命蓮寺の中は、お寺らしく清浄な空気が流れていた。妖怪が住み着いているというのに、この空気は……聖さんの徳か、それとも妖怪の性質か。

 どっちにしろ、中々に稀有な場所なのではないだろうか。

「……それはいいんだけど」

 境内の真ん中に、聖さんの姿がある。
 いや、それはいい。それはいいんだ。なにせ、対外的には寅丸さんが毘沙門天の化身として妖怪を取りまとめているが、実質ここのボスは聖さんだ。どこぞの竹林の屋敷も対外的な主と影のボスは違うことだし。

 ……んで、その聖さんなのだが、どこかで見覚えのある妖精を正座させ、なにやら説教をしていた。

「多少の悪戯なら黙認しましょう。しかし、食べ物を粗末にするのはいただけません」
「うう〜」

 と、足が痺れているのか、正座した足をもどかしそうに動かしているあのちみっこは、確か湖を縄張りにしている氷の妖精ではなかったか。

「あ、あの妖精、また来たんだ」
「ぬえ? 知ってんの?」

 一緒に帰ってきたぬえが、面白そうにチルノを見た。

「そうそう。ここが空から飛んできたのを見たらしくてさ。『なにかとんでもない妖怪に違いない。負かしてやる!』って、悪戯しに……」
「うわぁ、嫌になるほど想像つく」

 普通の妖精だと、ここの妖怪の気配にビビって近付きゃしないのだが、(妖精の中では)サイキョーのチルノは、妖怪相手だろうと平気で悪戯を仕掛けに行く。
 聞いた話だと、あの映姫にすら喧嘩を売ったというのだから、その命知らずっぷりは推して知るべしだ。

 ……でも、所詮は妖精。結局、返り討ちに遭うんだけどね。

「どうも、聖さん」
「あら、こんにちは」

 まあ、ここんちなら問答無用で消滅させられることはないだろう。

 僕は、ぼーっと突っ立っているのもなんなので、挨拶をした。

「あ、良也!」
「よう。もうすぐ暑くなってくるっつーのに、元気だなチルノ」
「当然よ。氷の妖精は、夏なんかに負けやしないんだからっ」
「とか言って、夏は自前で氷室を作って引き篭もってるよな、お前……」

 そこへ、人里の人が、こっそり忍び込んで、氷を盗んでいったりしているのだが、当然のようにチルノは気付いていないらしい。

「良也さん。貴方、この妖精とお知り合いで?」
「いや、まあ。友達?」

 疑問系。
 果たして、嫌だと言っているのに新しい弾幕を思いついたら実験台にされる仲を、友達と言っていいものか。

 大ちゃんがいれば大人しいんだけどな……

「それでは、良也さんからも言ってあげてください。この子、保存しておいた野菜を軒並み凍らせてくれたんですよ」
「お前……またセコい悪戯を」
「セコくないよ! 兵法攻めは兵糧の基本なんだから!」

 逆だ、逆。器用な間違え方をしやがって。

「お前ね。補給も断たないで、兵糧攻めも何もあったもんじゃないだろ」
「ほきゅー?」

 ……兵糧がどうとかは、どこかで聞きかじった知識か。

「こういうことだ。はい、聖さん。今晩の晩御飯にでもしてください」
「え? あ、はい。ありがとうございます」

 丁度、多めに食材を買い込んできたところだ。野菜が詰まっている袋を聖さんに渡すと、チルノは『あっ!』と声を上げる。

「良也! なにするのさ!」
「なにするのって……まあ、お寺に寄付?」
「うう〜〜、あたいの兵法攻めが」

 だから間違っているっつーのに。大体、凍らせたって、解凍すれば問題なく食えるだろう。むしろ、保存できていいくらいだ。

「とにかく。悪戯すんなら、ここんちじゃなくて、紅魔館とか永遠亭とかにしとけ。ここはお寺だから、仏罰が下るぞ」
「ふんっ、そんなん怖くないもんね」
「……大ちゃんに言いつけるぞ」

 ふえ!? と、チルノの肩が跳ねる。

「今度大ちゃんに会ったら、あることないこと言い触らしてやろう。たっぷり説教されてこい」
「ちょ、ひきょーだよ良也!?」

 なんとでも言うが良い。卑怯者で結構。ロリコンとか言われたら断固抗議するが。

「うー!」
「ってことだ。ここには手ぇ出すな」

 大ちゃんの名前を出されては、言い返すことも出来ないのか、チルノはちょっと唸った後、

「覚えてなさいよっ、今度会ったらカチンコチンにしてやるんだからっ!」

 物騒な捨て台詞を残して、逃げていった。
 ……さて、次会うときは菓子でも用意して、機嫌を取ることとしようか。

「ってわけです。聖さん。多分、あいつはもうこれからここに悪戯したりしないと思うんで。……僕の言ったことを忘れるまで」
「は、はあ」
「一ヶ月くらいは覚えているんじゃないかな……。とりあえず、今日のところは許してやってくれませんかね」
「いえ。別に、許すつもりではありましたけど」

 なにやら、聖さんが僕をまじまじと見詰めている。
 な、なんだ? 照れるな、オイ。

 と、隣で様子を見ていたぬえが、あっけらかんと口を開いた

「仲良いんだね、あの妖精と」
「いや……そうかな? 特別、チルノと仲いいって訳じゃ……」

 そりゃ友達ではあるけど。あんまり頻繁に会う方じゃないし、悪戯の対象にされることもあるしで、普通の関係っつーか。

「……里の人たちが言っていたのは本当らしいですね」
「はい?」

 聖さんが、ぼそりと呟いたのが聞こえて、聞き返す。
 ……里の人? 僕について、なにか噂でも流れているのか?

「いえ、実は人里の方たちに私の理想を説いたことがあるんです。この幻想郷は、驚くほど妖怪と共存していますので、割とすんなりと私の言うことも理解してもらえました」
「へえ」

 聖さんの理想といえば、妖怪も人間も法の下で平等――だとかなんとか。
 ……う〜ん、法を作ったとして、守らせるのが大変だと思うんだけどなあ。法律、という意味ではないのかもしれないけど。

「しかし、それでも里の人たちには妖怪の多くは恐ろしいものだと認識しているらしいのです」
「そりゃそうでしょ。けっこうな人が、妖怪に喰われているし」

 里の中ならば大丈夫だけど、そこから一歩でも出れば、交通事故程度の確率で妖怪に喰われる。
 強力な妖怪ほど、あんまり人食いに興味がないのが救いか。

「その通りです。しかし、貴方は例外的に、人間であるにも関わらず多くの妖怪たちと仲良くしているそうですね」
「……いや、まあ。我ながら、顔は広い方かと」

 ただ、ここんちも、その一つなんじゃないかなあ、と僕は思うんですが。

「でも、大したことないですよ」
「謙遜しないでください。あんな気侭な妖精をも諭していたじゃないですか」

 ……諭し? いや、脅しですけど。

「ああ、諭すと言えば。聖さん。ぬえが、人里でちと迷惑かけてたんですが」

 諭す、というより、説教をして欲しい。

「ぬえ?」
「い、いや、それはその……。ほら、私は人間が恐れる様子を見るのが大好きだし」

 悪趣味だな……

「……罰として、後で写経をしてもらいましょう」
「げっ!?」

 ま、ぬえもこれで少しは懲りるかな。

「んじゃ、僕はこの辺で……」
「あ、ちょっと待ってください、良也さん」

 と、飛んで行こうと思ったら、聖さんに呼び止められた。

「少し、相談したいことが……。もしお時間があるなら、よろしいでしょうか?」
「へ? いや、構いませんけど……」

 なんだっていうんだろう?





















 ずっ、と出されたお茶を飲む。

 ……むう、仄かに上品な香りが。普段飲むような気安いやつもいいが、これもまた美味い。

「それで、相談って?」
「ええ」

 一息ついてから、聖さんは話し始めた。

「私の理想については、以前説明しましたね。しかし、この理想を実現するには、多くの困難があることも理解しているつもりです」
「はあ」

 まあ、聞くからに無理ゲーという感じだが……

「そこで、まずはこの命蓮寺の中だけでも、人と妖怪が平等に過ごせるようにしたいと思っています」
「……いいんじゃないですか? ここの妖怪たちは、人里の人たちからも受け入れられているようですし」

 そこで、どうして僕に相談するのかが分からない。

「それでは駄目なんです。私の理想に共感してくれている妖怪だけでは……。それに、私の考えを幻想郷の妖怪たちにも伝えたいですし」
「……なんか嫌な予感がしてきましたが、どうぞ」
「良也さんの知り合いの妖怪を、適当に連れてきてもらえませんか? 強力な妖怪であればなおいいです。そういう妖怪が率先して融和することに意味があります」

 ……すげぇ難易度の高い依頼を持ってきやがった、この人。

「妖怪……ですか」
「はい」
「……その、正直僕の知り合いっていうと、聖さんの考えを鼻で笑いそうな連中ばかりなんですが」
「構いません。連れてきて下されば、私が『説得』します」

 せ、説得のところで、妙な寒気を感じたぞ。それは、お寺が吹き飛ぶような『説得』じゃないでしょうね?
 か、確認したいが、怖くて聞けねえ。そういえば、霊夢とやりあう直前、この人口調と人格変わってたもんな……

「それで、お願いできますか?」

 じっ、と見つめられる。
 う〜、やっぱこの人、美人だ。

「い、いや。言うだけならいいですけど……」
「まあ、ありがとうございます」

 ……や、安請け合いしちゃった感が、否めない、な。











 ――まあ、とりあえず、片っ端から声をかけてみようか。



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