里の寺子屋。
 日々、慧音さんが教鞭を振るっているそこへ、僕は土産の菓子折り片手に訪れていた。

 ただ、生憎と慧音さんは書類仕事の最中だったので、少し待たせてもらっている。

 ややあって、とんとん、と紙束をまとめた慧音さんが立ち上がり、僕の方へやってきた。

「やぁ、待たせたね良也くん」
「いえいえ。急に押しかけたのはこっちですから。あ、こっち。生徒のみんなとどうぞ」
「これはどうも。ありがたくいただくよ」

 菓子折りを渡し、さて本題を切り込むことにする。

「で、私に相談とはなにかな。力になれるといいんだけど」
「いや、大した話じゃないんですが……幻想郷って、勝手に家建ててもいいんですかね?」
「はあ?」

 む、慧音さんが怪訝な顔になっている。
 いかん、単刀直入に言い過ぎた。

 僕は順序立てて説明する。

 すぐにそうなるというわけではないが、多分将来的には僕は幻想郷に移住することになるだろうこと。
 そうなった場合、当然今のように博麗神社に間借りするわけにもいかないこと。
 だったら家を建てればいいじゃない、となったこと。
 んで、自分の家ってのに結構憧れている僕は、今からでも作っちゃえ、と思ったこと。

 話し終えると、慧音さんはうーん、と少し悩んだ。

「将来的に開墾する予定の土地はともかく、里の近所の荒れ地なら地域の顔役に話を通せばいいと思うけど」
「おお!」
「ただ、まだ良也くんは移住するわけじゃないんだろう? 地域の会合や色んな当番にも参加できないこともあるだろうし、あまりいい顔はされないかもしれないな」

 ですよねー。

 まあ、ある程度予想できたことではある。

 幻想郷は村社会。生活は互助が基本だ。定住しない人間が、週末の別荘感覚でほいほい家建てられても困るだろう。
 その分、水路引いたりしないと行けないし、水利権とかもややこしい。……いやまあそっちは、僕、魔法でなんとかなるからいいんだが、気を使わせることも確かだ。

 長屋を借りるのも手だが、それだと当初の目標である自分の家を持つってのとズれてしまう。

「まあ、そんなに焦ることもないんじゃないか? 外のことはわからないけど、こっちでの家のことは外の生活を全うしてからでも」
「あー、いや、そうなんですけどね。ただ、博麗神社で僕が使わせて貰ってる部屋も、そろそろ手狭だなぁ、ってのもあって」

 家を作ろうかなー、と漠然と考え始めて、改めて博麗神社の部屋を見てみると、結構モノが溢れていた。
 全部『倉庫』に入れてたらすぐパンクしそうだし、そういう意味でも自分のスペースがもうちっと欲しい所だ。

 後は、出会った時からの時間を考えて、もう幻想郷的結婚適齢期にはとっくに入っているはずの霊夢の家で寝泊まりするのは、そろそろ止めたほうが良いかも、と思ったのもある。
 ――今更に過ぎるし、オマケの理由だが。

「ちなみにですけど。里から遠く離れたとこに作る分には問題ないですよね?」
「そりゃあそうだけど……待て、君、何を考えているんだ?」
「いや、そりゃずーっと暮らすなら里の近くが便利ですけど。結構、妖怪連中みたいな家も面白いって思ってたんですよね」

 例えば、霧の湖畔に建つ真紅の洋館。例えば、迷いの竹林を抜けた先にあるお屋敷。例えば、地底世界にある御殿。例えば、仙界にある道場、と。
 ほら、秘境っぽくて格好いいじゃん?

「ああいうのは、力ある妖怪だからこそ維持できているんだぞ。あんな風に目立つ建物なんか、好奇心旺盛な妖精や妖怪が押しかけてメチャメチャにされるのがオチだ」

 慧音さんにド正論を言われてしまう。

「里から離れた場所に建てるんなら、もうちょっと地味なやつにしなさい。それに、そんなところにまで人間の大工は行けないんだから、妖怪に頼むんだね」
「……意外と反対はしませんね、慧音さん」

 妹紅に里に来いー、なんて言う人だから、里から離れた場所だと反対されるものかと思ってた。
 そういうことを伝えると、慧音さんは笑う。

「いや、あれは妹紅があまりにも他人と接しないから言ってるだけで。良也くんの場合は、そういう心配はないからなあ」
「そうですかね」
「そこで疑問に思うのか、君は」

 そうかな。そうかも。

「ああそれと。幻想郷は野放図な世界だけど、意外と縄張りに五月蝿い妖怪もいるから……というのは知ってるか」
「知ってます」

 いや、流浪の、というか年がら年中フラフラしているような奴も沢山いるからアテにはならないが、例えば妖怪の山みたいに立ち入るだけで狩られるような場所もある。流石に、そんな所に家建てる勇気はない。

 うん、と納得しつつも、それから僕は慧音さんにこっちの建築のこととかを詳しく聞いた。

「いや、ありがとうございました。参考にさせてもらいますよ」
「そうかい。こんな雑談で力になれたのならなによりだ。どこまで本気かは知らないが、頑張りなよ」

 うっ、思いつきだってこと、見透かされてる。

 でもなあ。

「はい、それなりに頑張りますよ」

 思いつきで行動したことが、後々になってから意外といい結果に繋がる。
 そういうことは、僕の幻想郷生活では意外とよくあった。裏目ったことも同じくらいあったが。

 なんか、今回はいい感じになりそうな気がするんだよね。






























 しかし、僕一人で里から離れた場所に家建てるなんて無理だ。
 今の博麗神社の再建をした萃香辺りを酒で買収すりゃ、男一人が不足しない程度の家はほいさっさと作ってくれるだろうが、野良妖怪、野良妖精対策を打たないことにはオチオチ安眠もできない。

 そう思って、一路永遠亭にやって来た。

「と、言うわけで永琳さん。智慧貸してください」
「また、唐突ね……」

 いつもの薬ならうどんげに、と僕の顔を見るなり言い出した永琳さんだが、失礼な話である。僕がそんないつも二日酔いの薬を必要としているとでも思っているのだろうか。
 それはそれとして帰りに鈴仙に処方はしてもらうが。

「というか、なんで私に」
「ほら、この間の月の件の貸しがあるじゃないですか。折角なんで」
「た、たかが家一軒のためにそれ使うの?」

 だって、記憶が新しいうちに使わないと忘れちゃいそうだし。

「どんな要求されるのか、姫様とトトカルチョしてたのに。まさかこんなに早く、しかもくだらない用件で来るなんて」
「……ちなみに、僕はどんなことを頼むと思ってたんです?」
「姫様は『エロいことよ、エロいこと! 年頃の男なんて、みんなそんなもんよ!』って力説してたけど」
「あいつは僕のことを何だと思ってんだ」

 まったく心外な話である。

「そうよね。そんなことを頼む度胸は貴方にはないもんね」
「そう、僕にそんな度胸は……いやいや」

 そうではなく。
 僕は紳士の中の紳士を自負しているわけであるからして、婦女子にそのような破廉恥なことを頼むわけがないという理由であってですね。

「ちなみに、私はいい酒でも要求されるのかと」
「あの、その二つよりは今回頼んだ事のほうが比較的くだらなくはないんじゃないかなあ、と」

 こんなことに使うなんて、とか言いつつ、永琳さんも僕が大層なことを頼むとは思ってなかったんじゃないか。

「そうね。でも、まあ貴方のことだからそんなもんだとは思っていたわ」
「暗に僕、馬鹿にされてませんか」
「さて、中途半端に賢しい者よりも、私としてはよっぽど好感が持てるけど」

 そ、そっかなー。へへへ――などと照れる僕ではない。
 『私としては(扱いやすくて)よっぽど好感が持てるけど』とか、そんな副音声が入っているに違いない。

 ……被害妄想が過ぎるか?

「ま、頼みごとはわかったわ。約束だし、手を貸すに吝かじゃないけど、どうしましょうかね」
「? 永琳さんなら硬い結界の一つや二つ楽勝じゃ」
「そうなんだけどね。でも、私の色が付いてたら、色々ちょっかい受けそうじゃない?」

 ……ありうる。

 雑魚妖怪、雑魚妖精は問題なくなるかもしれないが、月の民の力で張られた結界とか、アンチ月の都派のスキマ辺りが何をするかわからない。他の知り合い連中も然りだ。
 それが僕の家だということを斟酌してくれるような優しさは妖怪に期待してはいけない。

「でもそうね……ああ。逆に考えてもいいかもしれない」
「逆、ですか」
「そ。まあ、今日明日にどうにかしないといけないわけじゃないんでしょ? 少し根回しもあるから、吉報を待ちなさい」

 この短時間で、もう永琳さんの中では腹案が出来、実行する段取りも決まってしまったらしい。

 流石は月の頭脳とも謳われる永琳さん、早い。

「しかし、貴方がとうとう幻想郷に根を下ろすのねえ」
「いや、根を下ろすっていうんですかね、これ」
「根を下ろすための種を撒く、みたいな状況かしらね。根腐れはしないようにね?」

 なんの比喩だ、根腐れって。いやまあ、なんとなく、ふわっとはわかるような気がしないでもないが。

 と、そこで永琳さんの診療所の扉が唐突に開いた。

「永琳〜? 暇だったらちょっと将棋でも指導……って、良也じゃない」
「よう」

 将棋の駒と盤片手にやって来たのは輝夜だった。

「あ、良也でいいわ、相手。将棋は指せたわよね?」
「いや、出来るけど。あんま強くないぞ、僕」

 将棋に関しては、昔はそれなりの腕だと思っていたが、こっちじゃ外の世界よりずっとメジャーな遊びなので、精々腕前は中の上か中の中といったところである。

「平気平気。私も将棋は強いほうじゃないから」
「……そうなのか」
「ええ、そうなのよ。もう少し思考力を養わせておくべきだったかしら。最近、指導を始めたけど、六枚落ちでも勝負にならないのよね」

 永琳さんがため息を付きながら弟子の不出来を嘆く。

 一方、僕と輝夜は苦い顔を向き合わせていた。
 ……永琳さんに、将棋なんてゲームで勝負になるのって言ったら、同格の変人くらいだろう。

「わかった? 永琳相手だと毎回ボロ負けだし、妹紅相手だと真剣勝負で頭痛くなるし。久々に気楽な相手と指したいのよ」

 へー、とスルーしかけたが、ちょっと聞き逃せない人物の名前が出たぞ。

「妹紅とやってんの?」
「殺し合いしてるとギャーギャー五月蝿いのが増えてきたからね……。ま、あいつとの勝負もマンネリだったし、ちょっと趣向を変えただけよ。ほら、駒並べて」

 ま、マジか。
 憮然として、診療所の一角を占領して将棋盤を置いた輝夜に、僕はちょっとした感動を覚える。

 まさか、何度も何度も何度も何度も、僕が訥々と忠告しまくった行為が実を結ぶとは。この前の蓬莱人会議がよかったか?

「……それ、一手毎に寿命を縮めそうなほど殺気溢れる将棋よ」
「そ、それでも大分マシでは?」

 僕ら、寿命は縮まないし。

「妖怪兎が勝負の間永遠亭に寄り付かないから困っているんだけどねえ」

 あ、そこまでか。

 い、いやいや。まあ、ほら。うん。……こう、一緒にゲームをやっているうちに、きっと仲良くなるよね。なるかもしれない。なったらいいな。なってください。

「ちょっと良也。あんた私に駒全部並べさせる気?」
「ああ、はいはい。ちょっと待てって」

 僕がささやかな祈りを捧げていると、輝夜が焦れたように言ってきた。
 僕はそそくさと輝夜の対面に座り、駒を並べる。

「はい、じゃ私先手ね」
「いいけど」

 パチン、パチン、と手を進める。

 永琳さんの方は、最初は僕らの様子を伺っていた様子だが、すぐに興味をなくしたようでさらさらと何か書き物を始めていた。

「けっこうやるじゃない」
「……おもくそ劣勢なんだけど」

 それなりに理解できる盤面なだけ、一部の頭がぶっ飛んでる連中との対局に比べればマシだが、中盤に差し掛かった辺りでもう趨勢は決まってしまっている。
 反撃の糸口を探すも、輝夜の攻撃を捌くのに手一杯だ。

「最近始めたって言ってたのに、強すぎだ」
「本格的に覚え始めたのは最近だけど、詰将棋とか日がなやってた時期もあったらね。暇だったから」
「年の功、ってやつか」

 駒箱が飛んできた。

「ぁいた!?」
「女性の年齢に言及するのはタブーだって、基本のマナーくらい抑えなさい」
「いや、お前かぐや姫だろ。昔話にもなってる」

 年齢などモロバレじゃないか。いや、正確な年は知らんけど、千年越えてるのは間違いないだろ。

「わかっても口に出すもんじゃないの」
「へーい」

 僕が男だからだろうか。その辺を気にする気持ちはさっぱりわからない。
 ……まぁ、だから時々口を滑らせたりするんだが。学習しないな、僕も。

「師匠ー、頼まれてた調薬終わりましたよ」
「ご苦労様」

 そうして、輝夜との勝負も終盤に入ったころ。診療所の扉を開けて、鈴仙が姿を現せた。

「ああ、丁度よかったわ。イナバ。ちょっとお茶淹れて、お茶」
「姫様? ……と、良也」
「よーう」

 ひらひらと手を振りながらも、僕は次の一手を熟考する。
 輝夜は勝負を決めに来ている。この攻勢を凌げば、勝機はなくはないはずだ。

「鈴仙、僕の分もお願いしてもいいか?」
「……いいけど。あ、お師匠様は?」
「いただこうかしら」

 永琳さんの診療所には、隅にちょっとした給湯室みたいなのがある。
 月の謎技術なのか、コンロみたいなのも使える便利仕様だ。

 鈴仙がそちらに向かう途中、僕と輝夜の盤面に視線を落とした。

「あ、もう負ける寸前じゃない」
「こ、これから僕の逆転劇が始まるから」
「どうだか」

 あ、これ信じてないやつだ。くっそ。と僕は鈴仙の鼻を明かしてやるべく、さらに思考を巡らす。

「ねー、次まだ? いい加減待ちくたびれたんだけど」
「……こ、これで」
「はい、お疲れ様」

 輝夜が持ち駒の金将を僕の陣深くに置き……って、あ。

「詰みまで五手ね」
「……ま、待ったは?」
「なーし。面倒だもん」

 勝ったー、と輝夜は両手をぐいー、と上げて万歳と伸びの中間くらいの動きを見せた。

「も、もう一回」
「あら、いいわよ。こてんぱんにしてやるから。あ、負け犬が並べてよね、駒」

 ぐぅ、好き放題言いやがって。

「ついさっき、逆転劇がどうとか聞いた気がするんだけど」
「こ、これからだから」

 呆れた様子で、茶を持ってきた鈴仙に、苦しい言い訳を返す。ぼ、僕の本気はこれからだから。

「姫様。お茶です」
「ご苦労様。……んー、美味し」
「良也、ほら」
「ん、ありがとう」

 さて、次はどういう定石で行くか。僕は守りの方が得意なんだが、攻めた方がいいかもしれない。

 などと、思考を巡らす。そうして、譲られた先手で、まずは一手目を動かした。












 この後。さらに未来のお話。

 輝夜と妹紅の争いは、なんかゲーム→殺し合い→なんかゲーム、と数十年スパンで切り替わったりして。
 ゲームやってる最中は、練習とか息抜きに僕も付き合わされるのが恒例となった。

 多分、合間の殺し合いをなくすのが、僕の長い長い目標になるのだろう。



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