命蓮寺の中は、相変わらず、お寺らしく清浄な空気が流れていた。妖怪が住み着いているというのに、この空気は……聖さんの徳か、それとも妖怪の性質か。 ……聖さんの徳という説は、そろそろ疑わしくなってきたが。いや、確かにいい人ではあるんだけど…… ま、まあ。どっちにしろ、中々に稀有な場所なのではないだろうか。 「あ、ムラサ。こんにちは」 「あら、良也さん。いらっしゃい」 そんな中、ムラサが境内を掃除していた。 相変わらずのセーラー姿。そりゃ、元々水兵服だったんだから、聖輦船の船長だったムラサが着てもおかしくはないんだけど。 「こ、こんにちは」 「……何か私の服に、変なところでも?」 気付かれているしっ! 「い、いや。そういうわけじゃない。実は、外の世界じゃ水兵服は……その、ちょっと特別で」 どーゆー特別なのか。と、自分で自分にツッコミを入れる。 「はあ……」 うーむ、制服はフツーに好きだから、どうにもこうにもドギマギしてしまう。 「まあ、いいですけど」 「そう言ってもらえると助かる」 いや、色んな意味でね。 しかし……。改めて、命蓮寺の本堂を見ると……。うーん。船が変化したとは思えない、立派なお寺だな。船長のムラサはどう思っているんだろう? んで、聞いてみた。 「そうですね。船長の私としては、船がなくなったのは残念ですが……。まあ、仕方ありません。船があっても、この幻想郷では意味がないようですし」 まあ、海なんかないしねえ。聖輦船は空を飛ぶ船だったが、ここの妖怪たちはみんな自前で空を飛べる。 魔界に行くような事態にでもならない限り、船は無用の長物というわけだ。 「そうだなあ。小舟とかなら、湖に浮かんでるけど。釣り用に」 後は、小町のところの船か。しかし、あれは死者しか乗れない船だし。 「やっぱり舟幽霊には厳しい環境ですね、幻想郷は」 「……え? ムラサ、舟幽霊だったの?」 「そうですが、なにか」 いや、舟幽霊っつーと、あれだろ。船を溺れさせる妖怪。 それが、なんで船長を? 「色々あったのです。私は海に縛り付けられた妖怪でしたが、聖に船を与えられたことで救われました」 「ふーん……」 よくわからないけど、救われたのならいいことなんだろう。 「おかげで、私の水難事故を起こす力も使わずに済んでいます」 「いやいや、物騒だな!?」 外の世界だと割りと洒落にならない能力だ。ほら、タンカー事故とかさ。 まあ、流石にそんな真似を起こしたら、外の世界の戦力が全力で舟幽霊を潰しにかかると思うが……と、考えると、今能力を使えない状況なのは幸運なのかもしれない。 「今は使おうとは思いません。聖の進む道に付いて行くのが私の生きがいなので」 「ふぅん」 ここんちの妖怪は、本当聖さんを慕っているんだなあ……。 うん、ちょっと羨ましいかもしれない。 「それに、地底で暮らしていた頃は川もなかったんですから、その時に比べればマシですよ。足を伸ばせば湖もあるし」 「ああ、そういえば。地底暮らしだったんだっけ……」 冬の、間欠泉の異変で一緒に出てきたんだとか言っていたな、そういえば。 でも、そうすると、なんだ。 「さとりさんたちとも知り合いなわけだよな?」 「? さとり……ああ、古明地さんのところですか。もちろん。あそこは地底で一番の勢力で……」 「うんー、まあ、鬼とかもいるから、微妙なんだけどね」 「ほう。でも、鬼っていうのは萃香にしろ勇儀さんにしろ個人主義……」 ……って、んん? 今、ナチュラルにスルーしかけたが、誰か……って、おい! 「こいし!?」 「古明地さんのところの、こいしちゃん?」 「うん、やっほー」 と、手をひらひらさせる、ともすれば目の前にいるのに見失ってしまいそうなほど存在感の薄い少女が、隣にいた。 ってか、自分の能力の範囲内に入れば気付くっつっても、普段の範囲が二メートルくらいだから全然意味がねぇ。 「……また地上にふらふら出てきたのか。さとりさんが心配するだろ」 「平気だって。ちょっと遊びに来ただけだし」 「ちゃんと晩御飯までには帰るようにしろよ。前、お燐が探しに来てたぞ」 どうも、このお嬢さんは地上がいたくお気に入りなようで、最近は博麗神社や守矢神社以外にもふらふらと飛び回っているのだ。たま〜、にどうしてこんなところにいるんだ、ってところで見かけることがある。 具体的には、誰も気付かないうちに紅魔館やら冥界やら永遠亭やらに出没し……とうとう、命蓮寺にまでやって来たか。 「大体、良也が声をかけたんでしょ? すっかり忘れてたけど」 「……そういえばそうだったな」 地霊殿にも一応声をかけたのだ。あまり地上に出ることはないので、期待はしていなかったけど。 「ん、久しぶり、ムラサ」 「え、ええ。こんにちは、こいしちゃん。待って、今ぬえを呼んでくるから」 地底仲間かあ。あんな所では色々と苦労もあったんだろうし、さぞや連帯感的なものが。 「……いや、意外と快適だったよな、地底」 うん、地下は夏は涼しく冬はあったかという話しだし。食料や酒も、どこから持ってきているの知らないが不足していないみたいだし。 ……なにより、地底は地上より好戦的な妖怪が少ない。いや、いないわけじゃないし、比べる相手が悪い気もするが。 「なんだ、全然いいじゃないか、地底」 うんうん。 と、僕は思ったのだけど、そう思わなかった人もいるようで。 「まあ、地底に封印されて……ムラサも、どうしてそのことを話してくれなかったんです?」 地底話に花を咲かせていたムラサ、ぬえ、こいしの元にやって来た聖さんが、また見事な勘違いを暴走させた。 「あの、聖さん? 地底に封印と言っても、意外に快適だったみたいですから」 「平和ではあったけど、退屈だったな〜」 「ぬえは余計なことを言わんでいい!」 その退屈を凌ぐために、飛倉に悪戯したこいつになにも言う資格はないと思う。 「それは問題ではありません。人間の勝手な都合で妖怪を地底に押し込めるなど……」 「いや、一部妖怪の思惑も混じっていましたが」 スキマがなあ。なんか、地底は連中の好きにさせる代わりに地上に手を出さない、なんて協定を結んでいたみたいだし。 スキマ以外の誰が関わっているのかは知らんが、人間だけの都合って訳じゃないのは確かだ。 ……ま、人間に封印されたムラサたちには同情するけどさ。 「致し方ありません……ムラサ」 「はい?」 「これから出陣します。目標は地底の開放」 「わーわー! 聖、とっくに地底は解放されていますから! 私がこうしてここにいることが証拠です」 とっくに、つってもほんの半年ばかり前の話だけどねー。 「? そうなのですか。では、何故地底の妖怪はそのまま地底に?」 「そういえば。こいし、どうなんだ? お前みたく地上に出ようとする妖怪っていないのか?」 尋ねると、茶菓子を熱心に漁っていたこいしは振り向いて、あんまり興味がないように言った。 「いないなー。地上の妖怪と約束した連中は大人しくそれに従っているし。他の妖怪も今更太陽まぶしい地上に未練なんてないよ。地底に太陽できたし」 お空の太陽は、まるで季節感ないけどな……。 「む……そうですか」 「ええ。私みたいに、地底から出ようと思った者もいましたが、それらは既に地上に散らばっているかと」 聖さんを助けるという目的のために出て来たムラサが言うと、説得力がある。 そういえば、地底の妖怪は忌まわしい能力を持つとかスキマが言っていたが……ま、今まで問題が起こっていないんだから、特に気にすることでもないんだろう。 「むう……」 「あれ、聖さん、どうしました?」 なにやら気落ちしている様子の聖さんに声をかける。 「いえ……どうにも、することがあまりないなあ、と。人の妖怪に対する偏見を説き伏せようと思っても、ここの人間はそんなものあまりありませんし。それに、特に虐げられている妖怪もいない……。一部の妖怪退治屋を別にすればですけど」 「ま、そんなもんですって」 ……ああ、ようやくその結論に至ったのか。長かったような、短……くはなかったな、うん。 「でも、人間と妖怪はまだ平等ではないですよ? さし当たって、人間側勢力の強化が必要だと思いますが」 うん、今は人里を除いては、幻想郷はほぼ妖怪のテリトリー。これを半々にまですれば真に対等に……いや、どうだろう。下手に今の状況を弄ると、とんでもないことになりそうな。人間対妖怪の大戦争とか。 「いや、やっぱ今のなし」 「? はあ」 なにやら聖さんは思い悩んでいる様子。まあ、あまり性急に進めることでもない。封印から開放されて、ちょっと気が急いていたんだろう、きっと。 聖さんの理想はいいものだと思うけど、こういうのはもっとゆっくり…… 「決めました」 と、聖さんは少し考え込んだ後、決意を込めて宣言した。 「はあ?」 「この幻想郷は、どうやら私の知るものとは別の、人間と妖怪の関係を生み出しているようです。ならば……まずはそれを理解することから始めましょう」 おお〜、なんか前向きっぽい発言。 「思えば、私の考えを押し付けるのみで、今までやって来た妖怪たちの話を聞くことをしませんでした。ならば、まずはそれぞれの考えを聞きたいと思います」 「……いや、言っちゃなんですけど、今まで来た連中って、幻想郷でも特に尖った連中ですけど」 意気込んでいるところ申し訳ないが、そっと忠告する。 ……うん、あの連中の言うことを聞いても、一般的なところの理解には、あんまり役には立たないと思う。 まあ、しかし。聖さんがより現実的な方向に舵を切ったのは悪くない傾向だ……よな? 「ふ〜ん、あれがムラサが前言ってた人かあ。変わってるね」 こいしが言うが……お前が言うな。 「よし。今度、今まで来た妖怪のところに訪問してみましょう。そして、話を聞かせてもらいます」 と、なにやら聖さんが一大決心していた。 多分、全部見回るのは大変だろうけど……うん、よし。 「なら、聖さん。僕に任せてみませんか」 「はい?」 とりあえず、宴会でもすれば、連中は集まるんだ。 大した労力でもなし、ちょいと協力しよう。 んで、僕の声かけで開催された宴会は、命蓮寺前の広場で開かれ……まあ、幹事なので気にしている暇はなかったが、聖さんも色んな妖怪と話していたようだった。 | ||
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