「う、う〜〜ん」

まだまだ睡眠を欲している体を、無理やり起こす。毎朝の儀式だ。低血圧というやつなのか、彼女の寝起きは相当悪い。もぞもぞと体を動かして、気合を入れること五分。やっと起き上がったのは、しょぼしょぼの目とぼさぼさ髪の光の精霊王。

名をソフィア・アークライトといった。

 

第30話「ある日のソフィア」

 

いつもスローなソフィアだが、寝起きは特にその傾向が強い。ゆったりと朝食をもぐもぐして、頭をふらふらさせながら歯磨きと洗顔。顔を洗って少しはしゃっきりとしたかと思いきや、制服を裏返しに着たり、つけているリボンをハチマキのように額に巻いてしてしまうという始末。

それでも、なんとか悪戦苦闘しながら身支度を整えると、すでに、急がないと遅刻するような時間帯になっていた。

「ふあぁ……急がないと……」

ちっとも急いでいない風な様子でそう言うと、のっそりカバンを手にとって歩き出す。

ちなみに、昨晩のうちに時間割は合わせておいた。……寝起きにやると十中八九忘れ物をするから。

寮の一室から出ると、同時くらいに隣の部屋の扉ががちゃ、と開いた。

「あ、ソフィア。おはよ!」

髪を短く切りそろえた元気いっぱいの少女。名前はセシル。別のクラスの人だが、部屋が隣同士なのと、二人とも遅刻常習犯なので仲がいい。

「また、ぼーっとしてるね。ほらほら、急がないとまた遅刻だよ!」

「はぁーい。ちょっと待ってください。鍵をかけなきゃ」

のろのろした動作で鍵をかける。あまりにもじれったいので、セシルはソフィアから鍵を強奪し、ぱぱっと鍵をかけて、ソフィアの手をとってダッシュをかけた。

「あ、あの〜。セシルさん?」

「あー、もう! ぎゃーぎゃー言うな! 私はそろそろ呼び出しくらっちゃうんだから!」

それなのに、ソフィアに付き合う彼女も律儀な人である。

女子寮を出ると、いきなり男子寮の窓から飛び降りる人が見えた。

「はえ!?」

セシルは驚く。たいして、ソフィアはそれが誰だかすぐわかったので、いつものぼけーっとした声で挨拶した。

「あー、ルーファスちゃーん。おはよーございまーす。寝坊ですか?_」

そのルーファスはくるりと一回転すると、地面に着地。彼の部屋は三階だというのに、着地音すらしない(ちなみに、魔法などを使っているわけではない)

「ん? ああ。ちょっとな。で、そっちの子は……セシルさん、だっけ?」

いたってのんびりした様子で、二人と平行に走り出すルーファス。

「そ、そうだけど! あなた、なんでついてこれるのよ!」

セシルは陸上部。しかも、世界大会において8位(100m)というなかなかの猛者である。そこら辺の男子に、短距離で負けるつもりはなかったのだが……。

ちなみに、ソフィアも普通についていっているのだが、それは彼女の目には入らなかったらしい。

「それより……門が閉まりかけている」

見てみると、確かに教師が門を閉めかけていた。

「! うぉぉぉ! ラストスパートォ!」

セシルが最後の力を振り絞ってスピードを上げる。

「ぎ、ぎりぎりセーフ!」

なんとか間に合った。セシルとソフィアが入ると同時に門が閉じられた。

「ルーファス君は残念だったね」

今日だけの戦友に、軽く黙祷を捧げると、次の関門(教師より早く教室に到着する)に向かう。

「誰が残念だって?」

「うわぉ!?」

「あ、ルーファスちゃん。どうやって突破したんですか?」

いつの間にやらルーファスが隣を走っていた。

「飛び越えた」

「なるほど〜。あいかわらず、無茶しますね」

「そうか?」

本気でわかってないあたり、末期的だ。

「お、うちのクラスの窓開いているな」

ぽつりと、つぶやくルーファス。

「じゃ、ルーファスちゃん。つれてってください」

「は?あんたたち、なにを……」

さっぱりわからないセシルを置いて、二人の会話が続く。

「はぁ? 自分でやれよ」

「だって、私はスカートですし」

「……見るやつなんぞ、いないぞ」

「いやです」

「じゃ、普通に階段上れよ」

「遅れちゃいます」

「……別にいいだろ」

「えー、いーじゃないですか! 連れてってくれないと、今日の仕事は十倍増しです!」

はぁ、とルーファスは深いため息をつく。

「俺がやる必要はないはずなんだがな……」

むー、と睨まれる。

「……わかったよ」

ひょい、とソフィアを抱き上げる。……所謂、お姫様抱っこというやつだ。長い付き合いなので、こーゆーのはあんまり気にならないらしい。

「『ハイジャンプ』」

そして、三階にある教室まで飛ぶ。

唖然と見送るセシル。

……余談だが、彼女はこのあと、見事に遅刻したらしい。

 

 

 

さて、授業である。

一時間目は魔法学。要するに、魔法に関する知識、その他の講義である。

「あ〜、要するに黒魔法の発動にはだな……」

今回の話の主人公、ソフィアさんはというと、見事なまでに聞いていない。まあ、正味700年を生きており、魔法に関しては古代語魔法が栄えていた時代からみっちりと知識を詰め込んだ彼女に魔法の授業など、釈迦に説法もいいところだが。

(マスター、忘れてないと思いますけど、今日は私の仕事を手伝う日ですよ〜)

(……時々、なんで俺はお前と契約しているのか、悩むことがある)

無理に断ろうとするのは無駄だと、彼は悟っている(悟りたくなかったらしいが)ので、いまさら拒否したりはしない。

(おい、リア。お前からも何か言ってやれ)

ちなみに、授業中はこの三人、ほぼずっと話していたりする。言うなれば、チャット状態だ。

(まあ、約束ですから)

(って、おい!)

(ですよねー)

いまだに月、木はリア。火、金はソフィア。水、土はサレナ。日曜日は交代制、という日割りが続いている。そろそろ、この一週間のスケジュールにリリスが割り込んできそうな予感だ。

(今日は、いつもより多いらしいですよ、仕事)

(がんばってくださいね)

リアの励ましに、もりもりとやる気が薄れていくルーファス。

「こら。なにをぼーっとしているのかね、ソフィア・アークライト君!?」

とかなんとか、話していたら、いきなり名指し。

「君は普段から、授業を聞いていないことが多いじゃないか。ちょっと、前に出て、この状況で予想されるファイヤーボールの消費魔法力をレイカット法を用いて表してみろ。もちろん、魔力場並列影響における事象変動も考慮に入れろよ」

呼ばれて、ソフィアは前に出た。そして、黒板の前で立ち尽くす。

「やはりできないか。ちゃんと授業を聞いていないからだ。聞いていたら、この程度の問題、できるはずだぞ」

(((いえ、できません)))

そのとき、クラスの全員がそう思った。

こんな問題、実用性がまったくない上に大学でもそっち専門の人しかやらないような超難しい問題だ。

しかし、さっきも言ったように……ソフィアに、魔法のことを尋ねるのは、釈迦に説法なのである。しばらく、頭の中で計算した後、かっかと、軽快にチョークを滑らせる。

最後に、答えを書いて、

「できましたけど」

くるりと振り向いた。

魔法学教師は口をぱくぱくさせながら、だらだらと汗を流す。ちなみに、彼はこの問題を解くのに、二時間かかった。しかも、途中式は見事なまでに完璧だ。

「せ、正解です……。い、いちおう、基礎は身についているようですね」

自分の敗北を認めない。認めようとしない。まあ、良くも悪くも、これが大人である。

「はい」

それになんの関心も持たず、ソフィアは席に着いた。と、同時に、チャットに入る(おい)。

(はぁ。いきなり当てられてびっくりしました)

(でも、あーんなに難しいの、よく解けましたねえ)

(そーですか?)

(そーですよ)

(そーなんですかぁ)

(そうなんです)

(……お前ら、俺が止めないとずっとそれやってるつもりか?)

ソフィアの(いつもといえば、いつもの)授業はこんな風に過ぎていった。

 

 

 

そして、昼休み。

昼休み、ルーファスはリアの作った弁当を食べる。ソフィアは、低血圧のせいで、そーゆーことはできない。明日こそは早起きして、マスターにお弁当を作ってあげるんだ〜、と毎日健気に決心するも、朝のぼーっとした頭ではちょっと無理な相談である。

なので、「きょ、今日はリアさんに譲ってあげます!」と、昼休みは友達と食堂で食べることが日課であった。

「あ〜、ソフィア。食堂いこ〜〜」

「……セシルさん。はい……」

また今日も、マスターはうれしそうな様子で(あくまで、ソフィアから見て)、クラスの男の子たちの暖かい視線に見守られながら(ソフィアから見て)リアさんと一緒に、うきうきと中庭に向かっている(しつこいようだが、ソフィアから見て)。

さて、ルーファスはというと……億劫な様子で、クラスの男子の敵意のこもった視線を背中に受けながら、リアと一緒に、重い足取りで中庭に向かっている。

弁当自体はありがたいのだが「はい、あーんしてください」とかされそうになったり、その逆もやってとごねられたり、さらには背後から襲撃があるので、ルーファスはあんまり気が進まないのだ。

それにしても……

ぜんぜん違うよ、ソフィアさん。

 

 

 

「で、ソフィア。あんた、なににするの?」

「えーと……スープとパンだけでいいです」

「相変わらず、小食ね。もっと食べないと、成長しないわよ」

ちなみに、ソフィアは680年ほど前に、成長(老化)は止まっている。

「じゃ、席とっといてね」

「了解しましたです」

ソフィアは、食堂の戦争のような人の群れに飛び込んだら、間違いなく流されて行方不明になるので、もっぱら席とり係であった。

まだ注文中の生徒が多いので、容易に席は確保できる。

「おまた〜」

しばらく待っていると、トレイに二人分の昼食を乗せてセシルが帰ってきた。

「あ、どーも」

「じゃ、食べよーか」

セシルのメニューは、カツどん大盛りプラスミニそば。女子だが、運動部なのでよく食べる。……ついでに、ちゃんと栄養も計算しているらしい。メニューを見ると、そう思えないが。

がつがつと食べるセシルに対して、ソフィアはいつもの行動と同じくのんびり食べる。量の差で、二人はほぼ同時に食べ終わった。

まだまだ昼休みは残っているので、二人は適当に雑談を始めた。そして、その話はいつの間にやら、妙な方向にずれていった。

「……で、あんた、ルーファス君とどーなってんの」

「は、はい?」

「いや、あんたがルーファス君に気があるのはわかるけど、実際のところ、どーなってんのさ」

「え、えっと! わ、私とルーファスちゃんはそんな……」

ソフィアのうろたえぶりに、セシルは笑い、

「いまさら隠すことないでしょ」

「……むーー」

「ほら、白状してみなって」

「……特に、どーもなってないです」

不機嫌そうに、言う。実際、人間界にまで追いかけてきたのに、ルーファスは怒るばかりだった。最近は諦めたようだが、『同じ村で育った幼馴染』という設定を押し通して、実際そのように接してくる。

ソフィアとしては非常に面白くないところだ。

またリリスとかいう子を『落とした』みたいだし、まったく、あの女たらしのマスターをどうしたものか。

「ははは……。まー、ルーファス君、けっこうモテるみたいだしね」

苦笑しながら、セシルが言う。

「そーなんですか?」

「んー、あたしのクラスの中でもけっこうルーファス君、人気あると思うよ。彼、目立つから」

まー、いろんな意味で、とセシルは付け加える。いつぞやの、バレンタインのときのサレナと同じような台詞だ。

「……これは由々しき事態ですね。あとで、リアさんと問い詰めなくては……」

「ん? ソフィア、何か言った?」

「い、いえ、なにも! そ、それより、もうすぐテストですね!」

「……あと一ヶ月はあるけど」

そんな風に、昼休みは過ぎていった。

 

 

 

 

 

「さー、マスター! 今日は楽しい楽しいお仕事の日ですよ〜!」

「……俺は楽しくない」

「そんなに喜んでくれて、私もうれしいです。で、今日の仕事ですが……」

「聞けよ」

そんなルーファスの突っ込みは無視して(とゆーより、はなから聞いてない)、どん! と書類をとりだす。

「じゃ、これやっといてくださいね」

「くおら、待て。お前はどこに行くんだ」

「今日は、私、実働ですから」

言いながら、世界の穴を開け、人間界に行く。

「……今日はどうした?」

「アルヴィニアの農村地帯が日照りで困ってるらしいんです。だから、そこの光精霊のみんなの様子を見に行ってきますね」

人間界の精霊たちのバランスをとるのも精霊王の仕事だ。普段の書類が、そのためのものなのだが、被害があまりに大きい場合『他の原因』が考えられるので、精霊王が直接出張る。

「……大丈夫だとは思うが、気をつけろよ」

急に神妙な顔つきになって、ルーファスはつぶやく様に言った。

「わかってます」

そして、ソフィアは力のない笑顔で、そう答えた。

 

 

 

 

 

「やっぱり……」

ずいぶんひどいことになっている。光精霊たちが理性をなくして、その力を暴走させているのだ。

元凶は……

「……いた」

その元凶、魔界における精霊――魔精霊と呼ばれる(まんまだけど)――が悠然と浮かんでいた。

魔精霊は、魔族の使用する特殊な精霊魔法の源となる存在である。力の弱いものなら人間界のもある程度存在する。だが、普通の精霊で言う、上位精霊にあたる存在はめったに姿を現さない。

……そして、その万が一に出現した場合、地域の精霊を狂わせ、自然災害を引き起こす。

こいつが修験した場合、下手な精霊では返り討ちにあうのがオチなので、基本的に魔精霊の対処にあたるのは、必ず精霊王たちであった。

「『光を司るものたちよ、汝らが王の声を聞け』」

光精霊たちの動きに変化が現れる。同時に、魔精霊がこちらに気付くが、『王』に危害を加えるほどの力を持っているはずもない。

「『今、時は満ちた。結集せし力、真理の光、天を貫き』」

学園にいるときや、精霊界で馬鹿をやっているときとは違う、『王』としてのソフィアがそこにいた。

「『清浄なる光、すべてを浄化せしむ。我が声届いたならば、光よ、魔に生きるものを滅せよ。マーシレス・レイ』」

直後、光の柱が出現し、一瞬のうちに魔精霊を消滅させる。

断末魔の悲鳴を上げる暇もなく消滅した『彼』に、ソフィアは軽く黙祷を捧げて、狂った精霊たちを元に戻していった。

 

 

 

 

 

「ったく。言えば俺が変わってやるのに」

実働のあとは、ソフィアは決まって気分が落ち込む。見ていて、痛々しいほどに。

「でも、アレは私の仕事ですから。マスターに任せるわけにはいきません」

「……本当に頑固だな、お前」

「はあ。頑固ですか、私?」

はぁ〜、とルーファスは大きくため息をつくと、手をソフィアの頭に載せて、

「俺と契約したときも、その頑固ぶりは遺憾なく発揮されてただろ」

そのまま頭をぐりぐりする。

「契約したときって……ああ、あの時ですか」

「そう、あの時だ」

 

 

 

 

約200年前。精霊界。

「あのね、ルーファスちゃん」

「ん〜?」

「思ったんだけどさ、『契約』しない?」

「……へ?」

「だから、契約。きっと、少しは寂しくなくなると思うよ」

「……だれが寂しがってるって?」

「ルーファスちゃん」

「んなことない」

「嘘。ぜーーーったい、寂しがってる」

「いやいや。ソフィアさん、あんた勘違いしてるって」

「ルーファスちゃんも、やっぱりまだ10歳の子供なんだよね……。やっぱり、その寂しさをなくすにはちゃんと『繋がり』ってのが必要だと思うの」

「聞けよ、人の話」

「とゆーわけで、契約しましょう」

「マテ」

「さてと。そうと決まれば準備準備〜」

「いつ決まったよ!」

「もう! ついさっき決まったじゃない」

「何、さも当然のことのように嘘言ってやがる!?」

「まあ、なにはともあれ。ぜ〜〜〜〜〜〜ったいに契約しますからね。もう、なにがあろうとも」

「だからなんでだぁぁぁぁ!!?」

---

前の話へ 戻る 次の話へ