「知らない天井だ」

 見たことのない白い天井。そして薬臭さ。

「……病院?」

 長い、長い夢を見ていたような気がする。
 愉快で、少し怖くて、ついでに少しおいしい思いをして……なにより楽しい夢を。

「あれ?」

 廊下を通りかかった看護婦さんがこちらを見ている。
 ひらひらと、手を振った。

「! 先生ーっ! 507号室の土樹さんが目を覚ましましたッ!」

 などと言って駆けていく。

 ……んー、寝起きで頭がぼーっとしているせいか、どうにも状況がつかめない。

 その後、ばたばたと医者が来て、色々検査をして……両親が感動したり妹に泣かれたりと、色々とあって、ようやく夜になって一人になれた。

「……交通事故ねえ」

 それは覚えている。
 だんだんと頭がはっきりしてきたおかげで、その後のことも。

 冥界、白玉楼、幻想郷。……そんな夢。

「はっはっは。僕の妄想力も随分たくましいなぁ」

 今では、夢みたいにふわふわした記憶しか残っていない。

 それでも印象的なことはそれなりに残っている。出会った人たちのことも全部覚えている。

 ……しかし、夢だったことが少し残念だった。

「それにしても、どうせ夢ならもっと強くしてくれりゃあよかったのに」

 そうしたら、あそこで会った女の子、全部僕に惚れてウハウハ、みたいな展開もあったやもしれん。

 空を飛ぶのと弾を出すのと、格好悪い名前の能力だけだなんてあんまりだ。
 弾だって威力弱かったし……そうそう、こんな感じで、

「……あれ?」

 広げた手のひらに浮かぶのは蒼い霊弾。
 夢で使ったそれと寸分違わない、僕の力。

「土樹さん? まだ起きているんですか」
「うひゃぁうっ!?」

 看護婦さんが入ってきたので、慌てて霊弾を握りつぶした。

「な、なんですか?」
「なんでもないです。なんでもー」

 愛想笑いで応える。

 そして僕は……まだ夢が終わっていないことを確信したのだった。














 退院には二週間ほどかかった。怪我も全部治っていたのにこれだけかかったのは、検査がやたら多かったせいだ。
 まあ、原因不明の昏倒状態だったので仕方ないといえば仕方がない。
 それに、衰えた筋力のリハビリもあったし。

 ちなみに大学の方は夏休みに突入していて、試験を受けれなかった僕は留年すること確定。……シクシク。

「さて、と」

 そして、なんとかかんとか下宿先のアパートに帰還を果たした僕は、早速パソコンを起動してブラウザを立ち上げた。
 当然、幻想郷について調べるためである。

「ま、あんまり期待できないけどな」

 あんなところが普通に知られていたら、もっと騒ぎになっていそうなものである。
 さして考えもせず検索エンジンに飛び、『幻想郷』とキーワードを入力。エンターキーを押して結果が……

『幻想郷 の検索結果 約 467,000 件中 1 - 10 ――』

 ブラウザを落とした。

「見なかったことにしようー」

 どうやら、別の世界のネットワークに繋いでしまったらしい。

 そして再びブラウザを立ち上げ、再度検索。

『幻想郷 の検索結果 約 37 件中 1 - 10 ――』

 よかったよかった。これが妥当な結果だよな。

「それでも、いくつかはヒットしてんのか」

 一つ一つ見ていく。
 ……全部が全部、創作系のサイトの、偶然の名称の一致だった。

「ええい、負けるか」

 冥界、白玉楼、と思いつくままのキーワードを入力しては挫折する。
 試しにスペルカード、と入れてみても結果は変わらなかった。

「こんなこともできるというのに」

 霊弾を作り、軽く宙に浮く。
 あまり見せびらかしても面倒くさいことになりそうなので家族にも秘密にしてきたが、これだけの証拠があってあれが夢だったとは思えない。

 それともまさか、妖夢が言っていたように死後でしか行けないのだろうか?

 半ば、諦めが入りつつ『博麗神社』と入力し、

「……あれ?」

 そのサイトを発見した。

 どうやら、旅行家のサイトらしい。全国の神社仏閣を巡っているらしく、写真も載っている。

 その中の一枚。博麗神社、と銘打たれた神社の写真は……幻想郷で見た、博麗神社そっくりだった。

「ど、どこだ!?」

 その写真の説明が下部にある。
 ○○県××村。博麗神社にて。

 ここと同じ県だ。

 Coocleマップを呼び出し、その地名を検索。
 ……割りと近かった。

「……そりゃそうか。近くないと、ふらふら流されたりしない」

 生霊と化した僕が、偶然にも向こうにある白玉楼に流れ着いたのも、この地理的な位置関係と無関係ではないのだろう。

 それに、博麗神社だけがこちらの世界に名前が残っているのも、少しは想像がつく。
 いくつか見聞きした情報を統合すると、博麗神社は幻想郷とこちらの世界、同時に存在していて、博麗大結界の起点になっているらしい。
 この検索にヒットした博麗神社は『こちら側』の博麗神社なのだろう。

「……行ってみるか」

 明日の予定はこれで決まった。病み上がりでなんと無茶な、と思わなくもないが、身体の方はすこぶる健康。問題はない。

 地図をプリントアウトし、その日は寝る。
 向こうの世界のことを夢想しながら。













 電車を乗り継ぎ、バスまで使い計一時間。
 目的地の××村にようやく到着し、空を見上げた。

「っっっちぃ〜」

 照りつける太陽が憎い。
 そろそろ夏の気配が感じられ始める七月初頭。本日の気温は三十度越え。汗がどばどば流れている。

 くっ、この暑さはどうにかならんのか……とまで考えて、ふと思いついた。

 確か、僕の能力は『自分だけの世界に引き篭もる程度』の能力。――冷房くらい使えないのか?

「……おぉ〜〜〜!!!!」

 物は試しと、目覚めたときから勝手に発動している能力を操作。温度よ下がれ〜〜〜ッと祈ると、まるでエアコンを使ったのように周囲の温度が快適なものに変更された。

「やっばい。便利だ、これ」

 今、この能力に初めて感動した。
 『自分だけの世界に引き篭もる程度』の能力改め『周囲の温度を操る程度』の能力としてもいいくらいだ。

「それにしても、腹が減った……」

 流石に、食べ物は出てこない。
 周囲を見渡すと、雑貨屋らしきものを発見したので突撃。

「すみませーん」
「いらっしゃ〜い」

 中に入ると、ここに座って五十年、という風情のおばあさんが迎えてくれた。

 適当にパン類を見繕い、ついでに菓子もいくつか選んで購入する。

「……あの、ちょっと尋ねたいんですが」

 せっかく地元の人がいるのだ。博麗神社について、聞かない手はない。
 この村にあるという博麗神社について聞かせてくれ、と言うと、おばあさんは目に見えてびっくりしていた。

「学生さん。あそこに行きなさるか」
「は、はぁ。なにか問題でも?」
「問題も何も、やめときなされ。あの神社の近くにゃあ、妖怪がでるっつーて。地元のもんでも正月以外は近付かねぇんだよ」

 ……今更すぎる。

「慣れてますから平気です」
「それに、何年かに一度、あそこに近付いたモンが神隠しにおうとるんだで。うちの娘も……」
「……娘さんのお名前は?」

 不躾だとは思いつつ、尋ねてみる。

「成美。東京の学校にかよっとって、帰省したときにな……」

 どこかで聞いた名前だった。
 はて、幻想郷のどこかで……えーと、確か、人里におつかいに行ったとき、通りすがりのおじさんに聞いた外の世界の人間が、そんな名前だったような……

「……もしかして、その娘さんが通っていた学校って、菓子作りを教えているところだったりします?」
「な、なんでそれを!?」

 えらいびっくりしていた。

「首尾よく会えたら、おばあさんが心配していたって伝えておきます」

 牛乳を一本飲み干して、笑顔で別れを告げる。

 ……予想以上の収穫。これで、幻想郷があるのも、そちらに外の世界の人間が行けるのも立証できた。

 歩いて山の入り口まで到着。
 件の神社は、この山を越えた先にあるらしい。

 ……かったるいなぁ。

「誰も居ない、よな?」

 きょろきょろと周囲を見渡し、誰の視線もないことを確認して、空を飛んだ。
 まあ、山の木々に紛れて飛べば、ばれやしないだろう。

 う〜ん、しかし今の僕は生霊ではないというのに、なぜに飛べるんだろう? 能力のおかげが、飛び方を身体が覚えているのか……
 いや、便利だからいいんだけどね。

 そして、途中人に出会うことも、猛獣の類に遭遇することもなく、山を越える。

 ……そこは、ほとんど人の手の入っていない楽園のようなところだった。
 山に囲まれた盆地にぽつんと荒れ放題の神社が建っている。

 そりゃあ、霊夢は掃除をサボっていたが、ここまで荒れるほどではなかった。正月は初詣に来る人も居るらしいが、それも怪しいもんだ。

 境内に入る。

 それは確かに、宴会をしたりメイドにナイフを投げられたり、鬼に殺されかけたりした博麗神社の境内に間違いはなかった。

「さてはて、どうやって幻想郷に行けばいいのかな」

 こっけいなほどうろちょろする。

 やがて、僕の感覚は一つの違和感に気付いた。

「……ここ、か?」

 境内のあるラインを越えると、そこに『なにか』がある感触がする。
 それは壁のイメージ。物理的なものではなく、多分霊的な。

 一度死んでいなければ、また一度幻想郷に行ったことがなければ絶対に気付けない。そんな些細な感覚。

「……飛べる」

 訳もなく確信した。

 目を瞑り、幻想郷の日々を思い浮かべる。

 霊夢、魔理沙、妖夢。向こうであった女の子の顔が次々に思い浮かび、

 気付くと、空気が変わっていた。

「あれ?」

 鈴の鳴るような女の子の声。

 ゆっくりと目を開けると、箒を持ったユルい巫女と、境内でお茶を飲んでいる白黒の魔法使い。

 なにか気の利いた挨拶でも、と思うが、特に思いつかなかったので、右手に持っていた買い物袋を掲げる。
 緩む頬と、嬉しさに弾みそうな声を抑えて、なんとか普通に。そう、まるでちょいと遊びに来たかのように、自然に。

「……珍しい外の世界のお菓子でも食うか?」

 二人はその初めて食べる味にたいそう感激し、僕は初めて二人から感謝されたのだった。



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