ちりちりと、大気が焦げ付く匂いがする。

ルナの放った『クリムゾンフレア』の余波だ。一番近くにいたリーザは、それをもろに受け、怒りの声を上げる。

「ル〜ナ〜〜〜〜!!」

何故怒っているのかわからないルナは、油断なくレギンレイヴのいるであろう方向を見据えながら尋ねた。

「あによ? どうかした?」

「髪の毛!」

見ると、確かにリーザの自慢の金髪の一部が焦げてしまっていた。焦げたとは言っても、前髪の、ごく先端のみだが。

しかし、乙女的には許せないらしい。

「切りゃあいいじゃない」

「そういう問題じゃないでしょ!」

偉大なる先人の言うとおり、髪の毛は乙女の命である。ことに腰まで伸ばした見事なストレートを持つリーザのそれは、同じ重量の金より価値があるとリーザ本人は固く信じている。

当然のようにルナへの抗議は続いた。

「ルナみたいに手入れサボってるわけじゃないんだからね。も〜、ガーちゃんも文句言ってあげてっ!」

「黙れ」

リーザが隣にやって来たガーランドに向けて言うと、問答無用で拳骨が彼女に下された。

痛い〜、と頭を押さえるリーザ。

その彼女以上の頭痛を感じつつ、ガーランドはなんでこんなこと言わなきゃいけないんだろうなぁ、と諦観しつつ説教を始めた。

「いいか、リーザ。俺たちは今戦闘中だ」

「うん」

「しかるに、たかが髪の毛のことくらいでぎゃーぎゃー言っている場合じゃないことはわかるな?」

「『たかが!?』」

「反応するんじゃない」

再び拳骨。

なんなんでしょう、この緊張感のない方たちは、と縋るような目でベルがライルのほうを見る。

ライルとしては、その視線から逃れるしかない。

緊張感のない筆頭が、自身の相棒だからだ。

「さってっと。いくらなんでも、これで死ぬほどヤワじゃないでしょうけど……」

ガーランドがリーザの相手をしてくれるおかげで、やっとルナは自分の戦果を観察することができるようになった。

なにせ、自慢の最強魔法である。消滅とまではいかずとも、半身が吹っ飛んでいてもおかしくない……という、ルナの予想は、脆くも崩れ去った。

「ふむ……『クリムゾン・フレア』を使いこなす魔法使いがいたとはな。これは、開発した当時ですら、使用できるものは十人といなかったのだが」

煙が晴れると、完全に無傷のレギンレイヴがいた。

それ以前の魔法で食らった煤を、うっとおしげに払っている。

「ん、んなバカな……」

「ルナ、さんと言いましたね? 貴女の使った『クリムゾン・フレア』は、もともとレギンレイヴ博士が作ったものです。強力な魔法ですが、術式の弱点など、彼は知り尽くしています」

「げっ、なんつーインチキ」

ベルの言葉に、ルナが渋い顔になる。

魔法の構造を理解する。言葉だけなら簡単だが、どんな初歩の魔法でもその実践は困難を極める。

たとえば、ねじを巻くだけでトコトコ歩くというカラクリ人形。ねじを巻くだけなら誰でもできるが、それを分解したり一から作ったりすることは、常人では不可能だ。

レギンレイヴがやっているのは、そういうことである。

「でも……博士」

「ああ、ベル。本当に、久しいな」

改めて、レギンレイヴが言う。

些細な、ほんの些細な変化だが、彼は『ベル』と言った。

「……すべて思い出したんですね。そうでもなければ、魔法の構築術式まで記憶に残っているはずがありません」

「昔の知り合いに会うというのは、存外に記憶を刺激するものらしい」

レギンレイヴは、そう言って、穏やかな笑みを浮かべる。

それまでとは決定的に異なる表情に、ライルはほっと胸を撫で下ろした。

「よ、よかった。それならもう戦わなくても……」

「なにを勘違いしている?」

レギンレイヴは、ライルたちに新たに作り出した光の剣を突きつけた。

「それとこれとは、話が別だ。過去ならばともかく、今やベルの存在が神族や人間にとって害悪であることは変わりない。創造主としての責任を持って、斬る」

「なっ」

ライルは絶句した。

反面、ベルは半ば予想していたようで、諦めたようにため息をつく。

「もしかしたら、とは思っていました」

「なにがだ?」

独り言のようなベルの呟きに、レギンレイヴは問うた。

「もし仮に、レギンレイヴ博士がすべてを覚えていたとしても――多分、今の世界の情勢を考えるに、やはり殺すだろうな、と」

「正しい推測だ。お前という知性を持つ器に知識を詰め込んだのは、机上の情報から新たな情報をそのように生み出すためでもある。製造者としては喜ばしいよ」

「しかし、いかに博士とは言え、大人しく機能を停止させられるわけには行きません。自己保存は、わたしの最上位命令ですから」

「そうだ。そして、その命令(コマンド)は上書きできない。そのように、私が作った」

もはや語るべきことはないとばかりに、レギンレイヴの光剣が輝きを増す。

「せめて、一撃で葬ってやろう」

「やらせない、っつってんでしょ!!」

レギンレイヴが飛び掛ろうとした矢先、ルナが二人の間に割って入った。二人の空気に入りづらい物を感じていたライルも一緒に引っ張ってきている。

「どけ」

「どいて欲しけりゃ、このライルを斬り殺してからにしなさい」

「ちょっ!? ええっ!?」

ずい、と前に追いやられて、『聞いてないよっ』とライルが叫ぶ。

あんた男でしょ、と背中を蹴られた。

男女差別反対、とさらに叫ぼうかとライルは思ったが、さらにキツく蹴られそうなので自重した。

「ついでにガーちゃんもおまけに付けようっ!」

「俺はおまけかよっ!?」

そして、リーザがルナに遅れをとらぬよう、脇にいたガーランドに体当たりを食らわせ、ライルの隣に追いやる。

「いよっ、二人とも男前っ」

「お前はちょっと黙ってろっ!」

茶々を入れてくるシルフィに、ライルは怒鳴った。

「二度も後ろを抜かせるわけにはいかないぞ」

「ですね。ガーランドさん。またやったりしたら、ルナにどやされそうです」

ピリピリとした緊張感が走る。

いくらトボけているように見えても、いざ始まると、全員が立派な戦士だった。

レギンレイヴの光剣の光が、さらに強くなる。おそらく、レギンレイヴの最大出力なのだろう。

それに対抗するため、ライルとガーランドも気を練り上げ、ルナとリーザの後衛組もいつでも魔法を放てるよう準備を始めた。

胃が痛くなりそうな、そんな空気を破ったのはどちらだったか。

数秒の後、両者は同時に駆け出し、

「ちょぉっと待ったぁっっ!!!」

衝突する寸前、飛び込んできた影がそれらの攻撃を防いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……クリス?」

「アレン、か?」

側面から仕掛けようとしたライルの攻撃をクリスが止め、真っ直ぐ行ってぶちかまそうとしてたガーランドをアレンが体を張って止めていた。

さらに、レギンレイヴまでも老人――これはライルは誰だか知らなかった――ーに光の剣を鷲掴みにされ、止められていた。

「……んなっ!?」

後ろで、シルフィが驚愕の声を上げていた。

いつも余裕ぶっている(糖分欠乏時と年のことを言われた場合を除く)シルフィにしては珍しい。

「レギンレイヴ、剣を引け」

「……何故?」

その問いは、剣を引けと言われたことに対してではない。

「何故、貴方様が地上にいるのですかっ」

「そうよ。なに? 今日はこの星最後の日かなんか!?」

レギンレイヴとシルフィがその老人に詰め寄る。シルフィなど、いまだかつて見たことのないほどの真剣さだ。

『主神!!』

その単語に、ライルの頭はスパークした。

――主神。神々の中の最高位。

記録上、主神と呼ばれる者が『降臨』したのは、500年前の勇者ルーファスと魔王の戦いのときのみだ。それ以外は、それこそ神話と呼ばれる時代に数度あるだけ。

その位は、シルフィたち精霊王をも凌ぎ――要するに、全世界で一番エライ人なのである。

こんな頭の悪い結論しか出ない自分の頭に、ライルが苦悩していると、かの主神様がここに来た理由を語り始めた。

「何故、と言われてもな。孫の命の恩人からのたっての願いだ。聞かざるを得ないだろう?」

「……孫?」

「カレラという。君の事をよく気にかけているぞ、ガーランドくん」

その名は、ガーランドたちが以前助けた神族の名だ。

ガーランドの顔が、ありえないほど埴輪になる。彼の心情は、一言で言えば『聞いてないっ』というところだろうか。

「すすすす、スルト、さん?」

一緒に現れていたスルトに、助けを求めるかのようにガーランドは視線をやる。

彼は彼で相当ビビった後らしく、苦い顔で頭をぐしゃぐしゃした。

「……いや、前助けた恩を吹っかけて、カレラにそこのおっさんを止めてもらおうと思ったんだがな。大地の精霊王さんに仲介してもらって」

俺らじゃ神界に繋ぎなんてとれなかったしな、とスルトは言い、

「そ、そそれでですね。そういうことならって、そこの方が、その出張ってくれたんです」

ネルが後に続けて補足した。

「出張って、って……ちょっと、主神? あーた、自分の立場っつーのを自覚してんの?」

「シルフィリアか。相変わらずお前はやかましいな。それと、人間界で放蕩三昧の貴様に言われたくはない」

「あんたねぇ!?」

「ことは人間界、神界両方に大きな影響を与える。そういうことなら、私も出るさ」

言って、主神はレギンレイヴに歩み寄った。

「と、いうわけだ。悪いが、私個人の事情で、この件はなるべく穏便に済ませたい」

「……しかし、ベル――祝福の鐘を放置するのは危険です。それはわかっていると思いますが」

「わかっているさ。だからこそ、私が来たのだ」

主神がベルに歩み寄る。

あまりにも自然な動きなので、ライルは止めに入ることもできなかった。

「な、なにをっ!?」

そして、彼がベルに手をかざすのを見て、あわてて走った。

このまま殺されたら、後悔してもしきれない。

「慌てるな。シルフィリアの契約者よ」

主神が指を向けると、ライルはそこで金縛りにあう。

「ぐっ、がっ!?」

「別に乱暴なことをしようというわけではない。まあ見ておけ」

主神が短く呪文を唱える。

すると、光がベルの頭部を包み、吸い込まれるようにして消えていった。

「……これでいい」

「なにをしたわけ?」

シルフィが言い、それに追いすがるようにルナが主神に詰め寄った。

「そうよっ、ちょっとおっさん、あんた私の研究対象に……もがもがっ!?」

主神に次ぐ位であるシルフィならばまだしも、ルナの文字通り神をも恐れぬ発言に、ライルとガーランドは慌てて彼女の口をふさいだ。

「なに、ちょっとした呪いだよ。命に影響のあるものではない」

「呪いぃ?」

「そう。彼女が彼女の持つ知識を使うのは彼女自身のために限られる。他人には現在の技術水準以上の知識はいかなる方法でも伝えられない。そういう呪いだ」

「……また、都合のいい」

呆れたように首を振るシルフィ。

レギンレイヴは、それでも納得がいかないらしく、主神を問いただした。

「しかし、ベルが蔵している知識は、かの古代王国の全てです。いずれは解呪してしまうでしょう」

「不可能だな」

こともなげに、主神は言い放った。

「別に呪いの式自体はシンプルなものだ。しかし、込めた魔力が違う。この呪いを解呪しようとするならば、少なくとも精霊王並みの魔力が必要だ。魔力自体は集められたとしても、それだけの規模の魔力を運用できる人間など――ほとんどいない」

主神は最後に少し考えて、そう言った。

つまり力技で解くしかないのだが、その力を使うのは人間とかには不可能というわけだ。

「な、なるほど……」

「祝福の鐘。君の使命はこれで遂行不可能だ。悪いがね。君は、君自身の目的を見つけたまえ」

最後に主神は別にそう言って、離れた。

「……最後に神様が現れて、全部すっきり終わらせる、か。デウス・エクス・マキナかってーの」

デウス・エクス・マキナとは機械仕掛けの神を意味する。演劇で、もつれ合った状況を解決する絶対的な力を持つ神だ。

シルフィは、皮肉を込めて言う。

しかし、仮にも神々の王は、その程度で怒るほど狭量ではない。

「なに、生身の神も、なかなかやるもんだろう?」

そう言って、主神は得意げに笑った。

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