「あ、先生。いらっしゃい」

 と、守矢神社を訪れると、東風谷が花開くような笑顔で出迎えてくれる。
 うん、元々東風谷は可愛いし、そうやって笑顔を向けてくれると、僕としても非常に嬉しい。

 ……まあ、彼女の視線は、僕が手に持っている紙袋の方に釘付けなわけだが。

「おーう、来たぞ。ほら、これ。この前約束してたやつ」
「ありがとうございます!」

 と、嬉々として東風谷が受け取った紙袋に入っているのは、僕がいつも買ってて実は東風谷も読んでいたという少女漫画の最新刊だった。
 外の世界の品をなんでもかんでも融通するのは、流石に僕の財布的に限界があるが、たまたま買っているのを貸すくらいは、こうして便宜を図っていたりする。

「次会うときにでも返してくれればいいよ」
「はい。本当にありがとうございます。はあ、この作者さんの漫画、好きなんですよね」
「それはまあ、僕もな」

 妹が買い揃えていたから興味を持って読み始めたシリーズだが、意外や意外、男の僕でも十分以上に楽しむことが出来たものだ。
 男女問わず人気の漫画家なので、漫画は友情・努力・勝利な少年漫画派の東風谷も例外的に買っていたらしい。

「これは、夜にじっくり読ませていただきます。先生、折角いらしたんですから、お茶でもいかがですか?」
「んじゃあ、もらおうかな」
「はい。じゃ、こっちに」

 と、東風谷に母屋の方に案内される。

 元々は外の世界に建っていた東風谷家をそのまま移設した母屋は、数々の河童のカスタマイズを受け、今や立派に幻想郷に適応していた。
 ガスが通っていないため、キッチンは大胆に土間に変えて竈を設置。水道は、元々の水道管を流用して井戸水が蛇口から出てくるように改良されている。
 前々から試験運用の始まっている電気の類は、今では夜の明かり程度は常時賄える様になったとか。

「でも、蛍光灯や電球の買い置きがないので……。蛍光灯はもう少し持つと思いますけど、切れたら蝋燭に逆戻りですねえ」
「夜は星が出てないと暗いよなあ」

 そんな悩みを話しながら、東風谷が薬缶を火にかける。
 しかし、蛍光灯ねえ。それくらいなら買ってきて上げようかなあ。

「まあ、生活の不便はもう慣れましたけど。でも、やっぱり一番の問題は娯楽がないことですよ。こっちの遊び道具ってやっぱり古いのばっかりだし。天狗の新聞はけっこう面白いですけど、刊行は不定期だし。……弾幕ごっこも楽しいですけど、相手がいつもいるわけじゃないし」
「……弾幕ごっこが楽しいっていう時点で幻想郷の娯楽にどっぷり浸かっている気がするけど」
「ええー? そうですかね?」

 自覚がねえ!?

「とにかくですね。私、なまじ現代生活を知ってるものだから、あまりこっちの遊びには馴染めなくて。里の娘さんたちと遊ぼうにも、そもそも私と同年代の方となると、もう働き手として忙しかったりしますし」
「霊夢や魔理沙と遊べばいいじゃないか」
「あの人達と戦るのは気合を入れないといけないので……」

 今、やると読んで『戦る』と書いたな?

「いや、東風谷。あいつらと遊ぶことイコール弾幕ごっこじゃないぞ?」
「そうは言いますけどねえ。先生、私と霊夢さんが、おはじきとかで遊んでる場面、想像できますか?」

 いや、確かに全然想像できないけど! なにせ連中、サッカーを始めたらスペルカードシュートをぶっ放すくらいトンチキな奴らだからな。
 おはじきも同様、スペルカードを持ち出して、『行くわよ、夢想封印!』などと叫んで、一発でおはじき総取りとかやらかしかねない。そしてなぜかおはじき自体は罅一つ入っていなかったりするのだ。そりゃやってらんないだろう。

「こういうこともあるかと思って、こっちに持ち込んだ外の本は、もう何十回も読み返しましたし。電気が通るようになってからは、たまたま持ってきてたビデオを同じく何回もローテーションしてます。こうなると、先生の持ってきてくれる本が癒やしですよ」
「はあ……」

 まあ、そこら辺は辛いよな。僕もそのせいで将来的に幻想郷に移住するの二の足踏んでるもん。

「神奈子さんや諏訪子はどうしてんだ?」
「あのお二人は、現代のことは懐かしがってますけど、娯楽はそれぞれ見つけているみたいです」

 そういや、諏訪子の方は里の祭りでいろんな遊びやってたっけ。

 と、そんな風に話しながら、東風谷が沸騰した薬缶から急須にお湯を注ぎ、しばし蒸らして湯呑みに注ぐ。ここまで、話を続けながらも動作に淀みはない。

「どうぞ……っと。きっと、お二人の余裕はアレですよ。やっぱりその辺りは、年の功というか」
「まあ、幻想郷と同じような時代も潜り抜けてきたんだろうしな」

 お、このお茶、中々美味い。

「でも、だからって早苗。私のことを年寄り扱いは止めとくれよ。私はまだまだ若いつもりだよ」
「そーだそーだ!」

 ……と、噂をすれば影というか、この守矢神社の誇る二柱の神様達が、連れ立ってやって来た。

「早苗、私にも茶をくれ」
「私もー」
「はいはい。ちょっと待って下さい」

 と、東風谷は慣れた様子で、二人用と思われる蛇と蛙の模様がそれぞれ入った湯呑みを取り出し、お茶を注いでいった。

「ふう、よし。さて」

 神奈子さんは東風谷から手渡された茶を一口啜り、おもむろに僕の持ってきた紙袋に手を伸ばす。

「よし、じゃないよ。神奈子はこの前のやつ、先に読んだじゃないか。今日は私が先だよ」
「まあいいじゃないか、諏訪子。この新刊は私、楽しみにしていたんだ」
「それは私も一緒だってば」

 お互い、紙袋を掴んで離さない神奈子さんと諏訪子。

「なあ、東風谷。二人の余裕が……なんだって?」
「ああもう……」

 東風谷が頭を抱え、嘆きの声を上げる。
 そうこうしているうちに、二柱の神のボルテージは際限なく上がり、なんかこう、物理的にバチバチと火花が飛び散り始めるのだった。




























 かつて起こった大和の神と土着神の戦争が、あわやこの幻想郷の地で再現されるか、という直前。
 『喧嘩するなら、次からは持ってきませんよ』という僕の仲裁は見事成功し、二人は大人しくじゃんけんで順番を決めた。

 今は勝利した諏訪子が、嬉々としてページをめくっているところである。

「ああもう、諏訪子様。お煎餅を食べながら読まないでください。先生にお借りしているものなんですから、食べかすが……」
「大丈夫大丈夫。こんくらい。ねえ?」
「……まあ、僕は読めりゃ本の状態は気にしない方だけど、それはそれとして注意はしてくれよ?」
「はいはい、わかったわかった」

 そう言うと、諏訪子は茶菓子として出してある割りとでかい煎餅を、一口で口に入れてバリボリと噛み砕く。
 ……行儀悪いなあ。

 一方、じゃんけんに敗北した神奈子さんは、不貞腐れたようにお茶を啜っていた。

「ふう……ちぇ。諏訪子、早く読んでくれよ」
「りょーかいりょーかい。ふんふーん」
「あーあ、くそう。早苗、おかわりー」
「はいはい」

 返事をして、東風谷が立ち上がる。急須は、とっくに空になっていた。

「ときに、今日持ってきた漫画。神奈子さん達が読んで面白いもんなんですかね」
「んー?」

 ふと気になって聞いてみる。

 いや、本日の漫画は、モチーフが日本神話なのだ。簡単に言うと、イケメン揃いの日本神話の神々が、悪しき神と戦うというストーリー。
 タケミカズチとかアマテラスとか出てくる。

 ……その辺、神奈子さん的にはどうなんだろうか。

 と、言葉を重ねて聞いてみると、神奈子さんは『なんだ、そんなこと』と笑って、

「確かに、何人か知り合いもいるがね。いちいちそんなこと気にしてたら、フィクション作品なんて楽しめないさ」
「そういうものですかねえ」
「そういうもんだ。大体、大本の古事記や日本書紀だって、割と朝廷の都合の良いように編纂されてるからね。事実とは微妙に違うさ」

 そもそも、神話を事実として捉えている人間は、現代では少数派だが。

「……それは例えば、男神が実は女神だったりとか?」
「よくわかったね」

 やっぱりそうか。読めてたよ。大体、神奈子さん自身が神話だと男神っぽいしね。

「私なんて、まだマイナーな方だから良いさ。幻想郷じゃ、後世で好き勝手アレンジされた連中は沢山いるだろう?」
「あー、輝夜とか神子さんとかね……」

 神奈子さんも充分以上に名の知れている神様だと思うが、日本人のほとんどが知っている昔話の主人公である輝夜とか、昔のお札にまで載った神子さんには流石に敵わないだろう。
 、言われてみれば確かに、かぐや姫や聖徳太子が登場する漫画とかゲームはいくつか心あたりがあるしね。流石にギャグマン○日和を神子さんが見たらキレるかな。……キレるだろうな、うん。

 ……有名人は大変だ。
 昨今、近代の軍人さんとかも美少女キャラになって空を飛び回ることであるし、僕は絶対に歴史に名を残さないようにしよう。いや、そんな歴史に名を刻むような大それたことができるとは思っていないけど。

「そんなこと言って。神奈子、ゲームに自分を元にしたキャラが出た時は、私のやつよりレベルが低いって怒ってたじゃないか」
「あ、あれは……ていうか、あのゲームはお前も怒ってただろ!」
「だって、外見がアレだよ。私も、これでも女なのに。まあ、生殖器が崇拝対象になるのはありがちだけどさあ」

 女神が転生する系のあのゲームか。
 というか、ホント色々やってるな、この二人。余程外の守矢神社の生活は暇だったんだろうか。信仰が尽きかけたというのだから、神様の仕事はなかったのかね。

「それで神罰とか与えていないよな、諏訪子」
「良也、私を何だと思ってるんだ。そんなことで祟ったりしないよ。それに、ゲームとはいえ、自分の存在が忘れられていないってわかるのは嬉しいもんだ」

 ふーん……そういうもんかね。

「ていうか、諏訪子。さっさと読んでくれ。後がつかえてるんだ」
「ああ、はいはい」

 神奈子さんが文句を言い、諏訪子が漫画に戻る。

 ……ふう、

「東風谷ー、お茶のおかわりもらうぞ」
「はい、どうぞ。……先生、相変わらずお茶好きですね」

 空になった湯呑みに、お茶を注ぐ。

 そんな風に、守矢神社での時間は過ぎていった。













 なお、後日、宴会の席で今日のことを神奈子さんがぽろっと話の流れで話した結果。
 幻想郷の有名人共が、自分の載っている作品を持ってきてくれ、と僕に要請した。

 なんか断ったらえらい目に遭いそうなので、観念して持ってきた。

 ……結果は、聞かないで欲しい。



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