地底。
 地上で忌み嫌われている妖怪が住まう、幻想郷でも屈指の危険地帯。

 ……などと言われているし、実際危ない妖怪が多いが、僕的には能力は地上の妖怪と大して変わらんように見えるし、喧嘩っ早さも以下同文。
 人里と同じように安全地帯もあり、個人的にはお日様が差さない他はどっちもどっち、という印象である。

 そして、今日は僕はその安全地帯である地霊殿にやって来た。

「どうも、さとりさん。こんにちは」
「あら、良也。こんにちは。今日はなにかご用かしら」
「いや、ちょっと飛んでたら間欠泉地下センターが目に入ったんで。そういえば最近ご挨拶していないなあ、と思いまして」

 基本、僕が幻想郷を散策する時は風の吹くまま気の向くままに飛んでいるので、特に深い考えがあって来たわけではない。
 いつも自分用に余らせてある菓子を土産として渡せば、邪険にはされまい。

「まあ、こちらをどうぞ」

 袖の下として、クッキー菓子を差し出す。

「この地霊殿に普通のお客として来るのは貴方くらいのものねえ。ま、お茶くらい出すわ。着いてきなさい」
「あ。どうもありがとうございます」

 地霊殿に到着するなりばったりと出くわしたさとりさんの先導に従って、地霊殿の中を飛ぶ。
 ここに来ると、いつもそこかしこを歩いている動物達に癒やされる。まるで動物園だ。怨霊もいる動物園に来園したい人はあまりいないだろうが。

「……そういえば、ここの動物の世話ってさとりさんがやってる……わけじゃないですよね」
「そうね。私は時々、気が向いた時に撫でてやったり、餌をやったりする程度よ。管理は別のペットに任せているのだけど……そういえば普段の餌はどこから取っているのかしらね?」

 はて、と首を捻るさとりさん。
 ……まあ、ペットを飼う時の心構えなど、この人に説いても仕方あるまい。見た目的には一部を除き普通の動物と変わらないが、ほとんどが半分くらい妖物と化している者達だし、自分の食い扶持くらい、自分でなんとかしているのだろう。

「今度確認してみるわ」

 そうですか、と別に強い興味があったわけでもないので、適当に流す。

「それはそうと、今日はお空に燃やされなかったのね。間欠泉地下センターから通ってきた時は、よく焼かれてるけど」
「ふっ、僕は悟ったんですよ」
「よくそんなことを私の前で言えるわね」
「別にさとりさんと掛けた駄洒落というわけではなく」

 テンポよくツッコミを返すと、くすくすとさとりさんが上品な笑みをこぼす。

「とにかく。これまではあそこ通る時にお空に挨拶していたからやられていました。今日は、隠れてこっそり来たんです」

 お空はその身に八咫烏の分霊を宿し、灼熱地獄跡をかつての姿に戻すほどの強力極まりない力を持っている。
 ……しかし、こう、馬鹿で鳥頭だ。基本、注意力散漫である。

 隠蔽の魔法を多重起動し、気配を消す系の能力応用的なサムシングを発動させて脇を通ったところ……見事、スルーすることに成功したのだ。

 かなり近くを通ったので、妖怪どころか少し用心深い人間なら何らかの違和を感じただろうが、お空は大きな欠伸をしながら『お腹減ったなー』等とぼやいて気付く様子も見せなかった。
 ああいう感じで襲ってこないなら、馬鹿な子ほど可愛い的ノリでお空も普通に可愛いんだけどなあ。

「と、いうわけで、勝利というわけです」
「無断侵入ね。やれやれ、この私の屋敷に忍び込もうとする輩がいるなんて」
「……まあまあ。ほら、これ、僕が帰ったら食べようと思ってたちょっといい羊羹です」

 先程申請したクッキーに加えて、賄賂を送ることでさとりさんの怒りを鎮める。いや、別に本気で怒っていた感じではないが。

「あら、仕方ないわね。今回は見逃しましょう」
「……できれば今後も見逃していただけると」

 毎度毎度、顔と名前を覚えられていないせいでメガフレアを喰らうのは勘弁して欲しいのだ。

「なら、今後共、こういうのを持ってくればいいのではないかしら」
「はあ」

 ……いやいいけどね。

 等と益体もない話をしながら。
 僕とさとりさんは、やがて彼女らが普段寛いでいる部屋に到着するのだった。





















「はい、お茶」
「どうも。いや、ごめんなさい。いきなり押しかけて、お茶までいただいちゃって」
「まあ、良いわよ。いつも暇をしているもの」

 礼を言って、さとりさんの淹れてくれたお茶を啜る。……んむ、うまい。

 しばし、お茶と僕が先程さとりさんに進呈した羊羹(切って僕にも出してくれた)を堪能しつつ、さとりさんに世間話を振ってみることにする。

「そういえば、さとりさんって普段なにしているんです? 地底って娯楽、あんまりない気がするんですが」
「普段……? そうね、本を読んだり、書いたりするくらいで、後は別に」

 本? いや、読むのはわかるが、書く?

「書いているんですか?」
「まぁね。心理描写の多い小説なんかが好きだったんだけど、趣味が高じて自分で書いてみようってね」

 ほう。妖怪覚の書いた小説か。

「ちょっと興味ありますね。読ませてもらっても?」
「嫌よ。恥ずかしい」
「え、恥ずかしい小説なんですか?」

 それはちょっとドキドキだぞ? さとりさん、見た目は小さいのに……いや妖怪だしな。うん、アリかもしれん。
 などと、趣を感じてうんうんと頷いていると、目の前に熱量を感じた。

「って、うぉおおおおおお!?」

 咄嗟に首を傾け、直後に僕の頭のあった位置を妖弾が貫く。

「あら、外れたわ。駄目ね、心が読めないから、躱すこともわからなかったわ」
「じょ、冗談ですよ! そう怒らないでください!」
「貴方の顔色は本気の色だったけど……ま、そう言うなら、勘弁してあげましょうか」

 しれっとお茶を啜るさとりさん。僕の方はというと、心臓がバクバク言っている。いや、危なかった。

「……で、なんで見せてくれないんです。別に笑ったりしませんけど」
「貴方以外なら別に構わないのだけど。私の作品を読んで、内心なんて思っているか、わからないのは嫌なのよ」

 えー。

「それに、多分面白く無いわよ。我ながら心情描写のリアリティさには自信があるけれど、リアル過ぎるからね」
「そ、そうなんですか?」
「男女の恋愛で、お互いどう思っているかとか。友達の友情とか。……本当に知りたいのなら読ませてあげてもいいけど、人間不信になっても知らないわよ」

 なに、その危険な書物。いや、多分、さとりさんの能力を知らないままなら別に普通の読み物として読めると思うが、今の話を聞いた上で読んだりしたら、確かにちょっと鬱になるかもしれん。

「……やっぱり遠慮しておきます」
「それが賢明ね」

 さとりさんは澄まして言う。
 ええい、なんか丸め込まれた感じがする。

「でも、そういうことなら、普通の小説とか、さとりさんが読んで楽しいものですかね? 嘘臭く見えたりしません?」
「なら貴方は、完全に虚構だとわかっている話を楽しめないの?」

 ……いや、そんなことないな。僕の嗜んでいるサブカルチャーのストーリーは、本当に荒唐無稽なものもたくさんあるが、それはそれとして僕は大好きだ。

「すみません、愚問でした」
「そうよね。まあ、他人と話すよりは余程面白いわよ。ページを捲らないと、登場人物がなにを思っているかはわからないしね」

 それもまた寂しい話だなあ。まあ、声を出さなくても意思疎通できるのだから、話すなんて無駄にしか思えないのだろうが。
 それに、そもそも話し相手がいない。心を丸裸にされる相手と話したい人間ってのは、確かに少数派だと僕も思う。僕も、さとりさんの能力が通じていれば、こうまで気安く話せていなかっただろうし。

「そういう意味で言うと、やっぱり貴方はけっこう貴重な相手ですね」
「はあ、どうも」

 なんか割と朗らかな笑顔を向けられて、僕はなんとなく照れくさくなり、お茶を飲んで誤魔化す。
 と、ふと部屋の襖が開いた。

「おや、お兄さんじゃないか。いらっしゃい」
「おう、お燐か」

 ここんちの火車が現れた。いつも持っている手押し車の上には、今は死体は乗っていない。……よかった。別にお燐は自分で殺したりはしないが、知り合いの死体が火葬前に運ばれていたりしたら微妙な気分になるところだった。

「お兄さん、お土産はないのかい?」
「あー、ちょっと待て」

 なんかあったっけ、と『倉庫』をごそごそする。
 好き勝手に荷物を詰め込んだりするので、たまに自分でもなにが入っているのか忘れてしまうことがあるのだ。

 でも、野良猫懐柔用のおやつとかはあったはず……

「あった。煮干し。食う?」
「煮干し? あ、海の魚だ」
「おう。そういや、幻想郷じゃないんだっけ。袋ごと持ってけ。後で袋は返せよ」

 まだ未開封の大袋をお燐に投げ渡す。早速お燐は袋を開けて、煮干しを二、三匹口に放り込んだ。

「ん〜〜♪ 美味しい! いやあ、お兄さん、いつも悪いねえ」

 機嫌を良くしたお燐が僕の背後に立ち、ぎゅっぎゅ、と肩揉みする。

「お、気持ちいい」
「凝ってるねお兄さん」
「デスクワークも多いからなあ……」

 そして、家に帰っても基本パソコンを弄ってるか本読んでるかアニメ見てるかである。そりゃ肩も凝るというもの。

「お燐。猫族のみんなで分けなさいね?」
「はぁい。わかってます」

 さとりさんの釘刺しに、お燐は不承不承頷いた。こいつ、言われなければ独り占めする気だったな? 一応、ペット用の煮干しだから大丈夫だが、食べ過ぎは良くない……いや、妖怪には無用の心配か。

 ぴゅー、と駆けていくお燐を見て、ふう、とさとりさんが溜息をつく。

「まったく。私の前で誤魔化しなど通じないのに」
「あ、やっぱり一人で食べる気だったんですね」
「ええ。まあ、うちの猫全員に分けるととても足りないから、仲の良い何匹かと分けるつもりみたいですけど」

 そ、そこまで読まれるんだ。やっぱりちょっと怖いなあ。

 なんて感想を抱きつつお茶を飲み、しばらく沈黙を挟む。
 ややあって、さとりさんが口を開いた。

「……そういえば、こいしのことだけれど」
「はい? ああ、最近はなんか暴れてましたね」

 希望のお面を強奪したり、都市伝説騒ぎに便乗してたという話も聞いた。

「らしいわね。今更あの子の行動を地上の妖怪が咎めるとも思わないけど、一応上には出ないって約束があるのに」
「……そういえば、そんなもんがあるとか言っていましたっけ。忘れてました」

 もはや有名無実になっているような気がするが。
 命蓮寺の妖怪達も、元は地底にいたらしいし、

「まあ、あの子が心の目を開いてくれるきっかけになれば良いのだけど。地上でのこいしの様子はどう?」
「さあ……どうでしょうねえ。初めて会った時よりは、マシになったような気はしますが」

 あっちへふらふらこっちへふらふら放浪してて、滅多に遭遇しないので、恐らく、としか言えないが。
 まあ、宴会があると十中八九ちゃっかり紛れ込んでいるのだが……

「そう。少しでも良くなっていればいいけどね。気長に待つしかないのでしょうけど」
「割と心配症ですね」
「姉ですから」

 意外と、と言ってはなんだが、妖怪も結構肉親の情とかはあるんだよなあ。
 レミリアも、僕にはあんななのにフランドールには甘いし。

「おっと、お茶が切れたわね。おかわり、淹れてくるわ」
「お願いします」

 そうしてしばらく。

 お茶を三回程おかわりするまで、さとりさんと話し込んでその日は過ぎていった。














「……むっ!? 何者! 地霊殿の方から来るなんて!」
「げぇ、しまった!?」

 そして帰り道。

 うっかり隠形をするのを忘れてしまい、お空に発見された。
 しばらく会っていなかったせいで彼女の脳内から僕の存在はすっかりと消えてしまっており、核融合エネルギーによりじゅっ、と蒸発させられた。

 夜になってから服なしで復活した後、頑張って姿消しのお呪いを何重にも展開しながら這々の体で帰ったのだが。
 ……だ、誰にも発見されなくて、よ、よかった。



前へ 戻る? 次へ