暴風が吹き荒れる。

 嵐の中心には、二人の人影。
 片や、顕著な青髪の女性、片や筋骨隆々の大男。

 性別も、体格も、出で立ちも、何もかも異なる二人だが、共通することが一つ。どちらも、身の丈を超えるほどの大剣を携え、まるで手足のように自在に振り回していた。

『よもやここまで戦えるとはな! 俺と四合も打ち合って、なお生き残っているのは賞賛に値するぞ!』
『ハァァァァアアアアアッッッ!!』

 男――タキオスの歓喜の入り混じった言葉に耳を貸すこともなく、ゼフィは獣のような咆哮を上げて大剣を振りかざした。
 途端、スピリットでは有り得ない莫大な力が、ゼフィから彼女の永遠神剣『蒼天』に流れ込んでいく。

 過剰供給されたマナにより、鮮やかな空色に発光する『蒼天』とは対照的に、ゼフィの背後に展開されているハイロゥは黒く染まっていく。
 彼女の心を形作っているものが削られている証。そう長いとは言えない人生の中でゼフィが育んできたものが、少しずつ純粋な力となり消え失せていく。

 もはや、目の前の男が何を言ったのか、それを判断するほどの理性も残っていない。タキオスの言葉に、ゼフィは答えなかったのではなく、答えることが不可能だった。

『フンッ!』
『〜〜〜ッ、ガ!?』

 そして、そこまでして放った一撃も、タキオスの打ち下ろしによって、難なく凌がれる。
 腕どころか全身に走った痺れによって『蒼天』を取り落としそうになるゼフィだが、本能的に永遠神剣を抱えるように保持し、灰色を通り越しほとんど黒一色になったハイロゥを翻す。

 そうして距離を取るゼフィを、タキオスは追撃することはしなかった。次はどう攻めて来るのか、それを期待しているのだ。有り体に言えば、彼にとって彼女の奮闘はその程度のものだった。

『……は、あ』

 ゼフィは、深く、深く深呼吸をして、体のテンションを調える。
 最早訓練で培った技術の殆どを発揮できず、ただ本能のままに戦うゼフィにも、この途方も無い男に対して勝ち目がないことくらいはわかる。
 例え、人格の全てを神剣に呑まれたスピリットだったとしても、この状況では逃げを打つだろう。タキオスを討てと命令を受けているわけでもないのだ。

 ……しかし、ゼフィはそこから一歩たりとも下がることはなかった。

 もう、自分の名前も残っていない。でも、一つだけ覚えていることがある。
 あの、小さな館の、小さな部屋で。あの人と一緒に、お茶を飲み、語り合い、愛を囁き合った。その光景だけは、唯一残っている。
 その相手を。名前も思い出せない大切なあの人を、殺そうとするこいつは敵だ。

 その敵意だけがゼフィを突き動かし、『蒼天』を掲げさせる。これだけは、ゼフィの記憶ではなく、体に、魂に刻みつけられた動き。血の滲むような訓練。時間があれば、朝から晩まで、繰り返し鍛え上げたその一刀。
 ……ブルースピリットとして、決して器用ではない彼女が、自分の取り柄として極限まで練り上げた技だ。

『ほう、勝負に出るか。ならば、俺も相応しい一撃で応えよう。本物の力というものを、その目に焼き付けて逝くがいい』

 大剣『蒼天』を、肩に担ぐようにして構えたゼフィの気迫に戦いの決着を予感したのか、タキオスがこの戦いで初めてまともな構えを見せる。
 ぐっ、とタキオスが神剣を軽く握りこんだだけで、ゼフィでは……いや、この世の生物では到底成し得ないエネルギーが彼のの永遠神剣『無我』に宿った。

 しかし、ゼフィは気圧されることすらない。

 サルドバルト伝統の剣技は、自分の全てをぶつけることを真髄とする。その基本にして奥義。例え地力で劣っていようとも、一撃だけ相手を超えれば良い。そんな剣理のまま、
 ゼフィは真っ直ぐ、黒いハイロゥを羽撃かせて一直線にタキオスに向かい、

 残りのマナ全てを込めた最大最強の一撃を、タキオスに向けて振り下ろした。




























「…………」

 むっくりと朝日の差し込む部屋で、友希が体を起こす。
 無意識に出ていた涙をぐいっと拭い、ベッドから起きだした。

「……また、あの夢か」

 ゼフィの最期の死闘の夢。
 その光景は、友希は見たことがないはずなのに、現実と見紛うほど鮮明に、時折こうして夢に見る。

 ただの錯覚や自分で勝手に作り出した映像でないことは、なんとなくわかる。

『彼女の最期のマナ、少し吸収しましたからね……』

 最初にその夢を見た時、友希の中にいる『束ね』がそう説明した。

 ゼフィが死ぬ、まさにその時、彼女は友希の腕の中にいた。
 そしてその時、マナ消失により友希は極限までマナの枯渇状態にあり、無意識に彼女が昇華する時のマナを吸収していたのだ。

 そこに、彼女の最後の記憶が混じってしまった……そう『束ね』は言う。
 普通は、そのようなことは起き得ない。余程強い思いが彼女のマナに篭っていたのか、それとも幾度となく彼女と契ったせいか。

 ……どちらにせよ、ゼフィが致命傷を受けた瞬間を見るのは、気分のいいものではない。

「まだ早いな」
『……昨日の訓練の疲れ、まだ残ってるでしょう? 二度寝しては』
「いや」

 今日は午前中は特に仕事が入っていないし、家事の当番でもない。多少朝寝坊しても誰にも文句は言われないが……友希は、『束ね』の言葉に首を振って立ち上がった。
 あんな夢を見ては、じっとしてなどいられない。一時期のように感情に任せて考えなしの行動を取ったりはしないが、剣の一つも振ろうと考えていた。

 備え付けのタンスから、いつもの戦闘服――学生服を模した戦闘服と陣羽織という出で立ちに着替えて、部屋を出る頃には『束ね』も諦めたのか、止めることはしなかった。

 部屋を出て、廊下をしばらく歩くと、ふと前から赤い髪のスピリットが歩いてくる。

「……トモキ様」
「っと、ナナルゥ。風呂上がりか?」
「はい。夜勤明けの入浴が完了したところです」

 頬を上気させ、髪の毛を湿らせているナナルゥだった。

「ああ、そう言えば、見張りのシフト入ってたな」
「はい。……トモキ様は、こんな時間にどうされましたか」

 その疑問の声に、友希は少し驚く。
 ナナルゥが、自分から相手の行動に疑問を挟むなど、これまでなかったことだ。

 戦争、という殺伐とした状況だが、悠人の影響、それともそれ以外の要因か……ナナルゥは少しずつ確実に自分というものを得ようとしている。
 そのことを嬉しく思いつつ、友希は言葉を返した。

「ああ、なんか目が覚めちゃってさ。朝ご飯までまだ時間があるし、少し体を動かそうかなって」
「スケジュール外の訓練は、疲労が溜まるので禁止されているのでは」

 ナナルゥが鋭いツッコミを入れてくる。
 確かに、準戦闘態勢とも言える今は、そのような通達がされていた。

 いつ帝国との戦端が開かれるかわからない。そんな中、余計な訓練をして疲労で実戦に負けました、となっては本末転倒である。
 エーテルジャンプ装置のお陰で休みの時はこうして宿舎に戻れるが、そうでなければ今頃はサーギオス帝国との国境に一番近い都市であるケムセラウトに常駐していたことだろう。

「いや、オーラフォトンは使わないし、ちょっと型稽古するだけだから」
「そうですか」

 スピリットやエトランジェは、極論、マナさえあれば肉体的な疲労など無視して動ける。休養を推奨するのは、精神面に配慮してのことだ。
 しかし、今の友希の状態からして、じっとしていることの方が余程心に悪い。
 剣を振って汗を流せば、多少はすっきりするというものだ。

「副隊長であるトモキ様の判断ならば異論はありません」
「……すごくなにか言いたそうに聞こえる。言いたいことがあれば言ってくれよ」

 ナナルゥの意味ありげな言葉に、友希はそのままスルーすることもできずに尋ねた。
 そうすると、ナナルゥはでは、と前置きし、

「無理をして動いても、身にはなりません。そう伝え聞いています。そのような時は、むしろリラックスできるよう、落ち着く場所でお茶とお菓子でも、と」

 成る程、言っていることはもっともだ。

「ちなみにナナルゥ、それ誰から聞いた?」
「ハリオンから」
「……訓練をサボる口実だったりしないよな?」

 半ば予想していた名前が出て来た。よもや、と思い友希がツッコミを入れると、ナナルゥはしばらく瞑目し、

「……成る程、流石トモキ様。確かにハリオンは、訓練を抜け出した時にそのようなことを」
「やっぱりか、オイ」

 なんというか、ナナルゥはある意味ネリーやシアー並に無垢で、仲間の言ったことをそのまま捉えすぎるところがある。

 まあでも、不器用ながらも心配してくれたことは多分本当で。
 コクコクと頷いているナナルゥの言葉を完全に無視することも憚られた。

「サンキュ、ナナルゥ。朝ごはんまでガッツリやるつもりだったけど、ほどほどで止めとくよ」
「はい」
「後、今度ハリオンがサボろうとしてたら、ツッコミ入れてやれ」

 まあ、恐らくナナルゥの言っているサボリは、戦争が始まる前の話だろう。
 お気楽で戦いが嫌いなハリオンとは言え、戦争が始まってからはそのようなことはしていないはずだ。――はず、だ。

「ツッコミ、とは?」
「え? ああ、ええと……なんて言えばいいのかな。こう、水平にチョップでも食らわせて『なんでやねん!』とか……」

 あまりの発想の貧困さに、友希は自分の想像力のなさを嘆いた。

「それがツッコミ」
「いや、今僕が言ったのは物凄くベタなやつだから……こう、ナナルゥなりに応用を効かせてだな」
「応用……」

 なにを僕は大真面目に説明しているんだ、と、ますます友希は虚しい気分になる。
 しかし、ナナルゥがこうまで興味を持つのは珍しい。阿呆らしいことでも、付き合ってやったほうがいいはずだ。

「……では、『消沈』を、こう、水平に」
「いや駄目だろ!?」

 自身の永遠神剣である双剣をズビシ、と突き刺す動作をしたナナルゥに友希は音速でツッコミを入れる。ナナルゥに応用を効かせろと言いながら、自分はまるで工夫のなっていないツッコミだった。

「怪我! 怪我するからそれ! そういうんじゃなくて、もうちょっとソフトな感じで」
「しかし、ハリオンの防御力ならばかすり傷すら負わないかと」

 確かにナナルゥの物理攻撃は魔法の威力に反比例するかのように貧弱極まりないし、防御に優れたグリーンスピリットのハリオンなら怪我の心配はないかもしれないが、しかしだからと言って仲間に剣を向けるのはどうなのか。
 そういったことを訥々と言い聞かせた結果、なんとかナナルゥなりに要領を掴んだらしい。

「はい、了解いたしました」
「……本当か?」
「はい」

 相変わらず無表情な顔での返事だが、気のせいかかすかに胸を張っているように感じる。
 その姿に一抹の不安を感じた友希は、

「……ちょっと、僕に向けてやってみ」
「はい、では」

 ナナルゥは、戦闘時もかくやというような真剣な表情になり、

「なんでや……ねん」
「うごっふ!?」

 出された答えは貫手だった。
 ナナルゥの無駄に洗練された貫手は、体術など二の次にしていた友希が反応する前に水月に突き刺さる。

「ご、ごほっ、ぐはっ!?」
「如何でしょう」

 悶絶する友希に、むしろ『やってやったぜ』と言わんばかりに聞いてくるナナルゥに、友希はこれ以上矯正は諦めた。どうせ食らうのはハリオンだ。

 そう考えた友希は、スピリット以外にはやらないことだけを言い含めて、ナナルゥと別れる。
 なお、後日、ナナルゥの『ツッコミ』を受けたハリオンが抗議にやって来ることになるが……そのことは、友希もこの時点でなんとなく予想がついていた。
































 サーギオス帝国。その首都サーギオスの城の一室で、秋月瞬はなにをするでもなく、ぼうっと佇んでいた。

「……ふん」

 瞬は、面白くなさ気に鼻を鳴らした。
 実際、彼は退屈だった。彼がする仕事など、スピリット達に訓練と言う名の暴力を振るうか、部下の仕事ぶりを適当に見回るか、あるいは都市の視察をするか……その程度だ。

 報告では、悠人はラキオス王国でスピリット隊の隊長などという役職に収まり、日々仕事に追われているようだが、それこそ奴が弱者である証拠だ。真の強者である自分は、そのようなことにあくせくせずとも、奴らに勝利するだろう。悠人がみっともなく駆け回っている様は、それなりに瞬の溜飲を下げていた。

 だが、代わりに瞬はやることがなく、退屈を持て余していた。

 今は仕事をするつもりはない。しかし、こちらの世界には瞬の興味を惹くような娯楽がまるでないため、時間を無為に過ごしている。
 そういう時は適当なスピリットを呼び出して、マナを貪りがてらセックスするのが瞬の恒例だったが、気分が乗らない。そもそも、揃って同じような反応しか返さないスピリットに相手をさせるのは飽きてきた。

 佳織がいるのだから会いに行こうとも思うが、彼女は友希が去ってから、自ら瞬と接点を作ろうとしている。
 悠人の呪縛から自分で抜けだそうとしているのだろう。そのいじましい姿に、瞬はあえて自分から会いに行くことを避けていた。明日当たりに、きっとお茶会の誘いでもやって来るだろう。そうして会わない年月が、自分と佳織との思いを培うのだ。

 ――と、一通り考えを巡らせてから、瞬はテーブルに無造作においてあったアカスクの瓶をラッパ飲みする。

「チッ、友希のやつがいれば、酒の相手をさせるんだがな」

 あんな無能な男でも、その程度には役に立っていたらしいと、瞬は愚痴を零す。
 そして、その顔を思い出したからか、瞬は立ち上がり、部屋に備え付けられた机の引き出しを開け、中の『それ』を取り出す。

 結局、瞬の手元に戻ったヨーヨーだった。
 所詮、小学生時代の友希が小遣いで購入したもの。佳織と遊んだことのある玩具だから、地球にいた頃も捨てずにいたが、改めて見ると古臭いガラクタだ。

 しかし、

「そうだな。次に佳織と会う時は、久し振りにこれを見せてあげようか」

 そうと決まれば練習だ。
 佳織に見せるのに、無様なトリックは見せられない。

 ヨーヨーを構える瞬に、チリッとした頭痛が走る。

「なんだ、『誓い』。なにか文句でもあるのか?」

 部屋の壁に立て掛けてある『誓い』が、不機嫌な気配を漂わせ、うっすらと赤い光を放っていた。
 そのような無駄なことをするくらいなら、マナを食わせろと、早く『求め』を砕けと、そうせっついているのだ。

「あのな、『誓い』。僕は佳織と約束したんだ。開戦を遅らせてあげるってな。それを反故にしろって言うのか?」

 いくら『誓い』と言えど、佳織との約束を破らせるようなことは許さない。
 瞬にとっても悠人や『求め』は憎い敵だが、それは決して佳織より優先するべきことではない。

 そのようなこと、論じるまでもない。
 ――論じるまでもないはずなのに、いつかはそのことを忘れていたような、そんな不快な感覚が瞬に襲いかかったが、彼はそれを気のせいと断じて切り捨てた。

「……ふん。わかっているさ。戦争が始まったら、悠人と『求め』は潰す。当たり前のことを言うなよ。ああ、佳織を目を覚まさせるためには、それが一番なんだ。なに、もう少しさ。お前が今まで待った時間に比べれば、僅かな時間だろう?」

 瞬の言葉に、『誓い』は完全に納得はいっていないものの、引き下がることにする。
 『誓い』に対して鼻を鳴らした瞬は、もう気にせずに、ヨーヨーの練習に入る。

 しかし、その直前、『誓い』は一言だけ瞬に投げかけた。

「友希がどうしたって? ああ、あいつも逆らうなら殺すさ。投降してくるなら、生かしてやるのも吝かじゃないが……おい、『誓い』。なにか勘違いがあるんじゃないか?」

 やおらいきり立って『誓い』に詰め寄る瞬。

「……お前にあの男が殺せるのか、だって? 『誓い』、お前の力は最強なんだろう? なんで『求め』にも劣るあいつに、僕が負けるだなんてほざくんだ」

 『誓い』の意図したところとはまったく異なる回答をする瞬。
 そして、無言でヨーヨーの練習を始める彼に、『誓い』は沈黙を保ちながらも、思考を巡らせる。

 ――あの時までは順調だった。
 ――『求め』への憎悪を瞬に植え付け、思いのままに誘導する。『求め』の使い手に対してはは元々『誓い』が手を加える必要のないほどに鬱憤を抱え込んでいたから、少し後押しをすれば簡単に彼の心は掌握できた。
 ――『佳織』という女への崇拝とも言える入れ込みようには辟易としたが、それさえも『求め』への憎悪を燃やすカンフル剤とし、そしてその強い憎しみは、その佳織のことすらも凌駕しようとしていた。だというのに、

 瞬が気紛れから招き寄せたあのエトランジェが現れ、そして瞬と戦ってから、なにかがズレた。
 『求め』とその使い手への憎悪はなくなってはいない。しかし同時に、佳織に関わることについては、瞬の心に深く楔を打っているはずの『誓い』でも安々と干渉できなくなっている。

 ――まあ、『求め』さえ砕ければ問題はない。瑣末なことか。

 しかし、『誓い』にとって、その一点を除けば瞬は非常に優秀な契約者だった。
 彼の鬱屈した精神は『誓い』との相性が良く、歴代でもトップクラスの力を引き出している。そして、他のスピリットやエトランジェを砕くことに迷いのない精神性は、元々普通の人間であるエトランジェとしては中々得難い資質だ。

 考えてみれば、特定の他者に拘るのは、今までの『誓い』の契約者にもままあった傾向だ。
 たかが女一人と、弱小のエトランジェ一人。エトランジェを斬った際に得られるマナは少々惜しいが、その程度のことで無理に干渉して反感を買うのも馬鹿馬鹿しい。多少人間に拘泥する位は見逃してやるべきか。

 そう考えた『誓い』は、佳織と友希のことについて、それ以上瞬に言うことはなかった。



 最後の最後。この瑕疵が致命傷になることは、この時点の『誓い』は想像することもできていなかった。




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