「はい、御剣先輩、お茶です」
「お、ありがとう、佳織ちゃん」
「はい、お兄ちゃんも」
「サンキュ」

 第一宿舎のリビング。友希は、悠人と佳織の二人とお茶をしていた。
 数少ない地球出身者同士だ。普段、友希と悠人は仕事で忙しいが、話をする機会は出来るだけ作ることにしていた。

「あれ? 第一宿舎のみんなは、今日は全員留守なのか?」
「ああ、買い出しだってさ」
「そういえば、うちもヒミカとハリオンが出てたっけ」
「あ、なるべく第一宿舎と第二宿舎で纏め買いすることにしているそうですよ。商店の人の手間を減らすために」
「ああ、そうだったな」

 それを聞いて、へえー、と悠人はことさらに感心した。

「……いや、高嶺。お前、買い出し行ったことないのか?」

 対して、何度か買い出しに行ったことがあり、第一宿舎と合同で買い物をしていることを知っている友希は呆れる。もうファンタズマゴリアの暦で丸一年はラキオスに住んでいるというのに、悠人は意外にこの辺りのことはよく知らなかった。

「だってさ。エスペリアが、その辺のことは俺にやらせてくれないんだよ」

 悠人にも反論はある。ここの宿舎は、家事万能のエスペリアが雑事を一手に担っていて、悠人が手伝おうとすると『私の仕事を取らないでください』と言わんばかりに悲しそうな顔をするのだ。そうすると、根はどちらかというとグータラな方である悠人は、楽な方に流れてしまう。
 ……やっぱり、これ以上言い返さない方がいいな。そう悠人は思い、口を閉ざした。

「ん……美味しい。佳織ちゃん、このお茶はなんてお茶?」

 そんな悠人に若干呆れながら、友希は佳織の淹れてくれたお茶を飲む。どこかバニラに似た風味が広がり、世辞抜きでかなり美味しい。

「えへへ、これはですね。私のオリジナルのブレンドなんですよ。エスペリアさん、沢山お茶っ葉を持ってて、色々試させてもらいました」
「へえ」
「確かに、嗅いだことない香りだな。なんだろ、これ」
「あ、お兄ちゃんわかるんだ」
「まあな。俺も、エスペリアに色々飲ませてもらったから。こっちに来て鍛えられたのは、戦い方だけじゃないんだぜ」

 なにを鍛えている、なにを、と友希はツッコみたくなった。こんなことくらいで嫉妬は抱かないが、友希とゼフィが味のない白湯を飲んでいる間、悠人はバラエティ豊かなお茶を飲んでいたという事実を思うと、少し顔が引き攣る。

「……そうだな、これはルクゥテだな? ルクゥテと……クールハテのブレンド。どうだ?」
「すごいすごい。大正解だよー」
「確かに凄いけど」

 地球のハーブのように、ファンタズマゴリアで茶として使われる葉は種類豊富だ。特にラキオスの気候では、様々な植物が育てられるので、市場でも色々な種類の葉が得られている。友希など、代表的ないくつかの葉しか知らないし、そもそも飲んでも違いがイマイチわからない。

『意外と貧相な舌をしていますね』
『いきなり出てきたと思ったらそれか』

 『束ね』が一言だけ言って奥に引っ込む。本当に、これを言うためだけに出てきたらしい。

「んで、お茶もいいけど。高嶺、なんかわかったことあるか?」

 本題に入る。今回集まったのは、茶飲み話をするためだけではない。元の世界に帰るための情報収集、その報告会でもある。

「ああ。いくつか、エトランジェがこの世界に来たっていう例は見つけたけど、元の世界に帰ったって話は見つからないな。わかった範囲じゃ全員、この世界に骨を埋めたみたいだ」
「ううん、僕の調べたのと一緒か。昔いたっていう四神剣の勇者ってのも、最後はどうなったのか書いてある本によって違うし」

 元の世界に帰ってめでたしめでたし、で完結しているものもあった。しかし、どうやって帰ったのかの記述はない。
 『死後、彼らはハイペリアに帰ったのでした』みたいなことが書いてある本もあったが、まさか死んで試す訳にはいかないだろう。大体、そう書いてあったのは読み物としての性格が強いもので、信憑性が低すぎる。

「わたしも似たり寄ったりです」
「そっか。……なあ、高嶺。お城の方の書庫とか閲覧できないか? やっぱ僕達が触れられる資料だけじゃ限界がある。確か、高嶺は書庫に入る許可もらってたろ?」
「うーん、戦略・戦術系の本ならともかく、それ以外のは貸出許可が降りないんだよなあ。入った時に調べようにも、俺こっちの字、ほとんど読めないし」

 実際、悠人の調べ物は殆どエスペリア任せだった。

「うーん、まあ僕も、難しい本はじっくり時間をかけないと無理だな」
「いっそ盗むか? 神剣の力を使えばこっそり持ち出すことは出来ると思うけど」
「いや、いくらなんでもバレた時が怖いぞ」

 少なくとも表向きは従順な態度を崩さないエトランジェが、隠れて元の世界への帰還方法を探している。いかにもあのラキオス王の逆鱗に触れそうな行為だ。また佳織を人質に取られてもおかしくはない。

「あの……お兄ちゃん。ちょっと思ったんだけど、レスティーナ王女さまに協力してもらうのはどう?」
「レスティーナに?」
「うん。王女さま、色々物知りだし、王族なら普通の人が知らない伝承とかも知っているかもしれないし」
「そうだなあ。そうかもしれないけど……」

 レスティーナと謁見の間以外で話した経験のない悠人だが、彼女が敵ではないということは理解している。佳織も世話になった彼女を今更疑うつもりはない。
 しかし、同時に、この国にとって不利益となるなら、王女たる彼女は断固たる態度をとるだろうということも、恐らく間違っていない。理知的で、毅然とした態度を崩さない彼女は、そういう所では冷徹に判断するような気がする。

 悠人や友希というエトランジェの戦力が、客観的にどれだけの価値を持っているのか。隊長として務めている悠人はよくわかっていることもあり、そう自分の考えを話した。

「……そっか、そうだよね」
「で、でも、ちょっと聞いてみるのはいいんじゃないか?」

 落ち込んだ佳織を、悠人は慌てて慰める。そして、帰還方法云々の話をするかはともかく、彼女と話をするのは悪くないと思った。

「……うん、レスティーナとは、一回腹を割って話した方がいい気もするし」

 実際に顔を突き合わせて話した経験が無いので、今ひとつ彼女が目指す場所が見えない。
 エトランジェやスピリットの優遇。それ自体は悠人たちにはありがたいことだが、正直、レスティーナの国民からの絶大な支持がなければ周囲に潰されていてもおかしくはない。それだけ、この世界のタブーに躊躇なく足を踏み入れている。

 もしちゃんと手を組めれば、と、そこまで考えた所で、悠人は頬をぽりぽりと掻いた。

「って、無理くさいかな? 俺がレスティーナと気兼ねなく話すことなんて」

 悠人どころか、この国の大貴族ですら早々叶うことのない望みだった。

「でも、なんかすごい発想するな二人とも。あの偉い人に聞くなんて、全然想像出来なかった」

 傍から聞いていた友希は感心する。

「ええ? そんなことないですよ」
「そうかなあ。だって、なんか怖そうじゃないか」
「そうなことないですってば。もう、御剣先輩。レスティーナ王女さまは、とても優しい人なんですよ。よく話し相手になってくれたし、怖い人を近付けないようにしてくれたし」

 珍しく強い口調で主張する佳織に、友希は少し気圧される。

「わ、わかった。了解」
「でも、俺も御剣と似たような印象なんだよな。なにせほら、謁見の間でしか会ったことないからさ」
「あ、そうだね。あそこで会うレスティーナ王女さまはちょっと印象が違うかも」

 ちょっとどころか、男二人にはあの王女が朗らかに話しているところなど想像もつかない。

「んじゃ、次の目標は、レスティーナ王女に話を聞く、でいいか?」
「なんとか話したりできないか、俺もちょっと探ってみるよ。この中じゃ、俺が一番可能性がある。城にもたまに出入りするし」
「あ、あの……お兄ちゃん?」
「ああ。できれば佳織も一緒に、な」

 お世話になり、王女を慕っているらしき佳織の頭を、悠人はぽんぽんと撫でる。

「後、碧と岬についての情報はどうだ?」

 友希たちと同じくこちらに流れ着いていると思われる二人。こちらについては、友希の調べた範囲では欠片もわからない。他国の軍事事情なども耳にする立場である悠人に尋ねてみるが、首を横に振られた。

「駄目だ。エトランジェが現れた、なんてのはすぐ噂になると思ったんだけど、全然聞かない」
「わたしみたいに、永遠神剣を持っていないのかも……」

 そうなると、エトランジェはちょっと体がマナで出来ているだけの普通の人間だ。
 確かにマナが充溢している分、常人よりは強い。元の世界ではかなり非力な部類に入る佳織も、実はこの世界では平均的な成人女性くらいの力を持っている。

 しかし、スピリットという常識の埒外の存在に比べれば、吹けば飛ぶような力だ。いや、それどころか、この世界ではエトランジェはその名の通り異邦人。友希のような反則技でもない限り、言葉も話せないし、こちらの慣習も知らない。そんな人間が、やすやすと生きていけるほど甘い世界では――

「……最悪のことも、考えておいたほうがいいかもな」

 友希はぽつりと呟く。
 人は、予想以上に簡単に死ぬ。そのことを、この世界に来てから思い知った。

「――! そんなこと、あるもんか! あいつらは生きているさっ」
「あ、ああ。ごめん、高嶺。口が滑った」

 悠人の怒鳴り声に、友希は謝った。この場にいる全員が、頭の何処かでその可能性は考えている。しかし、口に出していいことじゃなかった。

「……悪い。俺の方こそ、大声を出して」
「悪いのはこっちだって。高嶺が怒るのも無理ない」
「そっか。それならお互い様、ってところかな」

 と、そこで悠人がふと思いついたように言った。

「そういえば御剣、俺のこと悠人でいいよ。高嶺、じゃあ佳織と苗字被ってるし」
「そうか?」
「ああ」
「んじゃ、僕のことも友希、で」

 そんな風に名前を交換する義兄と幼馴染を見て、佳織は少し微笑んでから、お茶のおかわりを淹れに行くのだった。




























 友希は遠くから聞こえた鐘の音に『おっと』と声を上げた。これは、時間を知らせる鐘の音だ。

「なんか、話し込んじゃったみたいだな」
「ん、もうこんな時間か」

 終わってみれば、お茶も三回ほどおかわりしていた。今日の午後は休みだが、夕飯の当番が入っている。あまり遅くなるとセリア辺りが五月蝿いので、友希はここらでお暇することにした。

「それじゃ高み――悠人。次はまた来週な」
「ああ。よろしく、友希」

 がし、と二人は握手をする。

「あの、御剣先輩。お仕事、気をつけてくださいね。この前も危なかったって……」
「まあ、死なないように頑張るさ。佳織ちゃんこそ、色々大変だと思うけど頑張って」

 佳織とも別れを済ませ、第一宿舎から出る友希。

 そして、歩き出すなり『束ね』が話しかけてきた。

『しかし、暑苦しい友情を築いていましたね、主』
『暑苦しいって……』
『いえ、なんかこう、男同士の熱い友情ってやつじゃないですか。萌えますね』
『お……お前、腐女子だったのか』

 ネットで聞きかじった言葉を実に一年ぶりに記憶の底から掘り返して、友希が戦慄しながら問いただす。

『なにをおかしなことを。私の人格は確かに女性寄りですが、永遠神剣たる私が腐るわけがありません。化学反応とか起こしませんし』
『物理的な意味じゃねえよ!』
『ええ、知っていました。まあ、主の疑問にお答えすると……"嫌いじゃない"とだけ』

 しれっと言う『束ね』に友希はもはやツッコむ気も失せた。最近、この神剣はツッコミを待っている気がしてならない。剣なので顔は見えないが、『さあ来いや』とノーガードで待ち構えられている気がするのだ。下手に反応すると、喜ばせるだけだろう。

『それで、本日はどのような料理をつくるのですか?』
『ヘリオンが日本の料理を教えて欲しいって言ってからさ。ひき肉と玉ねぎっぽい野菜と胡椒っぽい香辛料でハンバーグもどきでも……』

 どうしても、元の世界のものとは微妙な風味が違うので、そのものとはいかないだろうが、かなり近いものが作れるだろうと思う。ハンバーグを腹いっぱい食べるのが子供の頃からの夢だったので、一人暮らしを初めてすぐに大量のハンバーグを自作した経験があるのだ。

『へえ、それはそれは。気に入ってもらえると良いですね』
『まあ、こっちの料理も日本人の舌に合うんだから、日本の料理がこっちの人間の舌に合うのも道理――』

 と、そこまで話したところだった。
 丁度、第一宿舎と第二宿舎の丁度中間にある王城の近くを通ろうとしたところ。

 平和な、のんびりとした休日。その一日が、甲高い鐘の音によって破られた。

 カーンカーンカーンカーン、と普段は時間を知らせる鐘が、緊急事態を知らせるサインで打ち鳴らされる。

 一瞬で、友希の意識は引き締まった。無意識に『束ね』を出現させ、思考が戦時のそれに変わる。
 ラキオスの訓練で、イスガルドから一番に叩きこまれたマインドセット。それがごく自然に友希の体のテンションを戦闘用に変質させる。物心ついた頃から戦いが身近なものであったスピリットたちはごく自然体で戦えるが、友希や悠人はこうして訓練しないと即座に戦える状態にはなれなかったのだ。

 『束ね』から供給されるマナが体中を活性化させ、友希は騒動の中心らしき城へと駈け出した。

『主、あそこに!』

 『束ね』の警告に目を向けてみると、城の塔の一つ、一人の兵士が取り付いて必死の形相で鐘を叩いているその塔に、見知らぬスピリットが現れる。

「待――!」

 最後まで言う前に、そのスピリットは兵士の首を斬り飛ばした。耳が痛いほどに響いていた音が、ぱったりと止む。
 その静寂に、空恐ろしい物を感じながら、友希は更に足を進める。

 どう考えても異常事態だ。こんな国の中枢にまで、敵スピリットが侵入しているとは。戦争は終わったものの、決して警戒は緩められたわけではない。

『〜〜、『束ね』! スピリットって、人間を殺せるもんなのか!?』

 スピリットは人間に絶対服従。それが友希がこの世界で学んだ、不愉快な事実の一つだ。内心はどうあれ、彼女たちが人に剣を向けることなど、想像もしていなかった。

『そんなことを私に聞かれてもわかりませんよ。……ただ、スピリットは教えられたことに素直という話はありましたよね。もし、そう教育されたスピリットがいれば……』
『どこの国のスピリットだ!? そんな真似をするのはっ』

 スピリットが人間に手を出さないからこそ、危うい所で均衡が取れている。スピリットが、その剣を人に向けるとわかれば、人間たちは激しい敵意をスピリットに向けるだろう。
 そう"教育"されたというスピリットならまだしも、大多数のスピリットは人には逆らえない。結果は、スピリットへの更なる虐待だ。

 そんな想像を巡らせながら、友希は城門を辿り着く。この時間帯なら門番がいるのだが、二人いたそのどちらもが静かに横たわっていた。それぞれ、胸と首から夥しい血を流している。

「くっ」

 むせ返るような血の臭い。すぐにマナへと昇華してしまうスピリットでは有り得ない生々しい臭いに、友希は思わず吐き気がこみ上げてきた。
 喉元まで上がってきた胃液を無理矢理飲み下して、手に握った神剣にオーラフォトンの光を灯す。
 
 門は、封鎖されていた。開ける手間も惜しい。

「っっ、おらぁ!」

 鉄製の扉が、ひしゃげて吹っ飛ぶ。切れ味を意図的に落としたため、破城槌で破ったような有様になった。これがエーテル技術を用いた防衛施設ならこうまで容易に突破はできないが、伝統とか言って聖ヨト時代に作られた建物を城としているラキオス城なら簡単に打ち破ることができる。

「――!?」

 そうして中に入って、友希は更に幾人かの死体を見つけ目を背けそうになる。特にそのうちの一人は、腹を裂かれ臓物を撒き散らしており、正視にたえない。抵抗したようで、彼だけは剣を握っていた。
 ……が、他の人間のように、急所を斬られていないおかげか、息があったようだ。ぴく、と指先が動き、友希は慌てて彼のそばに寄る。

「だ、大丈夫ですか!」
「……ぅ……ぁ」

 生粋の人間に、スピリットやエトランジェの回復魔法は効かない。スピリットたちにするようにオーラフォトンによる治癒を施そうとするも、友希は思いとどまる。……この先、一滴でも力を無駄にすることは出来そうにない。
 そして、それこそ魔法でも持ってこない限り、この兵士の命はもって数分だ。急速に生命の力が抜け落ちていることが、傍から見ていてもわかった。

「……お……う、と、おうじょの……とこ……スピ………………」

 それでも、彼は必死に友希になにかを訴えかけようと、口を動かす。かすれるような小さな声なので、耳を近付けないと聞き逃しそうだ。

「国王と王女? 敵スピリットの狙いは、ラキオスの王族なんですね!?」

 微かに、首が縦に動く。そして、そんな力など残っているはずがないのに、彼は友希の腕の袖を掴んで、言った。

「え……と、らんじぇ……た、の……頼む!」

 それきり、兵士の体から完全に力は抜け、二度と動かなくなる。
 そっと、開いたままの瞳を閉じさせて、友希は立ち上がった。

 ラキオス式の敬礼を、ぎこちなく送って、友希は沈痛な表情になる。

「……困るよな、こういうの」

 はっきり言って、王女ならまだしも国王のために働く義理は友希にはない。
 しかし、人一人の、命懸けの願いを無碍に出来るほど、無神経にはなれない。見も知らぬ誰かなのだが、彼はしっかりと友希を認識した上で、スピリットに準じる化け物だと知った上で頼んできたのだ。

『さて、どうします?』
「『束ね』、無駄口叩いてないで、行くぞ」

 王たちの私室は、勿論行ったことはないがおおよその場所くらいはわかる。
 友希は、全速力で走り出すのだった。





















 王族の部屋がある、余人は許可無く立ち入りが出来ない階へと、友希は駆け上がり、

「!?」

 ギィン、と顔のすぐ近くで弾けた金属音に、慌てて距離を取った。
 迫った危機に、鍛えた体が辛うじて反応してくれ、首を斬ろうとした剣を弾いたのだ。

 限界までマナを抑え、斬りかかる直前まで気配を感じさせなかったスピリットが後ずさるのが見える。

「……くっ!」

 手に痺れが残る。明らかに、今の友希より格上の相手だった。
 奇襲に失敗したことにも気落ちせず、なぜか追撃もせずに自然体で構えているスピリット。色は黒。その剣には、血糊がこびり付いている。スピリットに血は残らないから、あの血は城内の人間の血だ。

「お前ら、何者だ!? サーギオスか、それともマロリガンか!?」

 領土が数倍に膨れ上がった今のラキオスにこのような真似をする国は、その二カ国しかない。誰何の声を上げるが、敵はただ静かに構えるだけだった。
 自我を呑み込まれている、という感じではない。純粋に、言葉を交わす必要を感じていないのだろう。

「どうした?」
「隊長。例のエトランジェです」

 友希と対峙しているスピリットの背後から、もう一人のスピリットが出てくる。二対一になると、勝ち目は完全になくなる、と撤退を考え始めていた友希は、現れた顔に驚いた。

「ウルカ!?」
「……トモキ殿、お久しぶりです」

 それは、サルドバルト時代、イースペリア侵攻への援軍としてサーギオスより派遣されたウルカ・ブラックスピリットだった。大陸最強との呼び声も高い彼女は、友希にとっては危ないところを助けてもらった命の恩人でもある。
 しかし、今のこの状況では、剣を下ろすことなど出来るはずがない。

「帝国が、サーギオスがラキオスになんの用だ!」

 彼女がここにいることで、今回の襲撃の犯人は帝国に確定した。かつての味方に、厳しい目を向ける。

「手前らがここに来た目的は三つ。その一つである、国王の暗殺は先程終わりました」
「なっ……」

 この階にいることで、半ば予測していたことだが、既に王は殺されてしまったらしい。
 はっきり言って、あの老人に対しては何度も内心で『死ね』と思っていたし、いっそ自分で殺ろうか、と愚にもならない想像を働かせたこともある。
 しかし、自然と歯を食いしばっていた。あの王はどうでも良いが、先程最後を看取った兵士の願いは叶えられなかった。

 ……いや、

「王女はどうした!?」
「生きております。手前らが命じられたのは、国王の暗殺。邪魔をしなければ、見逃します」

 ということは、逃げてくれたのだろう。親が殺されるところで逃げた彼女を、薄情とは言えない。人間が、スピリットの襲撃者に立ち向かったところで毛ほどの傷も付けられない。責任ある立場として、逃げを打つのは正解だった。

「それで、三つ目的あるって言ってたけど、もう二つは?」

 ここまでの問いに、いやに簡単に答えてくれるウルカに対して不審なものを感じながら、友希は再度質問を重ねる。
 これで答えてくれればもうけもの。それに、こうして時間を稼げば、鐘の音を聞きつけた悠人たちが駆けつけてくれるはずだ。友希では逆立ちしたってウルカには敵わないが、悠人やアセリアらが来れば――いや、それでもこの大陸最強に勝つことは難しいが、勝機は見えてくる。

「一つは、この国のエトランジェ、ユート殿の妹のカオリ殿を攫うこと」
「はあ!?」

 エーテル変換施設の破壊とか、市街地での破壊活動とか、スピリット隊の戦力を削るとか。そういう返答を考えていた友希は、思わず敵を前に素っ頓狂な声を上げる。

「……悠人を、サーギオスで使うつもりか?」

 彼女は悠人に対する人質として非常に有効だ。サーギオスが佳織を求める理由は、それくらいしか心当たりがない。ラキオス以外に知れているのは驚きだが、彼の国の諜報部隊ならこれくらいはやってのけるだろう。

「いいえ、我らが主がお望みであるだけです」
「主? サーギオスの皇帝が?」
「いえ、我らの主は違います」

 顔も知られていない大国の指導者が、と思いきや、ウルカは否定した。
 ……どういうことだろうか。スピリットは人間に服従する存在ではあるが、そんな彼女らが主と呼ぶのは、その国の王くらいだが。

 訝しむ友希は、今度こそウルカの言葉に心底仰天することになる。

「そして、最後の一つは、貴方への言伝を伝えることです。我らが主の言葉を、そのままお伝えします。
 『友希、お前は相変わらず面倒な事をしているな。こいつらには佳織を優先させるが、僕の国に来たいというのなら勝手に来い。歓迎くらいはしてやるよ。まあ、その国で勝手に野垂れ死ぬのは勝手だけどな』……とのことです」

 口調、伝言の内容。
 そして何より、佳織を欲しているということ。

「……しゅ……ん? 瞬が、あいつがこの世界に来ているのか!?」
「はい。我らが主は『誓い』のシュン殿です」

 もう随分長いこと会っていない幼馴染の顔が脳裏によぎる。

『なんでだ!? あいつは、あの時神社にはいなかったはずだっ。『束ね』!?』
『今はわかりません! 後で考えますから今は前を――』

 思わぬ名前を聞かされ、戦闘に気を張っていた友希の心が緩む。
 その一瞬の隙を突いて、ウルカが友希の懐に神速で飛び込み、神剣の柄を鳩尾に叩き込んだ。

「っぐっ……はっ」
「以上です。それでは、我々はカオリ殿を捜索するので失礼を」
「待……て」

 力が抜ける。意識が遠くなる。しかし、友希は『束ね』から力を引き出し、無理矢理倒れ込むのを防いだ。
 佳織が攫われる。そんなことをさせる訳にはいかない。

 背中を向けてウルカに向けて、剣を振り上げようとし、

「ガッ!?」

 更に後頭部に強い衝撃が走り、今度こそ耐え切れずに倒れ伏す。
 もう一人いたスピリットが、鞘付きの神剣で痛打したのだった。

「行きましょう、隊長」
「ああ。……死んでいないだろうな? シュン殿はできるだけ殺すなと言っていたぞ」
「あのエトランジェはそうヤワではありません。私の奇襲を防ぎましたし」
「なにをやっているのだ」
「シュン様から言われたエトランジェだと、気付かなかったのです」

 友希は必死に二人に追いすがろうとする。
 しかし、いくら身体構造がマナ化していても、頭部への強打は耐えられない。

 友希の意識は、ゆっくりと暗くなっていくのだった。




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