「……こんにちは〜」

 僕は恐る恐る目の前のデカイ扉――永遠亭の玄関をノックした。
 永遠亭に来るのに、ここまで緊張するには訳がある。

 今日は別に、薬を貰いに来たり、たまに催される宴会やら月都万象展とやらに参加しに来たわけではない。

 ……永琳さんに呼び出されたのだ。

「る、留守かな? 仕方ない、帰ろうか」

 永琳さんからの呼び出しという時点で嫌な予感かしかしない。
 あの人、基本的には常識人――ではないにしろ、幻想郷の中では害のない人物な方なんだけど、ちょっとマッド入っているからなあ……。

 なにを隠そう、胡蝶夢丸ナイトメアの治験を務めたのはこの僕だ。……く、最初は精神安定の薬だって聞いていたのにっ!
 いや、本人的にも本当に好意だったらしく、ちょっと変な効果が出たというだけという話だが……その後完成した本当の胡蝶夢丸については飲ませてもらえなかった。

 結局、ちょっと失敗したナイトメアタイプも商品にしちゃうあたり、ちゃっかりしているというかなんというか……。

 まあ、とにかく、そんな前例があるために、僕は永琳さんの呼び出しにはちょっと警戒しているのだ。

「なにを帰ろうとしているのよ」
「ギックゥ!」

 あ、素でギクとか言っちゃったよ。

「れ、鈴仙じゃないか。なんだ、留守じゃなかったのか」
「この屋敷は広いのよ? そんなすぐ出てこれるはずないじゃない」

 わかっているよ、そんなこと。そこはわかっていてもあえてスルーするか、もしくは僕を見逃してくれるべき場面だろう。

「まあいいわ。師匠がお待ちよ、研究室に案内するわ」
「……僕、帰りたいんだけどなあ」

 切実に。
 待っている場所が研究室という時点で怪しい臭いがぷんぷんする。

「なあ、参考までに聞きたいんだけど、永琳さんって最近新薬を開発していたりする?」
「さあ……いつもなにかを作っているからね。……でも確かに薬らしきものを作っていたような?」

 鈴仙が顎に手を当てながら、思い出す。
 ……もしここで、なにか致命的ななにかが判明したら、僕は速攻逃げ出す。

 ってか、もう嫌な予感しかしない。体調が悪いからとか言って帰ろうかな。

「あ、ごめん鈴仙。僕、ちょっとお腹が痛くなってきたから、帰るわ」

 永琳さんの研究室のすぐ前で、そう言って踵を返す。
 と、腕を掴まれた。それはもう優しく。

 たらり、と冷や汗が流れる。

「それは好都合ね。私は本職は薬師だけど、医者でもあるわ」
「……そういえばそうでしたね」

 あかん、逃げられねえ。
 そう悟って、振り返った僕の視界に、いつものように微笑を浮かべている永琳さんがいた。

「あ、師匠」
「うどんげ、案内ご苦労様」
「いえ、このくらい。それじゃあ、私は行きますので」
「まあ待ちなさい」

 と、去ろうとする鈴仙を永琳さんが引き止める。

「ちょっと付き合いなさい」
「? はあ」

 ……さて、今の隙に逃げたかったけど、逃げられないよなあ。
 僕は観念して、永琳さんの研究室に引きずられていった。


















「さて、腹痛だったわね。とりあえずお腹出して。それから、最近変なもの食べたりしなかった?」
「……いえ、永琳さんの顔を見たら治ったからいいです」
「あらあら、そう? でも気をつけなさいね。貴方、お酒ばっかり呑んでてお腹壊しそうだから」
「肝に銘じておきます」

 お酒を処理するのは肝臓だしね。

 ……さて。

「こらこら、さりげなく帰ろうとしないの。私の用事がまだでしょう?」
「あの、永琳さん? あまり繊細な人間を薬の実験台にしないで欲しいんですけど」

 ほら、妖怪である鈴仙辺りなんかは丈夫そうじゃない? 弄られやすそうなキャラをしているしね。

「失礼ね。薬の実験台って何よ。私は単に、以前胡蝶夢丸の被検体になってもらったお礼をしようとしただけなのに」
「……お礼、ねえ」

 以前、お礼と称して貰った薬で、僕は不老不死になっちゃったわけなんですが。
 いや、それはそれで若き身空で死ぬことはなくなったから、感謝しているっちゃあしているんだけど。

「それに、誰が繊細なのよ?」
「僕ですがなにか」

 傍で待機している鈴仙の小さなツッコミに、僕は何か文句でもあるんでしょうかという態度で聞く。
 鈴仙はため息をつくだけで答えなかった。……畜生め。

「これよ」

 とん、と永琳さんが机に置いたのは、なにやら小さな丸薬が詰まった瓶。ほら、やっぱり僕の予感は当たった。

「もう懲りています」
「まあ、薬の説明くらい聞きなさい。これはね、胡蝶夢丸のノウハウを結集して作った、ある夢を見せるための薬よ」

 もはや嫌な予感というレベルではないな。これはもう死亡フラグというか。

「あのぉ、前服用した胡蝶夢丸のせいでどんな目に遭ったのか忘れたんですか?」
「寝惚けて空飛んで、天井に頭ぶつけていたわね」

 ……あわや頭蓋骨に皹が入るところだったんですが。
 だって、すごい速さで飛ぶ夢を見たし、そのくらい仕方ないと思う。

「ちなみにある夢っていうのはね……淫夢よ。男の夢」
「いんむ?」

 ……はて、夢を見せるっていうんだから『いん夢』かと思われるが、『いん』がなにを意味するのかが分からない。
 いん、ねえ……いん、いん。はて、しかし男の夢というんだから、なにか女が関わってくる……

「わかりにくかったかしら? 要するに、夢に綺麗な女性が出てきて色々してくれる夢よ」

 はあ、要するに『淫夢』って書くの……か!?!?!

「ちょ、ちょちょ!?」
「あら、目の色が変わったわね」
「変わりもしますよそんなん!」

 え、え、なにそれ!? うっわ、すげえ欲しい……けど、

「で、でも僕はいりませんよ。その、女性にあまり興味ありませんし」

 鈴仙がいるのだ。更なる誤解を招くのは御免被る。

「女性に興味がない? ふふん、抜かりはないわ。この女性夢丸(仮名)の別バージョン、男性夢丸(仮名)が……」
「だからって男に興味があるわけじゃないですっ!」

 僕を何だと思っているのだろう、この人は。

「まあまあ。夢とは言え、サッキュバスの見せる夢にも負けないレベルよ? 現実には到底出来ないことも可能。モノの試しにやってみない?」
「いや、その……怖いので」

 わ、我ながら断る言葉に説得力がない。ちょっと試してみたくて、ちらりちらりと薬の方に目が行ってしまう。
 ……ええい、煩悩退散、煩悩退散っ。

 また鈴仙の評価が下がってもいいのか!

「うどんげが気になる?」

 あ、核心ついた。

「うどんげはどう思うのかしら?」
「勝手に夢に見るくらい、別にどうとも思いませんが」

 ……そうですかー。っていうか、元々の評価が低すぎて、これ以上下がりようがないっていう感じがしてすごく凹む。

「ま、まあ。そこまで言うなら……」

 あ、なんか陥落した。

「そう、じゃあ飲んで。水はこっちよ」
「あ、ありがとうございます」

 受け取った丸薬を、水で流し込む。
 ……さて、前のと同じなら、すぐ眠くなってくるはずだけど。

「……れ?」

 こてん、と倒れた。



















 ほら、夢を見ているとき『ああ、これは夢だな』ってわかるときがあるだろう? 確か明晰夢だっけ。

 今見ている夢は丁度そんな感じだ。

「これが淫夢ねえ?」

 眠りに落ちる直前のことも良く覚えている。永琳さんの薬を飲んで、なんかいい夢を見ている最中のはずだ。

 今いるのは、六畳ほどの和室。中央に布団が敷いてあって……僕一人。
 あれ〜? なんかここからどう展開するのかさっぱり読めないぞ?

「失礼します」

 そう、よく通る声が響いて、襖が開いた。とうとう始まるのか、と期待に胸を膨らませながら振り向き、

「あ、あれ?」

 見覚えのあるウサミミ。しっとりと濡れた、あからさまに風呂上りだと思われる髪の毛。ちょっと上気している頬に、着ている服はあれだ、肌襦袢。

 そんないつもとはちょっと違った様子の鈴仙が、三つ指ついていた。

「えっと? あの……」

 こ、これは予想外。てっきり、どっかのものすごい美人とかが出てくるのかと思ったが、まさか知り合いが出てくるとは。
 え? あれ?

「では、早速ですが」
「いや、ちょ、待って!?」

 なんか押し倒された。
 だ、駄目だっ、なんか色々駄目な気がするっ!

「す、ストップ! い、いやっ、首に息とか吹きかけるなぁ!」

 抵抗する気が失せてしまうだろうがっ!

「大丈夫です。身を任せて下さい」
「正気に戻れえ!」

 あ、そもそも夢の人物だから関係ねえ!
 なんか僕の服をさりげなく脱がしながら、鈴仙が寄り添ってくる。……あ、なんか柔らかいっ!?

「私は最初から正気です」

 なんか自分の服もはだけているしっ! 肌襦袢の下には当然のように下着はつけていな……なんで冷静に観察している僕!?

「れ、鈴仙ー!?」

 思い切り悲鳴を上げる。……立場が逆なんじゃなかろうか、とふと疑問がよぎった瞬間、

 全身に痛みが走り、僕の気が遠くなっていった。
















「……おはよう」

 なにやら、天地が逆転している視界の中。
 顔を赤くしてハァハァ息を荒くしている鈴仙が、僕に向けて指を向けていた。

 ……感触からして、寝てから十分くらいしか経っていないっぽい。

「貴方はっ、夢の中で私になにをしたの!?」
「な、なにもしてないっ」

 なにかする前に目が覚めましたよ。おそらく、鈴仙の弾幕によって。

「ふーん、寝言が多くなる傾向があるのね……。これは改善しないと」
「なに冷静にメモっているんですかっ!?」

 永琳さんは、カルテっぽいなにかにさらさらとペンを走らせていた。間違いない、僕を実験台にしていたんだ、この人。

「話は終わっていないわよ。どうなの? まさか私にいやらしいことをしたの?」
「し、してないって言っているだろ!? 大体、責めるなら永琳さんだろうがっ」

 僕は冷静に事の成り行きを観察している永琳さんを指差す。

「あら、それは誤解よ。単に、眠る前、最後に見た異性が夢に登場するってだけの話。私になるかと思っていたんだけれど」
「確信犯ですよね!?」

 わざわざ鈴仙を部屋に残したのはそういうことかよ。

「ご苦労様。もういいわ」
「……なんか、どっと疲れました。やっぱり礼とかじゃなかったんですね」
「いいえ。うまくいけばちゃんとお礼になったでしょう? 後で完成したら改めてプレゼントするわ」

 二度と飲むもんか。

 そう決意して、僕は帰……

「良也、来ているわね」

 輝夜が現れやがったっ!

 ああもう……永遠亭とは、トコトン相性悪いな、僕……



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