里から遠く離れた辺鄙な森の中。
 誰にも忘れ去られたような、小さな廃村がある。

 たまたま前に散歩(歩いていたんじゃなくて飛んでいたんだが)している時に見つけたのだ。

 昔はここも人里の一つだったのか、十軒ほどの廃屋に、朽ち果てた納屋がいくつか。
 一応、昔は開けた場所だったことを証明するかのように、木は生えておらず、代わりに雑草が伸び放題になっている。

 この様子だと、このかつて村だった場所が森に侵食されるのも時間の問題だろう、という事を簡単に想像させる佇まいだ。
 妖怪や幽霊なんかが根城にしていそうないい雰囲気の場所だったが、何故か人外の類は住み着いていない。

 たまに僕はこの廃村にやってくる。
、何故かと言うと、妖怪や幽霊の代わりに――

「にゃー」
「にゃー」
「ふにゃぁ」

 とまあ、わかりやすい鳴き声が聞こえてきたが、要するにこの廃村は猫の楽園と化しているのだった。

 猫大好きな僕としては、天国のような場所。足繁く通ったお陰か、撫でたり抱っこ出来たりする猫も大分増えた。勿論、一部気性の荒い猫たちを除けばの話だけれども。
 今日も今日とて、里に行く前に、少し足を伸ばして寄ってみた。お昼前の陽気で、猫たちもまったりしている。

「おー、よしよし。ほれほれ、エサ持ってきたぞ」

 と、リュックに詰めていたキャットフードの大袋を破り、中身をざーっ! と振り撒く。

 ……本当なら、野生の猫に人のエサをやるのはあんまりよろしくないと思っているんだけど。まあ、ここんちの猫連中だと一食で全部食べてしまうし、おやつみたいなものだと思って気にしないことにしている。

 キャットフードをばら蒔いた場所から少し離れ、僕を遠巻きに警戒していた猫たちが食べやすいようにする。
 そうして、少し上が汚れている切り株に腰掛けて、食べている様子を見守った。

「………………」

 やっべ、口元がニヤニヤしてる。
 あ〜〜、和む。可愛いなあ、やっぱ。猫の一匹くらい飼おうかなあ。でも、うちのアパートはペット禁止だしなあ。

 あ、使い魔って手もあるな。パチュリーみたくモノホンの悪魔を従えるなんて真似は到底出来ないが、動物型の使い魔を一匹でっち上げるくらいなら……これならお行儀良く躾けできるし、ペットとしては理想的――

「いかんいかん」

 ぶるぶる首を振る。愛玩用に使い魔とか。すごく技術と魔力の無駄遣いな気がする。

 ぼけー、とそんなことを考えながら猫たちの様子を眺めていたら、まだ子猫と言える一匹がこちらに寄ってきた。かなり旺盛な食欲を発揮していたから、もうお腹いっぱいになったんだろう。
 意外と良い毛並みの三毛猫は、僕の膝の上に乗ってごろりと横になる。

「うむ、うむ」

 時々撫でてやると、指にじゃれついてきた。
 ……はふぅ、幸せだ。

 さて、予定通り今日は夕方くらいまでここでまったりしてよう。たまにはこんな癒しの時間も必要だ。

 流れる雲の動きを見ながら、そんなことを思う。

「あれー? なにやってんの、お前ら」
「フカーッ!」
「シャー!」

 ……が、その思惑は、突然の闖入者によって儚く消えることとなった。いや、正確にはまだ消えていないが、多分消える。もう、それは確信に近い。

「……ょう、橙」

 廃村の周りを囲う森から、唐突に現れたのは、スキマの式神である藍さんのそのまた式神。化け猫の橙であった。
 ちなみに、猫だけど僕との相性はあんまり良くない。

「あっ、アンタは紫様の玩具の人間の――!」
「誰が玩具だ!?」

 聞き捨てならない台詞に思い切りツッコむと、膝の上の猫がびっくりしたのか離れてしまった。……あ、しまった。

「僕とスキマはそんな関係じゃなくて……」

 ……じゃあ、どういう関係なんだろう?

 と、考えて、不覚ながら橙の意見に同意しそうになった。
 しかし、違う。もっとこう……僕にとって天敵なのは確かだ。でも、断じて玩具になどされていない。ええと、要するにつまり……

「と、友達だ。多分……いや、もしかしたら、そうなんじゃないかなー? と」
「ふん、紫様が人間の友達なんて作る訳ないよ」
「……そんなことないよ」

 人間の、どころか、あいつの友達って幽々子と萃香以外いないような気もするが、一応フォローしておく。
 それ以外の連中からは例外なくウザがられていることも黙して語らないのが、この幻想郷で上手に生きるコツだ。

「ふん、まあいいわ。で、アンタ、私の里でなにしてるの」
「だからさっきの言葉を……いや、もういい」

 玩具扱いを否定しても、信じてもらえない気がする。

「で、橙の里って? ここって、橙の故郷かなにか?」

 もしかして、昔は橙もここに集まっている猫の一匹だったのかも知れない。

「そうじゃないわよ。ここは、私が式神候補達を育てている猫里よ。人間が立ち入っていい場所じゃないわ」
「……思い切り引っ掻かれているのは気のせいか」

 何匹かの猫が、橙に猫パンチを放っている。

「ああもう! ほら、マタタビ! 今私は良也と話しているんだから……って、ああ! それは私のお弁当!」

 巾着から取り出したマタタビを上げようとしたところ、その巾着からおにぎりらしき包みを猫に強奪される橙。更にその猫を追いかけようとしたところ、別の猫を踏みそうになって慌てて足をどかして体勢を崩して見事転倒……

「……なあ、橙。お前本当に猫の妖怪か」
「……うっさい」

 嫌われていると言うかなんというか。しかし、妖怪の猫なんだから普通の猫より格上だと思うんだけど、別にそんなことはないようだ。
 ……もしかしたら、むしろこれは超絶に懐かれている証なのかも知れない。僕に懐かない猫も、懐く猫も揃って橙に突撃をしようとうずうずしているし。

「この調子じゃ、私の式神に慣れる立派な猫が出てくるのはまだ先ね」

 ぱんぱん、と体についた土を払いながら、橙が立ち上がる。
 ……なにも言うまい。

「で? いつまで居座る気?」
「いや、今日はしばらくいるつもり。出来れば、これからもちょくちょく通いたいんだけどなあ。猫、好きだし」
「ふん……私に懐かない猫が、人間なんかに……」

 橙が言いかけた辺りで、猫が数匹、橙を威嚇するのに飽きたのか、僕に擦り寄ってきた。足に頭を擦り付ける様子を、橙が驚愕の目で見る。
 気の毒すぎてなにも言えねえ。

「な、なんで!?」
「なんでだろうねえ」

 そんなの、僕が知りたいわ。まあ、一応キャットマスターを自称する僕だし……

「ほ、ほら、マタタビ! って、マタタビだけ持っていくなぁ!」

 ……やっぱり、凄く懐かれてね? さっきマタタビ取っていったのって、僕に近付きもしないやつなのに。

「う〜〜、お昼ごはんは取られるし、散々……」
「あー、っと」

 ぽりぽりと頬をかく。見てみると、太陽は既に真上。昼時だ。

 そして、一応、僕のリュックの中には弁当が詰まっている。今日はここで猫に囲まれながら昼食を、と思っていたんだけど、

「橙? 一応、僕も弁当持ってるから……食う?」

 きゅぴーん、と光った瞳は、確かに猫目だった。






























「んぐんぐ……中々美味しいじゃない」
「……今更だけど、その生姜焼き、玉ねぎが入っているんだけど」
「? 私、玉ねぎ好きよ」

 キョトンとした顔で、橙が聞き返してくる。
 猫の妖怪の癖にネギ類平気なのか。それとも、化け猫っていうのは猫がこの世の美味しいものをより多く食べれるようになった結果なのやも知れぬ。

 ちなみに、弁当は一人用だったので、仕方なく僕は詰めてたおにぎり一個だけで我慢している。まあ、朝ご飯遅かったし、平気だろう。子供が腹空かせるよりはいい。

「あっ、コラ! このお弁当は渡さないよっ。っていうか、お前らは食べちゃ駄目だって。人間の味付けは身体壊すから」
「……意外と真面目だ」

 橙が弁当を食べている間にも、猫たちは容赦なく集ってくる。しかし、流石に二度目はないのか、巧みに腕を使って死守していた。

「式神を作るって言ってたけど、道のりは遠そうだな」
「そうよ。大変なんだから」
「いっそのこと、猫にこだわらなくても、鼠とかでいいんじゃ?」

 同種族は、かえって難しいのかも知れないし。僕だって人間を使い魔にするとか、無理だと思うしな。

「……いつかの天狗と同じこと言うね」
「天狗?」
「あの、変な新聞紙を作っている奴。私が舐められているのは、圧倒的な力の差がないからだって。馬鹿にしてくれちゃって」

 ……射命丸と同じことを言っちゃったか。軽く欝だ。

「ふん、いいさ。今に凄い式神を従えて、ぎゃふんと言わせてやる。あんたも、あの天狗も」
「まー、頑張ってくれ」

 適当にエールを送った。僕はともかく、射命丸をぎゃふんと言わせるのは相当大変だとは思うが。……いや、むしろあいつが驚くようなことがあったら、嬉々として新聞のネタにしそうだ。

「気をつけろよ。射命丸は嘘は書かないけど、一を聞いて十を書いたり、意図的に曲解するからな……」
「? わかった」

 わかってないっぽい。……まー、大丈夫か。妖怪だし。

「ご馳走様」
「……ん? ああ、早いな」

 話たりしてたのに。
 しかし、弁当箱を見ると米粒一つ残さず食べられていた。……意外と行儀が良い。スキマ……は、有り得ないから藍さんの教えか。

「よし、じゃあ――」

 食休みも取らずに橙が立ち上がる。そして、懐からすちゃ、と取り出したのは……猫じゃらし。

「……念のために聞くけど、一体それでなにを」
「決まっているじゃない。ここの猫たちを手懐けるのよ」

 当たり前だが、猫じゃらしは猫をじゃらすために使う。
 取り巻いていた猫相手に、橙は猫じゃらしをふりふり揺らした。

「シャーッ!」
「フニャー!」

 興奮してる、興奮してる。

 しかし、猫じゃらしを持っている橙自身も、うずうずしているように見えるのは気のせいか?

「……そっとしといてやるか」

 ツッコんだら負けなのかも知れない。あれは手懐けると言うより遊んでいるだけに見えるが、もしかしたら猫同士にしか分からないコミュニケーションなのかもしれないし。

 僕はそっと、リュックから文庫本を取り出して、猫の鳴き声をBGMに、午後の読書タイムと洒落込むことにする。
 ……ああ、なんか幸せな感じだ。



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