「……さて、と」

目が覚めたライルは、寝袋からごそごそと這い出て、上りつつある朝日を見やった。

周りには、同じく寝袋がいくつか。

ルナやガーランドを始めとした冒険パーティの面々と……ベル。

結局、例の主神とやらの裁断によって、ベルはこれ以上神さまたちから追いかけられることはなくなった。

記憶を取り戻したレギンレイヴは、そういうことならとベルを傍に置きたがったが、当の本人は力なく笑って首を振り、

『わたしは、人のために生まれました』

そんなことを言った。

ベルの知識は高度なものは封印されたが、現在の水準並みの知識はまだ自由に発揮できる。

それらは、十分に人間界に益をもたらすものだ。

『そうか』

そんな意識を汲み、レギンレイヴはうなずいた。どこかでその返答を予想していたのか、それは妙に納得したような態度だったように思う。

まあ、予測くらいできたんだろう。なにせ、ベルを作ったのは彼だ。

とはいえ、人間界に何の伝手もないことに変わりはなく、その知識を発揮しようにも、彼女にはその場がない。

当初の予定通り、ライルが連れ歩こうと提案した時、未知の技術の獲得に失敗しふてくされていたルナがあさっての方向を向きながら言った。

『……アレンとクリスんとこに放り込めばいいじゃん』

実に適切な場所である。

ベルは、本人が言うところには、魔法関係以外にも政治、経済、土木建築その他諸々の知識を蔵している。

王の補佐として、これ以上有能な人材もなかなかいない。なるほど、と手を打ったアレンも、これで楽できるとホクホク顔だった。

きっと、アルヴィニア王国は彼女を得て、ますます発展するだろう。めでたしめでたし。

「……で、終わるといいね、アレン」

ライルは親友の一人に眼を向け、哀れむように言った。

アレンは、城にお嫁さんを置いたままである。

ここで、新しい女の子なんぞ連れ帰ったら……連れてきた理由などまったく無視して、フィレアの怒りが爆発することは想像に難くない。

いつものことながら、ご愁傷様である。

「なんで手を合わせているんだ?」

ライルがアレンに向けて南無南無していると、寝袋の一つが起き上がった。

「ガーランドさん。おはようございます」

むくり、と起き出したガーランドは、まだ寝たりないのか欠伸を噛み殺した。

「おはよう。……しかし、習慣ってのは恐ろしいな。昼ごろまで目が覚めないんじゃないか、って思ってたのに」

「ええ。僕も体は疲れているんですけど、目がさえちゃって」

はは、と力なく二人は笑いあう。

冒険者というのも因果な商売だ。

「さって、よく寝てるところ悪いけど、ほかの連中も早めに起こして帰らないとな」

「? なんでそんな急ぐんです」

「あのなぁ」

ガーランドはため息をついた。

彼がこういう仕草をするときは、なんらかの説教が始まる印だ。まだまだ冒険者としては新米のライルに、ガーランドはこうやって色々と教えてくれる。

「彼女みたいな厄介ごとの種を持ち帰った、となればどうなると思う?」

「……すごい騒ぎになるでしょうね」

「そうだ。アレン王子やクリス王子が引き取ってくれるらしいから、居場所は問題ない。が、もし彼女の正体がバレた場合、心無い魔法使いに誘拐される可能性もある。それ以前に、どこかの国の研究対象にされるかもしれない」

「……そうですね」

ライルは心の底から同意した。

なにせ、ガーランドの言う心無い魔法使いの典型が自分のすぐ傍にいる。ガーランドも同じくだ。

まあ、ルナやリーザは、ベルの脳みその封印を解くのが、自分では不可能と完全に理解しているので(なにせ、寝る前散々試した)もはやそういった心配はない。

「だから、早めに帰るのさ。今回の依頼が期限付きで、しかも帰り道に妙な物品を持ち帰ってないかチェックされるだろう?」

「はい」

封印都市の名は伊達ではない。都市を囲む形でぐるりと展開している検問の厳しさは、国を超えるときより厳しい。

そこでのチェックで本の一冊でも持ち帰っていたら、よくて終身刑。悪ければ……考えたくはない。

「迂回する……わけにもいかないから、誤魔化すなり隠すなりで、一番いいのは午前中だ。連中が一番気を張ってるのは夜だからな。午前は、少し警戒が緩む」

「は、はあ」

言われてみればなるほど、と思えるのだが、よくもまあそこまで気がつくものだ。

そういえば、ライルはベルを連れ出すやり方をさっぱり考えていなかった。

やはり、こういうときはベテランの言葉が頼りになる。

「ま、具体的な方法は本人の知識に任せよう。それより、まずは腹ごしらえだな」

「こ、ここまで言ってそれですか」

「なんだよ。物理的な障害ならまだしも、俺は監視隊の封鎖結界を抜く方法なんてわからないぞ」

「……そりゃ、僕だって無理ですけどね」

多分、そういう細かいことが苦手なルナやリーザも同じだろう。

抜けるだけなら可能だろうが、バレずにというのは無理だ。

「おーい、ライル。もう干し肉とか使っちゃっていいよな?」

「いいんじゃないですか。どうせ、これからは帰るだけでしょ? 天気もいいみたいですし」

「んじゃ、こいつ炙っとくわ」

「僕は、そこらで食べられそうな草でも探してきます」

冒険中の食事など質素なものだ。一応、非常食でもある干し肉があるから、まだマシなほう。

ちなみに、コレが原因でルナが長期にわたる冒険に出られないというのは、まあ余談である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……また、あっさりいったね」

現在、正午過ぎ。

検問を無事抜けたライルたちは、ベルのことを驚きの目で見ていた。

「なかなかよく出来た結界でしたが、わたしからすればまだまだ……。それに、グローランスの地下からでも、都市を覆う結界くらいは観察できましたから」

重要地域ゆえ、最新技術の粋を集めて張られたはずの結界をあっさり抜けた小さい子は、こともなげに言う。

「むう……やるわね」

「攻撃魔法では、貴女方の方が上でしょう。こういう細かいことならば、生来魔法に対して鋭い感覚を持つホムンクルスの方が有利というだけです」

ルナの感嘆の声にも、ベルは驕ることはない。

彼女にとっては当然のことなのだろう。

そうして、一向は歩き出す。

行きと違い、今回は別段急ぐ旅でもない。ゆっくりと景色を楽しむようにして歩いた。

特に、日ごろ姉たちに虐げられているアレンとクリスは、もう思う存分この自由を謳歌する勢いだ。帰った後のことは考えない方向で。むしろ、このまま冒険を続けるのもいいかなぁ、なんて不届きなことを考えていたりする。

「……ライルさん」

一人、一番後ろに陣取っていたライルに、ベルが近づいてきた。

「なに? ベル」

「その、ありがとうございました。色々と」

「……いや、別に僕、何もしていないと思うんだけど」

ライルがしたことといえば、わざわざベルの居場所を見つけて彼女を永遠の生から抜けさせ、あとは少々レギンレイヴの相手をした程度だ。

ほとんどのことは、主神が決めてしまった。むしろ、礼を言うならば、そのように神に対して借りを作ったガーランドたちのように思える。

正直、そのくらいで感謝してもらっては、ライルとしても困ってしまった。

「そんなことはありません」

しかし、そんなライルの心情とは裏腹に、ベルは笑って首を振った。

「貴方のおかげで、わたしはこうして外の空気を吸い、陽の光を浴び、笑っていられるのです。そんなことを言わないでください」

「……まあいいけどさ」

本人がそういうならば、そうなのだろう。

その喜びに、わざわざ水を差すこともない。

……ただ、ライルは、この機会にどうしても聞いておきたいことがあった。

「……その、ベル? こんなこと、聞いていいのかどうかわからないけど」

「水臭い。どのような説明をお求めですか? わたしが、十全にお答えしましょう」

質問という行為に、ベルの瞳がキラキラする。

説明したくてうずうずしている様子だ。

そんなベルをみて、ライルはやはり、と思う。

「その……ベルの役目は、自分の知識を広めることだったよね?」

「少し違います。資格ある人に、必要な知識を与え、そして全ての知識を継いでいくことですね」

「どっちでもいいけど……」

「良くはありません。そんな、誰彼かまわず教えたがるように思われてはとても心外です」

ぷりぷり怒り始めるベルに、わかったわかったとライルは適当に答え、尋ねた。

「それが、出来なくなってしまったわけなんだけど……ベルは、どう思っているの?」

初めて出会ってから、まだ丸一日と過ぎてはいない。

しかし、その短い間でも、ベルが自分の使命をどれほど大切に思ってきたか位は、ライルにもわかっていた。

それを神から、命を守るためとはいえ放棄させられて、ベルはどう思っているのだろうか。

ベルのこれからになんら影響を与えない、好奇心に過ぎない質問だとは思っていても、ライルは尋ねざるを得なかった。

「そうですね……やはり、残念な気持ちはあります」

「じゃあ」

やはり、これからは自分の頭の封印を解くために生きていくのだろうか。

いかに主神が無理とは言っても、そのくらいで諦めるほど安い決意ではなかったはずだ。

「……いえ。多分、ライルさんの考えていることとは違う生き方をすると思います」

「え?」

ベルは苦笑した。

「レギンレイヴ博士、言っていました。これからは、わたしの生きたいように生きろって」

「……そう、なんだ」

「もちろん、わたしに頭に刻まれたコマンドを覆す理由にはなりません。でも、現実としてそのコマンドは実行不可能。……ならば、やりたいことをやってみるのも一興だと思います」

初めに見せていた機械的な笑みとは違う、確かにベルは彼女自身の微笑みを浮かべていた。

それを見て、ライルは安心する。

きっと、彼女はうまくやっていくのだろう。もしかしたら、アレンの秘書的なポストに作らしいし、彼の三番目の妃になるのかもしれない。

などと、ライルが想像をたくましくしたのがバレたのか、ベルはなにやら不機嫌そうな顔になった。

「……ライルさん? 理由はわかりませんが、なにやら貴方が非常に不快な想像をしているような気がするんですが」

「え? き、気のせいだよ、気のせい」

ライルは慌てて首を振る。

が、ベルは話してくれない。

「気のせい? わたしの予感を気のせいだと断じますか。ならば説明しますが、魔法使いの勘というのは、ただの虫の知らせなどとは一線を画すものです。特に、わたしは非常にあいまいなものですが未来予知の能力もありますし、占いにも通じています。その場の空気、言動、果ては気候の類まで勘案して、貴方が不埒なことを考えていると判断しました。具体的に申し上げるなら……」

「い、いや、いいよ。僕が悪かった……」

ライルは降参とばかりに手を上げる。

この子は、僕が心配する必要など、微塵もなかったようだ。と理解を新たにしながら。

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