夜。静まり返ったラキオス城の敷地の片隅に、一つの音が鳴り渡っていた。

「……ん」

 うつら、うつらと、自室の机で船を漕いでいた友希は、耳朶に響く優しい響きに自然と目が覚めた。
 極少量のエーテルを元に明かりを灯すランプは、既に燃料が切れてしまっている。窓から差し込む月と星の明かりに照らされた自室を寝ぼけ眼で見渡した。
 段々と意識が覚醒し、

「あちゃ」

 どうやら、持ち帰った仕事をしている途中で居眠りをしてしまったらしいことに気が付く。
 いつも通りセリアが付いていてくれれば、居眠りなんぞした瞬間に叩き起こしてくれただろうが、彼女は今日の訓練で負傷したため大事を取って早めに休んでいる。

 重要なものは既に終わらせているが、明日は少し多めに仕事をこなさないといけない。
 しまったなあ、と友希は頭をぽりぽりとかく。

「にしても」

 友希の目を覚ましたこの音はなんだろうか。
 僅かに開いていた窓の外から聞こえてくる。余程集中しないと聞き取れないその音は……

『これ、ナナルゥさんでは?』

 『束ね』の声に、ああ、と友希は思い当たる。

 いつかも聞いたことのある、とても葉っぱ一枚で奏でられているとは思えない複雑な旋律はナナルゥの草笛の音色だ。

「……行ってみるか」

 少し様子を見に行こうと、友希は窓を全開にし、窓枠に足をかける。二階にある自室から躊躇なく飛び立ち、自身の中にある『束ね』の力を僅かにだけ引き出して音もなく着地した。
 行儀は悪いが、こちらの方が手っ取り早い。

 かすかに聞こえる音源を頼りに、ナナルゥを探して歩く。

 近付くにつれ、曲ははっきりと聞こえるようになり、

「あれ?」

 ふと、違和感を覚えた。

 以前、ナナルゥの演奏していた曲は、素朴でどちらかというと単調な曲だった。恐らく、ナナルゥが即興で奏でたものだろう。
 しかし、今聞こえている曲は、音色自体は以前とそう変わらないものの、楽曲としての完成度が明らかに違う。友希もラキオスで有名な曲はいくつか知っているが、そのどれとも似ても似つかない。

 疑問を抱きながらも、友希は生い茂っている木々の間を掻き分ける。ここは城の庭内であり、この林も散歩等に使えるよう整えられているため、歩くのに不都合はない。
 設えられた通路を歩いた先。ちょっとした広場になっている場所でナナルゥを発見した。

「………………」

 木に背を預け、目を閉じて草笛を吹いているナナルゥに、しばし見惚れる。
 雲一つない夜空から降り注ぐ月光が明るく彼女を照らし上げ、どこか幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 やがて、ゆっくりと余韻を残しながらナナルゥの演奏は終わりを告げ、すぅ、と夢から醒めるように彼女の目が開いた。

「……こんばんは、ナナルゥ」
「はい、トモキ様」

 当然のようにこちらのことに気付いていたようで、ナナルゥは特に驚きを見せない。

「相変わらず上手いな、草笛」
「恐縮です。そろそろ、約束を果たさないといけませんので、練習をしておりました」

 約束? と友希が首を傾げると、はい、とナナルゥは頷いた。

「ユート様から、カオリ様と共に演奏をして欲しいと」
「あ」

 いつだっただろうか。同じようにナナルゥの草笛を聞いた時、そのような事を聞いた覚えがあった。
 日々の忙しさや激戦に次ぐ激戦によって、友希はすっかり忘れてしまっていたが、ナナルゥ本人は忘れていなかったらしい。きっと、彼女にとってその約束は大切なものなのだろう。

「そうすると、その曲は……」
「以前、カオリ様がラキオス城に囚われていた頃、この曲を演奏しておられました。漏れ聞こえたそれを再現したものです」
「そりゃ、凄いな……」

 楽譜を読むことすらままならない友希にとっては、ただ聞いただけの曲を演奏するなんて、魔法のようにしか思えない。
 スピリットであるナナルゥが体系だった音楽を学ぶ機会があったとは思えないので、これは純粋にナナルゥの才能と練習の成果によるものだろう。
 草笛を馬鹿にするわけではないが、これで正当な技術を学び、本物の楽器を手に取ったらどうなるだろうか。

「ナナルゥは、他の楽器とかには興味ないのか?」
「他の……軍楽隊の方たちが使っているようなものでしょうか」
「そうそう」

 軍楽隊という組織は、このファンタズマゴリアにもある。軍事関連の式典や遠征先の兵士の慰撫等、あくまで人間を相手にするものであるが、同じ軍隊ということでスピリットが目にすることもある。

「……軍楽隊に移籍ですか?」
「なんでそうなる! 違うからな!?」

 無表情の中に不満気な様子を隠そうともせず言うナナルゥに、友希は慌てて訂正した。万が一にもナナルゥが抜けたら、スピリット隊の後衛火力に深刻な問題が発生する。

「そこは、キョウコ様のように、ハリ=センとやらで、なんでやねーん、と突っ込むところでは」
「ぼ、ボケだったのか、今の……」

 以前、友希がツッコミを伝授して以来、ナナルゥのネタキャラ化が進んでいる。
 ノリの良い光陰や今日子が色々と有る事無い事吹き込んでいるらしく、たまにこうして驚かされるのだ。

 ……まあそれも、ボケやツッコミが周囲に笑顔をもたらすものだということを知ったナナルゥが、彼女なりに考えてやっていることなので、一概に否定出来ないのだが。
 しかし、表情を崩さず淡々とした口調で言うので、本気かそうでないかの区別がつかない。
 その辺りも教授するよう、あの夫婦漫才コンビには言っておかなければいけないな、と友希は心のメモ帳に書き留める。

「それでトモキ様。別の楽器、でしたね」
「あ、話戻すんだ」

 なんか最初にあったどこかしっとりとした空気はどこかに行ってしまったが、ナナルゥにとっては些細な問題らしい。
 少し付いていけない友希だったが、スピリット隊のイロモノ……もとい、個性溢れる面子の相手はもう手慣れたものだ。なんとか頭を切り替えて、話の続きを振る。

「ええと、そう。ちゃんとした笛を持ったら、ナナルゥはもっと上に行けるんじゃないかなって」
「そうですか」

 ナナルゥが考えこむ素振りを見せる。
 やはり、普段から草笛を嗜んでいるとあって、その手のことに興味はあるらしい。

「……音楽とは、人を楽しませるものだと聞いたことがあります」
「ん。まあ、そうだな」
「ならば、少し……ほんの少しですが、やってみたいと思います」

 そっか、と友希は頷いた。
 今は忙しいが、戦いが終わって落ち着いたら、楽器と教本の一つもプレゼントしてみるのもいいかもしれない。恐らく、高い買い物になるだろうが、レスティーナが報奨金をケチるということもないだろう。

 スピリット隊の任務の合間にも、きっとナナルゥは熱心に練習する。
 そしていつか、ラキオスの劇場ででも演奏するような日が来たら。それはとても楽しい想像だ。

「いつか、やってみるか。ナナルゥ」
「はい」

 ナナルゥの力強い返事に満足し、友希は手近な木に背中を預けて座る。

「練習、続けてくれ。目が覚めちゃったから、ちょっと聞いていく」

 コクリ、と頷いたナナルゥは、再び葉を口に当て、玲瓏な音を奏で始める。

 星空の下。ナナルゥの小さな演奏会。
 それを独り占め出来るのは、ちょっとした贅沢だな、と友希は思った。







































 佳織の地球帰還が明日へと迫った日。
 訓練が終わった後、友希達エトランジェ組は悠人に呼ばれ彼の部屋を訪れていた。

「よう、悠人、来たぜ」
「悠。何の用なの?」

 佳織と悠人との別れが近付いている。そのことを感じさせない、いつも通りの態度を取る光陰と今日子に、友希も同じようにすることを決めて口を開く。

「悠人と、アセリアもか。ってことは、もしかして例の件か?」
「例の……ああ、そういやぁ、『求め』の欠片を使って、なんかアクセサリ作ってるんだっけ? 佳織ちゃんのために」

 ぽん、と光陰が手を叩く。

「そういうことなら、プレゼンターは俺に任せとけ。佳織ちゃんの胸がキュンキュンするようなかっちょいい渡し方をすると約束しよう。なあ、義兄さん?」

 無駄に格好を付けた光陰が、神速で振り回されたハリセンに顎をクリーンヒットされ、脳を揺らされでもしたのか膝から崩れ落ちる。

「このバカのことは無視していいから」
「あ、ああ。……っていうか、まだそんな冗談言うのか、光陰は。こっちに来て長いのに、変わらないな」
「うん。第二宿舎でも、ネリシアとかニムとか、言い寄りまくってるからなあ」

 勿論、成功事例は一つとしてないわけなのだが。ネリー辺りはもう光陰の芸風として受け入れてたりする。

「……碧。もしかして、岬に殴られたくて言っているんじゃないよな?」
「わ、悪いが、俺はそんな倒錯的な趣味はない」

 本当かなあ、と、気合を入れて立ち上がろうとしている光陰を見て、友希は疑いの目を向ける。
 ごほん、とそこで悠人が一つ咳払いをした。

「ええと、それでだな」

 頭が痛いのか、悠人はこめかみを押さえるようにして続きを話し始める。

「アセリアに頼んだ……『求め』を使ったペンダントなんだが、七つ出来た」
「渡した欠片、全部使ったのか。いや、まあいいんだけど」

 『誓い』に吸収され、そして砕かれた後に残った『求め』の欠片は都合七つあった。
 悠人が最後まで握りしめていた柄の部分の他、瞬の背に翼のように展開された六つの刃がそれぞれ一部だけ残ったものだ。『世界』として完全になる前、『求め』があのように分割された状態でも抵抗していた証拠だ。

 貴重な、融合した神剣のサンプルとしてヨーティアが研究材料にしようとしたが、あまり得られるものはなかったらしい

「うん。それで、アセリアとも相談したんだけど、友希、光陰、今日子に一つずつ譲ろうと思うんだ」
「嬉しいけど……なんであたし達?」
「まず、佳織に渡すのは大前提。それで、アセリアと俺で一つずつ持って、残りは四つ。……スピリット隊の誰かに渡したら、絶対に角が立つし。そうすると、付き合いの長いお前らに渡すのが一番だと思うんだ。余った一個は……いつか、誰かに渡すため持っとくよ」

 エスペリアやオルファリル、後、友希的にはヘリオンに申し訳ない気持ちもあったが、そう言われると断るのも憚られる。

「アセリア」
「ん」

 アセリアが懐から大事そうに三つのペンダントを取り出す。ペンダントトップに据え付けられた『求め』の欠片が、光を反射して青みがかった煌めきを見せた。

「じゃ、ユート。わたしは席を外す」
「ああ」

 アセリアが部屋を出て行く。

 ……今日のこれが、きっと別れの儀式だ。恐らく明日は顔を合わせることはあっても、落ち着いて話を出来ることはない。
 それを感じたアセリアが気を利かせたようだ。

 悠人は受け取ったペンダントを、それぞれに手渡していく。

「友希。……お前とは、地球じゃあまり話をしたことなかったけど、こっちじゃ背中を預けられる一番の仲間だった。今までありがとう」
「……ああ。こっちこそありがとう」

 思えば、不思議な縁だ。
 クラスメイト以上の関係ではなかったはずの友希と悠人は、この戦争の中で確かな戦友として互いに認め合っていた。

 テムオリンやタキオスの思惑通りに進められた戦いではあったが、自分たちが結んだ絆だけは連中の奸計によるものではない。
 そう信じられる。

 友希は、渡されたペンダントをそっと手の平で包み込む。

「光陰。元気でやれよ……って、言わなくても、お前は元気だよな」
「当たり前だ。まあ安心しろ。お前が帰ってくるまで、戦線は支えてやるからよ」
「頼りにしてるぜ」

 がっ、と悠人と光陰は拳を打ち交わす。

「今日子も。……あんま、光陰いじめすぎんなよ」
「だぁって、こいつがバカなんだもん」
「ったく。じゃ、今日子。お前にもこれを」

 悠人が今日子にペンダントを渡し、そして、

「……今日子?」

 途端、今日子の頬に涙が伝った。

「あ、あれ? おかしいな……」

 今日子が目元を拭うが、涙は後から後から溢れ出てくる。

「こんなの、あたしらしくないよね。でもさぁ、悠……あたし、やっぱあんたを忘れるの、嫌だよ」

 泣き笑いのような表情を浮かべ、今日子は言い募った。

「ご、ごめんね。今更あたしなんかに言われたって、迷惑なだけだよね。……ホント、ごめん」

 今日子の言葉に、頑として悠人は首を横に振った。

「そんなことあるもんか。迷惑なんかじゃない。……でも、さ。決めたんだ、俺。みんなを守る、って」
「なんだかんだ言って、結局……一度決めたらテコでも動かないんだから。この、バカ悠……」

 ぷい、と泣き顔を隠すように、今日子は悠人から背を向ける。

「きょ……」
「おっと」

 悠人が言葉を放つ前に、光陰が今日子を抱き締めた。

「悪いが悠人、今日子を泣き止ませるのは俺の役目だ」
「……そうだな。光陰なら、大丈夫だろうな」
「そうだ。お前には負けっぱなしだったが、こればっかりは負けられないからな」

 友希には二人の言っていることがよくわからなかった。恐らく幼馴染三人の間でのみ通じるものなのだろう。
 普段は男勝りと言っていい今日子の意外な姿を見たが、これもきっと彼女の一面なのだと感じ、少し見る目が変わった。。

「明日……明日には、笑って送り出してやるからね」
「わかったよ」

 友希にとっては、このペンダントと先程交わした言葉だけで十分だ。
 きっと、三人で積もる話もあるだろう。

 そう考え、友希はアセリアに習ってそっと部屋から出て行くのであった。




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