スリハの月緑よっつの日。
 ラキオス王国がバーンライトを下し、次いでダーツィ大公国をまさに攻め滅ぼそうとしている時、

 サルドバルト王国から見て、最も近いイースペリア国の都市、ロンドを視界に収めながら、アキオン率いるスピリット隊は待機をしていた。

 予定では、今日、サルドバルト王国はイースペリアへと宣戦布告をする。その使者は、もう首都に入っているだろう。

 そして、宣戦布告に合わせて、サルドバルトスピリット隊の第一分隊〜第八分隊は都市ロンドへ侵攻を開始。同盟国と接する都市だけあって脆弱な防衛隊を奇襲でもって蹴散らし、これを占拠。後のイースペリア首都攻略の橋頭堡とする……というのが、今回の作戦である。

 まだ作戦開始までは時間がある。こちらでは貴重品である時計を手に、この部隊の指揮官であるアキオンは時間を測っていた。

(さて、いよいよだな)

 イースペリア侵攻戦において、サルドバルトの軍隊は大きく三つに分かれている。
 一つはロンドを攻め、そのまま首都イースペリアへと侵攻するこの第一部隊。
 二つはサルドバルトの守りに残った第二部隊。こちらは、特にラキオス王国との国境に重点的に配置されている。
 そして最後に、イースペリア国の東側の都市ミネア、ダラムを攻め落とす第三部隊。この部隊は、ダーツィを落とした後イースペリアの救援に来るであろうラキオススピリット隊の主力の足止めも兼ねている。

 サルドバルトのスピリットの大半は第一部隊に属し、残りの部隊は、実は殆どがサーギオス帝国からの援軍で構成されていた。
 首都を落とすという戦功を立てる事のできる第一部隊に、サーギオス帝国のスピリットは殆ど参加していない。帝国側は、都市を落としても占領する人間の兵が少ないから、功勲はサルドバルトに譲る、と答えている。

 アキオンは、これに大きな違和感を覚えていたが、大きな功績を立てるチャンスに目を瞑っていた。
 それに、頷ける部分もある。都市の防衛を落とすにはスピリットがいれば充分、というより、スピリット以外はものの役に立たないが、大きな都市を占領するために人間の兵が大量に必要なのは事実だ。この部隊もまた、スピリット隊のずっと後方に人間の軍隊を配置している。

 脳裏を過ぎった懸念を首を振って追い出し、アキオンはスピリット隊の先頭を見やる。
 そこでは、今回の戦闘の先陣を切る予定の第二分隊の第一班が待機していた。無論、この配置は意図的なものだ。今回の作戦は、殆ど被害もなく終わるだろう。首都攻めという本番の前に、エトランジェがどの程度『使える』かは確認しておく必要がある。

(あのエトランジェ殿は期待通りの働きをしてくれるかな)

 多くのスピリットたちの中でも一際異彩を放つ学生服を模した戦闘服に身を包んだ友希をしばらく見つめた後、アキオンは再び視線を時計に落とす。

 戦闘開始まで、あと三十分を切っていた。









「すぅー、はぁー」

 ロンドを守るスピリットに気付かれないよう、神剣の力を完全に抑えてここまで徒歩で来た友希は、緊張に凝り固まった身体を解すために深呼吸をした。

 現状、イースペリア国のスピリット隊は先のダーツィとの戦でその数を大きく減じている。同盟国と接する都市だけあって、ロンドを守るスピリットは、サルドバルトのそれより精強なれど、極僅かなはずだった。
 作戦部も、今回の戦闘での敗北はまったく考えていないとのことだ。

 ……しかし、だからといって被害がゼロで収まるなどということはありえない。戦争なのだ。

「くっ」

 神剣を握る手が震える。戦うという覚悟を決めたと思っても、この様だった。

『まだ時間はあるでしょうに。今から緊張し過ぎて、本番で動けないということがないようにしてくださいね?』

 話しかけてきた『束ね』は、いつも通りの態度だ。友希が内心ムカつくほど。

『お前はなんとも思わないのか? 自分で人を斬られるんだぞ』
『主。私は剣ですよ。刃物が誰かを切ることに、躊躇するとでも?』
『そりゃそうかもしれないけど。お前は異様に人間臭いからな。もしかしたらと思って』
『確かに知った相手を斬るのは勘弁して欲しいですけどね。それくらいです。特に妖精ならば、斬ることでたくさんマナを得ることも出来ますし。
 なんだかんだでマナを集めるのは神剣の本能ですから、嫌だっていう神剣は少ないんじゃないですか』

 友希と違い、『束ね』は今回の戦いについて特に感慨などない。本来、永遠神剣というのはお互いに争うのが常だ。『人間の物語を収集する』という一風変わった本能を持つ『束ね』は興味はないが、戦うとなったら躊躇などしない。

 ただ、彼女と波長の合う人間は少ないので、今の主に死なれるのは困る話だった。
 外から物語を傍観するのも悪くはないが、こうやって当事者として参加出来る機会は貴重だ。それに、主曰く『人間臭い』神剣である『束ね』は、友希に友情を感じている。個人的にも、彼に死んでほしくないと思っていた。

『主とて、ここで死ぬのは本意ではないでしょう?』
『そりゃそうだ。殺すのも嫌だけど、殺されるのはもっと御免だ』
『今の状態じゃ、すぐ殺されますよ。ゼフィにでも、戦いの心得を聞いてきなさい。彼女なら適切なアドバイスをくれるでしょう』

 確かに、今のまま戦場に向かっても、棒立ちになっていい的になるのがオチだった。

『……わかったよ』

 敵国と隣接していないというサルドバルトの立地のため、ゼフィも実戦経験は豊富とは言えないが、それでも今回初の実戦に臨む友希にとっては先輩だ。
 部隊の先頭で油断無くロンドの様子を眺めているゼフィに友希は近付いた。

「あの、ゼフィ。ちょっと話、いいか?」
「……はい、なんでしょうか。トモキ様」

 いつもより若干硬い声でゼフィが答える。
 戦闘前だから、というよりも、ゼフィはこの前友希が参戦を決意した時からこんな感じだった。

 今でも彼女は、友希が戦うことに納得しておらず、そうさせた自分を責めている。口に出さなくても、そんな心情は友希はなんとなく察していた。伊達にこちらの世界の暦で半年以上、一緒に暮らしてきたわけではない。

 それでも、何度となく繰り返した説得のお陰で、今は表面上は友希の参戦を認めていた。

「うん、ちょっとな。初めての実戦だから、情けない話だけど緊張しててさ」

 ほら、と友希は震える手を掲げる。口調だけはなるべく明るくしているつもりだが、自信はなかった。

「……それはそうです。私だって、初めての時はそんなものでした」
「うん、だから、なにか緊張を解くコツとかあったら聞きたいと思って」

 そうですね、とゼフィは少し悩んでから口を開いた。

「私なりに……ですが。無理に、緊張を解こうとしなくても良いと思います」
「そうなのか?」
「そうです。無理に緊張をなくしても、それは誤魔化しているだけです。それなら、緊張している自分を自覚して、その上でどう行動するか考えたほうがいいと思います」
「……なるほど」

 頷ける話だった。実際、この緊張がなくなるとは、友希にはどうしても思えない。

「……無理をしないことだけ考えてください。私が守りますから」
「……わかった」

 スピリットの基本は三人組。今回、友希はゼフィとゼルと組むことになっていた。第二分隊では最も強力な組だが、同時に一番先頭に出る組でもある。

「でも、それだけだと格好がつかないからな。僕なりに頑張る。アドバイスありがとう」

 惚れた女の後ろに隠れているだけ、というのは勘弁してもらいたい絵面だった。そのような意地を張る余裕があるとは、友希自身思っていなかったが。

「……本当に無理はしないでくださいよ」

 念を押すように言うゼフィに、友希は真摯に頷く。頼まれても、無理などするつもりはない。しかし、無理をしないといけない場面があったら、躊躇する気もなかった。
 ぎゅ、と『束ね』を握る手に力が入る。話をしていて、やはり僕はこの子に惚れているな、と自覚した。友希が自分より遥かに強いゼフィを心配するなど烏滸がましいとは思うが、しかし彼女が危機に陥ったら、多少の無理は押して気張る必要がある。

 そのためなら――

 友希は、かつて初めてスピリットを斬ったときのことを思い出した。今でも忘れていないし、あの時肉を切り裂いた感触はまだ手に残っている。
 しかし、

(……やってやるさ)

 間違いなく後悔するだろう。情けなく泣き喚くかもしれないし、そもそも呆気無く返り討ちにあって死んでしまうかもしれない。
 ただ、戦うことはもう決めたのだ。

 よし、と頷く。
 少しだけ、身体が動くようになった気がした。
























 そして、静かな号令で、ロンド攻略戦が開戦した。
 今回のこれは、醜聞を避けるため、宣戦布告をした後に仕掛けているが、その情報がこの街に来る前に攻める奇襲だ。ロンドの守備隊に察知されるまでに、速やかに攻める必要がある。

 待機していた場所から、神剣の力を完全に開放して、友希とゼフィは疾走する。凄まじい勢いで景色が後方に流れる。計ったことはないが、その辺の乗用車など比較にならないほどの速度が出ていた。

「ゼフィ、ゼルが遅れてるけど!」
「あの子に合わせていたら、迎撃体制を整えられてしまいますっ!」

 速度に優れたブラックスピリットとは言え、ゼルはまだ未熟だった。機動力は目を見張るものがあるものの、直線距離の移動では全力の二人には追いつけない。

 自然と、二人が突出する形になった。

「トモキ様、打ち合わせ通り、全力の一撃を!」
「わかってる!」

 都市ロンドの入り口の傍。友希が住んでいる第二分隊の館と同じ様な建物が、ここのスピリットたちの住処だ。
 斥候の調査により、今は在宅していることは分かっている。

 ここまで来ると、こちらの神剣の気配を察して、慌てている様子が友希にも感じ取れた。
 だが、遅い。

 既に、件の館までは二十メートルを切っている。ゼフィにとっては、一足飛びに斬りかかれる距離。それに少し遅れて、友希にとっても間合いに入る。

 走っているうちに、攻撃のオーラは既に練り込んでいる。『束ね』を一際強く握りこんで、友希は歯を食いしばる。
 ドクドクと心臓が早鐘を打っていた。このくらいの距離を走ったくらいで息が切れるほど、神剣の力は弱くない。単純な緊張からだ。
 だけど、

「――ッ! ゼフィ、先に僕が仕掛ける!」
「は、はいっ」

 ダンッ、と友希は力強く地面を蹴った。
 『束ね』を振り掲げ、意識を集中させる。

 実戦でテンションが上がっているのか、自分でも驚くほどのオーラフォトンが神剣に集まった。『束ね』が制御を手伝ってくれていなければ、とっくに暴発している。

 が、拘泥している暇はない。視線の先には、今やっと館から出てきたスピリット。
 驚愕の目でこちらを見てくるその瞳には、かすかな理性の色がある。そういえば、イースペリアのスピリットは、サルドバルトほど人格を徹底して塗り潰してはいない、とかつてゼフィから聞かされたことがある。

 友希は一瞬躊躇するが、

「はぁああぁぁぁぁっっ!!」

 咆哮と共に神剣を振り下ろした。
 十分な威力を持った一刀が、出てきたスピリットを両断する。のみならず、放出されたオーラフォトンの余波は轟音と共に館の玄関を粉砕した。

 砕け散る木材が友希の身体を打つが、マナによって強化された身体には傷一つつかない。
 ただ痛ましい目で、崩れ落ちるスピリットを見守った。

「トモキ様!」

 それも一瞬のこと。後ろからの呼びかけに気付いて、慌てて後ろに飛んだ。入れ替わりに突撃してきたゼフィが、自身の身長以上の刀身を持つ『蒼天』を全力で持って館に叩き込む。

 爆砕。

 豪速を持って振り下ろされた巨剣は、その見た目以上の破壊力を発揮した。
 友希の与えた損壊など問題にならないレベルの破壊。隕石でも落ちたかのような惨状を晒すことになった館は、もはや新しく建築し直したほうが早いような有様だった。

「まだスピリットはいますっ、気をつけて!」

 地面にめり込んだ『蒼天』を引き抜き、ゼフィが警告を飛ばす。その剣の下には、もはや原型をとどめていないスピリットの死体が二体ある。
 友希の斬り捨てた分と合わせて都合三体。一般的な館の構成からすると、残りは後六〜七人といったところ。人間ならば館の崩落に巻き込まれて、運が良くても動けないほどの傷を負っているだろう。

「――ッ!」

 しかし、その程度で負傷する程度の存在は、この大地の戦の主役には成り得ない。
 館の残骸を弾き飛ばして、黒い影が一直線に友希へと走ってくる。常人の目では到底追いきれないスピード。人ならば、為す術なく首を切り落とされているに違いない。

 しかし、神剣の力によって強化された友希の目は、そのスピリットの突進を問題なく捉えていた。

「ァアッッ!」

 凄まじい勢いで抜き放たれた刀を『束ね』で受け止める。
 友希の祖国、日本の居合に似た神剣の運用法。背中に生える黒いウイングハイロゥ。

 サルドバルトではゼルを含め十人にも満たないブラックスピリットだ。
 と、なると次は当然、

「ァァァァ!」
「っっ!」

 身軽という言葉だけでは説明がつかない程の身のこなしから繰り出される息つかせぬ連撃。疾風のような剣閃が幾重にも走る。
 一刀目は防いだ友希だが、次のこれには目が追いつかない。後ろに飛んで数撃を躱すが、スピリットはすぐに追いすがってくる。

『――オーラシールド』

 ゼルとは比べるべくもない完成度のブラックスピリットの攻撃に、致命の一撃をもらいそうになった友希をフォローするため、『束ね』が盾を発現させた。
 鏡を斬りつけるような異音と共に、ブラックスピリットの刀が弾かれる。黒のスピリットは、その速度の代償として攻撃が軽い。いかに強いスピリットとは言え、エトランジェの発現させるオーラフォトンの盾を一瞬で突破はできなかった。

「!」
「らぁっ!」

 予想外に固い防御にスピリットが一瞬息を呑んだその隙を見逃さず、『束ね』を横に振るう。

 だが、敵もさるもの。すぐさま身を翻し、服の端を斬られるに留めた。

 地面を擦りながら止まったスピリットを、友希は油断無く見据える。

「にんゲン?」

 初めてそこで友希の姿を認めて、固い声色でブラックスピリットが呟く。

 ある程度自立した判断力を残しているこのスピリットは訝しんだ。スピリットという種族は基本的に全員女性体。男のスピリットというものは存在せず、とすると自分と斬り結んだこの男は人間ということになる。
 しかし、有り得ない。彼が常識外れの達人だとしても、スピリットと人間の差はそのような技術で埋められる域を遥かに越えている。そして、彼の持っている剣は明らかに自分の持つ剣と同じ、超常の力を宿した神剣だ。

 すると、ブラックスピリットは一つの結論を出す。

「――エトランジェ」

 伝説に語られる、スピリットとは違うもう一つの神剣を操る者。
 言い伝えに過ぎないと考えられていたその存在は、今や大陸中にその名を轟かせている。同盟国であるラキオス王国での活躍は、このスピリットも耳にしていた。

 ……だが、これは噂のエトランジェとは別物だろう。伝え聞く『求め』と違う形状の神剣に、ラキオスのエトランジェ悠人とは別の者であると看破したスピリットは、刀を構え直す。

 このエトランジェからは、噂に聞くエトランジェのような戦鬼の如き実力は感じられない。十二分に打倒は可能だ。
 『この都市を守れ』という、彼女に下された命令を遂行するのに、支障はない。

 その頃には、生き埋めになっていた他のスピリットも脱出に成功していた。















 しっかりと陣形を組むスピリットたちを見て、友希は舌打ちをする。

「……やるしかないか」
「ええ。後退すれば、背中を斬られるでしょう」

 友希の隣にまで引いたゼフィが呟く。

 後続の班が来るまで間がある。そういう不可解な指示が下っていた。この場面で戦力の逐次投入など下の下の策だ。せっかくの数の有利を潰すような真似をしたのは、無論指揮官であるアキオンである。

 この屋敷にいるスピリット程度、エトランジェの力をもってすれば全滅させることなど容易いだろう。アキオンは、作戦前に友希にそう伝えた。
 要は試金石なのだ。今後、エトランジェ友希を戦力としてアテに出来るかどうかの。

 ここで倒れるような実力ならば、そんなエトランジェは不要。そう彼は考えている。

 初撃でなるべく数を減らす、という目論見は失敗。玄関付近にもっとスピリットが集まっていると考えていたが、どうにも間が悪かった。残る敵スピリットは七体。断じて容易に撃退出来る数ではない。
 怯みそうになる友希だが、一歩前に出たゼフィの背中に気力を奮い立たせる。

「いけますか?」
「当たり前だ」

 最初に斬り捨てた一人のスピリットの感触が手からなくならない。しかし、そんな弱音は吐く暇はなかった。

「では……ゼル、貴方は後ろで弱体の魔法を撃ってください。私とトモキ様で前に出ます」

 ようやく追いついてきたゼルは、息を切らせながらもゼフィの指示に頷く。

「待テ! お前たチ、サルドバルトの者だロウ!? 何故同盟国である我が国を攻撃スル!?」

 友希と斬り結んだスピリットが声を上げる。片言だが、それでもしっかりとした判断力を持っていると分かる言葉だ。
 友希だけであれば、どの国の者かなどわからなかったが、他のスピリットの着ている服はサルドバルトの戦闘服。偽装ではない。何故攻撃してくるのか、尋ねるのは当然だった。

「……ごめんなさい」

 彼女らに聞こえないほどの声で、ゼフィは謝った。
 人間の命令には逆らえないゼフィの境遇に、友希は舌打ちをした。

 ああ、彼女の気持ちもわかる。つい昨日まで味方だと思っている相手を攻撃する。善悪関わらず戦争など御免被るが、これは尋常の戦争ですらない。厭う気持ちもわかる。

 敵も敵で、こちらがサルドバルトのものだと分かって迷いが生まれていた。このまま攻めれば、案外楽に倒せるかもしれない。
 しかし、そんな騙し討ちのような真似は気が咎める。自分に不利になるとわかっていても、我慢ができない。

 だから友希は、勝手に溢れる言葉を止めようとは思わなかった。

「僕達……我々、サルドバルト王国は、同盟を裏切り、イースペリア国に宣戦布告をするっ!」

 叫ぶ。

 一瞬、呆けた空気が流れ、直後、ロンドを守るスピリットたちは戦いに対する迷いを消した。

「……ごめん」

 その様子を見て、友希はゼフィとゼルに謝った。
 混乱しているうちに蹴散らしてしまえば、被害は最小限に抑えられたはずだった。後悔しても、もう遅い。

「いえ。正直、助かりました。なにも知らない相手を斬るのは嫌ですから」

 ゼフィが苦笑して言う。
 後ろでは、無表情のゼルも頷いていた。彼女は、もう殆ど言葉らしい言葉を発することはなくなっているが、それでもたまにこうやって意思表示をすることもある。

「そっか。なら」
「ええ」

 友希とゼフィは頷き合って、神剣の力を引き出していく。

 二つの陣営の間に、緊張が漂った。
 数ではイースペリアのスピリットが有利。しかし、近隣のスピリットの中でも有数の実力を持つゼフィに、スピリットレベルなら上位の力を持つに至った友希。イースペリア側は、先頭に立つブラックスピリットを除いてせいぜい並。戦況は、それほど悲観したものでもない。

「トモキ様、行きますっ」
「ああ!」
「ゼルは後方で魔法をっ!」

 先に仕掛けたのは友希たちだ。七人のスピリットに向かって疾走する。

 ゼフィは友希より数段速く、ウイングハイロゥを広げ一気に彼を置き去りにして、集団の前列に食いついた。

「まず――一人!」

 あまりの速度に驚愕しつつも防御しようとしたブルースピリットの一体は、防御の水マナ、そして神剣を瞬く間に粉砕され、肩から斜めに切り裂かれる。

「喰らエ!」

 しかし、目を剥くような攻撃だが、これだけの一撃だ。その後は隙ができるのが道理。隣の仲間をいきなり倒されたことにも思考を停止させず、ブラックスピリットが刀を走らせる。

「――ッ!」

 だが、その攻撃を予想していたかのようにゼフィの『蒼天』が引き上げられ、その分厚い刀身が盾となった。
 もとより、必殺の一撃の後に隙ができるのはゼフィは百も承知。この戦法でここまで生き残ってきたゼフィは、その隙をゼロとは言わずとも限りなく少なくすることに成功していた。

 そして、今までならばここで一旦引くところだが、

「はぁああぁぁぁあああ――ッ!」

 今は、ゼフィと共に突撃を実行出来る友希がいる。今までゼフィの後詰めを出来る者が第二分隊にはいなかった。既にいないサフィは、残念ながら前に出るほどの力は持っていなかった。
 まだまだ危なっかしいが、突撃後のフォローを友希が担ってくれるならば、ゼフィは更なる一撃を見舞う事ができる。

 恐らく、この中で一番の手練であろうブラックスピリットを友希が抑えている間、ゼフィは先ほど斬ったブルースピリットを蹴り飛ばし、後ろに控えていたスピリットたちの動きを牽制した。

「ん」

 『蒼天』を水平に構える。
 縦からの一撃は重力を味方に付けられる分強力だが、この構えから放たれる一撃は広範囲を薙ぎ払う。

 まだ戦いが始まった直後。割と固まった陣形を取っていたロンドの守備隊は、まだ散開していない。この位置なら、三体は纏めて斬り捨てられる。
 千載一遇のチャンスに、ゼフィが先程より更に多くのマナを神剣に注ぎこむ。青色の輝きが『蒼天』に宿った。

 その圧に危険な予感を覚え、攻撃範囲内のスピリットは慌てて逃れようとする。

「アイアンメイデン」

 響き渡る声で告げられた魔法名と共に、ゼルの放った黒マナの針が攻撃範囲の三人を貫く。ダメージは殆ど無いが、一時敵は足を止められた。絶妙のタイミング。

「ふっ!」

 鋭い呼気と共に、爆発するようにゼフィは神剣を真横に振り抜いた。

「ギィ――!」
「ガッ!?」

 一人目、二人目は触れただけで防御ごとその身体を両断し、斬られた上半身が勢いのまま吹き飛んでいく。三人目の胴の半ばまでを切り裂いて、やっと『蒼天』は止まった。

「あぁああっっ!?」

 一人、絶命できなかったスピリットが悲鳴をあげる。死ななかったとは言え、それは致命傷だ。ただ苦痛が長引いているに過ぎない。
 それを不憫に思いながらも、ゼフィはその身体から『蒼天』を引き抜く。

 次の敵は、と視線を前に向け、背筋が冷えた。

「――! トモキ様、魔法がっ」

 ふと気付くと、後ろに下がっていた敵のレッドスピリットが魔法を完成させていた。
 凝縮していく赤マナ。ぽつぽつと灯る炎はまさしく、

『ファイヤーボール』

 同じ魔法を放つスピリットが二体。火球が友希とゼフィ、それぞれに数発ずつ飛んでくる。

「くっ」

 早めに気付けたゼフィは既に防御に入っている。躱し切れない一発も、なんとかシールドが間に合いそうだ。
 しかし、ブラックスピリットとの攻防で精一杯の友希は迫ってくる火球にまるで気付いていない。ゼフィの警告も耳に入っていないようだ。あのスピリットと互角に戦っている成長はめざましいものだが、経験不足のため周りに目が行っていない。

 当然、味方の魔法に当たるほど友希の相手は間抜けではなく、友希に牽制の攻撃を置いて、横に逃げる。
 敵の体で視界が遮られていたのもあり、ようやく友希が気付く頃には三発の火球は到底避けられない距離にあり、

「トモキ様ァァッ!」

 無防備な状態で、友希はファイヤーボールの直撃を食らった。






















「―――く、ああっ!」

 友希は、とっさに片腕を盾にして、致命傷を免れた。噴煙を上げる左腕から立ち上る痛みに耐えながら、友希は横に逃げたブラックスピリットに剣を伸ばす。

 今の友希は、完全に前の敵しか見えていない。視野狭窄を起こし、自分が戦っている相手しか追えない。戦いの前から入れ込んでいたが、痛みを刺激されたことで余計なことを考える余裕は完全になくなった。戦闘前のゼフィの忠告も頭から飛んでいる。

 しかし、それが却って幸いしたのか。

 必死になって伸ばした『束ね』は、ブラックスピリットの腕に浅く傷をつけることに成功していた。彼女は友希が身を守りに入ると考えていたため、行動が遅れた。

「ッ!?」

 飛び散る血飛沫。すぐに金色の霧となり空中に溶けていくそれを気にかける暇もなく、片腕が死んだままの友希が更に追いすがる。

「く、舐めルなッ!」

 迎撃に神剣を振るうブラックスピリットだが、それは下策。元より、打ち合わせるのには向かない細身の刀。位の違いから、内包するマナも桁違いである。
 ブラックスピリットの神剣と『束ね』が触れた瞬間、刀身が軋むような感触が彼女の腕に伝わる。

「しまっ」

 既に理性が半ば飛んでいる友希は、そのまま力を込める。速度と鋭さでは一歩譲るが、膂力ではこのブラックスピリットでは友希には敵わない。
 均衡状態はいつまでも続かず、『束ね』が押し切り、

「――ァ」

 その切っ先が、ブラックスピリットの胸元を抉る。

「ハァァッァアアアアアア――ッッ!」

 体ごと神剣を突き入れ、ブラックスピリットの身体を貫いた。
 そのまま、重なるように倒れこみ、友希は慌てて身を起こし、

「〜〜〜っ、はぁっ、はぁっ!」

 『束ね』を墓標のように胸に突き立て絶命したスピリットの姿を見て、大きく息を吐いた。大きく開かれた眼から視線を逸らし、こちらに慌てて来るゼフィを迎える。

「と、トモキ様!? 無事ですか、お怪我は!?」
「――ん、大丈夫」
「全然大丈夫じゃないじゃないですかっ。早く下がって回復魔法を……」

 殆ど炭化した左腕を掲げる友希に、ゼフィは悲鳴に近い声を上げた。

「いや、それより残ってたスピリットは? 確か赤が二人……」
「逃げました。恐らく、ロンドのもう一つの館のスピリットと合流する気でしょう。ですから、ここでは私たちの勝利です」

 ロンドに入り口は二箇所あり、それぞれの傍にスピリットの館が存在する。恐らく、そちらにも同数のスピリットが詰めているはずだ。まだこの街を落としたとは言えないが、一区切りついたことになる。

「そっか」

 呟いた途端、膝が崩れる。そして、今更ながらに全身が恐れを思い出したのか、震え始めた。

「は、はは……」

 無理して勇ましいことを言って、気張ってみたが、終わってみると友希の身体は実に正直な反応をするようになった。戦いの途中でこうならなかっただけ、主人思いの身体だと思うことにする。
 尻餅を付いたそのすぐ傍に友希が貫いたブラックスピリットがいた。その全身は既にマナの霧として揮発しようとしていた。

『やれやれ。とりあえず、生き残りましたか。まったく、冷や冷やしましたよ』
『ああ。まあ、なんというか……助かった』

 あの時。ファイヤーボールに対して片腕を盾にしたのは、友希の判断ではなく、『束ね』が一時的に体を乗っ取って行なったことだった。友希の『束ね』への支配力が弱いことと、混乱しきっていたために出来た芸当だ。

『礼は受け取っておきますけどね。今の主の実力なら、ここまで苦戦するはずがないんですよ。案の定、我を忘れて暴走しましたね』
『仕方ないだろ……』
『次もうまくいくとは限りません。今回の経験を糧として、次は無様な姿を晒さないようにして下さい。ゼフィに愛想を尽かされても知りませんよ』
『関係ないだろ!』

 軽口で締める『束ね』に文句を言いながら、友希は立ち上がる。
 その頃にはブラックスピリットは完全に消えており、『束ね』を通じて、彼女のマナの一部が友希にも還元される。その感覚は快感であったが、そう感じる事自体、気持ち悪いとしか思えない。

 支えとなっていた身体が消えて、地面に倒れた『束ね』を拾う。

「それじゃ、一旦本陣に戻ろうか。一つの館を殆ど全滅させたんだ。アキオンも文句はないだろう。流石に、片腕が使えないまま、もう一つの館に突撃は勘弁して欲しいし」

 友希はことさらに明るい口調で言う。なるべく、凹んでいるところを見られたくはなかった。

「そうですね。……でも、トモキ様。アキオン様を呼び捨てにするのは」
「わかってるって。他の人の前ならちゃんとするから。早いところ帰って回復魔法をかけてもらおう」

 ジリジリと腕は痛むが、マナの霧にならないことから見て、芯のほうは無事のはずだった。身体中のマナを集中させて癒しを早めている。魔法を受ければ、問題なく治るだろう。

「そ、そうでした。急ぎましょう」

 ゼフィが、無事な方の腕を取って友希を引っ張っていく。それに半ば引き摺られながらも、友希は一瞬だけ振り返る。

 死体はない。スピリットは死体を残さない。
 ただ、完膚無きまでに破壊された館と、戦いの様子に気付いたらしいロンド市街のざわめきだけが、戦闘の余韻を残していた。
























 そこからは、まさに蹂躙というのが相応しい戦闘だった。
 友希たちの帰還の後、全隊でもっての侵攻をアキオンは命じ、ロンドの二つ目の館は呆気無く落ちた。

 今は、人間の部隊が街に入り、この街がサルドバルトのものになったことを触れ回っている。
 住人の抵抗はない。仮に抵抗したとしても、スピリットの一体もいないこの街では、全市民が一丸となっても返り討ちに遭うためだ。

 そして、友希を含めスピリット部隊は、旧ロンドのスピリットの館とその周囲で野営をしている。ロンドの宿は、人間の兵が休むため全て差し押さえられていた。
 まあ、人間の軍隊と離れている方が気楽なので、友希としても文句はない。

 それに、この街の食料を分け与えられ、それなりに腹が膨れている。腹にものが入ると、沈んでいた気持ちも浮き上がろうというものだ。生き物というのは、存外単純である。だが、すぐに立ち直れた自分に、友希は少々困惑もしていた。

(……慣れた、とは思いたくないけどな)

 友希がスピリットを殺すのは初めてではない。最初に斬ったサフィのことは、今でもはっきりと覚えている。本格的な実戦は初めてだが、もしかしてそのせいで意外とショックが少ないのではないかと思った。吐く位はするかと思ったが、そんなこともなかった。

「ま、なんにせよ、殆ど被害もなく勝ててなによりだったな」

 スピリットの館の一室で、友希は一緒に部屋で寛いでいるゼフィに話しかけた。
 第一の館での戦功を認められたことで、野営しているスピリットと違い、第二分隊は館の中で休むことを許されていたのだ。

 一度目の戦闘で、あそこまで館を粉砕しなければ、あちらの建物でも休めるスピリットがいただろうが、生憎と友希たちにそんな余裕はなかった。そこは勘弁してもらうしかない。

「……二戦目は、私たちなにもしていませんけどね」
「アキオンが休めって言ったんだからいいだろ。僕もクタクタだったから、助かったといえば助かったけど」

 友希の戦果に、アキオンは満足したのかしていないのか。
 館攻めを終えて帰ってきた友希に、彼は労いの言葉を掛けた後、回復をして休むように言ったのだった。

「訓練じゃ、何時間やってもあんまり疲れなくなったんだけどな。もう、今日はなにもしたくないくらい疲れてる。腹が膨れたのもあるんだけど、もう眠くなってきた」

 冗談めかして言うと、沈んでいたゼフィもクスッと少しだけ笑った。

「そりゃ訓練と実戦じゃ疲労度は全然違いますよ。トモキ様も、全然訓練の動きが出来ていませんでしたし」
「う゛……そりゃ自覚してるよ。次は大丈夫、だと思う」
「そうですね……。一度でも経験があるかどうかは、大きな違いですから」
「だろ? 次は安心して任せてくれてもいいぞ」
「それは調子に乗りすぎです」

 冗談めかした会話。
 無理に日常を演出しようとしているのは、二人とも気付いていた。

「はあ……しかし」

 友希は呟く、

「戦争、始まっちゃったな」
「……はい」

 重い沈黙が二人の間に降りた。

「それも、私のせいで……トモキ様まで、この戦争に参加することになってしまって」
「それは何回も言ったろ。僕が自分で決めたんだから」

 内心、後悔している自分もいることは、絶対に悟られるわけにはいかない。友希は強い口調で言い聞かせた。半分以上は、自分に対しての言葉でもある。

「……今頃は、ダーツィの首都手前まで攻めているラキオスのスピリット隊にも情報が届いている頃です。その、タカミネ様にも」
「ああ、そういや、そうだったな」

 友希はぼんやりと呟く。決して忘れていたわけではないのだが、なるべく考えないようにしていたのは事実だ。
 悠人は、このことを知ってどう思うだろうか。怒るだろうか、それとも失望するだろうか。同郷の仲間にそんな風に思われるのは憂鬱だ。

 それになにより、彼を敵にまわすのが怖い。
 戦争が始まる前――少なくとも、ラキオスがリクディウスの龍を滅ぼす前までは、ラキオスとバーンライトの戦力比は、ほぼ互角と目されていた。それが僅かな期間でバーンライトを滅ぼし、そのままダーツィまでもを滅ぼそうとしている。その原動力は、間違いなく高嶺悠人だ。

 話し合いで戦いを回避する。前はそんなことを言っていたが、今日のような戦場でそのような余裕があるか?

「……早いところ、終わらせないとな」

 イースペリアを早期に下し、あわよくば睨み合いのような状態にまで持ち込めれば、もしかして戦わずに済む結末もあるかもしれない。

 イースペリアの首都には相当数のスピリットがおり、帝国の支援を受けているとは言え簡単とは言えない。
 しかし、そのくらいしか友希には思いつかなかった。

「……はい。それではもう休みましょうか。日が落ちたばかりですけど、トモキ様、思ったよりお疲れの様子です」
「ん、そうかな」
「はい。私も失礼させていただきます」

 ゼフィは立ち上がり、一礼して部屋から去っていく。
 その後姿を見送って、友希はベッドに倒れこんだ。

(……本当に疲れてるかな)

 身を横たえただけなのに、どっと眠気が押し寄せてくる。
 意識を黒く塗り潰すような強烈な睡魔に逆らう理由もなく、友希はそのまま深い眠りへと落ちていった。





















 ダーツィ大公国の都市ヒエムナ。
 今はラキオスの領土となったこの都市で、悠人率いるスピリット隊は一時の休息を取っていた。

 ここからダーツィの首都キロノキロまでは、大きな街もなく、小さな要塞がところどころにある程度。既に戦の趨勢は決しているとは言え、ここまでの強行軍で疲労も溜まっているし、国の存亡を賭けた戦いとあって、激しい抵抗が予想される。
 そんな状況で、スピリット隊は決戦に向けて三日の完全休養を命じられていた。

 しかし、スピリット隊の隊長を務める悠人はそうそう休めない。隊長職になってからとみに増えてきた書類仕事に一区切りをつけ、凝った肩を揉みほぐしていた。
 内容は、スピリットの訓練計画に、スピリットの強化設備の建造提案、戦術の上申等々。学校では勉強の出来ない方だった悠人だが、この世界では有り得ないほど洗練された教育を受けてきただけあって、経験不足でも人並みにはこなせていた。
 字が日本語のままで、後でエスペリアにこれを元に説明して、正式な書類を起こしてもらうという二度手間が発生しなければの話だが。

 要するに、下書きだよ、下書き、と自分を誤魔化しながら隊に配分されたエーテルを誰に与えるかを考える。これがもっとも頭を悩ませるところだ。
 ただ、短いながらも密度の濃い戦闘をこなしてきただけあって、隊の過不足は理解している。エスペリアに相談しなくとも草案を作るくらいなら出来た。

 と、

「ん?」

 長考に入った悠人の思考を遮るように、誰かが小走りで駆けてくる足音が聞こえた。
 ずいぶん慌てているようで、足取りは乱暴だ。

 その人物は、悠人の部屋の前まで来ると、やや早い、しかし丁寧なノックをする。それで、悠人はやって来た人物が誰なのかを察した。

「エスペリアか? どうぞ」
「し、失礼します、ユート様」

 隊でも安定した高い実力を誇り、悠人の副官的な立場として常に仕事ではしっかりしている彼女が、慌てていた。

 オルファが悪戯でもしたかな? と悠人は呑気に考える。仕事ではともかく、私生活ではたまに隙を見せることもあるのがエスペリアなのだ。

 しかし、次の言葉はそんなだらけた思考を一気に緊張させた。

「情報部からの緊急連絡が入りましたっ。サルドバルトがイースペリアに向けて宣戦を布告したとのことです!」
「――っ、な、なんだって!?」

 一瞬後、理解が追いつき、悠人は思わず椅子を蹴って立ち上がる。

 同盟国であるサルドバルトが裏切る。そのような事態、悠人は黙って聞いているだけだった戦略会議でも一度も予想されていない。
 背後に不安がないからこそ、悠人達第一線級の戦力の殆どがこのダーツィ攻めに参加できているが、こうなると今後の戦略そのものが変わってくる。

「急ぎキロノキロを制圧し、イースペリアの救援に向かえとのことです」

 しかしかと言って、このまま下がればダーツィの逆撃を受けるのは必至だった。後顧の憂いは取り除く。そういう判断だろう。

「くっ、了解。悪いが、みんなに伝えてきてくれ。短い休日は終わりだって。俺もすぐに行く」
「わかりました!」

 下がるエスペリア。
 悠人は部屋のハンガーに掛けた陣羽織を羽織り、机に立てかけた『求め』を手に取る。

 このバカ剣は、更なる戦乱の空気に歓喜の声を上げていた。
 頭にガンガン響く声を無視して、悠人は部屋を飛び出る。

(くっそ、御剣――!)

 サルドバルト、と聞いて真っ先に思い出されるのは、あの国にいるはずの友のこと。

 この戦争が終われば、北方五国は龍の魂同盟の下に安定する。そうすれば、同じスピリット隊として働いている同士の事。会う機会も作れるはずだ。再会できたら、話したいことがたくさんある。
 そんな想像は、悠人にとってこの戦争を勝ち抜くための少なくない原動力の一つだった。

 そうだというのに――

「なんでこんなことになったんだよっ!」

 誰ともなしに罵る。
 それは裏切りを仕掛けたサルドバルトに対してか、自分を戦いに駆り立てる神剣に対してか、はたまた自分に対してか。

 もしくは――運命に対してか。



 この世界の運命を手玉に取る幼女は、舞台袖でクスクスと笑っていた。




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