方法がある。そして、ルーグゥが指示したという方法は――国家機密に属するため、伝令は知らなかったが――レスティーナの知る限り、決してやってはいけない方法であった。

「ふむ、確かに」
「あれは最悪の『マナ消失』を引き起こす操作ですっ。そんなことをしては、イースペリアの国民はもとより、我が国のスピリット隊にも多大な被害が――」
「そうだ。同時に、サルドバルトのスピリットにも大きな被害を与える」

 レスティーナの言葉を遮り、ルーグゥがそう断じた。

「あの弱小国が此度のイースペリア侵攻に戦力の殆どをつぎ込んでいることは明白。大局を見よ、レスティーナ。ここで多少の被害を受けようと、サルドバルトの被害はそれ以上。『その後』のサルドバルトとの戦争でどれほど有利になるか」

 公式には、ラキオスはマナ消失の原因をサルドバルトに押し付ける。名誉は傷つかない。
 イースペリアの王族やその家臣、そして一般市民にも被害が出るが、それはルーグゥにとってはむしろ好都合。あの国を併呑するのに、実に役立つ布石だ。

 巻き添えで死ぬ人間のことなど、ルーグゥの頭にはない。スピリットなど、何をか言わんやだ。

「我が国の快進撃の原動力は『求め』のユートです。マナ消失によって、ここで彼を失うようなことがあれば――」
「都合良く、エトランジェはもう一人おる。『求め』さえ回収出来れば問題はない。……これも、聖ヨトの導きというものだ」
「――っ、しかし!」
「レスティーナよ」

 なおも反論しようとするレスティーナに向け、ルーグゥは冷たい視線を走らせた。

「成程、お前は女だてらに優秀で、わしも助かっておる。しかし、わしは王で、お前は王女だ。この意味がわかるな?」
「…………」
「提案は聞いてやろうとも。しかし、既にわしが決定したことにお前が異議を挟むことは許さん。……以上だ、下がれ」
「父様!」
「わしは下がれと言った」

 レスティーナは悔しそうに俯き、謁見の間から去る。その後ろ姿を見送り、ルーグゥはふん、と鼻を鳴らした。
 入れ違いに、先程までルーグゥと話していた者が入ってくる。

「陛下。王女殿下はどうされたので? ずいぶんとご立腹のご様子でしたが」
「ふん、先にそなたが提案した策に対する文句よ。為政者にあるまじき情を見せおって。どれだけ聡明と言われても、所詮女は女だな」
「……ああ、成程。国民どころか、スピリットにまでお優しいレスティーナ王女では、あの策は受け入れられないでしょうな」
「少し冷静に頭を働かせれば、どれほど有効か分かりそうなものだ」
「ええ。良心が咎めないと言えば嘘になりますが、その点には自信があります」

 この男は、ラキオスの戦術研究室の一員だった。城内ではレスティーナの人気は高く、特にスピリットと関わることの多い軍部には支持者が多い。しかし、この男は珍しく王女におもねらない人材として、ルーグゥの覚えは比較的めでたい男だった。
 そして、イースペリアのエーテル変換施設を暴走させ、サルドバルトの兵を一網打尽にする策を王に上申したのもこの男であった。

「ふふ……これでイースペリア、サルドバルト共に我が国の領土となる。ゆくゆくはマロリガン、そしてサーギオス帝国までを滅ぼし、この大陸の覇権を握ってくれるわ」
「陛下ならば必ず成し遂げられると存じます」
「そうだろう。……ああ、そうだ。この度の戦術、実に見事。戦争が一段落すれば、そなたにも褒美を取らせよう」
「有難き幸せ。しかし、私はラキオスの、そして陛下のお役に立てるのならば、それがなによりの幸せでございます」
「そうか、そうか」

 娘と会話していた時とはうって変わって上機嫌に、ルーグゥは男に退室を命じた。
 男は恭しく頭を垂れ、謁見の間を辞す。

 そして、早足に城を去るべく歩いた。

「さて……この国ともこれでお別れか」

 今日で、男の任務は撤退が命じられていた。
 明日にはイースペリアで男の策が発動するだろう。『マナ消失』により、確かにラキオスは北方五国を手中に収め……そして、大陸北部の総力は、失われるマナにより落ちる。

 仮に男の祖国、サーギオスに害なそうとしても、それはマナ消失の痛手から回復する遠い未来の話だ。

 男は、サーギオスのスパイであった。
 かの帝国は、防諜の発達したマロリガンを除く、全ての国にスパイを送り込んでいる。そして、いざ戦乱が起こったときには、こうして帝国の望む方向に事態を動かすべく暗躍していた。

 全ては帝国の皇帝のため。十年近く奉職したこの国にも、未練など欠片もない。自分が賢いと勘違いしている愚王に、偽りの忠誠を捧げるのも今日で終わりかと思うと、せいせいする。



 この夜、一人の軍人がラキオス王国を去った。
 その男こそが、翌日の惨禍の原因であることを知る者はいない。

 そして、男にその命令を下したサーギオス帝国。その背後で暗躍する者も、未だ舞台には上がっていなかった。




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