「さて……と。悪く思うなよ」

儀式用のナイフを手に、魔族・ザインがクリスに近付いていく。これから、生贄として捧げられるのだろう。死に直面した人間は、精霊に対する干渉力が格段に向上する。そんな人間を利用して、精霊による封印を解く……まぁ、理にかなってはいるが、だからと言って大人しく殺られるつもりはなかった。

「うわっ、ちょっと待って!」

逃げようにも、縄で縛られているため身動きが取れない。『往生際の悪い……』とザインはため息をつきつつ、クリスの首に刃を当てる。

「じゃあな。そっちのも、すぐに送ってやるから、寂しくはないぞ」

「アランが来ても、全然嬉しくないから……!」

言ってから、これが僕の最後の言葉か……と後悔したクリスだが、ふとそのクリスとザインの間の空間が歪んだ。

「……!?」

ザインは慌てて飛びのく。ひとまず助かったと安心するのもつかの間、その空間の歪みはどんどん大きくなっていき……やがて、二つの人影がそこから出現した。

それは、

「ぃょぅ。クリス。アルヴィニアで会ったばっかだけど、元気してたか?」

「……ちっ、なんで俺がこんなこと」

一人は、軽薄な笑みを浮かべ、馴れ馴れしく挨拶してくる地の精霊王と、燃えるような髪と不機嫌そうな瞳を持ったギラギラした男だった。

 

第99話「へっぽこブラザーズかけるに?」

 

「ガイア・グランドフィルとフレイ・サンブレストか……! 貴様ら、どうやってここに転移してきた!?」

ザインが驚くのも無理はない。彼は、この場所には出来うる限りの防護措置を施している。たとい上位精霊が精霊界から直接ここに来ようとしてもできないようになっている。

具体的には、転移しようにも、飛ぶべき座標を曖昧にするような結界が張ってある。この洞窟のみならず、森の中のどこに転移しようとしても、うまくいかないはずだ。

「ふむ。簡単だ。俺は、そこのクリスと簡易的なやつだが契約を交わしていてな。その繋がりを利用して飛んできたわけだ。シルフィから、クリスが危険だって念話が来たからな」

「で、ちょうど仕事なかった俺は、それに引っ張られてきた」

ザインは思わずクリスの方を見る。

確かに、アルヴィニア王国の王族だということは調べてあった。アルヴィニア王族が代々地の精霊王の加護を受けていることも。ただ、まだクリスは王位も継承していない一王子に過ぎない。まさか、ガイアとの直接のつながりがあったとは予想していなかった。

「……で、どうする? お前は確かに、現存する魔族の中ではかなりの実力者だが、精霊王二人を相手にしちゃ勝てねぇだろ。もうすぐ三人目も来るしな」

ガイアの言葉をザインは鼻で笑う。

「シルフィリア、か。どうやら、ここまでの道のりで迷っているようだぞ? この洞窟は色んなところで分岐しているからな……」

「うえ? マジか。大体、ここにカナリア封印したの俺らだってのに……」

魔王カナリア。その優しげな名前とは裏腹に『凶魔王』の異名をとるほど戦いと血を好む魔王だった。

現れたのは千年近く前。これの封印が、当時代替わりして間もない頃だった精霊王たちの、初仕事だった。

「そうそう。そういえば、エルムん時、コイツ開放されてなかったな。なんでだ?」

大魔王エルム。勇者ルーファスに打ち倒された、史上最大級の魔王だ。彼女は、今までに封印された他の魔王を解放し、自らの配下としていた。

「封印を解きに来たが、私が追い返した。ヤツも無理強いはしなかったよ。なぜだかな」

「へぇ、追い返したって、そりゃまたなんで? お前にとっちゃあ、封印を解いてくれた方がありがたかったんじゃないのか?」

「別に……ただ、カナリアの眠りを邪魔されたくなかっただけだ」

ぼそっ、と寂しげに答えるザイン。それを聞いて、はっ、とフレイが笑った。

「ならなんで今、お前が封印解こうとしてんだよ? あれか、今更世界を滅ぼしたいとでも考えてんのか? 言っとくが、昔の俺らに封印された程度の魔王じゃあ、それは無理な話だぞ」

「そんなこと考えてないさ。邪魔しないのならば、誓ってお前たちに迷惑をかけるような真似はしない」

「今の状況がすでに迷惑だっつーの」

憮然としながら、フレイは腰に携えた剣の柄に手を添える。今まで緩んでいた空気がピンと張り詰めていく。

なんか僕たち、いつの間にやら蚊帳の外だね……、とクリスは呑気な頭で考える。

「どっちにしろ、引いてくれないんなら俺らとしても止めるしかねぇんだよね。一応、そういう立場だからさ」

ガイアも臨戦態勢になる。ポケットに手を入れてやる気のないポーズながらも、渦巻く魔力と彼の元に集っている精霊の数は半端ではない。

「……致し方ない。精霊王を敵に回すのは本意ではないのだが……私にも引くに引けない理由がある」

ザインの方も負けてはいない。単純な戦闘力だけなら、精霊王にも匹敵するほどの高位魔族なのだ。彼が本気になっていれば、クリスたちはとっくにこの世から消えている。

「クリスとそっちの逝ってるやつ。怪我するから離れとけ」

ガイアは忠告しつつ、クリスたちを縛っている縄を切る。クリスは慌てて、未だ走馬灯を脳内で上映中のアランを引っ張って、封印の間の端のほうへ行くのだった。

 

 

 

 

 

 

なんていうのか、それはクリスが今までに見たことのないレベルの戦いだった。

ついさっき正気に戻ったアランも目を丸くしてみている。

「オラァ!」

さっきから大きな掛け声と共に剣を振り回しているフレイとかいう精霊王。剣技のレベルだけなら、アレンとどっこいどっこいだろうか。だが、時折混ぜられる炎の魔法のレベルは、火精霊魔法の得意なアランをして『あんなのゼッテェ無理』と言わしめるものだった。

そして、ガイア

洞窟という、地精霊にとって有利なフィールドだということもあって、その活躍には目を見張る。ガイアが少し指を動かすだけで周囲の岩盤は彼の味方となり、その身を鋭く尖らせて敵へと殺到する。あんなごつい魔力の込められた石槍に貫かれたら、悪魔だって一気に昇天するだろう。

「こらっ、フレイ! そっちに動くんじゃねぇ!」

「うるせー! てめぇは黙って俺の援護してろ!」

二人の連携も完璧。お互いに罵り合いながらも的確に敵を追い詰めていく。

だが、本当にすごいのはザインの方だった。なにせ、この二人を相手にして未だ生き残っている。

無傷ではない。つい先程、左腕を消し炭にされたし、石槍の一つにわき腹を抉られている。それでも、その両目は冷静に戦局を見据え、勝利のチャンスを虎視眈々と探っている。

「お、おい、クリス。もっと離れた方がよくないか? ここ、広いけど全部戦場にする勢いだぞ、あいつら」

「まぁ、確かに……。ライルたち来てるみたいだし、洞窟引き返そう。ここにいたらすぐ巻き込まれそうだ」

だが、出口は封印の鉄柱を挟んで向こう側だ。なんで僕こっちに逃げたんだ、と数分前の自分を殴り倒したくなる。

「と、とりあえずあの封印のトコまで行こう。あそこなら、まだ安全だ」

「……だな」

ガイアとフレイも、そしてザインの方も、封印の場所からはあえて離れている。

物理的に破壊してしまっては、もしかしたら封印が解けるかもしれない。だが、逆に術式が捻じ曲がって解くのが大変になるかもしれない。そういうことだろう。

時折近くに着弾する火球やら火球やらついでに火球やらがクリスとアランの髪の毛を軽く焦がし、二人の背筋に冷たいものが流れるがなんとか安全地帯と思しき封印の場所まで来る。

と、思ったらまた火球がすぐ近くに着弾した。

ここまでの状況から、クリスは一つの推論を立てた。よもや、あのフレイとか言う人。戦いに夢中で僕らが見えていないんじゃあるまいな。

「ちっ、てめぇ避けるな!」

「ふむ……」

フレイの攻撃をぎりぎりでかわしつつ、ザインは横目でちらりとクリスたちのいる場所を確認する。

「余所見してる暇あんのかてめぇ!?」

その様子にますますヒートアップするフレイ。剣を振りまくり、あたりに炎を撒き散らす。後ろから援護しているガイアが見かねて声を上げた。

「おい、フレイ! あんま熱くなんな。そっちにはクリスたちが……」

「剣の腕は未熟だな、フレイ・サンブレスト。そんな半端な剣術を使うくらいならば、得意の火だけを使った方が万倍マシなのではないか?」

ブチリ、とフレイの切れてはいけない何かが切れる音がする。

確かにザインの言うとおり、フレイは火の精霊王であるからして、剣より火の精霊魔法が得意である。なのだが、フレイは剣にこだわっていた。悲しいかな、才能に恵まれておらず、何百年と修行しても達人ではあっても超人の域には達していない。フレイ自身、これ以上の技術の向上は、難しいと思っている。

しかし、少なくとも彼が一方的にライバル視している元勇者に剣で一泡吹かせるまではやめてたまるかと、息巻いているのだ。ここだけの話、その元勇者とやらに勝つまで、惚れている水の精霊王に思いを告げないと誓いまで立てているらしいのだ。

そんなわけだから、自分の腕を馬鹿にされたらキレた。もう、完膚なきまでに。既に目の前の敵しか見えていない。

「……んなら、お望みどおりコイツをくれてやる!」

怒りに狂ったフレイは、超巨大な火球を頭上に作り上げる。

それは、生命を持っているかのように躍動し、徐々に形を変え……遂には龍の形をとってその巨大な顎を開いてみせる。

「『ドラゴニック・フレイム!』」

フレイの叫びと共に、ザインを飲み込まんと炎の龍は飛翔した。

迫り繰るドラゴン。当たれば、ただでは済まないだろう。ザインほどの魔族とて、これだけの威力の魔法をまともに喰らえば即死は免れない。

だから、ひょい、と横に避けた。

「……え?」

その呟きは誰のものだったか。目標を失った龍は一直線に魔王が封印されている場所……つまりは、クリスとアランのいる場所に一直線。

唐突過ぎる出来事に、二人とも固まってしまって逃げるという意識がない。ガイアもフォローできる位置にはいない。

二人は思った“ああ、こりゃ死んだな”と。

そう思ってしまうと不思議なもので、いつも感じている精霊の力がより強く感じられた。

防衛本能からかそれとも『できる』と本能的に察したのか、二人は意識せず、自然と目の前の精霊の力を消滅させようと意識を集中させる。

炎の龍はクリスたちに近付くごとに小さくなっていき、二人の下にたどり着く頃には完全に消滅していた。

ザイン以外の全員が、目を丸くしている。

と、そこで聡明なガイアの頭が、一つの疑問を提示した。今、あいつらは何をした? 答え、“精霊の力を霧散”させた。どこで? 精霊の力で張られている封印結界の前で。

「……マズッ! お前らそこから離れろ!」

ガイアの叫びとほぼ同時に、封印の鉄柱が全て粉々に砕け散り、それを頂点とする魔法陣が消し飛んだ。

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