「ニムントールちゃ〜ん。俺にも、お茶頂戴」

 と、語尾にハートマークでも付いていそうな猫なで声が、早めに書類仕事を終わらせて宿舎に戻った友希の耳に届く。

「……コーインは自分で淹れろ!」
「そう冷たいこと言うなよ〜。あ、じゃあ半分こしよう、半分こ。俺がニムントールちゃんのお茶、ふーふーしてあげるから」
「〜〜〜!」

 ガン! と、恐らくはニムントールのローキックが炸裂する音と、『いでっ!』という光陰のどこか嬉しそうな声が聞こえる。
 今日子の今日の予定は、と友希は頭の中で思い返し、彼女がレスティーナの護衛に付いている事を思い出した。
 女性で、卓越した実力を持ち、エトランジェという肩書を持つ彼女は、エスペリアと共に女王の護衛に付くことが最近多くなりつつある。

「これ、ニム。コーイン様にそのような……」
「でもお姉ちゃん。コーイン、キモい」
「き、キモ……そのような言葉遣いはやめなさい」

 大体、声だけで何が起こっているのかは大体わかった。友希は溜息を付きながらリビングに足を踏み入れる。

「……ただいま。なにやってんだ、碧」
「お、おう。御剣か。おかえり」

 痛打されたらしき脛を抑えながら、光陰がニカッと笑顔を向ける。痛いはずなのにニヤけている光陰の姿は、ニムントールが先程のように表現するのも無理はないと思わせた。

「おかえりなさい、トモキ様」
「……おかえり、トモキ」
「うん。あ、やっぱお茶してたんだな」

 ニムントールとファーレーンの前には、それぞれティーカップが湯気を立てていた。この匂いは、恐らくルクゥテの葉だ。

「あ、トモキ様もいかがですか?」
「もらいたいけど」

 ちら、と光陰を見る。
 先程、それを光陰がねだって、このような有様になったのではないのだろうか。

「いえ、わたしが淹れて参りますので」
「あ! お姉ちゃんは座ってて! お姉ちゃんにやらせるくらいなら、ニムがやるから!」

 大好きな姉を働かせるのは嫌なのか、ニムントールが慌てて立ち上がって台所に向かう。
 友希は少し微笑ましくなりながら、椅子に腰掛けた。

「……ほら、碧。お前、いつまでも蹲ってないで座れよ」
「おう」

 すっくと立ち上がり、光陰も座る。まあ、この男がニムントールくらいの女の子に蹴られたくらいでいつまでもダメージを引き摺るはずもない。

「しかし、御剣……。前々から教えて欲しかったんだが、ニムントールちゃんに『おかえり』って言ってもらえるなんて、どんな手を使ったんだ」
「……いや、挨拶くらい普通にするだろ」

 なにを言い出すのかと思えば。
 朝はおはよう。出かけるときはいってらっしゃい。帰ってきたらおかえりなさい。夜はおやすみなさい。と、そのくらいは同じ家で暮らしている以上、当然のコミュニケーションだ。

「碧、お前がいくらニムに嫌われてるからって、挨拶もされないわけじゃ……わけじゃ……」

 友希の語尾がすぼむ。
 そういえば、ニムントールが光陰に対して、訓練や戦闘中以外で話しかけるところは、せいぜいさっきのようなツッコミくらいしか見たことがない。

「いやその……悪い」
「謝るなよ!」

 くそー、と光陰が嘆く。しかしこの男、どこまで本気なんだろう。

「……僕もニムに好かれてるってわけじゃないけど、お前、どんだけ嫌がらせしてたんだ」
「嫌がらせじゃないっつーの」
「いえ、その、コーイン様。ニムは少し恥ずかしがり屋なので……あまり過剰なスキンシップは、その、遠慮していただけると……」

 恐る恐る、ファーレーンが口を挟む。

「碧……お前、ファーレーンがここまで言うなんて相当だぞ」
「そ、そっかな……俺、てっきりニムントールちゃんのあの態度はただのツンデレだと思ってたんだけど……」
「ねぇよ」

 同じ守りを得意とする者同士、真っ当に付き合っていればかなり親しくなっていてもおかしくないはずなのに、光陰に対してニムントールがデレているところを友希は見たことがない。
 友希や悠人、あるいは今日子に対しては、たまに少しだけ心開いているところを見せてくれたりするが、光陰に対しては徹底的に拒絶一辺倒である。

「よかったな、地球じゃなくて。地球だったらお前、とっくにしょっぴかれてるぞ」
「え、えー……」
「ちなみに僕、隊長だから、素行不良の隊員に対してペナルティ出すこともできるんだが」
「おいおい、職権濫用は駄目だぞ、御剣」

 濫用ではないと思う。

「本当に嫌っていたら完全に無視するので、コーイン様のことも態度ほど悪く思ってはいないと思うんですが……。やっぱり、いきなり近付かれるとびっくりしちゃいますので」
「なるほどなあ。ファーレーンの言うことももっともだ。これからは気を付けるよ」

 うんうん、と光陰が頷く。

「……ファーレーンは優しいから言葉を選んでくれてるけど、本当、自重しろよ?」
「わかってるって。いい加減、このネタで俺をからかうのは勘弁してくれ」

 本当だろうか、と友希は疑いの目で見る。
 と、その辺りで、ニムントールが戻ってきた。

「……はい、トモキ。お茶」
「おう、ありがとう」
「別に」

 ぷい、とニムントールは顔を背ける。
 そして、再び席につく――前に、光陰の前にもティーカップを置いた。

「お、おお? ニムントールちゃん?」
「ついでだから」

 それだけ言って、ニムントールはさっさと座る。
 誰とも視線を合わせないよう、じっと目を伏せて自分のお茶を啜っていた。

「ふ、ふふふ……御剣、見たか。とうとうニムントールちゃんが俺にデレてくれたぞ」
「……お、おう」

 友希としても、ニムントールのこの対応は予想外であった。

「そうだ、今日という日を記念日としてカレンダーに印付けとこう! あ、このお茶、飲むの勿体無いな……よし、大切に保管して」
「冷める前に飲めよ……」

 言いながら、友希はニムントールの淹れてくれたお茶を口に含む。
 やや苦味が強く出てしまっているが、十分に美味しい。

 口に残る余韻を味わいながらカップを置くと、ニムントールがじーっとこちらを見ていることに気がついた。

「うん、ニム、美味いぞ。お茶淹れるの上手だな」
「……ん」

 短い返事だが、確かに頷いた。ファーレーン以外からの褒め言葉を素直に受け止めるニムントールも珍しい。光陰にもお茶を淹れたことといい、どうやら今日は機嫌が良い様子だ。

「ふふ……」
「な、なに、お姉ちゃん」
「なんでもないわよ」

 ファーレーンが微笑ましそうな顔に、ニムントールが少し戸惑いを見せる。

 そういえば、とファーレーンの表情を見て、友希は気付く。
 いつの間にやら、ファーレーンは家の中では仮面を外すようになっていた。最初出会った頃は、食事中もコソコソと友希に顔を見られないよう口元を隠していたというのに、随分な変化だ。
 理由については……敢えて聞くのも野暮だろう。

「ああ……そうだ。二人共、ちょっと聞いてみたいんだけど」
「はい? なんでしょう、トモキ様」
「いや、二人はさ。この戦争が終わった後、なにをしようかとか決めてる? セリアとかヘリオンとかと、ちょっとそんな話になってさ」

 エターナルとの、世界の命運を掛けた戦いの前に、"終わった後"を見据える。
 気が早いと思うし、目の前のことに集中しろと言われるかもしれないが、戦争の後のビジョンを考えることは、目的意識を高める上でも大切なことだと友希は思う。

 ネリーやシアーはきっとレスティーナが創設に動いている学校に通うだろうし、ハリオンとヒミカは菓子屋を開業するという夢を前々から聞いている。ナナルゥは……まだ、彼女の中ではスピリット隊に残る以外の選択肢はないだろう。
 そうすると、近しいスピリットでは、この二人の将来だけ把握していない。

 そして、意外なことにニムントールは迷いもせず即答した。

「ニムはお姉ちゃんと一緒ならなんでもいい」
「ちょ、ニム?」

 ファーレーンが慌てる。
 多少姉離れ出来たかと思えば、まだまだニムントールの中ではファーレーンの存在が大きいらしい。まあ、以前指摘してから戦闘中でのミスはなくなったので、友希としては特に問題は感じない。

「お。そういうことなら俺も、ニムントールちゃんやネリーちゃん、シアーちゃんにヘリオンちゃん……みんなと一緒なら、どんな未来でもいいぜ」

 光陰がキメ顔で口を挟む。
 キラーン、と歯が光りそうな笑顔だ。"みんな"として挙げている名前の年齢層がやや偏っているのは、もはや光陰の持ち芸である。

「コーインは黙ってて」
「あ、はい」

 ニムントールに言われ、光陰はすごすごと引き下がる。

「……やべぇよ、御剣。俺、ニムントールちゃんに冷たい目で見られて、変な趣味に目覚めそう」
「これ以上何に目覚める気だお前」

 光陰や友希は無視して、ファーレーンの返事を待つニムントール。
 ファーレーンは少し悩みはしたものの、すぐに吹っ切った顔になる。

「……そうね。わたしも、ニムと静かな暮らしができれば、それでなにもいらないわ」
「うん!」

 実に嬉しそうな返事。友希や光陰には見せない、満面の笑顔だ。
 それを見て、光陰はようやく真面目な顔になる。

「……ま、ニムントールちゃんのためにも、頑張らないとな」
「碧。お前いつもそうなら、ニムももう少しこう、マシな態度だろうに」
「うっせ」

 まあ、しかし。
 ちょっとした世間話を振ったつもりだったのに、思いの外、効果は高かったようだ。

 きっと二人は、今までにも増してエターナルとの戦いに奮戦してくれるだろう。

「……ま、僕も頑張るさ。他のみんなのためにも、な」
「おう」

 男二人も、小さく同意を交わす。

「さて、と。お茶のおかわり、みんないるか? 次は僕が淹れてくる」
「んじゃ、頼むわ、御剣」
「あ、その、はい……じゃあ、お願いしてもいいですか?」

 『了解』、と、友希は光陰とファーレーンにそれぞれ頷く。

「ニムは?」
「……うん、お願い」
「はいよ」

 四人の小さなお茶会。
 それは他のみんなが帰ってきてから、規模を大きくして、夜まで続くのであった。




























「トモキさま〜、どうでしょうか〜?」

 尋ねてくるハリオンに、ちょっと待ってと手で制しながら、友希は目を閉じて口の中に集中する。
 柔らかく、口の中で溶けるように解けていく甘い食べ物。それを記憶の中のものと照合し、一つ頷いた。

「美味しい〜! いやー、まさかこっちでプリンが食べられるとは思わなかったわ」

 と、友希が口を開く前に、一緒に試食をしていた今日子が感嘆の声を上げる。

「うん……ちょっと風味が違うけど、これがハイペリアのプリンだ」
「よかったです〜」

 胸の前で手を合わせて、ハリオンが喜ぶ。

 本日は、つい最近発足した、地球のお菓子の再現する会。最初の題材は、その中でも材料が少なく、比較的容易に再現できると思われるプリンである。
 基本的な材料は牛乳と卵と砂糖。牛乳と卵は牛や鶏のものではないが、代用できる食材はあったし、バニラに代わりとしてはそれっぽいハーブを使った。

 そうして数度の試作を経て、今日、ようやくそれらしいものが完成したというわけである。

「上手くいってよかったわ。もう、訓練で疲れているのに、材料を買いに行かされて」
「ごめんなさい〜、ヒミカ」

 呆れた様子のヒミカに、ハリオンはあまり反省していないような声と表情で返す。

「でも、他にも美味しそうなお菓子がたくさんありまして〜」
「はいはい。そっちも再現するのね? 良いけど、少しペースは落としなさいよ。試食ばっかりして……太るわよ」

 ハリオンが広げる本に載っている極めて精巧な絵――写真を見て、ヒミカも満更でもないのか、反対する様子は見せない。また別のお菓子が堪能できるかも、と聞いて、プリンの攻略にかかっている今日子も満面の笑みだ。

「ふう」

 小さいプリンをぺろりと平らげ、友希は一緒に淹れてあったアイスティーを飲む。

 そもそもの発端は、だ。
 友希が地球から持ち帰った書物のうち、ヨーティアが不要としたものが先日返還されたことだった。

 その中の一冊に、お菓子作りについて書いたレシピ本があった。
 家にあった本を片っ端から鞄に入れたので、恐らく母辺りの蔵書だと思う。我ながらもう少し役立ちそうな本を選べばよかった、と少し後悔した。

 ともあれ。
 友希に元に返ってきたとは言っても、このような本を持っていても困る。しかし、お菓子と言えば……と、ハリオンに進呈してみたところ、凄い食いつきで、このようにレシピの再現に挑んでいるのだった。

 まあ、ワッフルもどきがあるくらいなので、粉物については類似品があったりするのだが、プリンについてはファンタズマゴリアにおいてはまだ発明されていない品だったようだ。

「あんこっていうのを作れたら面白そうですねえ。豆から甘いものだなんて、素晴らしいです」
「豆、ねえ。スープに入れたりするけど、甘味にするのは聞いたことないわ」
「だから面白いんじゃないですか〜」

 アズキと似たような豆は友希は市場で見たことがない。恐らく大変な苦労をするだろうが、ハリオンならそのうち再現しそうな気がする。

「ほんっとうに、ありがとうございます、トモキさま」
「あ、ああ。どういたしまして」

 大事そうに本を抱えて、ハリオンが礼を言う。既に何度も言われているが、相当ハイペリアの菓子に感銘を受けたようだ。
 戦闘の際、命を助けた時にもここまで礼は言われなかった気がする。まあ、戦いの中では持ちつ持たれつなので当然かも知れないが。

「そういえばハリオン。今まで気にしてなかったけど、ハリオンって日本語読めるの?」

 今日子が疑問を口にする。
 今まで気付いてなかったんかい、と友希はツッコミそうになった。プリンの試食は、もう今日で三回目の試食だというのに。

「はいー、この本をトモキさまにいただいてから、ユートさまの所へ行ってですね。ハイペリアの言葉を教えていただきました。こちらのノートにまとめています」

 今一番時間があるのは永遠神剣を失った悠人だった。
 彼のもとに教えを請いに行ったわけだが、菓子のレシピということで語彙はそれほど多くない。そして、ハリオンは凄まじい情熱を見せたこともあり、合計でせいぜい半日くらいでおおよそ問題がない程度には単語や文法をまとめたらしい。たまに友希や今日子に確認することもあるが、その頻度もごく少ない。

 まあ、たった二時間で、料理本一冊どころか専門書の類も自由自在に読めるようになった某大天才に比べれば、まだ常識的な範囲と言えよう。

「はあ〜、でも、やっぱり甘いものはいいわねえ。ハリオンとヒミカの店が出来たら、あたし絶対通い詰めるわ〜。プリンが味わえる店なんて、こっちじゃないからね」

 好物だったのか、存分に堪能しながら自分のプリンを平らげた今日子が、うっとりしながら呟く。
 その言葉に、あら、とハリオンが反応した。

「わたしは、別に独り占めするつもりはありませんよ〜? ちゃんとこっち用のレシピとしてまとめて、知り合いのお菓子屋さんに配るつもりです」
「え、そうなの? 別に、教える必要はないんじゃないか?」

 自分の所だけでレシピを囲い込んでおけば、将来お店を出した時も競合がしばらくは発生せず、大儲け出来るだろうに。

「はい〜。もしわたしが死んだら、折角頑張って作ったのに無駄になっちゃうじゃないですか。それは少し寂しいですし」
「む……」

 ハリオンとは思えないシビアな台詞に、友希は言い淀む。
 ヒミカがその反応に苦笑して、付け加えた。

「これについては、わたしも賛成なんです。もし、力及ばずわたしたちが死んでも……こんなわたしたちでも、残せるものがあれば」
「このプリン以外にも〜、わたしが今まで作ったレシピは、ちゃんと文書にして残してあるんですよ〜?」

 いつも――それこそ戦場においても、のんびりした空気を崩さないハリオンの似合わない言葉に、友希は彼女のことを少し誤解していたことに気付く。
 脳天気……いやいや、お気楽……もとい、そう。良い意味で楽観的なハリオンも、こういう面をキチンと持っているのだ。

「それに〜、皆さんが作ってくれれば、思わぬ美味しい味になるかもしれませんし〜」
「ハリオンはそっちがメインでしょ。ま、こっちはエトランジェ様御用達の看板があるし、お店で出しても損はしないけど」

 ああ、そういうこと……と、友希と今日子、両方に理解の色が広がる。
 そして、ヒミカの商売っ気が意外だった。レスティーナが王位を握る前は、彼女らが店を出すことなど夢物語だったはずだが、意外と商法等も勉強しているのだろうか。

「と、いうわけで〜、明日からはあんこに挑戦です」

 ファンタズマゴリアに和菓子文化が花開くことになるのだろうか。
 もし上手くいった暁には、是非あんぱんを作ってもらいたいものだと、日本のパン屋やコンビニで売られている好物を思い出した友希は思った。





 なお、丁度その翌日。
 ふと空き時間の出来た時深がおはぎをこしらえて皆に振る舞った所、歴戦のエターナルが引く勢いでハリオンが詰めかけたりした。

 ラキオスにとって、今最も重要である客将に対し実に失礼な態度であり、懲罰必至の行動だが……まあ、あんぱん実現のための時間が短くなったため、友希は見て見ぬふりをするのであった。




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