「……ったく、ヨーティアも一体何の用なんだか」

 ぼやきながら、友希はラキオス城の廊下を歩いていた。
 ランサの防衛において要となるエトランジェの片割れ、それも、悠人と違ってこちらで行われる作戦会議には参加しない彼がラキオスにいるのは、マナ障壁によって膠着状態になってから初めてである。
 それというのも、ラキオスの頭脳であるヨーティアに呼びつけられたからだった。

「っと」

 すれ違った兵士に会釈をする。向こうも、敬礼を返し、職務に戻っていった。
 些細なことではあるが、今までは挨拶をしても無視されることが多かったので、嬉しくなる。ラキオスの意識が変わりつつあることを実感した。
 それもこれも、王位を継いだレスティーナの薫陶が行き渡っているからだろう。

 そして、そのレスティーナの武の懐刀が悠人ならば、知におけるそれは間違いなくヨーティアである。
 そのはず、なのだが、

「ヨーティア……なにしてるんだ?」

 廊下を歩いていると、姿勢悪く歩いてくるヨーティアと出くわした。
 それだけならどうということはないが、友希はヨーティアの様子にぎょっとする。来ている白衣はいつにも増してヨレヨレで、目の下に隈が出来ている上に、しばらく風呂に入っていないのかちょっと臭う。
 おおよそ、女性としてあるまじき風体だが、その瞳だけは爛々と輝いていた。

 これが、ラキオスの頭脳にして、大陸最高峰の科学者だとは、知ってはいても認め難い。
 研究室方向から来たが、別に友希を迎えに来たわけではないらしく、友希の姿を認めたヨーティアは、今気付いたとばかりに手を上げた。

「く、クク……よぉ、トモキじゃないか。ラキオスに何の用だい」
「いや、お前が呼んだんだろうが」
「あ……? ……ああ、ああ! そうだったね。いやはや、悪い悪い。この天才ともあろう者が、三日寝てないだけなのにちょっとぼーっとしてたみたいだ」

 三日徹夜。マナによる活力供給がある友希だって、相当辛いだろう。まして、生身のヨーティアに可能かどうかすらもわからない。
 しかし、そうか。これは徹夜によるナチュラルハイが極まった状態か、と友希は妙に納得する。なにがおかしいのか、ヨーティアは先程から含み笑いを漏らしっぱなしだ。

「フック……ク、まあ、研究室で待ってろ。私はこれから風呂だ。熱い湯に浸かって、ちょっとリフレッシュしてくる」
「あ、ああ。なんなら、日を改めようか?」

 あまりランサを留守にしたくはないのだが、それでもこの状態のヨーティアと話すのは御免被りたかった。

「なになに、その必要はないさ。まあ、三十分ほど待っててくれ」

 ぽん、と友希の肩を叩き、ヨーティアは去っていく。その後ろ姿を見送って、友希は溜息をついた。どうやら、逃げられそうにない。
 足が重くなるのを自覚しつつも、ヨーティアの研究室に足を向ける。

 数分とかからず辿り着いたヨーティアの研究室の扉を開けると、中は惨憺たる有様だった。
 空き巣に狙われてもこうはなるまい。研究室の中を竜巻が通りがかったように、ありとあらゆる物が散乱している。足の踏み場もないほどに敷き詰められているのは、本や書類、設計図と思しきものに、友希では理解できない機器の数々。
 あの天才は、散らかっていてもなにがどこにあるのか、全て把握していると聞いているが、まさかこの状況でもそれは当てはまるのだろうか。

「いらっしゃいませ、トモキ様。しかし、少々お待ちを。今、座れるスペースを確保しますので」

 部屋の中央で、果敢にも片付けを始めているイオが、友希の来訪に気付いて、書類を束ねる手を止めて振り向く。

「……イオ。一体、この有様は……」
「ヨーティア様が、研究の大詰めとかで片付けを禁止されまして。横で掃除をすると、思考が遮られるのだそうです。それで、三日でこの通りとなりました」
「あいつは研究じゃなくて、部屋を散らかすのが目的なんじゃないだろうな……」

 しかし、イオもさるもので、五分ほど待つと一つの小テーブルとその周囲は見事に片付けを終えてしまった。まるで砂漠に浮かぶオアシスのようなそこに、友希は足元の本をどかしながら辿り着く。

「ヨーティアには、少し待ってろって言われているんだけど」
「はい、お伺いしております。今日を逃すと、トモキ様をお呼び出来るのは、再来週以降になってしまうので、ヨーティア様も無理に今日に間に合わせたのですよ」

 イオの言葉に、友希は面食らう。
 確かに、今日は比較的余裕のある日だ。と、言うのも、防衛に回っているスピリットがシフトの関係上多い上、悠人も自由に動ける日だ。
 事、防衛戦においては、友希の力は悠人よりも有用であり、彼がランサを離れるには相応のリスクを伴う。ヨーティアはそこまで見越していたのだ。

 ヨーティアのあの様子からして、相当無理をして今日を空けたのだろう。頭が下がる。

「今、お茶をお持ちします」
「あ、うん。よろしく」

 イオが台所に向かう。友希は書類に埋もれている椅子の一つを引っ張りだして、腰掛けた。

 戯れに、適当な資料を一つ摘み上げて目を通してみるが、やはりというか、さっぱりわからない。
 溜息を付いて資料を置くと、イオが戻ってくるまで、ぼうっと過ごすのだった。






























 三十分ほどして、風呂から上がったヨーティアはハツラツとしていた。
 服もきっちり洗濯されたものを身に付け、さっきとは別人のようだ。

「ふぃー、さっぱりした。頭の回転も戻ってきたね。でぇ、風呂あがりにはこれがいいんだよ」

 ネネの実という果物の果汁を牛乳で割ったジュースを飲み干し、ヨーティアは『この一杯のために生きている!』と雄々しく宣言する。

「いや、寝ないと駄目だろ」

 しかし、目の下の隈はまだなくなっていないし、寝不足は明らかだ。一時的に元気になったところで、それは空元気に過ぎないはずだ。

「わかってるわかってる」
「そんなになるまで、なにやってたんだ?」
「ん? そりゃあ、知っての通り、マナ障壁を破る切り札の研究さ。ようやく理論は完成したんで、後は現物を作るだけ。設計図までは書いたんで、後は職人任せだ」

 ヨーティアは自前で工作もできるが、やはり頭脳ではなく手を使う作業となると、本職に任せたほうが効率がいいのだった。

「ま、一発で出来るとは思えないけどね。試作してみて、後は問題点を見つけて……それでも、おおよその理論は大丈夫なはずさ」
「そっか。それなら、もうすぐ反撃できるな」

 マナ障壁が解除されたら、即座にマロリガンに逆撃を加える。相当戦力を削られたが、無理してでも突破しないと、スピリットの数で大きく劣るラキオスはジリ貧に追い込まれる。
 増えた領土により、エーテルは順調に増産されていたが、鍛えるスピリットの数が開戦当時よりかなり削られているせいだ。

「そうだね。まあ、私は技術で支援はできるが、結局のトコ最後はアンタ達任せだ。期待してるよ」
「頑張るよ」
「よく言った。さって、そんじゃ本題に入るかね」 

 ヨーティアは、二杯目のネネの実ジュースを飲み干して、話を切り出した。

「さて、トモキには話していなかったが、私とレスティーナ殿はある共通の目的がある」
「? 大陸を統一するんだろ」
「お前ね。この天才が、そんな下らない目的のために協力するとでも思ってたのか」

 下らなくはないと思うが、友希はなんとなく納得もする。確かに、この変人が世界征服のために力を貸すとも思えない。なんというか、ヨーティアの趣味では無さそうだ。

「じゃあ、一体どういう目的なんだ?」
「ふふふ……。それはね、この世界からエーテル技術を根絶することさ」
「は、はあ!? い、いきなりなに言ってんだ、ヨーティア!」

 友希が驚くのも無理はなかった。
 こちらの世界におけるエーテルとは、地球での電気や石油に相当する。万能のエネルギーであり、加工次第で様々な製品を作れる、まさにこの世界の根幹とも言える技術だ。

 それを捨てる。この技術がなければ、ファンタズマゴリアの文明レベルは地球の中世と然程変わらない。当然、生活も大きく後退する。
 そう問いかけようとして、友希は口を噤んだ。

「……いや。続けてくれ」
「おや、どうしたんだい」
「ヨーティアや陛下――レスティーナが、意味もなくそんな事するとは思えない」

 言うと、ヨーティアは我が意を得たり、という様子でニヤリと笑い、機嫌よく説明を始めた。

「勿論、理由ならある。マナをエーテルに変え、使ったエーテルがマナに還る……これがエーテル技術の基本なんだがね。エーテルからマナに戻る過程で、マナはほんの僅かだが減ってるんだ」
「確かマナって、空間の中に一定しかないんだよな? ってことは、エーテル技術を使い続けると、いずれマナが枯渇する?」

 今ひとつ、友希には弱い理由に思えた。
 地球でも、石油の埋蔵量に限りがあることは知られているが、代替を研究しながらもまだ主流として使われ続けている。ヨーティアが『根絶する』とまで言い切るような理由には思えない。

「それだけじゃあない。友希、お前、マナってなんだと思う?」
「え?」

 予想外の問いかけに、友希は鼻白む。

「マナは……マナじゃないのか?」
「ふふん、ボンクラめ。常に物事には、何故を積み重ねるもんだよ。そうやって人類は進歩してきたんだ。まあ、優しい私はちゃんとレクチャーしてやるが……マナはね、命そのものなんだよ」
「命?」
「ユートのやつにも説明した資料だが……」

 と、ヨーティアは立ち上がり、未だ片付けられていない資料の山から、二つの紙を取り出した。

「っと」

 その表紙に、危うい均衡を保っていた山は崩れ、雪崩打つように紙が散乱する。ヨーティアは『ま、いっか』と小声で呟き、友希のところに戻ってきた。

「お待たせ」
「……ヨーティア、片付ける人のことも、少しは考えたらどうだ?」
「ん? 大丈夫大丈夫」

 なにが大丈夫なのだろうか。
 追求するのも面倒になって、友希は先を促した。

「これが、その資料だ。まあ、簡単に言うと、こっちのグラフが軍事力――要は、スピリットにどんだけエーテルを与えたかってグラフで、こっちが食料の収穫量と、後は出生率だ」
「……見事なまでに、真逆の形になってるな。軍事力が増えると、同じだけかそれ以上に食料は少なくなってる。出生率も……」
「そう。まあ、こんなわけさ。私らが便利に使っているマナは、実はみんなの命なんだ。マナが枯渇するより前に、この大陸から人類――いや、動物から植物まで、全生物が全滅する方が早いだろうね」

 そこでヨーティアは言葉を区切った。友希が、説明した内容を飲み込むまでの時間を作ったのだ。
 しばらく考え込んだ友希だが、うん、と一つ頷いて、ヨーティアに向き直した。

「話は、わかった。そういうことなら、エーテル技術は確かに封印するべきだと思う。でも、どうやって?」
「あー、マナを抗マナ……エーテル変換できないものに変える。ま、こっちは後で悠人にでも聞いてくれ。あいつにも説明したし、今日の本題じゃない」
「そ、そうか」
「ああ。んで、ここからが本題だ」

 ここまでも、充分に重要な話だったと思うが、友希は居住まいを正した。

「エーテル技術を捨てる。言うは簡単だけど、実際にやるとなると相当反発も大きいはずさ。……まあ、今までがエーテル技術に甘えすぎてたんだが、世の殆どを占めるボンクラには理解できないだろうからね。
 エーテル技術を封印した"その後"を見据える必要がある。要は、代替となる技術体系の研究さ」
「代わり……か」
「ああ。エーテル技術が便利すぎたせいで、この大陸ではそれ以外の技術はエーテルがもたらされる以前から驚くほど進歩してない。
 ……しかし、トモキ。お前さんの世界は違うよな?」

 コクリ、と頷いた。ここまで来ると、友希にもヨーティアの用事が大体読めてくる。

「この世界の今後のため、ハイペリアの技術について聞きたい。ユートは役に立ちゃしなかったからね」

 バイト漬けのため勉強をあまりしていなかったのと、基本的に家族と友人にしか興味がないせいで、悠人は意外とモノ知らずであった。生活費の削減のため、高嶺家にはネット回線も引かれていなかったのだ。

 とは言え、所詮一高校生である友希にも、そう多く話せることはない。

「いいけど……向こうにいた頃、僕はまだ学生だったんだ。あまり役に立てるとは……」
「なに、そこまでは期待していない。概念だけでもいいのさ。とりあえず、ユートから聞いたことで気になるところの確認もしたいしね」

 ノートを取り出して、ヨーティアが質問の体勢に入る。

 ……一つの世界の、最高の頭脳に対して講義する。なんとも貴重な体験のような気がした。

「わかった。僕の知ってることなら、なんでも聞いてるくれ」
「ああ、よろしく頼むよ」

 友希は、一年以上前の知識を必死になって掘り起こす。

 そうして、結局、ヨーティアは四徹目の夜を過ごすことになったのだった。




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