アレンが春休みに、アルヴィニア王国に見習い騎士として行くことになってから一週間ほどが過ぎた。
その間、アレンはその時までドキワクの毎日……
なんてことはなく。
フィレアやクリスから、騎士としての教育をたっぷりと受けていた。
「……なぁ、フィレア。もう少し優しく教えてくれないか?」
手製の教本を片手に、アレンはぐだーっと机に突っ伏す。
そんなアレンに、フィレアは無情にも教鞭を振りかざし、馬を調教するがごとく叩きまくる。打つべし打つべし打つべし。
「なに甘えたこと言ってるんの! 今日は、その教本を全部終わらせるから、アレンちゃんファイト!」
血も涙もないフィレアの言葉に、アレンはただただ心の中で滂沱の涙を流すのだった。
第77話「準備編」
そもそも、だ。
騎士というからには、一介の傭兵ではあるまいし剣だけ使えていればいい、なんてことはない。馬くらいには乗れなきゃお話になれないし、騎士道はもとより一般教養・礼儀作法くらいわきまえてないと、ただの野蛮人である。
……まあ、つまり。見習いとは言え、騎士待遇でアルヴィニア王国に仕官するからには、相応のものを身に着けなくてはいけないわけで。
当然というか、アレンはこの手のことなどさっぱりなわけで(特に座学)。
現在、猛特訓中なのである。
「はい、アレン。一般教養のテスト、32点。……ボーダーの80点からは程遠いね。アウト」
「なにぃ!?」
すぺっ、と到達度を計るテストを返すクリス。彼は姉命令で、アレンの教育の助手を務めている。
まあ、元々こういったことは嫌いではない。伊達に、毎週ルナ&アレンと勉強会と称した個人塾を開いていたわけではないのだ。まあ、そこら辺の事情は第29話を参照していただくとして、
「も〜〜〜〜! アレンちゃん、お仕置き!」
「待て、フィレア。お前のお仕置きは洒落になん……ぐっはぅ!?」
芸術的な足刀がアレンのこめかみを抉る。彼女とアレンの身長差はかなりあるが、それをものともしていない。
アレンとて普段なら防御くらい出来る。が、連日の勉強でヘロヘロになっていた彼は、それをモロに受けて気絶しました。チーン。
「うわ、やっぱ面白い」
「……ルナ。そんな事言うとアレンが気の毒だよ……」
ちなみに、ここはクリスの部屋である。毎日放課後にこの勉強会をするのだが、いつもこんな調子なので、下手な漫才より面白いとルナは毎日見物に通っているのだ。
「そう言うライルは、どうしてここにいるのかな〜?」
「そ、それは……」
……ゴメン、アレン。ちょっと面白いとか思っちゃったよ。
心の中で、親友に詫びを入れるライルだったが、その親友は今絶賛気絶中である。
「ちょっとアレンちゃん? アレンちゃーん!? まだ今日のノルマが終わってないよーー!!」
アレンの襟元をひっつかんで、前後左右にがっくんがっくんと揺すりまくるフィレア姫。アレンの脳はイイカンジにシェイクされ、彼の精神をさらに深いところへ引きずり込む。
「ちょっ……フィレア姉さん? アレン落ちちゃってるから、そんな真似は……」
「ええいっ、ルナちゃん! 電気ショック!」
「はいはーい」
バリバリバリィ! と部屋内に紫電が迸る。明らかに、医療の範疇を超えている攻撃魔法。あんびりーばぼーとでも言うしかない。
「あ、出力ミスった」
「ルナはいつも攻撃にしか魔法を使ってないからねぇ……」
ライルがしみじみと言う。
魔法にはもっと平和的な利用法――生活の便利な道具、としての側面もあるのだが、ルナは魔法の暗黒面に捕らわれてしまっているのだ。いわばダースベイダー。
……ちょっと違うか?
「もお! アレンちゃん、サボるんだったら、さらにノルマ増やすよ!?」
「ま、待て……いくらなんでも、理不尽だろ……」
気合か、それとも慣れか、なんとか起き上がり反論するアレン。が、その反論も弱弱しい。
フィレアが自分のために一生懸命になってくれているのがわかるので、イマイチ強く出れないのだ。そもそもの力関係がこんな感じだという事実は脇にどけておいて、アレンなりにありがたくは思っているのである。
まぁ、やり方を改善して欲しいとは切に望んではいるが。
「とにかく、続き! まずはテストの見直しから!」
「ば、ばっちこ〜い……」
よれよれになりながらも、机に向かうアレン。
なんで、勉強が純粋な体力勝負なんだ……という、至極もっともの疑問を頭の隅で思い浮かべつつ。
「うっぷ……今日はコレで限界だ。食欲がねぇ……」
「そう無理して食べなくても」
次の日。昼休み、ライルとアレンは連れ立って食堂に来ていた。
普段なら十人前はぺろりと平らげるアレンだが、連日の勉強のせいか、食欲が減退しているようだ。……まあ、しっかり八人前ほど食っているのだが。
「い、いや。食わないと持たないからな」
「まあいいけどさ。いつになく頑張ってるよね、アレン」
「そうか?」
食後のデザートのリンゴを口にしながら、アレンがきょとんとする。デザートはこの他にも種々のフルーツが揃えてある。これで食欲がないとほざいているのだから、この男の胃袋の程度が知れるというものだ。
「そうだよ。いつもなら、勉強なんてさっさと放り出してるとこなのに。……まあ、フィレア先輩にせっつかれてるってのもあるんだろうけどさ」
だけど、それではアレンがやる気を見せる理由にはならない。この男が自分から進んで勉強に励むなど、最初ライルが見たときは明日槍でも降るんじゃないかと思ったほどの異常事態だ。
「ん……なんだかんだ言って、自分の力を試すいい機会だからな。このまま卒業しても、どうせ道場継ぐことになるんだろうし、外に出てもっと強くなりたいんだよ」
「へえ。向上心旺盛なことで……」
「そう言うお前はどうなんだよ。剣技は俺とトントンだし、俺と違って頭いいし、魔法も得意だ。頼めば、お前も騎士になれんじゃないか?」
ライルは苦笑する。
「ガラじゃないって。僕が志望してるのは、気楽な冒険者だよ」
「それ言うなら、俺だってガラじゃないだろ」
「そう? 意外と似合ってると思うよ、騎士」
「よせって」
頬をかきながら、アレンが照れる。そして、ふと思いついたように口を開いた。
「そういえば、なんでお前、冒険者になりたいんだ? なんつーか、お前、もっと堅実な職業が似合うと思うんだが」
「……それは、暗に僕が地味って言いたいんだね?」
「お前、それ被害妄想激しすぎだからな」
否定はしねぇけど、とアレンは心の中で付け加える。アレンとて、このくらいの気遣いは出来るのだ。
「別にいいけどさ。薄々、似合わないとは思ってたし」
諦めたかのように、ライルは呟いた。
確かに、自分は一般の人が思い浮かべる冒険者像とは著しく異なっているだろう。お世辞にも勇敢とは言いがたいし、未踏の地を踏破してやるといったような気概があるわけでもない。まあ、そんな事を言ったら、世の冒険者の九割はその冒険者像から外れるのだが……
「でも、僕のできることはって考えたらさ。なんか厄介事とかに向いてるみたいだし。ヴァルハラ学園卒業すれば、ライセンスも簡単に取れるし」
「まぁ、なあ……」
アレンとて、ライルと剣を合わせたのは一度や二度ではないのだ。ルナやクリスよりも、ライルの実力についてはわかっているつもりだ。
確かに、一町人として燻っているような器ではない。
「それに……」
「それに?」
「いや、まあいいじゃないか」
もうこの話は終わりとばかりに、食器の乗ったトレイを持ってライルは立ち上がった。
「あ、ちょっと待てよ」
アレンは慌てて、その後を追いかけるのだった。
……で
「はい、王国の歴史くらいはちゃんと覚えておかないとね〜。とりあえず、明日までにこの年表全部暗記ね」
「待て。ちょっと休憩させろおおおお!」
その後も
「こら! 女性のエスコートも出来ないで社交界に出れると思ってるの!?」
「って、お前すんごい楽しんでないか!?」
フィレアの猛特訓は
「こんな簡単なテストでも半分しか取れないの!? ええい、お仕置きっ!」
「いっそ……いっそ殺せ!!」
「え? じゃあ、ルナちゃん――」
「本当に殺す気かぁああああああ!!」
続くのだった。
「完成!」
「な、なにが完成、だ……」
そして、卒業式も差し迫った二月末。とうとう、アレン騎士見習いバージョンが誕生したのだ!
「でも、実際のところはまだまだだよ。時間もないしこの辺で妥協しとかないとねってとこ。まあ、見習いだし」
「クリス……お前、血の小便まで出しながら頑張った俺に言うことか、それは」
「もう、アレンちゃんったら下品!」
ズゴッ! とツッコミと言うにはちと凶悪すぎる手刀をフィレアが繰り出す。
「と、とりあえず、学園長の許可もとったし。卒業式が終わったら、アルヴィニア王国へGOだね」
無理矢理気味にクリスが締める。
卒業式が終わった後も、在校生はテストやらミッションやらがあるのだが、アルヴィニア王国までの旅路も充分課題となるので、それらを免除してそのまま行けることになったのだ。
別の国とは言え、山やら森やらで険しい道のりのライルの実家やポトス村までと比べると、ずいぶん楽な行程なので、馬車なら三日くらいしかかからない。テスト・ミッション免除はジュディさんの好意だろう。
こんな風に、全ての準備は完了したのである。
「ぐ……おおおおおおおお」
唸るアレンはともかく、完成したったらしたんだい。