今日も今日とて、僕は魔術の勉強のため、紅魔館の大図書館に足を運んでいた。
 外での社会生活には全くもって役に立たない知識だけど、面白いので長く続いている。これで、レミリアとフランドールの吸血がなければ……いや、今更か。もう諦めている。大して痛くもないし。

 んで、我が師匠であるところのパチュリーは、いつものように本から顔も上げずにちらりと視線を向けるだけの挨拶を――

「良也」

 と、思ったら、何故か立ち上がってこちらに歩いてきた。……なんだ、珍しい。

「よう、パチュリー。こんにちは」
「ええ、こんにちは。いいタイミングで来たわね」
「……なにか嫌な予感がするんだが」

 僕が待ち構えられる時って、十中八九ろくでもない理由がある時なんだけど。

「失礼ね。ちょっと聞きたいことがあるだけよ」
「聞きたいこと?」

 パチュリーが僕に聞くこと? 大抵のことなら、自分で調べてしまうパチュリーが、これまた珍しいこと。まあ、パチュリーの場合、本からの知識に偏りまくっていて、けっこう変なところで知らないことがあったりするので、その手のものか?
 なんて想像しながら先を促す。

「アームストロングってなにかしら?」
「……なんだって?」
「アームストロング。聞いたことない? 字面だけだと、腕力に関係するものかなって思うのだけど」

 いや、聞いたことはあるが。確か、アームストロング砲っていう兵器があったはずだ。しかし、何故にそんな外の兵器に興味を?

「あー、っと。なんか大砲の一種だったはず。ゴメン、僕軍オタじゃない」
「大砲……なるほど。月に行く方法は、大砲を使って打ち上げるのね」
「ちょっと待て」

 月? 月に行くっつった?
 えーと、それはもしかしないでも、

「……パチュリー。念のために聞くけど、そのアームストロングってどっから出てきた?」
「この雑誌で見たのだけど」

 と、パチュリーが取り出したのは、昔の科学雑誌。表紙には『アポロ計画成功!』の文字が踊っている。
 ……えーと、つまり、それって。

「あの、さっきの間違い。アームストロングって、確か月に初めて行ったパイロットの人の事」
「そうなの? さっきの大砲という意味でも、意味は通ると思うのだけど」
「大砲じゃ宇宙へは行けないだろ……」

 いや、現代のものなら知らないけどさ。

「しかし、なんだってそんなの調べてんだ?」

 ふと、パチュリーの机を見ると、さっき見せてもらった雑誌以外にも、アポロ計画や月に関する書物が山積みになっている。
 確かに、月っていうのはパチュリーの持つ属性の一つで、そして魔術において極めて重要な要素の一つではあるが……しかし、そんな形而下的なアプローチをして、意味あんの?

「レミィがね、月に行きたいって言い出して。そのために宇宙船を作ろうとしているのよ。外の世界では、月面に降り立ったって聞いたから、参考にしようと思って」
「……は?」
「だから、月に行くの。隙間の妖怪に唆されてね。あいつが月への侵略の協力をレミィに求めて……レミィは断ったけど、自力で月に行く気になったの」
「月侵略って……ちょっと話に聞いたことはあるけど」

 確か、大昔にスキマを中心とする幻想郷妖怪軍団が月の都――永遠亭の面子の故郷だ――に攻め込んでコテンパンに返り討ちにされたとかいう話だ。それを聞いた後、思い切りスキマに草を生やして『ざまぁ』と言ったら半殺しにされたので、よく覚えている。

「懲りずにまたやるみたいよ? まあ、月の人間に、月で戦っても結果は見えているけど」
「そんなもんかあ」

 僕からすれば、スキマがガチでやって負けるところなんて想像できないがね。
 っていうか、

「……月ねえ。つーか、どうやって行くんだ。何万キロ離れてたっけ? 何十万キロだっけ?」
「さあ。あの隙間妖怪については、自力でどうとでもするんじゃないの? 私たちは……あれ」

 あれ?
 と、パチュリーが指さした方には……前来たときにはなかったはずの、木の小屋? みたいなのがあった。まだ作成途中らしく、周りには木材が散らばっている。

 ……なんだあれ。とうとう自室に戻るのも面倒になって、図書館の中に部屋を作る気か、パチュリーの奴。でも、今だって紅魔館の自分の部屋は使ってないって言ってなかったっけか。

「あのロケットで月まで行くつもりよ」
「……お前ら宇宙ナメてんだろ」

 あんな木製のロケット――らしいな。一応円筒状で先っぽはとんがってるし――で宇宙に出られた日には、日夜技術を磨いているエンジニアの皆さんが泣くぞ。

「舐めてなんかいないわよ。その証拠に、こうして外の世界の資料も集めているじゃない」
「……いや、そんな雑誌の情報で飛べる気になられても」
「平気よ。要点は掴んだわ。要するに、三段の筒を組合わせて飛ばさないといけないわけよ。これだけわかれば月に行けたも同然だわ」
「勝手に同然にすんな……」

 頭痛ぇ。

「多分、雲の高さに行く前にバラバラになるぞ。ていうか、木製で密閉が保てるのか? 空気抜けるぞ、空気」
「はあ……仮にも私の弟子なのに、随分とつまらないことばかり気にするのね」

 いや、僕は至極当然の疑問をだね。

「勘違いしているみたいだけど、別に外の技術そのままで向かうわけじゃないわ。外のロケットを、私の魔術で再現する……一度でも月に降り立ったロケットを模倣するんだから、ちゃんと月に着けるわよ。まだ課題は多いけどね」
「む……」

 そう言われると、出来る気がしてくるから不思議だ。
 確かに、パチュリーも魔術の世界じゃ超一流の第一人者である。多分。他の魔法使いあんまり知らないけど、多分。

 科学で可能だったことを、魔法で再現することも不可能ではない……のかなあ? しかし、どう想像を巡らせても、月までの距離をどうこう出来るとは思えないんだけど。
 っていうか、

「……月に行きたけりゃ、永遠亭の永琳さんとかに聞けばいいんじゃないか?」

 月出身って話だし。月からお迎えが来たかぐや姫その人もいるし。鈴仙なんか、つい何十年か前に月から逃げてきたらしいし。

「貴方ね」

 心底呆れた、という風にパチュリーがため息を付いた。
 な、なんだ? 僕、変なこと言ったか?

「あの連中が、素直に私たちに力を貸してくれると思う?」
「……いや、頼めば」
「個人として付き合いのある貴方とは違うの。紅魔館というコミュニティに連中が与するわけないじゃない」

 『大体』とパチュリーは続けた。

「そんな、推理小説を後ろから読んで真っ先に犯人を探すような真似をして楽しい?」
「なんだ……要するにアレか。つまるところ、趣味か」
「そんなところよ。技術的にも、中々興味深い題材だしね。月旅行」

 レミリアだけじゃなく、パチュリーも思い切り楽しんでる様子。

 ……まあ、僕が迷惑を被らない範囲で好きにやって欲しい。
 仮にロケットが途中でバラバラになったところで、乗員がレミリアならば心配することないし。

 なんて、感想を抱きながら……月ロケットのための研究をしているパチュリーを尻目に、僕は魔法の勉強に入るのだった。
































「ふふん、パチェ。なかなかそれらしいのが出来ているじゃない」
「……レミィ。まだ木を組んだだけなんだから、あまり触らないでね。崩れちゃうわよ」
「平気よ。平気」

 本に集中していると、咲夜さんを伴ってレミリアがやって来た。

 普段なら、真っ先に僕のところに来て血を吸う奴なのだが、今日に限ってはロケットの方に興味が向いているらしい。
 駄目と言われたのに、ペタペタと木組みのロケットを触っている。

「ねえ、パチェ。あとどのくらいで完成するの?」
「形を整えるのに、後二月くらい。『中身』については、さていつになるやら。入れ物の完成に合わせたいところではあるけど」
「ええ? 明日くらいに行けないの?」
「レミィ。明日出発したとしても、到着する頃には新月よ」

 ……新月でも、別に月があることに変わりはないと思うんだが。

「ちぇっ。……って、あら、良也じゃない。来てたの?」
「お邪魔してる」
「って、あっ! 良也、このロケット見た?」
「今まさに視界に入っているけど」
「お披露目パーティーまで、誰にも見せるつもりはなかったのに」

 なんか悔しそうにするレミリア。後ろで控えている咲夜さんが苦笑している。

 なんかいつもより子供っぽい。面白いことを見つけると、こんな感じだっけ、そういえば。昔、フランドールがねだって鬼ごっこした時、『たーべちゃうぞー』ってノリノリだったしなあ。

「まあいいわ。どう、良也。この紅魔館の技術を結集したロケットの威容は!」

 ……いや、完成したらどうなのかわからないけど、現時点であのロケット(仮)は正真正銘ただの木で出来た小屋なんだが。
 しかし、それを正直にコメントしたら、レミリアの機嫌は急降下、腹いせに僕に当たること間違いなしである。

「……ああ、ある意味脱帽した」

 こんなんで本気で月に行くのか? という意味で。

「そうでしょう、そうでしょう」

 満足気に頷くレミリア。うわ、なんか今日のレミリアすっげぇチョロい。いつもこれだけ機嫌良ければいいのに。

「……良也、含みを持たせるならもうちょっとマシな言葉を選びなさい」
「まあまあ」

 ツッコミを入れるパチュリーだけど、当のレミリアは気にしていないから別にいいのだ。

「ふっふーん。良也。素直なお前は、栄えある宇宙船乗員その一に叙してやろうじゃないか」
「……は?」
「私も心が広い。まあ、フランの件ではなんだかんだで借りがあるからね」

 待て待て待て!

「ちょっ!? レミリ……」
「なんか文句でもあんの?」

 ギラリ、とその瞬間だけは吸血鬼らしいものすっごい怖い目で睨んできた。血のように紅い瞳に見据えられ、金縛りにあったように動けなくなる。
 ……ええい、魔眼は効かないはずなのに、こええよ!

 し、しかし、こんなおんぼろで月に行って無事に帰ってこれるとは思えない。不老不死だからって、真空状態に放り出されるのは御免被る! 下手したらリアルカ○ズ様になっちゃうじゃないか!

『そのうち土樹は考えることをやめた』なんて結末は流石に嫌だぞ。

「ふむ……それはいい考えかも知れないわね。宇宙船に何らかの不具合が起こった場合、私の魔術を知ってる者が入れば安心だわ」
「待て。パチュリーが一緒に行くんじゃないのか?」
「宇宙船を月へ導く魔法が必要なのは分かっているのよ。この魔法は外からじゃないと無理なのよね」

 ええ〜?

「あ、あの。僕にパチュリー作の魔術のメンテなんて無理だと思うんだけど」
「魔導書(マニュアル)は作っておくわ」
「で、でもな」

 言い訳を考えていると、パチュリーはぶつぶつとなにやら魔法の考察に潜っていった。

「ふむ、そうすると万一のためのあれやあれを外して……ペイロードにだいぶ余裕ができるわね。住環境をちゃんと整えることが出来そう」
「なに、それは本当? パチェ」
「ええ。外の世界のものと同様、最終的には一番上の筒しか残らない予定で、そこに乗員全員が入ることになっていたのだけど……良也が協力してくれれば、術式と競合して使えなかった咲夜の能力を使えるようにして、空間を広げることが出来るわ。この屋敷並、とは言わないけど、個室くらいは確保できそうよ」

 ほほう、とレミリアが本気の目になった。
 二人が話している間に、抜き足、差し足……

「お待ちください。どこへ行こうというのでしょう?」
「げっ、咲夜さん!?」

 今まで口を挟んでいなかった咲夜さんに捕まった!

「げっ、とは失礼ですね。しかし、気にしません。私もお嬢様に付いて行く予定ですので、お世話になります」
「それが理由ですか!」

 レミリアの命令もなしに動くのは珍しいと思ったら!

「だから、僕は嫌ですって! そんなあからさまな死亡フラグっぽいのは!」
「ほほう。じゃあその死亡フラグとやらを立てるのと、今ここで私に殺されるの、どっちがいい?」

 僕が逃げようとしていたことに気付いたのか、レミリアが血も凍るような視線を向け、爪を伸ばしたり!

「い、行く! 行くからその物騒なの引っ込めろ!」

 そして僕は、目先の恐怖にはしこたま弱いのである。半泣きになりながら、頷くしかなかったのであった。



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