「いよ、小町」 「あれ? 良也じゃん。なんの用さ」 三途の河の畔。地べたにごろりと転がって鼻歌を歌っていた小町に挨拶をする。 「いや、ちょっとな。……酒、呑むか?」 「おほ。いいねいいね。ちょっと待ってな」 一升瓶を取り出すと、小町は目を輝かせて、河の畔の岩陰に置いてある荷物をがさごそし、升を二つ取り出した。 「ほれ」 「さんきゅ」 片方を投げて寄越され、僕はキャッチする。 そして、無言で一升瓶の封を開け、小町に注ぎ、小町からも注いでもらう。 この間、一分とかかっていない早業である。仮にも仕事中であろうに、酒呑むと決めてから呑み始めるまで時間かからなすぎだろう。 「ふむぅ、いいねいいね。昼間っから呑む酒は。……ってか、この酒美味い」 「……まあ、僕はいいけどな」 「なぁに、ここ最近はそれなりに真面目に渡しをやってたからさ。少しくらい休憩したって、罰は当たるまい」 カカ、と笑う小町は、多分これ本気で思ってそう。罰が当たらないなんて、そんなわけないのになあ。……映姫がやって来ないことを祈ろう。 「それで、本当に何の用さ、良也。まさか本当に私と酒呑みに来たわけじゃあないんだろう?」 「……わかる?」 「わかるさ。もう、お前さんともそれなりの付き合いだ。いっつもお気楽な顔しているお前さんが、んな深刻な顔してんだからねえ」 「気楽って……そうか?」 「そうだよ」 む、むう。なにか、とても不本意であるが……とりあえず、そのことは後日追求することにしよう。みんなにアンケートを取ってもいいかもしれん。『土樹良也はお気楽ではないですよね?』って感じで。 まあ、それは本当に後日の話として、 「贔屓にしてる酒蔵のおやっさんがさ、少し前亡くなったんだよ」 「ありゃ」 「まあ、八十まで生きた大往生ではあるんだけどさ」 栄養状態や医療が外の世界ほど発達していないここでは、平均寿命はもっと短い。 「成る程ね。そりゃ確かに大往生だ。傘寿まで生きたかい」 「で、今日葬式にも行ったんだけどさ。……まあ、何ができるってわけじゃないけど、見送りくらいはしとこうかな、ってね」 葬式の後。おやっさんの霊魂が抜けたのを見た僕は、悩みながらも三途の河に飛んできたというわけである。 普通の人間だと、この辺りは危険過ぎる。しかし、僕は一応、来るだけならそんなに大変でもない。 途中、おやっさんの霊魂を追い抜いてしまったため、まだ三途の河は渡っていないだろう。……ここに来る途中で話しかけると、下手すると現世に迷ってしまう可能性があるため、追い抜くときに呼びかけたりはしなかった。 「ふぅん」 「ま……小町には迷惑だと思うけどさ」 「別に、お前さんが来ようと来まいと、私は私の仕事をするだけさ」 死神である小町が、人間の死をどうこう思うはずもない。仮に、知り合いである霊夢とかが死んだって……死……死……死ぬのか? あいつ。 いやまあ、ともあれ。 とにかく、知り合いの誰かしらが死んで、そいつの魂をあの世に運んだところで、小町が哀しみを覚えることはないだろう。 「……でも、そのおやっさんとやらは気になるね。この酒、そいつが作ったやつだろう?」 「ああ。そこの酒蔵の、最高級のやつ。おやっさんが最後に仕込んだ酒だ。どうだ?」 「ん、さっきも言ったが、美味い。前に呑んだ天界の酒も、そりゃぁ美味かったが、あの酒とはまた別の美味さだ。人の人生の味だね」 小町の言わんとする所は、なんとなくわかる。 僕も、天界の酒や月の酒、鬼の酒に外の世界の酒、と色んな銘酒は呑んできたが、おやっさんの酒はそのどれにも負けていない。どちらが上だとか、無粋なことは勿論言わないが……おやっさんの酒は、おやっさんの味として完成されている。 「これは一等上等なやつだけど、並品もさ。値段の割に味がいいんだよ」 「へえ。今度はそっち持ってきなよ」 「機会があればな」 ここの酒蔵……というか、おやっさんの酒のファンは多かったから、もうあの人が作ったのは売り切れているだろうが、跡継ぎの人の腕も良い。最高級品はおやっさんにはまだ敵わない部分があるように思うが、並品は少なくとも僕程度の舌ではおやっさんとの差は見出だせなかった。 「……来たね。多分、あれだろ? 綺麗な魂じゃないか」 「ああ」 そうして話していると、一つの人魂がふよふよと小町の舟目指してやって来た。 その人魂は、僕を見つけたのか、くるりと一回転して挨拶をした後、さっさと渡し船に乗り込んでしまう。 「はっ、往生際が良い死人だ。……さぁて、そういう輩は、さっさと送ってやるに限らぁね。酒の礼だ。特別に、特急で行ってやろうじゃないか」 「……果たして、三途の河を渡る船が特急だとして、それはサービスになるんだろうか」 「んん? はっは、特別だっつったろう。私がそんなにスピード出すのは滅多にないんだ。サービスに決まってる」 もう僕は死なないけど、もしまかり間違って三途の河を渡ることになったら、できれば今までの人生に思いを馳せることができる程度の速度で渡してほしいなあ。 「んで、良也。別れの言葉とかはいいのかい」 「いいよ。家族の人が言えないのに、僕だけが言うのも違うだろ。本当に見送りに来ただけだから」 「さよか。んじゃ、ちょっと待ってな」 と、小町は軽やかに渡し船に飛び乗る。 「さて、お客さん。ここからは私、小野塚小町がご案内するよ。お宅なら閻魔様んところまで大した時間はかからんだろうが、まあその間はこの暇な死神の話にでも付き合っとくれ」 小粋に話しかける小町。幽霊なおやっさんは当然話せないため、聞きっぱなしのはずだが、何故か面白そうにしているのがわかる。……あの人、八十にもなって女好きだったからなあ。美人な死神に当たってラッキー、とでも思ってんだろう。 やれやれ。 「んじゃ、良い旅を。おやっさん」 音もなく進んでいく小町の舟を升を掲げて見送りながら、僕はそう呟く。そして、舟の影が見えなくなるまで、手酌で酒をちびちびと口に運んだ。 ちょ〜〜っと涙が流れているのは、僕が泣き上戸だからであり、満足そうに笑って逝ったというおやっさんの死を、必要以上に悲しんでいるわけではないので、そこのところは勘違いしないで欲しい。 「ただいま」 小町が帰ってきたのは、それから三分後だった。 「早っ!?」 「だってあの爺さん、やたら渡し賃が多かったんだもんよ。そりゃ河幅も狭くなるさね」 「……おやっさんちの酒蔵は人気だったけど、手頃な価格に抑えてたから、そんなにびっくりするほどの財産はないような」 「三途の河の渡し賃はそうじゃないよ。周りの人間が、その人のために使った金の合計なんだ」 ……その設定は初めて聞いた気がする。 「そうなんか」 「ああ。……って、おい、良也。一仕事してきた私に、酌の一つもしてくれないのかい?」 ひょい、と適当に転がしてた自分の升を拾い上げて、小町が注げ、と要求してくる。 「はいはい」 「ああ、いいねえ、美味いねえ」 この酒が、もう呑めなくなるってのは、寂しいな…… 「こら、良也」 「……なんだよ」 「なに泣いてんだ。辛気臭い」 うぐ…… 「な、泣いてないぞ……」 「アンタいい大人だろうが。もうちょっと誤魔化し方ってもんがあるだろうに」 いや、まあ自分でも今のはどうかと思った。こんな大の男が強がっても全然かわいくない。 「験なき物を思はずは一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし」 「?」 「万葉集の歌さ。まあ、細かいことは考えずに、酒でも呑んでろって歌だよ」 「……僕は和歌には詳しくはないが、なんかそれ解釈違わないか?」 「違わない。……いや、疑うなって。本当にそういう歌なんだよ」 マジか。正直、あまりそういうの知らない僕からすると、和歌ってもっと真面目なもんかと思ってた。駄目な呑兵衛が歌ったような歌じゃないか。実は深い意味が込められていたりするのか……? 「とにかく、そういう感じだ。人間の死は確かにあんたからしたら悲しいかもしれんが、引き摺り過ぎたら毒になる。こういう時のために、酒があるんだ。……まあ、グダグダ考えずに呑め呑め」 「はあ……わかったよ」 これは慰められてるのか、それとも酒の席で辛気臭い顔してんじゃねえ酒が不味くなるって意味か、どっちなのだろうか。 ……まあ、おやっさんも、楽しい酒が好きな人だったし。 やっぱ、必要以上に落ち込むのは良くないな。 僕は顔をぐいっと拭って、升を一気に煽った。 「よし、調子が出て来たじゃないか」 「ああ。小町、おかわりくれ!」 「はいよ」 注がれた酒を、再度一気する。 「って、全部呑むなよ?」 「わかってるって。ほれ」 小町の升にも注いでやる。 「んく……ふう。……良也、少しはいい顔になってきたじゃないか。ああ、勿論美男子って意味じゃないから勘違いはするなよ?」 「そんな勘違いをするほど顔に自信はねぇよ」 余計な一言を加えよってからに。 「そうかい、それはなにより」 「なにがなによりなんだ……もう。くそ、呑むぞ」 そうして、死神との宴会は過ぎていく。 きっと、おやっさんもこういう風に呑まれる方が嬉しいだろう。 なお、その日は、結局夜まで思う存分飲み明かした。 ……親しい人が死んだら、しばらくは小町にはこうやって付き合ってもらうのかもしれない。 早い所慣れたほうがいいのか、それとも、慣れることはないのか。 ――そのうちわかるかな。 「あ、こら良也! 悟ったような顔をしながら逃げんな!」 「ええい、離せ! お前と呑んで映姫に説教されるっていうパターンから僕は脱却するんだ!」 「貴方達、そこに直りなさい!」 ……いや、ホント。これはもう懲り懲りなんですよ、うん。 | ||
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