ザーザーと、よくもまぁ降る降る。

僕は、寝ぼけ眼でベッドから起き上がりながら、外から聞こえる音に辟易するのだった。

「これってさぁ、明らかに異常気象だよね……」

ここ十年で最大ともいえるほどの規模の雨量がこれで一週間連続。この王都セントルイスの水源である川も氾濫しており、町の機能はかなり麻痺している。

……大雨のせいで学園が休みになってるから、一部の人達は喜んでいるんだけどね。

僕は僕で、降って沸いた休日を、眠って過ごすことにしているのだった。

 

第72話「雨とシルフィとやってきた人」

 

「マスター、ちょっとダレすぎじゃない?」

そんなライルを心配したのか、シルフィが注意する。

「って言われてもさ。外に出るのは危ないし、家にある本は全部読んじゃったし……それに正直、そろそろ疲れた」

なんてゆーか、人生(?)に疲れてんだろうなぁ。

そう思わせるほど、ライルの声は沈んだものだった。前回、仮想空間でルナに頭を吹っ飛ばされたのがまだトラウマってるらしい。

「まあ、いいじゃないか。たまにはこうしてゆっくりしても」

「悪くはないんだけどさ……でも、なんかこの雨おかしいと思わないの?」

なにやら深刻そうな面持ちで、シルフィが言う。

「おかしいって……そんな真面目な顔してるシルフィがおかしい」

「フッ!」

「ぶべら!?」

シルフィ、渾身の体当たりがライルの顔面を貫く。人形のような大きさのシルフィだが、その推進力にモノを言わせれば、それなりの破壊力があるのだ。

「で、マスター。本題に戻りたいんだけど」

「うん」

シルフィの言葉に、あっさり起き上がるライル。

毎度毎度ルナの圧倒的火力に晒されているライルにとって、シルフィの体当たり程度、蚊に刺された位にも感じない。ある意味、これも修行になっているのだろうか?

「今回のこの事件、精霊が絡んでいるわ!」

「謎は全て解けたとでも言いたいのか?」

「そうじゃないって。真面目な話!」

そう言うならば仕方ない。ライルは居住まいを正した。シルフィの真面目な話など、レア中のレアだ。これを聞き逃すと、次いつ聞けるかわかったもんじゃない。

「……また妙な事考えてるみたいだけど、話が進まないから流しとくわね」

「そうしてくれると助かる」

妙な事を考えていた事を否定しないのに、シルフィのこめかみがぴくっと引き攣ったが、それ以上混ぜっ返さず、話を始めた。

「世界の天候は、精霊の動きの結果って事はマスターもよく知ってるとこだと思う。実際、全部が全部そうってワケじゃないんだけど、これだけ大規模な異常気象だと、なにか精霊の働きに異常があるのはまず間違いないわ」

「ふんふん」

「そういった場合、上位精霊が解決に当たるんだけど……」

「それがどうしたんだ?」

ライルが聞き返す。正直、勝手にやってくれと言うのだ。

「ちょうど近くにいるってことで、私にお鉢が回ってきたのよね」

嫌な予感がライルの背筋を走りぬける。くるりと向きを変え、とりあえずクリスの部屋にでも避難……

しようと思ったところで、がしっと肩を掴まれた。

「とゆーわけで手伝ってね、マスター」

「い、いやだぞ。そんなの勝手もわからないし、僕はこの休日を寝て過ごすって決めたんだ! もう嫌なんだよ! 厄介事に僕を巻き込まないでくれぇ!!」

本当に、色々疲れているらしい。

そんな絶叫をかます己のマスターを、ほろりと哀れむ目で見て、それでもシルフィは肩から手を離さない。

「ほらほら、嫌がらない。これはセントルイスのみんなのためでもあるのよ? 迅速に解決しなきゃ、みんなが迷惑するじゃない」

「いやだいやだいやだぁ!」

ぶんぶんと首を振るライルを見て、けっこう面白いわねコレ、などと本人が聞いたら泣きそうな感想抱きながら、シルフィはぐいぐいとライルの肩を引っ張りまくる。

そんな時。

この場にいないはずの第三者の声が響いた。

「迅速……ですか。あなたに仕事を頼んで、すでに五日も経つんですけど、シルフィ?」

その人は怒りのバッテンマークを額に貼り付け、丁寧な物腰で玄関口に立っていた。

彼女を見て、シルフィはまず呆然とし、次いで恐れおののくように口を開く。

「あ、アクアリアス……?」

彼女こそ、本編初登場。水の精霊王アクアリアスさんであった。

 

 

 

 

 

 

 

「いや〜ははは。ゴメンゴメン。ちょっと面倒でさ〜」

「……もしかして、それで謝っているつもりなんですか?」

なにやら怒っている様子の女性――シルフィに言わせるとアクアリアスさんと言うらしい――のために、ライルはお茶を淹れる。

とりあえず、自慢の特製紅茶を細心の注意を払って淹れると、なんともかぐわしい香りが部屋の中に漂う。取っておきのクッキーも出して、最上級の振る舞いだ。

「どうぞ」

「ありがとう。ごめんなさいね、急に押しかけたりして」

「い、いえ」

たおやかに微笑むアクアリアスに、ライルは思わず赤面する。考えて見れば、こんな大人の女性と話をするのは始めてである。ジュディさん? ジュディさんは大人なんかじゃねぇよ、と命知らずなことを考えているあたり、ライルの狼狽振りが伺える。

まあ、どうでもいいことなのだが。

「ライルくん、でしたよね? シルフィと契約してる」

「はあ」

「……あの、噂の」

ちょっと待て、とライルは心の中で待ったをかける。

噂? 噂ってどんなだ。てゆーか、僕は精霊界で噂になるほどホットな人物なのか? と、混乱に拍車がかかったようだ。

この噂とは、現在、精霊に転生し悠々自適の毎日を送るルーファス・セイムリート(享年十七歳)がこちらにやって来たときに目撃した彼の友人らから、勝手に捏造した誤ったライル像のことなのだが、本編には関係ないので割愛させて貰う。(ヴァル学その他「エンカウント!」参照)

「あら、おいしい」

「そ、そうですか?」

アクアリアスがライルの淹れた紅茶に舌鼓を打つと、にへらっ、と笑い、突っ込むのも忘れる。ライル、意外と年上が好みだったのだろうか。

「……フレイがいたら、一波乱あるところね」

「え? シルフィ、誰それ」

「火の精霊王。フィオの上司よ。……まあ、精霊王の中で一番人間嫌いだから、出てくる事はないと思うけど」

ふーん、とあまり興味なさげにライルは流す。

「あ、お代わり、どうですか?」

「ありがとう。でも、もういいわ」

そして、執事のようにアクアリアスを接待する。なんとなく、シルフィは面白くなかった。

「なによ、マスター。アクアリアスにばっかそんな愛想振りまいて。……惚れた?」

その台詞に、ライルはあうあうと狼狽し、こほんと一つ咳払い。

「いや……さ。アクアリアスさん見て、女の人ってこんな感じなのかなぁ、って思って、ちょっと緊張してた」

「なにそれ。私は?」

「……………………………………」

ライル、沈黙。

日頃から接している女性と言えば、このシルフィかルナ。ましなところでクレア。ライルが“まともな”女性と接するのはこれが初めてと言っても過言ではない。ライルの気遣いが多少増えるのも無理はない……ないのだが、ここらへん説明するときっとシルフィは怒るだろう。

うがー、私も女の子じゃー、とか。

実際の三割増しくらい凶暴化されたシルフィのビジョンを思い浮かべ、ぶるぶるとライルは震えた。

「なに黙ってんのよ。おら、怒らないから正直なところを話して見なさい」

「い、いや。別に」

その沈黙をどう取ったのか、シルフィが不機嫌そうにライルに詰め寄っていく。

その様子に、アクアリアスは思わず笑みがこぼれた。

「仲が良いんですね。うまくやっているようで、安心しましたよ?」

「ちょ……アクアリアス、なによ?」

「いや、だって。フレイが一番人間嫌いって言ってたけど……嫌い、っていうか一番苦手だったのシルフィじゃないですか。それが、今はこんな仲良し」

くすくすと笑うアクアリアスに、シルフィはぐっと唸った。

驚いたのはライルである。初めて会った時、シルフィは警戒はしていたものの、苦手とかそういった雰囲気とは皆無だった。……こいつが人間嫌い? へそで茶を沸かすってなもんである。

「さてと。それはいいとして」

ギロリ、とアクアリアスは話を区切り、シルフィを睨み付けた。

「五日も仕事ほっぽりだして……おかげで、こっちはえらい迷惑してるんですよ? ここだけ仕事が滞って、他のところにも影響が出てるんですから」

「い、いやほら。それは謝ったじゃない」

急に本題に戻られて、シルフィは慌てながらも反論する。

「面倒だったからやりませんでした……っていうのが、貴方の言い分でしたよね」

「あ〜。それは、その〜。ほら、あるじゃない。気分じゃないってやつ?」

「気分じゃない、ですか。そのために、これだけの期間放っておいて、精霊達の活動が捻れて……水が本職の私が派遣されてきたんですけどね」

今現在も降りまくっている雨を睨んで、アクアリアスは深いため息を吐く。

ライルはなんとなく、この人きっと苦労してるんだろうなぁ、とか妙な共感を抱いていた。

「え、え〜? そこまで大事にするつもりはなかったんだけど。今日、仕事はするつもりだったし。ほら、マスターに手伝って貰えばなんとでもなるから……」

「貴方は自分のマスターに、自分の尻拭いをさせるんですか!」

そろそろ、言い合いも佳境に入ってきた。

とりあえず、ライルにできるのは、自らの存在を透明にしてやりすごすことだけだった。

 

 

 

 

 

 

「……すみません。みっともない所を見せてしまって」

「い、いや。そんなこと」

三十分ほどして、やっと冷静になったアクアリアスは、まずライルに謝ってきた。相当恥ずかしかったようで、顔を真っ赤にしている。

「ここ最近、とみにストレスが溜まってて……こんな愚痴を言うのはどうかと思うんですが、精霊王って呼ばれている人は、こんなのが多いんです」

「……わかります。僕の周りにも、なぜかこんなのが多くて」

「なによ、その言い方」(←こんなの)

なにやら通じるものがあるらしいライルとアクアリアス。一人憤慨してるシルフィ。

……ところで、仕事はいいんだろうか?

まったりしている三人には、すでにそのことは頭になかったりするのだった。

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