それは、ふよふよと当てどもなく幻想郷を飛んでいた時の話である。

「……あん?」

 進行方向から、点に見える影が複数連なってこっちにやって来るのが見えた。
 じー、と目を凝らしてみると、それは人魂……幽霊の群れ。

 はて、昼間っから幽霊が徘徊しているとは珍しい。
 幻想郷でも妖精と並んで最も多い種族ではあるが、基本的に異変の時以外は物陰に隠れていて、あまり見かけない。多く見かけるのは異変以外だと盆暮れくらいだ。

 はて……またぞろ、くだらない異変が起こったのだろうか。それだったら、とっとと里にでも避難するのだが、あの幽霊以外は特に異変らしき前兆は見当たらない。

「って、あれ妖夢か?」

 段々とその点が近付いてくると、更にその後方で一人の少女が飛んでいるのが見えた。
 ……ははぁ、大体読めた。また冥界から幽霊が脱走してしまったらしい。で、妖夢はその捕獲に来た、と。

「ええと、あった」

 冥界の管理している幽霊をむやみに倒すわけにもいかない。僕はそろそろと一枚のスペルカードを取り出し、幽霊たちがちょうどいい距離に近付いて来たところで宣言した。

「遮符……『一重結界』!」

 スペルカードに内包された霊力が一挙に開放され、薄い霊力の壁が四方八方を囲み、幽霊たちの行き先を封じる。
 まあ、何の変哲もない、ただ壁を作るだけの結界術で、摂理を捻じ曲げているんじゃないかと錯覚するような霊夢の『二重結界』辺りとは比べ物にならないが、普通の幽霊を数十体捕縛するくらいならば問題はない。

 内部から脱出しようと幽霊が体当たりしているが、このくらいの数ならばビクともしなかった。
 ……まあ、異変とか弾幕ごっこにおいては、あっという間に過負荷によって破壊されるので使い所がないが、こういうときは便利だ。

「ああ、良也さん! こんにちは。どうも、幽霊たちを捕まえてくださって、ありがとうございます」

 追いついてきた妖夢が安堵の表情を浮かべて、僕に挨拶をする。

「おう、こんにちは、妖夢。で、こいつらはまた脱走?」
「ええ。一時期に比べれば少なくなったんですが、どうもうちの冥界から脱出する文化が、代々伝わってしまったようで……」

 冥界は、あくまで魂が転生までの間、一時滞在する場所である。
 以前の、冥界と現世を分け隔てる結界が緩かった時代にいた霊達は、当然もう旅立ってしまっている。

 ……しかし、あの頃脱出していた幽霊が、後続の幽霊に結界を超えると幻想郷があるということを教えてしまい、それが延々と続いているらしい。

「まったく。ちょっと結界が弱まったり、穴が開いたりしたらすぐにこうなんですから。……貴方達、良也さんの結界が解けても、逃げないでくださいね? この間合いなら、全員瞬きの内に膾に出来ますよ?」

 妖夢の脅しに、幽霊たちは震え上がる。僕もちょっと怖い。

「……僕が来た頃からだったけど、まだあの世とこの世の結界って修復してないの?」
「いえ、直ってはいるんですが……こうも頻繁に生きているものが冥界に、死んでいるものが現世に、と行き来を繰り返していると、自然と結界は弱まるんですよ。あの世とこの世を分ける、という結界の意味が喪失してしまいますから」

 私は半人半霊だから例外ですが、と妖夢が補足する。

 まあ、なんとなくわからんでもない理屈である。

「僕は……」
「不老不死の人間も、私と同じく、生きている状態と死んでいる状態が混在しているから、大丈夫だそうですよ?」

 ああ、そうなのか。まあ、僕の場合、そういう意味がどうとか、小難しい理屈が影響する事象については、そもそも大体無視してしまえる気もするが。

「しかし、本当にありがとうございます。このまま離散されたら、連れ戻すのにまた一日仕事になるところでした」
「ああ、まあ、助けになったならよかった」

 妖夢には昔から何くれと世話になっている。このくらいで助けになったならなによりだ。

「どうでしょう。お礼に、白玉楼でお茶でも」
「ふむ、今日は特に予定もないし、頂きに行こうかな」

 妖夢の提案に、僕は一秒も悩まずに返答した。
 そういえば、最近幽々子に会っていない。久し振りに、あいつと話すのもいいだろう。





























 白玉楼に案内され、幽霊たちに説教をしている妖夢を横目に、庭を眺める。

 ここんちの庭は桜が特に見事だが、どの季節でも四季折々の植物が冥界にも関わらず活き活きと咲き誇っており、いつでも眺めが良い。
 もはや僕は本当の意味でお世話になることはないが、次の人生に進む前に休む場所として、成る程、ここ程良い場所はそうそうないと思える光景である。

 まあ、今はその庭を整えている庭師さんの説教が響いているため、少々雅さに欠けるが。

「妖夢? 幽々子って、今どうしているんだ?」
「だから貴方達は――え、あ、はい。幽々子様なら、この時間は自室で書き物をしていらっしゃると思いますが」

 なにを書いているんだろう、あいつは。
 妖夢の説教が長引きそうなのと、幽々子の書き物とやらにちょっと興味が湧いたので、僕は妖夢に一言断って幽々子の部屋へと向かった。

 博麗神社ほどではないが、一時期ここに住んでいたこともあり、この家の構造はよく知っている。
 迷うこともなく、幽々子の部屋の前にまで来る。

 別に聞き耳を立てていたわけではないのだが、さらさらと、筆の走る音が聞こえた。

「誰かしら?」

 別に気配を隠していたわけでもないので、当然のように中の幽々子は気付いて声をかけてきた。

「僕だよ、僕」
「オレオレ詐欺の波がまさか冥界にまで来るなんて」

 来るわけねぇだろ。

「どこでそんな言葉……って、いつものスキマ情報か……」
「まぁね。良也は遊びに来たの? いらっしゃい。妖夢は?」
「今、現世に出てた幽霊に説教かましてる。んで、暇だからこっちに来たんだよ」
「まったく。お客様を放っておいてなにをしているのかしら、あの子は」

 そういえばそうだ。妖夢の性格からして、客を放っておいて幽霊の説教を優先するというのもおかしな話である。
 さて、これは僕の優先度が低いのか、あるいはもうちょっと踏み込んで、僕ならば後回しにしても怒りはしないという信頼なのだろうか。
 ……後者だ。後者に決まっている。

「ま、いいわ。どうぞ、入ってらっしゃいな。この部屋にも、茶菓子くらいはあるわ」
「……どーも。お邪魔します」

 部屋の前にまで来ておきながら、一瞬、仮にも妙齢……に見える女性の部屋に入るのはどうなんだ? と躊躇したが、別に気にすることもないかと障子を開ける。
 いや、考えてみれば霊夢の部屋とかは割と遠慮なしに入ってるしね。

 入ってみると、妖夢の言ったとおり、幽々子は机に向かっていた。……すげぇ違和感。

 前、妖夢の部屋に入ったことがあるが、幽々子の部屋は流石に従者より幾分豪華だった。なんか高そうな壺や絵が飾ってあったり、焚いている香もなんか高級っぽい匂いだ。

「よう」
「ええ。……あら、考えてみれば、この部屋に殿方が入ったのは初めてね」

 ふーん。

「で、なにを書いてんだ?」
「もうちょっと面白いリアクションを取りなさいな」

 いや、そういうこと言われて動揺したりなんかしたら思う壺ということは、とっくの昔に思い知っている。
 たかが初めて自室に入った男子が云々かんぬん程度で僕の動揺を誘おうなど、甘いと言わざるをえない。

「というか、人の書いたものを覗いたりしないの」
「ああ、ごめんごめん。日記か何かか?」
「え? ただの落書きだけど。はい」

 と、書いていたものを見せられる。うん、確かに落書き……なのか? 妖夢っぽい人物が、特徴を捉えて書かれている。……普通に上手い。

「覗くなとか言ったくせに」
「自分で見せているから、覗かれているわけじゃないもの」

 ああ、成る程……なのか? 納得して良いのだろうか? まあいいか。

「絵心あったんだな、幽々子」
「こうして落書きを書くことはよくあったからね。勉強の合間にちょちょいとやってれば、誰でもこのくらいは描けるようになるわ」

 いやー、どうだろう。絵を描けるのは僕的には羨ましい。

 なんて思いながら、幽々子の向かっていた机の上にある菓子鉢に目線が行く。

「お、饅頭か。妖夢の作ったやつだよな。一つ貰っていい?」
「駄ぁ目。これは、頑張って書き物をした自分へのご褒美なんだから」

 ……落書きじゃなかったんだろうか。後、部屋に招く時、茶菓子くらいはあるわ、とか言ってなかったかだろうか。

「茶菓子があるとは言ったけど、あげるとは言ってないからね」
「えー」

 僕の物欲しそうな目線に気付いたのか、幽々子はしてやったりという顔でそう言った。

 はあ、と僕はため息を付き、『倉庫』に手を突っ込む。
 夜のおやつにしようと思っていたアル◯ォートを一箱を取り出して、幽々子に手渡す。

「ほい、これで交換ってことで」
「一個ね」
「セコいな……まあいいけど」

 大食漢の幽々子向けに、やや大きめに作られた饅頭を一ついただく。
 一口食べると、優しいあんこの甘さが口いっぱいに広がり、煎茶が欲しくなった。

「お茶ならそこよ」
「おう、さんきゅ」

 幽々子の勧め通り、同じく置いてあった急須の中身を空いていた湯呑みに注ぐ。
 少々ぬるいものの、旨い茶で口の中が洗い流され、実に幸せな感じだ。

 そうして座布団も借りて座り、しばしまったりしていると、幽々子が口を開いた。

「最近どう?」
「どうって……まあ、いつもと変わらないよ。仕事して、休みにはこっち来て。幽々子は?」
「さて、冥界ももう少しくらい変化があれば面白いんだけど……生憎と、私も特に変わりはないわねえ」

 まあ、そう簡単にいつもと違うことが起こるわけがない。なにか大きなきっかけ――進学や就職、あるいは結婚、出産等――でもないと、普通の人は日常の延長線で緩やかに変化していくものだ。だから、特に話題にできるようなこともない。
 ……僕の人生にとっての一番大きなきっかけは間違いなくあれだな、大学時代の事故だな、うん。あんなにドでかい変化が人生で起こった人間は稀だろう。自慢にもならんが。

「まあ、ここは終わった者達が集まる場所だからね。大きく変化するものといえば妖夢くらいで、あの子も最近は伸び悩んでいるみたいだし」
「伸び悩みねえ」

 僕に言わせれば、あれ以上強くなる必要がどこにあるのか疑問なのだが。

「ええ。あの子の成長は楽しみにしているのよ、これでも」
「それでも?」
「これでも」

 胡散臭え。

 ニコニコと、感情の読み取れない笑顔を浮かべる幽々子。こいつが内心どう考えているのかは知らんが……まあ、妖夢を無碍にはしていないのだろう程度はわかる。括弧幽々子としては括弧閉じ。

「あら、噂をすれば。あの子が来たみたいよ」
「ん……ああ、本当だ」

 幽々子にやや遅れて、パタパタと急ぎ足の足音が聞こえた。

 それは、幽々子の部屋の前にまで来ると、一呼吸、息を整えて、

「……お待たせしました。良也さん、今応接間の方で、お茶の準備をいたしますので」

 幽々子の茶の残りを頂いていたが、やはり熱々のやつが飲みたい。
 そういうことならばと、僕は腰を上げた。

「さて、そういうことなら私もご一緒しましょうか。だいぶ書くものは書いたし。妖夢、私の分もね」
「はい、かしこまりました」

 書くもの……? さっきの落書きがか?

 じとー、と僕が見つめると、幽々子は口元に指を当てて、しー、とジェスチャーをする。
 ……まあ、主の威厳がなくなりそうなことをわざわざ言うつもりはないけどさ。もうとっくに手遅れだと思うんだけどなあ。



















 白玉楼にて茶を喫し、なんでもない世間話に興じる。
 すごく今更ではあるが、普通に死んでここに来ることができなくなったのは少し惜しいな、と思った。



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