「ケムセラウト駐屯のスピリット隊に伝令! 二人一組で法皇の壁の監視に向かわせろ!」
「前王陛下の近衛を姫様のところへ! 後、国王の小姓を呼べ! 命令系統をさらい直す」
「ミネア周辺が穴になってるぞ。周囲の都市から応援を呼べ!」

 と、怒鳴り声が響くのは、ラキオス王国のスピリット隊作戦司令部である。
 ここでおおまかな戦略が決められ、その上で手足となる悠人率いるスピリット隊が動くのだ。他の各都市の防衛にあたっているスピリットたちのトップでもある。戦争となれば、国王の方針を受け、具体的な戦略に落としこむ役目も担う。当然、ラキオス中から集められたエリートの巣窟である。

 だが今は、王都どころか、王城にまで敵の侵入を許し、あまつさえ国王を暗殺されたという未曾有の大不祥事を前に、国の防衛の心臓部であるこの部屋は、おおわらわとなっていた。
 責任の所在はひとまず後回し。まずは国の防衛体勢の見直しと、残敵がいないかの確認。到底人手ならぬスピリット手が足りないので、同時並行して元国王の配下のスピリットの再編もしなければいけない。

 特に、最後の仕事は極めて難航していた。
 ラキオス王国のスピリットは、基本的にレスティーナが掌握している。しかし、全てのスピリットがレスティーナの配下だったというわけではなく、国王直轄のスピリットも二割弱を占めていた。そして、それらのスピリットはこの作戦司令室の管轄ではなかったのだ。

 全ての戦力をレスティーナに集中させることを恐れたラキオス王の施策だが、このお陰で各都市駐屯部隊の連携が滞り、今回の襲撃に繋がる隙を作ったと言っても過言ではない。
 なにより問題なのは、それらのスピリットへの命令系統が判然としておらず、王が死んだ今、王女のもとに取り込むのに一苦労だということだ。

 あのヒヒ爺め、と思っている人間もこの作戦司令室の中にはいるだろうが、誰も口にはしない。そんなことをしている暇があれば、手を動かすのだ。

 と、その時、殺気立ちながら指令を飛ばす作戦司令部の扉が開かれる。
 使いに出した人間の報告か、と地図との睨めっこをやめないエリートたちの一人が、ふと入ってきた人物を見て、大慌てで立ち上がった。

「ひ、姫様!」

 その声に驚愕し、残りの人員も慌てて立ち上がり敬礼をする。
 入ってきたのは、今や唯一の王族となるレスティーナ王女。いや、戴冠はしていないとは言え、実質の女王陛下だった。

 背後に、護衛としてかエトランジェ――友希を伴っている。現在、ウルカとの戦いで限界以上を振り絞り眠っている悠人程ではないが、一応異世界からのまれびととして城の中ではそれなりに知られた顔だ。
 そんな彼を連れた王女は、柔らかい笑みを浮かべる。

「様子を見に来ただけです。どうぞ、仕事を続けてください」
「あ、いえ、その……しかし」
「貴方達の邪魔をするのは本意ではありません。どうぞ気にせず」

 重ねて言うレスティーナに、作戦司令部は顔を見合わせ、仕事に戻る。
 そして、そのレスティーナの後ろに控えていた友希は、内心感心していた。

(……僕とそんなに年変わらないだろうに、すごいカリスマ)

 なにも特別なことを言ったわけではない。しかし、その言動の一つ一つが、生まれ持って人の上に立つと定められた者のそれである。この人に付いて行けば間違いはない、そう思わせる雰囲気を持っているのだ。
 それでいて、頭も良い。先ほどまで執務室で鬼のような量の書類をさばき、同時に百人を越える人間に指示を出していた。ようやく仕事が少し落ち着いたと思ったら、休憩もせず各所へ労いに出向き、ここが三箇所目だ。

 護衛として指名され、背後で突っ立っている友希は舌を巻く思いだった。
 同時に、今この人に倒れられたらラキオスが冗談抜きに傾く、と心底実感する。行く先々で、国王が暗殺され不安に思っている人達が彼女に縋る視線を向けるのである。およそ、二十歳にも届いていない少女が受け止められるような重圧ではないだろうに、レスティーナは平然と受け止め、彼らを慰撫していた。今、彼女が倒れでもしたら、ラキオスは混乱のうちに瓦解してしまう。

『『束ね』、警戒怠るなよ』
『了解』

 傍で見ていて、友希も彼女のカリスマに当てられたのか、自然と背筋が伸びる。

『しかし、なんで僕なんだ? まだ危ないかもしれないんだから、こういうのは護衛の得意なエスペリアとかに』

 人手が足りないのは百も承知だが、それならもっと適任のスピリットもいるはずだ。ふとした疑問が友希に浮かぶ。

『わざわざ主を護衛にする……ということは、エトランジェはまだ健在だとアピールするためでしょうかね? 悠人さんのお陰で、この国のエトランジェに対する信頼は厚いですから。主が側に入れば、他の人は安心するんじゃないかと』
『そ、そうなのか……』

 『束ね』の指摘に、思わず顔を引き攣らせる。本当に、どこまで考えを巡らせているのだろう。

 この作戦司令部の責任者と言葉を交わすレスティーナの背中を、呆けたように見る。
 彼女は今後、どうするのだろう。動揺する国を落ち着かせるのは、彼女の手腕なら然程時間はかからないと思う。しかし、サーギオスへの報復を、という世論が巻き上がるのはそう遠い話ではない。北方五国を平定した未曾有の大勝利によって、今市井は好戦的な空気が流れている。

 だがしかし、サーギオスとラキオスの現状の戦力差は絶望的だ。こちらの切り札であるエトランジェ悠人は、ウルカに為す術もなくやられた。総合戦力は、情報部によると実に十倍近い開きがある。話半分でも、喧嘩を売れる状況ではない。

 しかし、

「…………」

 友希は首を振る。

 サーギオスとの戦い。そこには、サーギオスに与しているあの黒い剣士がいる可能性がある。
 そのことに思い辺り、一瞬暗い期待が胸を掠めた。

 今の自分では到底敵わないことは痛感している。つい先日、ウルカ達によって打ちのめされた。正直、今でもショックだし、落ち込んでいるのも確かだ。
 だけど、あの剣士に剣を突き立てる光景を思い浮かべると――

「トモキ。なにをぼけっとしているのです。次に行きますよ」
「え、あ、了解!」

 ふと気付くと、レスティーナが厳しい顔でこちらを見ていた。どうやら話は終わったらしい。

『今、変なことを考えていましたね? なんか嫌な感じがしましたよ』
『……なにを失礼なことを。大体、嫌な感じってなんだよ。適当すぎるだろ』

 友希が暗い考えに取り憑かれていたことは『束ね』にとってはお見通しらしく、じとっとした思念を向けられた。この神剣がいる限り、どうにも落ち込んだ空気は続かない気がする。ゼフィが死んで、自分も死にたくなるほどに絶望していた時も、『束ね』の軽口はやまなかった。
 そのことに、決して表には出さない感謝の念を抱いてから、友希はレスティーナを追いかける。

 つかつかと早足で歩く彼女の後ろに追いつき、口を開く。

「次はどこへ?」
「文官たちのところへ向かいます。今頃、会議が紛糾している頃でしょう」

 と、城の廊下を曲がろうとした時、どたどたと騒がしい足音が聞こえてきた。
 この手の足音は今の城では珍しいものではないが、足音の質がやけに軽い。体重の軽い子供のものだ。

「あ、王女様、トモキ様! やっと見つけたー!」
「オルファリル」

 足音だけでなく、声もにぎやかな赤いスピリットが、焦った様子で駆け寄ってきた。

「どうしたのですか?」

 子供をあやすような優しい声色で、レスティーナが尋ねる。『えっと、えっと』とオルファリルは多少まごついてから、早口で話し始めた。

「パパが目を覚まして、それで大変なの!」
「大変?」

 もともと、悠人が目覚めたら連絡するよう命令していたレスティーナだが、不穏な報告に眉をひそめる。

「そう! カオリを取り戻すんだ〜っ、ってまだ疲れてるのに起き上がろうとしてっ。今、エスペリアお姉ちゃんが必死で止めてるの!」
「! わかりました。トモキ、行き先を変更します。すぐスピリットの第一宿舎に向かいますよ」

 今まで使っていた第一宿舎は燃えたものの、あれは近年建て替えた建物だったため、近くに昔使っていた宿舎があった。近々解体される予定だったそこを、今は宿舎として使っているのだ。

「了解!」

 友希は大きく返事をする。

 悠人が暴走するのは予測はついていたが、エスペリアが側にいれば止まると思っていた。
 友希は、自分の見通しの甘さに歯噛みして、第一宿舎へと向かうのだった。























「離せ、エスペリア! 佳織が……佳織が!」
「離しません! どうか『求め』を置いてくださいませ」
「嫌だ! くそ……瞬、『誓い』ぃ!」

 第一宿舎に近付くだけで、怒声が外まで聞こえてきた。
 レスティーナは険しい顔で、第一宿舎に踏み入る。

 玄関口に、『求め』を杖替わりに足を引きずりながら外へ向かおうとする悠人と、それを背後から羽交い絞めにするエスペリアの姿があった。

「なんの騒ぎですか、これは!」

 そうして、レスティーナは一喝する。玄関が開けられたことにも気付かなかった悠人は、やってきた人物を見て驚いた顔になる。

「レスティーナ……それに友希!?」

 一応は叩きこまれた敬語も吹っ飛んでいる悠人は、レスティーナを呼び捨てにする。別段、気にする風でもなく、レスティーナは再度問いただした。

「なんの騒ぎかと聞いているのです。ユート、病み上がりの身でどこへ向かおうというのですか?」
「決まってる、サーギオスへ行くんだ! 瞬と『誓い』を倒して、佳織を連れ戻す! 邪魔をするなら、あんただって……友希! お前だって容赦しないぞ!」

 今にも神剣の力を引き出しかねない剣幕の悠人に構えた友希に、視線が来る。

「悠人……」

 本当に我を失っている。どれだけ佳織を大切に思っているか、嫌というほど伝わってくる。
 いや、

『……本当にそれだけですかね? 必要以上に瞬さんや『誓い』への怒りが先走っているような』
『こっちに来る前から、悠人と瞬は殺し合いをしかねないほど仲悪かったからな……。に、しても』

 違和感が拭えない。普通、瞬へはともかくとして、見たこともない『誓い』へここまで憎悪を燃やせるものか?

 友希がそう感じているのをよそに、オルファリルが悠人に話しかける。

「パパぁ……やめようよ。そんなに無理して助けに行っても、カオリは喜ばないよ」
「そんなことないっ。それに、今にも酷い目にあっているかもしれないんだ! 放っておけるか! エスペリア、離せ!」
「離しません!」

 一向に頭が冷えない悠人に、レスティーナが一つ『ふう』とため息をつく。

 次の瞬間、パァン、と乾いた音が響いた。

「な……ん」

 痺れるような痛みが、悠人の頬に響く。痛みには随分慣れているし、所詮スピリットでもない普通の女性のビンタだ。ダメージはたいしたことないのだが、驚愕に悠人の動きが一瞬止まる。

「死にに行くつもりですか?」
「なんだと?」
「たった一人で、まともに立てもしない体たらくで――いえ、たとえ万全だとしても、一人で帝国に行って、わざわざ殺されるつもりなのですか?」

 レスティーナは、淡々と問いかける。
 実際、そのとおりになるだろう。悠人一人では――いや、仮にラキオスの前軍で向かっても、現状では瞬のところへ辿り着くどころか、サーギオス帝国を囲む壁、『法皇の壁』を超えることすらできない。

「ち、違う!」

 頭では当然わかっていたのだろう。が、改めて現実を突きつけられ、悠人は首を振ってムキになって否定する。

「違いません。貴方は一時の感情に流されて、永遠にカオリを取り戻すチャンスを潰そうとしています」
「なら――なら、どうしろってんだ!? 俺が行くしかないんだ! それとも、あんたが佳織を助けてくれるとでも言うのか!」
「そのつもりです」

 あっさりと頷くレスティーナに、悠人が今度こそ固まる。

「私がカオリを見捨てるとでも思いましたか? ……生憎ですが、こちらも国王が暗殺されているのです。臣下も民も、報復なしには収まらないでしょう。サーギオスは打倒します。それは貴方の目的にも適っているでしょう?」
「な……」
「そのために、私が現実的な方策を講じましょう。そして、動くのは貴方です、エトランジェ・ユート」

 悠人が沈黙する。羽交い絞めにしていたエスペリアが離れても、今度は駆け出したりはしなかった。

 しばらく押し黙り、悠人は考えこむ。
 相当苦悩しているのは表情からも容易に知れた。ややあって、搾り出すような声で、悠人は言った。

「……少し、考えさせてくれ」
「結構。結論が出るまでの間、養生してください。私たちに手を貸すにしろ、一人で行くにしろ、その体ではどうしようもありません」

 無言で悠人が頷く。
 ようやく落ち着いた。友希は、安心で大きくため息をつく。

「その、悠人?」

 話しかける。今度向けられた視線は苛烈なものではない。寧ろ、レスティーナのお陰で冷静になり、申し訳なさそうな色が浮かんでいる。

「……悪い、友希。お前にもひどい事言った」
「いや、それは全然構わない。……その、さ」

 友希は少し悩んでから、言うことにした。

「お前は怒るかもしれないけど、佳織ちゃんが酷い目に遭うなんてことはないと思うぞ? あっちには瞬がいるんだろ。そりゃ、寂しい思いはするだろうし、あいつが無自覚に無神経なこと言って傷つけるかもしれないけど……少なくとも、怪我をしたり、ひもじい思いをしたりなんてことは絶対にない」

 悠人と同じように、瞬も佳織を守るためなら一国を全て敵に回すことも厭わない。瞬が帝国である程度高い地位にいるというのなら、佳織の身の安全だけは保証されている。
 今回の瞬の行動にはいささからしくないところはあるものの、そこだけは友希は確信を持って言える。

「……そう、だな」

 瞬の名前を出した辺りで悠人は不機嫌になるものの、最終的には納得した。徹底的なまでに反目しあっていても、その原因は佳織だ。瞬が彼なりに佳織を大事に思っていることは、嫌というほど知っている。

「友希、そういえば聞きたかったんだけど」
「ん?」
「ウルカが去り際、瞬からの伝言を伝えたって言ってたよな。あれ、どういうことだったんだ?」

 そのことか、と友希は苦い顔になる。

「その、な。瞬のやつから、サーギオスに来たけりゃ来いよ、って言われて」
「あいつが!?」
「ああ」

 決して忘れていたというわけではないのだが、今の今まで棚上げしていた。レスティーナの護衛という仕事を振られたし――なにより、瞬の提案通りサーギオスに行くと、あの黒い剣士と遭遇する可能性がある。
 そのことに期待を抱かないわけではないが、今の実力では会ったら即死する、という程度には理性が働いていた。

 だけど、瞬の様子も気になる。
 最強のスピリットであるウルカに、佳織を攫うなんて命令を下せるのだからそれなりに高い地位にいることは間違いない。しかし、エトランジェはエトランジェ。無体な扱いをされている可能性は、決して否定できない。あのプライドの高い男がそんな扱いに甘んじるわけがないが、『求め』と同じような制約が『誓い』にもあればもしかしたらということもある。

 一応、唯一の友人を自負する友希には、気にならないわけがなかった。

「トモキ、サーギオスへ向かうのですか?」
「あ、いや……」

 迂闊だった、と後ろから声をかけられて顔が引き攣る。
 ここにはまだ国の実質上のトップがいるのだ。友希とて、ラキオスにとっては貴重な戦力。話してしまったからには、安々と向かわせられないだろう。

「……それも悪くないかもしれません。何故周辺国家に陰謀を巡らせるのか。もしそれがわかれば、取れる方策も違ってきます」
「え?」
「帝国の実態は謎に包まれているのですよ。北方五国への干渉にしても、なににしても、どうしてそのようなことをするのかまったくわかっていません。トップの皇帝に至っては顔どころか名前すら知られていないのです。
 ……シュンというエトランジェを通じて情報が得られれば、ラキオスの有利に働く可能性があります」

 そう言うレスティーナに、友希は慎重に言葉を選んで返す。

「……いいんですか。そのまま、帝国に寝返るかもしれませんよ」
「その時は貴方を信用した私の目が節穴だったということでしょう。それに、貴方が仮にあちらに加わったとしても、絶望的な戦力差であるということはなんら変わりません」

 本気なのか、強気のポーズなのか、友希ではレスティーナのポーカーフェイスは見抜けなかった。

「……僕も考えさせてもらっていいですか」
「ええ。危険が伴うことです。こちらに帰りたいと思っても、返してくれるかもわかりません。
 ……丁度いいでしょう、エスペリア、私の護衛をお願いします。トモキは一日休暇を与えますので、じっくりと考えてください」

 そう言って、レスティーナは身を翻す。
 その後ろにエスペリアがつく。

「了解しました。オルファ、貴方も来なさい」
「はーい!」

 残されたのは、悠人と友希の二人。どちらともなく顔を見合わせ、

「……じゃ、悠人。僕は第二宿舎の方に戻るよ」
「ああ。……ちゃんと考えないとな」

 頷く。
 安易に決められることではない。今は少し時間が欲しかった。




























 全員、近辺の見回りなどで出払っており、ガランとしている第二宿舎のリビングの椅子で、友希は天井を見上げながら考えていた。

 帝国へ行くべきか、行かざるべきか?

『『束ね』、お前はどう思う?』
『正直、判断材料が少なすぎてどっちがいいとは言えませんね。ラキオスにいた方が、危険は少ないと思いますが。まあ、主に任せます』

 茶々を入れることはあっても、基本的には友希の意思で紡がれる物語を重視する『束ね』はそう答えた。

『だよなあ』

 サーギオス帝国に行ったとしてどうなるか。最悪、殺されることも考えられるし、戦力として無理矢理組み込まれるかもしれない。
 だが、こうやって考える時間が与えられれば、どうしても気になってくることもある。

(瞬……あいつ、なんで来なかったんだ?)

 一番、気になっているのはそこだ。
 瞬の命令で来たというウルカの話を聞いて、そこが一番不自然に感じた。

 あの男が佳織を迎えるのに、他人に任せる? いくらスピリットが絶対服従だとは言え、考えられない。あんな誘拐まがい――実際、誘拐そのものだが、あんな乱暴な攫い方をしたら、命令通りに動いたウルカにもキレるような男だ。

(出来なかった……? でも、なんで)

 例えば、ラキオス王国に潜入するという隠密性が求められる任務に、瞬の能力が向いていなかったとか。『求め』と同等の四神剣『誓い』を持つという話だが、『求め』同様派手な気配をまき散らしている可能性は高い。潜入任務には甚だ不向きだ。
 ……が、その程度であの瞬が引き下がるか? 頭は良いのでそのまま来ることはないにしろ、なにかしらの作戦を立てて意地でも佳織を迎えに来るだろう。

 やはり、拘束――とまではいかずとも、自由に動けないようなにかしらの制限がかけられている?

(駄目だ。やっぱり、どうしてもウルカを自由に動かしてたってのが……)

 そんな権限を持たされているのが、推論を否定する。悠人とて、スピリット隊隊長として大きな権限を持っているが、他国へ勝手にスピリットを派遣するなどという暴挙は断じてできない。スピリットの数については最大規模を誇る帝国とは言え、最強スピリットであるウルカを動かすなど並々ならぬ権限が必要だろう。
 考えられる可能性としては、あくまで国王暗殺が本命で佳織の誘拐がついで――いや、そんなことをすれば、それだけウルカを危険に晒してしまう。

 外に出られない代わりに権限を与えられたとか、実はウルカと信頼関係を築いていて個人的に頼んだとか――後者は絶対に有り得ないが――色々な推論が頭に浮かんでは消えていく。

 結局のところ、結論は実際に見てみないとわからないということだけだった。

「はあ……茶でも淹れるか」

 考えてみれば、ウルカ襲来からこっち、すぐにレスティーナの護衛に回され、一切飲み食いをしていなかった。しかも、時間にして一日半くらいは睡眠を取っていない。なのに、身体はそこそこ元気なのは、やはり永遠神剣を持っているからだろう。
 しかし、一度気付くと、喉の乾きがとても気になる。戦闘中とかはともかくとして、ちゃんと食事や睡眠を取ったほうが、良いに決まっている。

「そういや」

 佳織が連れ去られる直前に淹れてくれたお茶は美味しかった。細かい味の違いまではわからないが、美味かったことだけはわかる。
 あれを真似てみようと思い、薬缶を火にかけながら、台所の戸棚を漁る。

 いつも淹れるお茶の他に数種類の葉が瓶詰めされており……

「……ど、どれがどれだ?」

 ルクゥテとクールハテのブレンド。そう言っていたことは覚えているのだが、どの葉がどれなのか、ラベルも付いていないので友希には判断できない。
 実のところ、エスペリアがハーブ類を自前で育てているため葉の種類が豊富な第一宿舎と違い、第二宿舎にはルクゥテもクールハテも存在しない。いつも飲むラキオスでは一般的なお茶の他は、ハリオンが趣味で数種類揃えているだけだった。エスペリアがたまに差し入れしてくれるが、今は残っていない。

 それでも、このままいつものお茶を飲む気分になれず、適当に葉の香りを嗅いで、勘でブレンドしてお茶を淹れてみる。

「……微妙」

 一口飲んで、出てきた言葉はそれだ。
 決して不味いというわけじゃない。が、いつも飲んでいるお茶のほうが美味しい。

 失敗だったか、と気落ちしながら、勿体無い精神で飲み続ける。

「ただーいまー!」
「ただいまー」

 玄関から大きな声が聞こえた。もう声だけで容易に判断できる。ネリーとシアーだ。
 確か、ハリオンを加えた三人で、城下の混乱を抑えるべく街の見回りをしていたはずだ。

「あ、トモキさま! ただいまー!」
「ただいま」
「おかえり」

 ぴょん、と殆ど働き詰めだったろうに元気なネリーは、友希の隣の席に座る。シアーも、その反対隣に座った。

「なに飲んでるの? お茶?」
「ああ。ちょっと友希印のブレンドを試してみたんだけど……ってこらっ!」

 全て言い切る前に、ネリーが飲みかけのカップを取り、飲んでしまった。そして、うげっ、と顔をしかめる。

「トモキさま、苦いよこれ!」
「あー、ネリーには苦手な味だったか」

 苦い味は嫌いではないので、不味いというほどではなく飲めていた友希だが、ネリーにしてみればこんな評価だった。少し調子に乗って、葉を多く使いすぎたかも、と反省する。

「えー、そうなの? シアーもちょっと飲ませて」
「……構わないけど」

 シアーがねだってくるので、ネリーが突っ返してきたカップを渡す。
 意外にも、シアーの方はコクコクと数口飲んでいた。

「おおー」

 ネリーが感心した声を上げる。
 友希も、これは僕のブレンドも気に入ってくれる人が出来たか、とちょっと期待を込めた目で見て、

「苦い〜〜」

 ワンテンポ遅れて、シアーがネリーと似た顔になる。……単に反応が遅かっただけらしい。

「そ、そうか。……僕は別に、そんな嫌いな味じゃないんだけどなあ」

 結局、空になってしまったカップを返してもらい、まだ数杯分残っているポットから注ぎ直す。
 と、その辺りで、ぽやぽやとした雰囲気を持ったグリーンスピリットがリビングに現れた。

「あ〜、トモキさま〜。ただいま帰りましたよ〜」
「あ、ああ。おかえり、ハリオン」

 どうも、ネリシアに置いて行かれたらしいハリオンがのんびりとした挨拶をして――テーブルの上のポットに目を付けた。

「ん〜〜?」
「ど、どうした、ハリオン」

 不審そうな顔になって、友希の背後から彼の持つカップに鼻を近付けるハリオン。自然と彼女の豊かな双丘が背中に押し付けられ、友希はドギマギとなる。
 なんていうのも、一瞬、

「あ〜〜〜〜〜〜!!」

 滅多に上げない大声を上げたハリオン。やはりどこかのんびりした感じではあったが、珍しいその様子に、友希は驚いた。

「ど、どうしたんだ」
「このお茶〜、わたしの買ってきた葉を使いましたね〜?」

 責めるような目で見られて、友希は慌てた。

「え? えっと……使っちゃ駄目だった? そ、それはごめん」

 ハリオンのものとは知らなかった友希は慌てて謝る。

「これ、けっこう高かったんですよ〜」
(……だからどっから現金を手に入れてんだ)

 相変わらずの謎資金源に友希は内心ツッコミを入れながらも、誠心誠意謝る。もう〜、とぷりぷり怒っているハリオンだが、しばらくするとすぐに収まる。

「今度からは気をつけてくださいね〜?」
「はい。ごめん」

 謝る。
 と、そこでネリーが声を上げた。

「ハリオン〜、お茶淹れなおしてー。トモキさまの苦いー」
「はいはい〜。ちょっと待っててくださいね〜」

 ハリオンが笑顔で頷いてから、台所へ向かう。それを見送ってから、友希はふう、と溜息をつく。

 なんだかんだで、ここは居心地がいい。瞬のことが気になって仕方ないのに、腰が重くなるのは、きっとそれが大きな理由だ。
 でも、だからこそ、

『決めた。『束ね』。僕は帝国に行くことにする』
『はい。どうぞ主の思うとおりに』

 もし今、サーギオスがラキオスに攻め込んできたら、いとも容易く擦り潰される。それは友希がいてもいなくても変わらない。そして、帝国はいつ攻めてくるかもわからないのだ。
 帝国に潜り込んで、情報収集をしたり――できるかわからないが――内部で工作をすれば、そんな自体も回避できるかもしれない。

 か細い可能性だが、賭けてみる価値はきっとある。
 あの黒い剣士のことは――

(今は、考えない)

 実際に会ったら冷静でいられるかわからないが、友希は無理矢理あの男の事は頭から締め出した。復讐をしたい気持ちは薄れていないが、今は優先しないといけないことがある。
 瞬のことと、ラキオスのこと。その二つを放り出して万が一あの男を討てても、きっとゼフィは寧ろ怒る。

「トモキさま? どうしたの?」
「ああ、シアー。ちょっとな……。その、さ。僕、しばらく出かけることになるんでな。ちょっと、色々考えてた」

 悩んでいることを見抜かれたのか、心配そうにするシアーにそう言う。反応したのはネリーだった。

「ええ〜! トモキさま、どっか行っちゃうの!?」
「あ、あ〜、まあ。うん。その、出張みたいなもんだ。いつ帰れるかは、わかんないな」

 死んで帰ってこられない可能性のほうが高い。

「え〜、駄目駄目! 寂しくなっちゃうよ」
「だめー」

 ネリーとシアーが次々に言い、友希の顔が自然とほころぶ。
 付き合いは短いのに、こんな風に言ってくれる二人は本当にありがたく――だから、自分にできることを精一杯やろうと思った。

「僕も寂しいけどさ。うん、絶対帰ってくるから」
「絶対?」
「ぜったい〜?」

 むう、とこちらに念を押すように確認してくる二人に、帝国へ行くことの不安を全て棚上げし、力強く言い切る。

「約束だ」

 必ず果たす、と友希は誓った。




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