ぱたり、とルナの上半身が倒れる。

机の上。広がったのは、幾冊もの教科書。数学、国語、物理etc……

「ぐぅううーー」

「……唸ってる暇があるなら、公式の一つでも覚えなさい」

ルナの講師役を買って出たライルが、呆れながら忠告した。

「今更、公式の一つや二つ覚えたところでなんになんのよ!」

逆ギレである。卒業試験、の名目で、いきなり明日全教科のテスト。しかも、範囲は今まで習ったところすべて、となれば、もともと成績はお世辞にも優秀とはいえないルナとしては、ギリギリもギリギリである。

「ほら、学園長も内容はかなり簡単だって言ってたじゃない? 基本的なところを一通りおさらいすれば、なんとか……」

「私、三年間授業聞いてなかったから、おさらいじゃあないわね。一から勉強するのと変わらないわ」

まったくもって、救いようのない台詞である。

「……ずっと前、クリスが頭抱えていたのわかる気がする」

今はもうしていないが、あまりに勉強の出来ないルナとアレンを見かねて、クリスが家庭教師役を買って出ていたことがあった。

まぁ、結果的にそれはまるで成績に反映されはしなかったのだが……その時、クリスが言っていたのは『まだ、サルに言葉覚えさせる方が簡単だよ』である。そこら辺から、色々と察して欲しい。

「もう一人のサル……もとい、ゴリラは大丈夫かな」

「ちょっとライルー。ここの問題、教えろー」

 

第184話「学園侵入! 前編」

 

結論から言うと、もう一人のゴリラは全然大丈夫じゃなかった。

「もう! どうしてこんな問題もわからないのー!?」

小さな影がぐりんと縦回転し、その回転力をそのまま踵に込めてアレンの頭に叩きつける。

「ぐへっ!?」

重さを求める問題で、なぜか単位センチメートルの答えを捻り出した、ある意味とても器用な男は、変則的な踵落としに耐え切れず、机に突っ伏す羽目となった。

「フィレア姉さん、あんまり頭を叩かないで上げて。ただでさえ悪い頭が、余計悪くなっちゃうから。……アレン、なに寝てるの? ほら、次の問題」

未来の義兄のため、講師役を買って出たクリスが、二人のじゃれあいに顔を顰めつつ、アレンを叩き起こした。

「クリスゥ、も、ちょい優しくしてくれねぇかー」

「そういうのは、せめて問題文の意味をちゃんと把握できるようになってから言って。はい、また間違い。そこは、かけるんじゃなくて割るんだよ」

「ぐぅぅーー……駄目だ、わからん」

剣を持たせれば、無双の腕を持つアレンであるが、こと勉強と言う魔物と対峙した場合、為す術なく叩きのめされてしまう。なんでも、勉強は剣で斬れないから俺の専門外だ、とのこと。

「もー、アレンちゃん。この試験できなかったら、留年でしょ? わたしとの結婚が、また遠のいちゃうよー」

「いや、それはぶっちゃけどうでもいいんだが」

ぽろっと本音がこぼれたアレンの首が、きゅっと絞められる。無論、絞めたのはアレンの婚約者であるところのフィレアだ。

「ひどいー」

「お、お前の方がひでぇことしてるって自覚はあるか……?」

気管を押さえつつ、息も絶え絶えにアレンが抗議する。

「そしてフィレア姉さん、勉強の邪魔」

ぽいっ、とクリスが姉の首根っこをひっつかんで部屋の外に追い出した。

「むぅ〜」

「不満そうにしても駄目。さっき自分で言ってたでしょ? この試験クリアしないと、アレン卒業できないんだから」

「わかってるけど……クリスちゃん。アレンちゃん、試験大丈夫なの?」

ぐっ、とクリスは返答につまった。

今のアレンの学力では、例え嘘でも『大丈夫』だとは言えない。そんな高度な腹芸は、生憎クリスは会得していなかった。

「ど、どーだろーなー。が、頑張れば、きっとなんとかなると思うよー」

「むぅ」

そんな陳腐な演技では、流石にフィレアですら騙すことは出来ない。

かなりヤバイということを直感的に悟ったフィレアは、腕を組んで考え込む。

「こうなったら……」

「あ、あの、フィレア姉さん? なんでしょう、そのとんでもなく邪悪な笑顔は……」

「ちょっとアレンちゃんと一緒に、ルナちゃんのとこ行ってくる」

「は?」

クリスが止める暇もなく、フィレアはずんずんとアレンの部屋に舞い戻り、アレンの首根っこを引っつかんでずんずん進む。

「も、もしもし? 一体、フィレア姉さんはなにをなさるおつもりで?」

「うん、いいこと思いついたから」

フィレアは、にぱーっ、とそれはそれは素敵な笑顔を浮かべた。。こんな状況でさえなかったら、もっと素敵だったのに。

そして……

「はぁ? テスト問題を、盗みに入るぅ?」

「うん、そう。ルナちゃんも、明日の試験危ないんでしょう? 問題さえわかれば、流石のアレンちゃんとルナちゃんでも、試験突破は簡単だと思うんだけど」

「……妙にひっかかる物言いだけど、そうね」

うーん、とルナが考え込む。

そこへ、慌ててライルが割って入った。

「ちょっ……! フィレア先輩っ、なにをトチ狂ったこと言ってンですか! ルナも、そんな真剣な顔で検討しない!」

「うん、わかったわ」

「よ、よかった、わかってくれたんだねルナー!」

「さすが、フィレア。ちっこいナリしてても、年上は年上ね。ナイスアイディアよ」

ぽきりぽきりと指を鳴らしながら、ルナがゆらりと立ち上がる。

「そうだな……たまには、こういうのも悪くない」

「……僕も行かなきゃいけないんだろうなぁ、立場上」

そして、それに追従して立ち上がるのは、アレンとクリス。

「ちょっと! アレンはともかく、クリスまで!?」

「俺はともかくってどういうことだ?」

アレンの突っ込みの声は当然のように無視して、ライルは厳しい顔になる。

「そんな不正は駄目だよ三人ともっ! 正々堂々、試験を受ければいいじゃないかっ」

「んな賢い意見は聞いちゃあいないのよ。ライル」

その視線を真っ向から受け止めたルナが睨みつけてくる。普段ならば気圧されるどころか、それだけで昏倒してしまいそうなライルだが、今日は違う。自分が正しいと確信しているので、妙に強気だった。

「私は、もう勉強なんざしたくないのよ。やったって、明日にはどうあがいても間に合わないからね。と、いうわけで、私は断固明日のテスト問題を盗みに入る。止めるって言うのなら……」

「ぼ、ぼぼぼ、暴力には屈しないぞ」

既に屈しかけているくせに、ライルは反論した。

「アレン」

ルナが指をぱちりと鳴らして、アレンの名を呼ぶ。心得たもので、アレンは突然のことにも関わらず、ルナの意図を正確に理解して、ライルを羽交い絞めにした。

「な、なにを……」

「このまま一緒に学園に来てもらうわよ。共犯になれば、さすがのライルも外部に密告なんてできないでしょう?」

「んなっっ!!?」

ライルは開いた口が塞がらない。これではまるっきり犯罪者の手口ではないか。

「け、警備兵! なにしてるんだ早く来てくれー」

「ふん、下手な警備兵で、私を止められるとでも?」

止められるとは、まったく思えなかった。なにせ、ルナは以前、アルヴィニア王国で一軍を壊滅させたことがあるのだ。平凡な警備兵の一人や二人、笑顔で無力化してしまうだろう。しかも、両脇を固めるのは、アレンとクリス。

流石に、この三人を同時に止められる人材なんて……

「そ、そうだ! シルフィ、助けてー!」

ライルは虚空に向かって叫ぶ。ルナたちの目には映らないが、そちらの方向にシルフィはふよふよ浮いているのだ。

「なに? 今度は女に助けてもらおうって腹? 見損なったわよライル」

「人のこと言えるのか!? と、とにかく、シルフィ……」

と、ライルの顔が急速に沈む。

同時に、抵抗を諦めたのか、体は完全に脱力してしまった。

「大体想像はつくけど、シルフィはなんて?」

「……『試験をちょっぱるくらい、楽勝よ。頑張ってきてマスター(はぁと)』だとさ」

完全に面白がっている。あやつに助けを求めたのが間違いだった、とライルは自己嫌悪に陥る。

「はぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

「なによ、その長いため息は」

「いや、まさか僕が犯罪に荷担する羽目になるなんて、って思ってさ」

「なにを言ってるの、犯罪じゃないわよこれは」

やけに確信に燃えた瞳で、ルナは学園の方を睨みつける。

「……聞きたくないけど、一応聞いとく。その心は?」

「卒業試験、っていうのは、つまり学生の能力を試すのよね?」

「……まぁ、一応」

不承不承、ライルは頷いた。

「つまり、私たちの全力で持って事に当たるべきなのよ。でも、その手段は学問だけじゃないわ」

「いや、試験って言うのは学力を試すもので、盗みの腕はまったく関係な……」

「それに、こんなギリギリになって言うなんて、これは学園長から私たちへの宣戦布告と受け取って間違いないわ。決闘に卑怯もクソもないのよ。敗者は、なにをされても文句は言えないの。だって敗者に口なしって言うからね」

それは敗者じゃなくて死者じゃ、とライルは思ったが、あえて口に出さなかった。

ルナが相手、という条件なら、敗者も死者も大した違いはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「と、ゆーわけでやってきました、夜の学園!」

「……やっぱ、けっこう雰囲気あるね」

既に諦めモードのライルは、ふて腐れながらも不気味な夜の校舎にビクビクする。

「なぁに言ってんの。幽霊なら、前もぶっ飛ばしたじゃない。クリスんちには、今も現役幽霊が元気に闊歩してるしさ」

「そりゃそうだけどさ」

ああいう出来事があったからこそ、ライルは幽霊を苦手にしているのだが、ルナはそういう風な結論には至らなかったらしい。とりあえず、魔法が通じるものならば、怖がらないのだ、彼女は。そこら辺は、とりあえず剣が通じれば無問題のアレンも同じだが。

「まぁまぁ、ライル。うちの学園は、定番の七不思議とかもないから大丈夫だよ」

「……クリスは普段から幽霊の子と一緒に住んでるから感覚が麻痺してるんだよ。普通、夜の学校は怖い」

「いや、フィオナは幽霊っていうには人間臭すぎるんだけど」

クリスは、今も家のミニチュア棺桶で寝泊りしている幽霊少女のことを思い出す。多分、今頃は起き出して、散歩に繰り出していることだろう。そう言えば、卒業したら彼女をどうするべきなのだろうか。

「おいおい、お前ら男の癖に、こんなのが怖いのか? フィレアじゃねぇんだからさ」

ちなみに、フィレアはお化けが怖いのでお留守番である。

「……そんなに言うなら、アレンが最初に入ってよ」

「ん? いいぜ、ほら」

ひょい、とアレンは校門を飛び越え、着地……

「うぉぉぉお!?」

同時に、爆風によって天高く舞い上げられた。

そのままヒキガエルのように地面と接吻を交わすアレン。

「な、なんで?」

ルナの方に素早く視線を走らせるライルだが、彼女が魔法を放った気配はない。そもそも、一応ルナは前置き無しで魔法をぶっ放すことはないのだ。滅多には。

「……マジカルトラップの一種ね。地雷(マジカルマイン)」

「な、なんでそんなもんがっ!?」

「そりゃあ、夜中に私らみたいな不審者が侵入しないように、でしょ?」

それにしたって地雷はない。一体、どういう侵入者を想定しての罠だ。学校は、国境最前線の要塞かなんかか。

「……変な学校とは思っていたけど、ここまでとは」

「ふふ……面白くなってきたじゃない。学園長は、本格的に私と戦争したいみたいね」

「いや、だから流石の学園長もそんなことは考えてない……」

と、ライルは思うのだが、この敷設された地雷群を見るとあながち間違いでもないよーな。

「さぁ行くわよ三人ともっ! 私に続けェ!」

隠密活動だと言う事をさっぱり理解していないのか、ルナは大声を上げて学園に突進していく。

「僕、ここで回れ右して帰っちゃだめかなぁ」

「別に構わないけど。僕達がテスト盗んだ後『ライル参上!』って落書きしてきてもいいなら」

「……わかってるよ。言ってみただけだよ!」

クリスの心無い返答にもくじけず、ライルは走り始めた。

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