今週の金曜、三月一日に、ヴァルハラ学園は卒業式を迎える。
この時期、殆どの学生は春からの新生活に向けて忙しく、例年通りなら卒業式までは自由登校のはずなのだが、なぜか今週は絶対に通学すること、と厳しいお達しが下されていた。
名目上は、『卒業式の準備のため』となっているが、なにを準備するというのだろうか。卒業式とは言っても、ただ眠たいだけの来賓の話を聞くのと、卒業証書を受け取るだけ。そりゃあ、学年首位とかは答辞やらなにやらで少しは忙しいだろうが、一般の生徒にとってはなんのことはない式典である。
「……でも、なんかあるんだろうなぁ」
登校途中、ライルはため息をついた。
どうせ、自分やルナは身一つと武器だけあればどうとでもなる気楽な冒険者稼業だ。去年の縁で、しばらくはアルヴィニア王国の王城に逗留することもあり、特に準備らしい準備は必要ない。よって、今週も普段どおり学校へは通うつもりだったのだが……なんだろう、こう、嫌な予感がする。
というか、今週はきっちり登校しやがれ、という命令を下したのが学園長であるジュディさんであるという時点で、なにかあるということは確定だ。問題は、それがどういった類の遊びなのかということ。
「……はぁ」
再びため息。
どうにもこうにも……卒業間際まで、気の休まる気がしないライルであった。
第183話「卒業への一里塚」
がやがやと、久方ぶりに騒がしい教室に入る。
前述したとおり、二月は殆どの三年生は登校していなかったので、こうしてクラスメイトとまともに顔を合わせるのは久方ぶりだ。卒業したら、下手したら一生会わない人もいるだろうし、そう考えれば卒業前にこうして登校させられるのも悪くはないのかもしれない。
「やっ、ライルくん、おひさー」
「おはよう、クレアさん」
ライルの顔を見つけた女子が一人、こちらに近付いてくる。
最近、顔は合わせなかったが、春からアレンの道場の手伝いをすることになっているクレアだった。弟妹六人の食い扶持を稼ぐため、既に働き始めているらしい。
「どう? 仕事の調子は?」
「やー、初等部のときとか、けっこう入り浸ってたからね。まー、仕事のやり方はわかるよ」
ちなみに、アレンとは幼馴染。その関係で、道場のことはよく知っているらしい。しかし、昔はよく通っていたという事は、実はアレンとは結構微妙な仲なんじゃなかろうか。
……なんて、ライルが考えたこともお見通しだったらしい。クレアは笑ってみせると、
「そういえばねー。アレンくんとフィレアちゃん、ほんと仲いいんだよ。見てるこっちが恥ずかしくなってくるくらい」
「……まあ、そうだろうね、あの二人は」
どちらかというと、フィレアからの一方通行的なスキンシップが目立つが、仲が良いことは疑いようがない。なにせ、二週間後には婚姻だ。
クレアも、別に隔意があるわけではないらしい。ライルは、勘繰りすぎた事を反省する。
「ライルくん、おはよう」
と、話していると、眼鏡の少女が登校してきて頭を下げた。
「……ああ、おはよう、リムさん」
「なに、その間は?」
「気にしないで。寝起きでぼーっとしていただけだよ、うん」
まさか、名前をド忘れしていたとはとても言えない。
占いが好きで、噂話(特に男女関係の)が好きで、最近――というか一年の頃からずっと影の薄い、一応ルナの親友(らしい)の少女。
「もしかして、私の名前忘れてなかった?」
「……滅相もない」
そして、やけに勘が鋭い。
リムのかけている眼鏡が怪しい輝きを放っている。まるで、光を反射しているのではなく、眼鏡そのものが輝いているかのような、不気味な光だった。
「ふっ、おはよう、ライル」
「……お前は、いちいち格好付けないと登場できないのか」
そして、格好付けようとして逆にカッコ悪くなっているある意味とてもおいしいこの男は、グレイ・ハルフォード。
改めて説明するのも面倒くさいので、適当に答えると――ルナ惚れ三枚目貴族天然派である。それ以下であることはあるかもしれないが、それ以上では決してない。
「さりげなく、ひどい紹介をされた気がするのだが……」
「安心しろ、全然さりげなくないから。ルナ惚れ三枚目貴族天然派」
ライルも、この男に対してはあまり遠慮はしない。一年生の頃、散々目の仇にされたのもあるが、そもそもコイツは多少きつくあたったところでへこたれないどころか、きつく当たられていることに気付きもしない。
アレンと似たタイプである。あっちとは違い、女性にあまり縁はなさそうだが。ルナに惚れている、という一点で察してやって欲しい。
「しかし、なんだ。クラスの脇役大集合だな……」
これで、担任のキース先生が登場すれば完璧だ。生憎と、あの人はまだ教壇の前には来ていないが。
「クラスの脇役って……そりゃ、ライルくんたちに比べれば、誰だって地味だけどさー」
「いやいや、そういう意味じゃなくて、物語的にというか、主人公ゆえの俯瞰視から見た場合という意味でですね」
なにやら変な意味に捉えたクレアを適当にフォローするが、はっきりいって余計わけのわからないことになっている。まあ、理解させようとしても無理があるだろう。
「おまえらー、とっとと座れ。久しぶりだからって、ダベってんなよ」
と、そこへ最後の脇役たるキース先生がやって来た。
最近、登校してくる生徒が少なくなって楽になるかと思いきや、一番の問題児が律儀に登校してくるせいで、まだまだ胃薬が手放せない今日この頃と噂の名物教諭である。どう名物かと聞かれると非常に困るが、彼の叔母たる学園長曰く『適当にいじれば、けっこう面白いです』がキャッチフレーズらしい。
「なにやら、すごく不愉快な空気を感じるが……とりあえずホームルームを始めるぞ、コラ」
あらぬ方向からささやかれた悪口になんとなく気付いたらしいキース先生は、元敏腕冒険者ゆえの厳しい視線で生徒達を威嚇しつつ、出欠を取り始めるのだった。
「ん、欠席者はなし、と。お前ら、忙しいだろうによく来たな」
全員の出席を確認したキース先生は、苦笑しながら全員を見渡した。
もちろん、この時期は誰でも忙しいし、正直授業もないのに出席するのはかったるい。だがしかし、この学園に学園長に逆らえるほどの無謀と換言できる勇気を持った人間は――まぁ、若干一名いるが、その人物は魔法研究で徹夜明けにも関わらず律儀に登校してくるという、変な部分で真面目なところがある。
つまりは、みんな学園長の言に逆らうことが恐ろしくて、ちゃんと登校してきていた。
「とりあえず、三年はホームルームが終わったら体育館に集まれ、とのことだ。移動してくれ。あと……」
キース先生は、やけに深いため息(別に彼にしては珍しいことではないが)をつくと、馬鹿なりに愛しい生徒達を見渡して一言助言をした。
「まあ……とりあえず、お前ら。卒業、頑張れよ」
意味不明である。
卒業頑張れとはどういうことだろうか? とクラスの全員が首を捻る。
体育館に移動中、ライルも頭を回転させていた。
「どういう事だと思う?」
途中、クリスが話しかけてきた。
「さあ……どうせ、また学園長がろくでもないこと思いついたんじゃない?」
「いや、そんな今更わかりきったことは言わなくてもいいから。そのろくでもないことの内容だよ」
なんか何回もしたかのようなお決まりの質問に、ライルはうーむ、と鷹揚に考え込んで、
「見当もつかない」
あっさりと首を振った。
だが、それも仕方がない。あの学園長ならば、卒業記念パーティーと称してお城を借り切って三日三晩のどんちゃん騒ぎをしても、ライルは驚かない。いや、そんな生徒が素直に喜ぶような真似はしないと思うが。
……つまり、なにをしでかすかさっぱりわからない。
「まあ多分、卒業記念ミッションを君達にプレゼントするわ(はぁと)とか言って、僕達を魔界だか天界だかに送り込むつもりなんじゃないかな」
ふっ、とライルが遠い目になって言う。
ミッション、と聞くと自然身体が全力で警戒態勢に入ってしまうのは、これは勘というよりもう経験から来る確信である。
「い、いやー? 一応、学園長も、あそこまでするつもりはなかったと思うよ。ただ、僕達の運がこれ以上ないほど悪かっただけなんじゃない? ただのモンスター退治で、魔界の魔族相手に斬ったはったする羽目になるほど」
既に運が悪いとかいう次元を軽く超越している気がする。
「もしかして、ルナ辺りが僕らの運気を生贄に捧げて魔力アップを図ったとか、そういう阿呆な話じゃないだろうな……」
「そ、それは流石に考えすぎでは?」
そんな馬鹿みたいな考えが浮かぶほど、波乱に満ち満ちた学園生活であった。
まぁ、ツッコミを入れているクリスも、『きっと、ライルに絶対不幸(クリティカルアンラック)みたいな技能が備わっているんじゃないかな』なんて考えているので、どっちもどっちである。
「なんだなんだ、さっきから聞いてればお前らくれぇなぁ」
「……アレン」
そして、無駄に暑苦しい男登場。
やたら幸せそうなその顔が、相変わらず鬱陶しい。
「普通の人にはできない経験をしたって考えろ。実際、ああいう経験があったから、結構レベルアップもできたじゃねぇか」
前回のミッションでは片腕どころか命をあわや失うところだった男の言う台詞ではなかった。
「大丈夫だ。俺達の力を合わせりゃ、学園長がどんな陰湿で陰険で悪辣なミッションを吹っかけてこようが、きっと突破できるさ」
「……君、ほんっとにいい根性してるね」
将来の義兄に、頼もしいやら危なっかしいやらの感情を抱くクリス。今更といえば、今更過ぎる話であるが。
「さぁ、行こうぜ。学園長の、悪巧みとやらを聞きによっ!」
そして、アレンは率先して歩き出した。
「卒業試験です」
と、ジュディさんが言った内容は、ごくごく平凡なものだった。
「我が学園を卒業するに相応しい学力を備えた人物でないと、卒業証書を手渡すわけにはいきません。明日、一日かけて全科目のテストを執り行います。赤点三つ以上で留年させるので、覚悟して取り組んでください」
そこかしこから悲鳴が上がる。
一応、三学期にも学期末試験なる者があったのだが、それが終わったあと勉強などあまり必要ない職場に行く大多数の者たちは勉強などまったくせずにここまできている。そんな生徒達に、全科目のテストを、いきなり明日というのは酷過ぎた。
「心配しなくても、内容に関してはかなり簡単なものにしてあります。ただ……」
ジュディさんの視線が、成績が特に悪い何人かに降り注ぐ。当然のことながら、その何人かの中にはルナとアレンが含まれていた。ちなみに、大言壮語を吐いていたアレンは、試験という言葉を聞き、見事なまでにしおれている。例えるならばそれは、塩をかけられたナメクジが縮んでいくようだった。
「ま、そういうわけです。あ、“もちろん”試験の後には楽しい楽しい行事も予定していますので、皆さんとりあえずは試験を頑張ってください」
少し拍子抜けしていたライルとクリスは、やはりか、と肩を落とした。
「それでは、今日は解散です。せいぜい、教室でも図書館でも自宅ででも、勉強に励んでください。特に、お馬鹿な一部の生徒さん達は」
生徒達全員を凹ませたジュディさんは、教師とは思えぬ言い草ではっぱをかけた。
こうして、ヴァルハラ学園最後のイベントが開始された。