白玉楼。幽玄の庭広がる冥界のお屋敷。
 ここでは、次の輪廻に旅立つ亡霊たちが、その時までその魂を休めている。そういう厳粛な場所なのである。

「ようむ〜、お茶ー」
「はい、少々お待ち下さい、幽々子様」
「妖夢、私の分も頂戴ね」
「はい、紫様」

 と、まあ、建前はともかくとして。主が主のため、白玉楼というところは、冥界という恐ろしげな響きに似合わぬ、どこか明るい雰囲気が漂っているわけであった。
 ああ、後、庭師のおかげもあるかもしれない。実年齢はさておき、年若い少女の感性で整えられた庭は、なんか華やかっぽい。

「つーか、幽々子。僕の分の饅頭まで食べるんじゃない」
「いいじゃない。美味しいんだから」
「……それ理屈になってねぇぞ」

 こいつ……。僕が土産に持ってきた饅頭を、小さいサイズだとは言え十個以上食いやがって。

「まったく、貴方もケチ臭いわねえ」
「ここの主従コンビへの土産に持ってきたのを、堂々と横取りしたお前に言われたくない」

 饅頭の包装を開けた途端、空間に亀裂を開いて、ごく当然のように出現したこのいやしんぼな隙間妖怪に対する遠慮など僕にはない。
 つーか、僕一個しか食べてないんだぞ……三個くらいは妖夢のために確保したけど。

「あら、横取りとは失礼ね。私は横からじゃなく、真正面から取ったつもりよ?」
「よりタチが悪いと思うんですが、それは」
「それは貴方の気のせいね」

 言い切りやがった、こいつ。

「それはそれとして、良也?」
「なんだよ、幽々子」
「どうせ、『倉庫』とやらに、他にお菓子持ち歩いてるんでしょ? ちょっと物足りないから出して」
「前々から思ってたけど、太るぞ」
「生憎、ここには体重計なんてないしねえ」

 いや、体重計がなかろうが、腹が出るだろ、腹が。

「あったとしても、亡霊の体重を測るのは無理じゃないかしら。電子天秤でも持ってくれば別だけど」
「それって、魂の重量が二十一グラムとかなんとかってやつ?」
「それそれ」

 スキマが頷く。
 『こう』なってから、オカルト系の情報はたまーに気が向いたときに集めているが、魂の重量なんて胡散臭い与太話の類だろうに。

「まさか本当にそうなわけじゃないよな?」
「さあ? 別に私が測ったわけじゃないし。でも、どちらにしても、女性の体は羽毛のように軽いのよ?」
「ウモ〜……牛ですか」

 ガツン! と、後頭部をスキマの扇子でしたたかに打ち据えられた。

「すごく痛い!?」
「調子に乗って寒いダジャレを言うからよ。下手な軽口は死を招くから、次は注意なさい?」

 目が笑っていなかった。
 僕は、は、はい、と頷くしかない。

「……今のは良也さんが悪いですよ」

 と、そこで急須にお茶を淹れてきた妖夢が戻ってくる。どうやら、一部始終を見られていたようだ。

「いや、わかってるんだけどさあ。僕の饅頭がね……」
「私の分を取り置いてくださっているようですが、そんなに食べたいのならどうぞ」
「いや、流石にそれは……。ああもう、こっちは明日のおやつのつもりだったのに」

 黒かりんとうの大袋と菓子鉢を『倉庫』から取り出す。どさっ、と菓子鉢に中身を開けた。

 今度は食う暇もなく取られないよう、手のひらにある程度確保しておく。

「いやしいわねえ」
「まったくね」

 ……幽々子とスキマの好き勝手な言葉に、今度は僕は黙して語らないことにするのだった。






















「そういえば、この前月のあいつがうちに来たわよ。貴方の用件で」

 と、ふと思い出したようにスキマが口を開いた。

「ああ、永琳さん、スキマんとこまで行ったのか。よく家わかったなあ」

 こいつの住んでいるところは、霊夢ですら把握していない。まあ、こいつのことだから、どっか空間の隙間に異界みたいなのを拵えていても不思議ではないが。

「まあ、あの女の能力は確かだからね。で、聞いたんだけど、貴方の家を建てるんですって?」
「そういうことになる。まあ、そんなんが出来たからって、なにが変わるわけでもないだろうけど」
「それはどうかしらね」

 と、口を挟んだのは幽々子だ。

「幻想郷に拠点を持つ、ってことが、どういう意味に取られるかしら。今までみたいな、外来人って括りじゃなくて、幻想郷の住人って見られると思うわよ」
「……今のところ、別荘みたいなもんのつもりなんだけどなあ」
「そもそも、幻想郷には別荘っていう概念があまりないからね」

 そういやそうか。

「まあ、それならそれでもいいかな」
「軽いですねえ。まあ、良也さんは昔からそうですが」

 横で聞いていた妖夢が、呆れたように言う。

「昔から……って、そうかあ? 僕、幻想郷に来て結構変わったと思うんだけど。特に、ここまで適当になったのは、朱に交わって赤くなったせいであって。昔の僕は、もっと真面目だったろ?」
「いいえ、全然変わってません。自分が幽霊になったことを数秒で納得して、一週間足らずでこの白玉楼に馴染みまくったの、私まだ覚えていますよ」

 ……あったな、そんなことも。
 いや、言い訳させてもらえば、あのときはこう、ちょっと現実感がなかったというか。そんな感じのアレだ。

「ああ、懐かしいわねえ」
「そういえば、飛べるようにしてあげたのは私だったっけ。こう、ぺい、って空の上に放り出して」

 ありましたね、そんなことも!

 初見から、僕はスキマとは相性が悪いと見抜いていたが、あれで決定的に苦手意識が植え付けられたような気がする。

「はあ、嫌なこと思い出した。……で、永琳さんが訪ねてきて、どうしたって?」
「ん? ちょっと頼まれごとをね。大した話ではないんだけど、貴方の家造りに一枚噛まないかって」

 ……一枚、噛む。
 スキマが?

「なに、その嫌そうな顔」
「いや、お前が絡むと、どんな悪戯を仕掛けられるかわかったもんじゃないからな……」

 永琳さんも、もうちょっと適切な人材を選んでくれりゃいいのに。
 まあ、このぐうたらの具現のような奴が、そんな面倒臭そうなことに進んで協力するわけもないから、杞憂だろうが。

「失礼な男ね。せっかく私が腕によりをかけてやろうと思っていたのに」
「い゛!?」

 どんな気紛れだ、こいつ! 僕への嫌がらせに力使う程暇ではな……いや、間違いなく暇だろうが、そんなことのために動く奴じゃないのに!

「本当に失礼ね……まあ、確かに八意の頼みなんて、手伝う義理はないんだけど」

 はあ、とスキマは重いため息をつく。

「私以外の大物には、大体話が付いちゃってるのよね。お陰で、私だけ協力しないってことになると、まるで私がケチ臭い奴だと思われるじゃない」

 話がついてる?
 そういえば、マミゾウさんとか、守矢神社の二柱とか、あの辺りには話が回っていたようだが。

「幽々子もね……先に教えてくれればいいのに」
「いいじゃない、別に。私はそれなりに良也には世話になっているからね。主に美味しいお菓子の供給源として」

 スキマの言葉に、幽々子はしれっと答える。
 って、永琳さん、幽々子にまで話してたのか。……一体どこまで広がっているんだ?

「貴方の交友範囲は、だいたい全部ね」
「……全部?」
「紅魔館、ここ白玉楼、永遠亭は勿論、三途の死神に閻魔、妖怪の山の天狗連中、天界に、守矢神社に、地底の連中、命蓮寺、仙人、古巣の月の民、その他の流れの妖怪やら妖精なんかのも連中も片っ端から……」

 うわ、マジで全部網羅する勢いだ。
 なぜに。家一個建てるのに、過剰戦力じゃね? いや、建築に使う力に『戦力』と付けるのはかなりおかしいが。

「簡単な理屈よ。誰とも知らないやつが作ったものなら気楽に壊せるけど」
「誰かが作ったものは勝手には壊せねぇよ!」
「気楽に、壊せるけどね。でも、自分が作ったものは、ちょっと躊躇するでしょう?」
「無視かよ。しかも、それでもちょっとかよ!」

 気楽に、と強調するスキマに、僕は改めて人間と妖怪の倫理観の違いを痛感していた。

 しかし、なるほど。僕にも永琳さんの魂胆が見えてきた。
 妖怪といえど愛着のようなものはある。曲がりなりにも自分が関わったものについては、多少なりとも遠慮的なものが発生すればいいな、という話だ。最後、すでに希望的観測になっちゃってるが。

「……でも、そもそもの話。よくみんな引き受けたな」

 しかし、一つ問題がある。そんな多種多様な人妖が、どうしてこう、集まって協力するって流れになったんだろう。

「そこはあの女の手腕でしょう」

 ああ、そっか。永琳さんが色々頑張ってくれたわけか。

「しかし、どんな口車を使ったんだか……永琳さん、すげぇな」
「まあ、私も承諾せざるを得なかったからね」

 そう、このアンチ月の都派筆頭とも言えるスキマを承諾させた時点で、僕にはどんな深謀遠慮があったのか想像すらできない。スキマは軽く言っていたが、多分、僕ではわからない頭の良さそうなやりとりがあったのだろう。

「あら、それは違うと思うわよ、私は」
「は?」

 と、興味深そうに僕とスキマの話を聞いていた幽々子が言った。

「多分、あの月の賢者が如何に策を弄しても、普通ならこうもすんなり色々な者が力を貸すわけないと思うわ。勿論、私も月の人間の言うことなんて、聞く耳持ってなかったでしょうねえ」

 死を穢れと忌避する月の民と、冥界の館の女主人である幽々子の相性は確かに悪そうだ。まあ、永琳さん達は、本人たち曰く、もう既に地上の住人だそうだが。

「友誼、恩義、打算、興味、と。それぞれ理由はあるでしょうけど、貴方の結んだ縁のおかげよ、きっと」
「そうかなあ……なんかいいこと言われている気がするけど、大半は幽々子の言った後半二つの理由がメインな気がする……」
「打算を働かせる、あるいは興味を抱く程度には存在感があるんでしょ」

 そういうことになる……のか?

「不肖ながら私もお手伝いする予定です。材木の切り出しはお任せ下さい。妖怪が鍛えたこの楼観剣に、斬れぬものなどあんまりないので」
「……いや、木なら普通にノコギリとか」
「何故ですか。こっちの方が早いですよ」

 鍛えた妖怪さんもあまり想定してない使い方だよねそれ!

「まあ、こういう子もいるわけだし」
「あー……」

 幾人か、結構協力的になってくれそうな子の顔が浮かぶ。
 ……フランドールとか、大丈夫だよな。完成直後、きゅっとしてドカーンとか、勘弁して欲しいのだが。

「これまでの貴方のやってきたことは無駄じゃなかったってことね」
「やってきたこと……やってきたことかあ……」

 人間、いい思い出より悪い思い出のほうが印象深くなるものである。
 これまでやってきた……というか、やらざるを得なかったこととか、結果的にやらかしてしまったこととか、状況に流されて、やったというよりやらされたこととか、走馬灯のように駆け巡る。

 ……割には合ってないな! うん!

「と、まあ。そういうことだと思うのだけど、紫?」
「はいはい。いいんじゃない? まあ、あれよ。たまに言ってるけど」

 ちら、とスキマが僕を見る。

「幻想郷は全てを受け入れるのよ。残酷な話だけどね。……だから、貴方がここに居を構えるのも、そうしたいと言うのならお好きにしなさいな」
「おう」

 なんとなく、茶化す気にもならず。
 その言葉に、僕はぶっきらぼうに返すのだった。



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